乞うご期待、カンタータ公演!2009年12月02日 12時16分37秒

12月のイベントをご案内する時期になりました。もっとも重要な くにたちiGACHコレギウムのカンタータ公演について、まずご案内します。

12月8日(火)18:30から、国立音楽大学講堂小ホール、入場無料。演奏曲目は、カンタータ第64番《見よ、どれほどの愛を》、モテット《イエスよ、私の喜び》BWV227、カンタータ第140番《目覚めよ》という、超名曲ぞろい。指揮は大塚直哉さん(←天才!)です。

第64番は後半にソプラノとアルトのすばらしいアリアがあるのですが、この2曲が、iBACHの看板コンチェルティストである小泉惠子さん、加納悦子さん(←貫禄!)によって歌われます。モテットは、コラールの変奏にあたる奇数楽章を合唱で、聖書のテキストによる偶数楽章を重唱で対比的に演奏するよう、工夫してみました。コンチェルティストは、山崎法子、川辺茜、湯川亜也子、中嶋克彦、杉村俊哉/千葉祐也の方々です。

トリの第140番は、オリジナル通り、ヴィオリーノ・ピッコロ(!)を使って演奏します。もちろん、オーボエ・ダ・カッチャやナチュラル・ホルンも加わります。合唱のすばらしい作品ですが、阿部雅子さん(←急上昇中)、小川哲生さんによる愛の二重唱も、ぜひ聴いていただきたいものです。

昨日、ゲネプロ前最後の練習をしましたが、演奏会を控え、相当引き締まってきました。ぜひぜひ、お出でをお待ちしています。

今月のイベント2009年12月03日 14時03分16秒

8日のカンタータ公演以外のイベントです。

12月5日(土)は第一土曜日ですので、朝日カルチャー新宿校の講座「新・バッハ/魂のエヴァンゲリスト」です(10:00~12:00)。かつての著作を批判的に読み直すこの講座、今月から最後の章「数学的秩序の探求」に入り、「後期の諸作品」と題してお話しします。6日は既報の通り、クリスマス音楽のFM放送があります。

13日(日)は、すざかバッハの会です(14:00~16:30)。2年間続いた「バッハ最前線」のこれが最終回で、《マタイ受難曲》の連続講義は「死と埋葬」。「この1曲」では、《ロ短調ミサ曲》についてお話しします。わあ、重いですね。

19日(土)は楽しいクラシックの会(10:00~12:00)です。新録音の増えてきた《ゴルトベルク変奏曲》を聴き比べて、今年の締めくくりといたしましょう。

26日(土)は朝日カルチャー横浜校(13:00~15:00)で、「ヘンデルのオラトリオ」のお話です。当然《メサイア》が中心となりますが、新しい素材も、探してみたいと思っています。よろしくどうぞ。

大物かも2009年12月04日 23時25分32秒

今週の水曜日。大学には行かなくてもいい週なのですが、会議があってはやむを得ません。またこの会議か、仕方ないな、ということで、学生の指導を2つ入れ、併せて学長に面談を申し込みました。いくつかお考えを伺いたいので、会議が順調に終わったらお願い、という依頼メールです。

すると学長から、今日会議はないが、その時間なら大丈夫です、という返信。私は、いや会議はいっしょの筈ですよ、と返しました。しばらくして再度返信。手帳に付け忘れたかとびっくりし、いろいろな部局に問い合わせたが、今日会議はないと思われる、とのことです。私も不思議に思い、召集令状を見たら、平成20年12月3日(水)とありました。なるほど、去年のことでしたか。

でも私は、なにやら自信が出てきたのですね。話のスケールが大きい。周囲でも時間を間違えたという話はよく聞きますが、たいていは、1時間間違えたとか、1週間間違えたとか、小さい話ばかりです。そんな話に比べれば、1年ドーンと間違える私は、文字通り大物と言えるのではないでしょうか。

1年じゃまだ小さいよ、とおっしゃるあなた。そりゃもちろん、5年単位、10年単位で間違える人があらわれれば私も甲を脱ぎますが、それは難しいんじゃないでしょうか。いや間違えた、という方がおられたら、書き込みをお願いします。

日曜美術館2009年12月06日 23時23分44秒

NHKの日曜美術館「劇的?やりすぎ?バロックって何だ」、ご覧になった方はおられるでしょうか。私は今日ようやく、送っていただいたDVDで見ました。いや、よくできています。ナレーションもしっかりしていましたし、各芸術においてルネサンス対バロックの作品比較が行われていたのは、専門家の解説がきちんとつくだけに、とても役に立ちます。

ディレクターの首藤圭子さんから、じつは音楽の対比もやってみたいのだが、という相談を受け、加藤昌則さんに作ってもらうと面白いのではないか、と推薦しました。そしたら作られていたのは、ボルゲーゼ美術館のラファエロの絵画を洗ったら一角獣の画像が出現した、というくだりを前半ルネサンス(デュファイ)風、後半バロック風に作曲したモテット。岡本知高さんが独唱しましたが、じつに面白くできていました。さすがの才能です。

ゲストの中では、青山学院大学の福岡伸一さんのコメントが無駄のない言葉の中に芸術と世界観の本質を尽くして、じつに卓抜なものでした。フェルメールの美術に封じ込められた時間の感覚を「微分」の発明とかかわらせる考え方には説得力があり、いい勉強をさせていただきました。

減った店、増えた店2009年12月08日 11時14分35秒

最近こういう店が少なくなったなあ、最近こういう店がやけに多いなあ--一定の年齢に達している方は、こんな感想をそれぞれお持ちだと思います。「少なくなった店」で私がすぐ気がつくのは、古本屋です。

私自身、古本屋めぐりをまったくしなくなってしまったので、営業が困難を増しているであろうことは、想像がつきます。その結果として、学術本のリサイクルが困難になりました。これは、学者・研究者にとって、なかなか困ったことです。

図書館長をしていた時代によく、亡くなった方の立派な蔵書を寄贈したいのだが、というご希望に接しました。しかし図書館にはもはやスペースがなく、むしろ、不要な本を処分している状況。寄贈を受けられるのはごく一部の貴重書のみで、それでは寄贈する側も困ってしまう、ということをよく経験しました。死ぬまで本を買い続けることは従来学者の美徳と見なされてきたのですが、そう言って買い集めてもいられない時代になったようです。

一方、増えている店の代表格は、マッサージです。こわばった体でよちよち活動している私としては、マッサージ店の増加と多様化は、大歓迎。最近好んでいるのは、タイ式古式マッサージです。やや割高ですし、基本が120分ですから若い人にはハードルが高いかもしれませんが、高級感があって客扱いがよく、ストレッチが積極的に取り入れられているため、効果があります。

最近はマッサージ店もモダンになり、美容を前面に押し出している店も多くなりました。でもあまりしゃれた外観で、「男性もどうぞ」などと書いてあるとかえって、オレが入っていいものか、と考え込んでしまいます。不思議にそういう店は、キラキラの盛り場に集中していたりするのです。

「カンタータの名曲を聴く」を終えて2009年12月08日 23時58分56秒

「カンタータの名曲を聴く」のコンサートが終わり、打ち上げを経て帰宅。いま、ハイテンションが少しずつ解消しつつあります。

おかげさまで9割を超える入場者がありました。私としては、演奏者、お客様から裏方まで、ご尽力いただいた方々への、感謝あるのみです。印象として強くあるのは、バッハの音楽のすばらしさと、若い人たちの情熱がもつ力の大きさ。いろいろな流れが合流して勢いを増し、今日の成果につながりました。皆さんの感想をいただきながら、書き足してゆきたいと思います。

コンサート回想(1):カンタータ第64番2009年12月09日 23時23分41秒

カンタータ第64番《見よ、どれほどの愛を》はとくに有名な作品とは言えませんが、私の好きなカンタータのひとつです。とくに思い入れがあるのは、中程にあらわれるソプラノのアリア。この世のものは煙のように消えていく、という厭世的な内容をもち、ヴァイオリンに煙の音型が、足早に駆け巡ります。「バッハのロ短調」による名歌のひとつです。リヒターのレコードで昔聴いていましたが、こうした表現はリヒターの独壇場で、マティスが深い声で歌っていました。

そんなこともあってこの曲を選び、練習を始めましたが、練習を重ねるにつれ、このカンタータの重量感がひしひしと感じられてきました。冒頭のフーガも、3曲あるコラールも、1回ごとに好きになりました。小泉惠子さん、加納悦子さんというエース2枚をこの曲に投入しましたので、事前から、もっとも安心のできる仕上がりになっていました。

小泉さんも煙のアリアに惚れ込んでおられ、用意は万端のように思えましたが、直前には不安にかられたらしく、ほとんどパニック状態(笑)。節度あるお人柄を存じ上げていますから、ああこれが歌い手なんだな、とほほえましく思いました。大切に思ってくださればこその現象です。

実演は内容をひたと見据え、格調高く表現した感動的なもので、私はこの方にこの曲を歌っていただける幸福をしみじみ感じながら耳を傾けました。狩野賢一君が堂々たるバスで間をつなぎ、アルトのアリアになりました。

この曲はオーボエ・ダモーレとアルト、通奏低音のトリオになっています。現世への決別を告げる歌詞はソプラノ・アリアの延長線上にありますが、音楽はト長調の明るく開かれたもので、大塚直哉さんによると、「ようやくクリスマスの雰囲気が満ちてくる」ということになります。従来私は、ソプラノのアリアを愛するあまりこの曲にあまり気持ちを入れていなかったのですが、今回は演奏のすばらしさによって、この曲がこの位置に置かれていることの意味がよくわかりました。このアリアは前のアリアを慰め、世に決別することの意味をとらえ直して、魂を癒しへと導いているのです。

尾崎温子さんのオーボエ・ダモーレの音色のやわらかさ、人声のようなぬくもりはこれまで聴いたことのないもので、これと加納さんのアルト、吉田将さんのファゴット、大塚さんのオルガンの教師陣の織りなすアンサンブルは、おそらく一生忘れないと思うような美しさでした。順調な滑り出しです。

コンサート回想(2):モテット2009年12月10日 22時09分37秒

カンタータ第64番に続いて、モテット《イエスよ、私の喜び》が演奏されました。私にいただく感想は、モテットがもうひとつだった、というものと、モテットが一番よかった、感動した、というものに二分されていて、中間がありません(1:2ぐらいで後者が優勢)。なるほど、やっぱりね、という思いです。

練習していて痛感しましたが、カンタータより、モテットの方が格段にむずかしいですね。カンタータは器楽の助けがありますし、歌うところも少なくて、たとえば140番のソプラノ・リピエーノのように、コラールの主旋律を歌っていれば済む、という曲もあります。毎週のように新作をやらなくてはならない状況の中で、バッハが演奏家に配慮していることがわかります。

しかしモテットは、ポリフォニー合唱の連続。しかも《イエスよ、私の喜び》は全11楽章と長大で、たいへんむずかしい。ですから、コンサートを迎えるにあたって一番「こわい」のが、この曲でした。

バッハの時代には全パートに器楽の重複が入っていました。歌声部はこの曲の場合各パートひとりだったろうと思いますので、器楽の支えは欠かせなかったことでしょう。しかし今回は各パート4人で編成したこともあり、器楽はオルガンのみに限定しました。

これについて、複数の方が、やはり楽器を使うべきではなかったか、とアドバイスされました。私も今ではそう思っています。楽器の支えがあることで音程が取りやすくなり、歌の負担が飛躍的に軽減されるからです。楽器の重複には、こうした実践的な意味合いが大きいことがわかりました。バッハは、思いのほか実践家なんですね。

《イエスよ、私の喜び》は、しみじみと美しいコラールが奇数楽章で変奏されます。ここで表現されるのは、現世への決別です。一方、これにはさまれる奇数楽章は、『ローマ人への手紙』をテキストに、肉を去って霊にある者には永遠の命が授けられる、と述べる。両者が対置され、響き合い、生と死へのスタンスを深めながら、モテットは進んでいきます。そのさい、偶数楽章のメッセージがより高く、より尊いものとして響いてくることを作品は求めていると、私は考えました。

既報の通り、今回は偶数楽章をコンチェルティストの重唱として編成し、リピエーノが入って合唱される奇数楽章とはっきり区別されるようにしてみました。コンチェルティストには、大きな負担のかかるやり方です。そのためか、前の週の練習では偶数楽章が歌い切れず奇数楽章に埋没するような形になっていて、私は、それでは何もならない、と叫んでしまいました。ムンクのような顔をしていたかどうかは、わかりませんが。

食事をしながら意見交換をしているさい、指揮者の大塚さんがおっしゃるには、メッセージを大切にとは言っても、偶数楽章の歌詞は抽象的で、理解がむずかしいのではないか、とのこと。そうか、と私もはっとして、都合のつく人に別途集まってもらうことにしました。そこではパウロ書簡のもつ意味をお話しし、メッセージへの理解を深めました。

そして本番。コンチェルティスト(山崎法子、川辺茜、湯川亜也子、中嶋克彦、杉村俊哉/千葉祐也)の士気はきわめて高く、前週とは比べものにならないほどの充実をもって偶数楽章が再現されました。わ~よかった、と安堵。ですから私の感想は、「個人的にはモテットのコンチェルティストに拍手を送りたい」と書き込んでくださった浦和人さんのそれに、ぴったり重なります。精根尽くして演奏してくれた若い人たちに、感謝の心で一杯です。

コンサート回想(3):休憩2009年12月11日 11時59分59秒

モテットが終わると、私はすぐ、ホールを飛び出しました。第140番のためのトークで聖書の朗読をしようと思い立ち、研究室に、取りに戻ったのです。カンタータ演奏はバッハの時代にも聖書の朗読に続いて行われたわけですが、140番の場合はマタイ福音書の「10人の乙女のたとえ」が密接に踏まえられていますので、読んでおくと、鑑賞の助けになります。時間の進行が思いの外速かったため、朗読が可能と判断しました。

ホールと研究室は、急いでも5分かかります。聖書を携えて戻ってゆくと、もう後半の開始直前。演奏者に声をかけることもできませんでしたが、モテットを終わって戻ってきた声楽の人たちがたいへん高揚していたという報告を、裏を取り仕切っている永田美穂さん(助手)から受け取りました。

で、聖書をもってステージへ。最近細かい字が見えませんので、メガネを外して朗読しました。しかし聖書を読み、情景を説明しなどしているうち、歴然と、ノリが出てきたのです。私は平素さまざまに配慮を巡らしながら取捨選択をしつつトークし、そのあげく大事なことを忘れてしまったりするのですが、まれに、そうした配慮が心を離れ、言葉に集中した状態になることがある。それがこのときに起こり、お客様の耳が全部こちらに来ている、という気配を感じました。前半の演奏に熱気があったために違いありません。私がコンサートの成功を確信する瞬間でした。

コンサート回顧(4):カンタータ第140番(その1)2009年12月12日 22時44分32秒

カンタータ第140番《目覚めよ》は、バッハの教会カンタータの最高峰に位置する作品と評価しています。その音調は、終末を扱いながらも希望にみなぎり、大らかな開放感と官能性を兼ね備えている。厭世的で厳粛な前半2曲と対置することによって、こうした性格は、ますます引き立つに違いありません。

この曲には、男声のエースを2枚投入しました。若いテノール、藤井雄介さんと、ベテランのバリトン、小川哲生さんです。この日のプログラムにはテノールの独唱がなく、140番のレチタティーヴォが唯一のもの。しかしこれは相当な名曲で、「鹿のように丘を躍り超えて」やってくる花婿イエスの姿を、わくわくモードで伝えます。短いながら、テノールの聴かせどころと言っていいでしょう。バスにはもちろん、イエスの重責が委ねられ、レチタティーヴォが2曲、二重唱が2曲ある。味わい深い歌を歌われる小川さんが、ここで出番となりました。

日本にほとんどないというヴィオリーノ・ピッコロ(3度高い小型ヴァイオリン)が調達できたのは、大きな幸いでした。そのちょっと鼻にかかったようなかわいらしい響きに、バッハがこだわったと思われるからです。最初の二重唱ではこれが大活躍しますが、最後のコラール(天上の都を歌うもの)でもソプラノのオクターヴ上を演奏して、かすかな輝きを添える役割を果たします。超高音域のホルンもソプラノの重ねとしてぜひ必要ですが、ここに名手の阿部麿さんを配することができたのも、この日の自慢でした。

カンタータ中一番有名なのは、オルガン曲にもなっている中央のコラールですよね。この曲は、テノールのソロで歌われる場合と、パート・ソロで歌われる場合があります。私は、パート・ソロの方を選択しました。それは、ここでのコラールが、他の曲と同様はっきりした共同体的性格をもつと考えたからです。弦の有名な旋律は、2部のヴァイオリンとヴィオラのユニゾンで演奏されます。ですからテノールも、リピエーノを重ねてユニゾンとする方がいいと思いました。(まだ続く)