年始のご挨拶2010年01月02日 09時34分55秒

皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

子供の頃の、お正月に対するあの期待感。別の世界のように新鮮だった、町の景色。そんな気持ちはどこにいったのだろう・・・と思うほど非日常感を喪失しているのですが、それは年齢の故でしょうか、社会の変化の故でしょうか。毎年、それが加速しているのです。

というわけで、年賀状への関心をまったく失ったまま迎えた新年。ところがいただきましたね、いつも以上にたくさんの賀状を。交際範囲が年々広りますから、当然かもしれません。年長の方からも、お世話になった方からもたくさん来ている。これは放置できませんので、少し日が経ってから、おわびを含めた挨拶状を送ることにしました。くださった方々、すみませんがお待ちいただければと思います。

今年は少しゆとりをもって、というのが、私のたいていの年頭所感です。しかし今年は諸般の事情からゆとりをもてないことが確実で、正月早々、気が重くなっています。今年の抱負は、次話で。皆様には、なにとぞ楽しいお付き合いをお願いいたします<m(__)m>。〔←顔文字使用で新鮮さを出してみました(^_^)。〕

わが2010年を展望すると・・・2010年01月03日 23時03分36秒

年頭にあたってはたいてい、今年こそ自分の欠点を直そう、あれはこうしよう、これはこうしようと考えます。もちろん実行しきれないのですが、反省することは有意義だと思いますし、たとえ数日でも、努力してみることに意味があると思っています。

でもそれには条件がある。ひとつは、健康に恵まれて気力があること。もうひとつは、時間にゆとりがあることです。ゆとりがなければ目先のことに追われるだけで、自己改革は望めません。

今年の懸念は、時間のゆとりがとても望めないように見える、ということです。いま2つの著作を用意していますが、そのひとつ、『魂のエヴァンゲリスト』の文庫版は、細部の情報に至るまできちんと最新化しようと思ったらとてもたいへんで、世界のバッハ研究を丸ごと見直さなくてはならない。どの程度それをあきらめられるかに、覚悟がいります。

4月からは、非常勤で聖心女子大に行くことになりました。加えて、放送でもレギュラーの話をいただいています。これらのために、恒常的に時間が必要になりそう。同じぐらいの分量を他で削れればいいのですが、今のところ削ったのは月1回の朝日カルチャー新宿だけです。須坂は新企画が始まりますし、いずみホールにも、近々発表されるような諸企画があります。大学では、ドクターコースの学生が毎年増えています。今年も増えるかもしれませんし、増えて欲しいと思っています。

要するに、そう大きな目標はないが、ぎっしり仕事の詰まった年になりそうです。仕事って、相談している段階では、楽しいんですよね。皆様に楽しんでいただけるよう最善を尽くすつもりですが、さて、どうなりますか。

今年の年賀状2010年01月04日 23時17分42秒

奮起して、年賀状を作成しました。お送りできない皆様のために、WEB公開させていただきます。左から渓子、陸、遼子。場所は当家の玄関です。





課題はソムリエ対策2010年01月06日 15時18分33秒

ワインを好きになってから、飲食が高くつくようになりました。忘年会などのさい、私が年長で参加者と差があるようなときには、飲み物は私が提供するという形に、よくなります。問題は、いいお店で、いいワインが置いてあり、メンバーに底なしの人が含まれている、といった場合があることです。

昨年最後の忘年会は、30日に新宿の「響」で開催されました。これは、サントリーの経営しているすばらしいお店で、私もいろいろな機会に使います。私が通ったからつぶれる、といった懸念をもつ必要のない、安定したお店です。

一般メニューにも数点のワインが掲載されていますが、なにしろサントリーのお店なので、他にもたくさんのストックがあります。メニューにあるのはいつも飲んでいるから、ということで、メニューにないワインを頼むことにしました。するとやってきたのは、すらりとした男性、すなわちソムリエです。

ソムリエ氏は、手に5本のワインをもって、心持ちうれしそうにやってきました。民主的(?)な私のことですから、参加者に、「どれがいい?」と尋ねてみました。すると、フランスに数年おられた女性が、「絶対これ!」と、3本目のワインを指さすではありませんか。じゃ、それにしよう、ということで注文し、「何であれがいいの?」と尋ねてみると、返答は驚くべきもの。自分では高くて飲めないから、というのです。

当日のメンバーには底なしの方が含まれていましたので、当然ワインは、どんどんなくなります。ソムリエ氏がふたたびやってくる。警戒する私に、それぞれの説明をしてくれます。どうやら、左から右に行くにつれ、高級になっているらしい。当然、右の方の推奨に力が入ります。具合の悪いことに、ワインというものは、1本目より2本目、2本目より3本目というふうに、グレードを上げて飲んでいくものだ、と聞いています。さあ、困りました。

皆さんに教えていただきたいのは、次の1点です。こういうとき、値段を聞いてもいいものでしょうか。ソムリエ氏は、当然値段には触れません。ワイン通であればどこの何年、ということでだいたい見当はつくはずだから、値段など聞かないのがスマート、とどうしても思われますよね。でもあいにく私には、そこまでの知識はないわけです。5本もあるのだから、そのうち1本ぐらい、凶悪な値段の品が入っていないという保証はありません。選んでいて生きた心地がしなかった、というのが正直なところでした。

楽しい忘年会でしたので、お金には換えられないと思っています。現金もある程度用意していったが、お勘定はカードで払って帰宅した、とだけ申し上げておきます。

今月のイベント2010年01月07日 23時29分46秒

恒例のご案内です。内輪の仕事も含めていろいろあり、緊張しております。

9日(土) 10:00~12:00 朝日カルチャー新宿校の講座『新・魂のエヴァンゲリスト』。最終章から、数と音楽の関係、《ロ短調ミサ曲》、《フーガの技法》、病と死のあたりを扱います。今意を決してテキストを書き直していますので、できれば配布するつもりです。

14日(木) 19:00~21:00 いずみホールのオルガン・シリーズ、今回はジェイムズ・デイヴィッド・クリスティ、ジョン・フィニーのお二人をお招きして、《フーガの技法》を全曲演奏します。題して「バッハの遺言」。コンサートは間違いないと思いますが、私自身は、英語のインタビューに不安があります。

16日(土) 10:00~12:00 楽しいクラシックの会例会(立川錦町地域学習館)。今月はミニミニコンサートがあります。湯川亜也子(メゾソプラノ)、三好優美子(ピアノ)お二人の出演で、フォーレの歌曲が演奏されます。 ある僧院の廃墟で~夢の後に~讃歌~秋の歌~ゆりかご~ネル~ある1日の詩 というプログラムです。そのあと、先日このブログでご紹介したキングズ・カレッジの《メサイア》を鑑賞します。お問い合わせはマーラー・ファンの倉増さんまで <gustav@mtj.biglobe.ne.jp>。飛び入りで結構ですので、お出かけください。

23日(土) 13:00~15:00 朝日カルチャー横浜校の講座。今月はバッハの《音楽の捧げもの》です。

24日(日) 15:00~16:30 日本ワーグナー協会例会(東京国際大学早稲田キャンパス多目的ホール)。《神々のたそがれ》の入門講座です。

30日(土) 18:00~20:00 松本ハーモニーホールでの講演「バッハの《ブランデンブルク協奏曲》~多様性への挑戦」。31日の15:00から、小林道夫指揮、松本バッハ祝祭アンサンブル(コンサートマスター 桐山建志)による全曲演奏会があり、そのためのプレレクチャーです。

ご支援をよろしくお願いします。

流行語大賞には2010年01月08日 23時54分42秒

最近、ものすごくたくさん耳にするようになった言葉があります。それは、「思い」という言葉。鳩山さんが、次から次へと使う。「国民の皆さんの思いに・・・」とか、「・・・という思いはあります」とか。その言葉が引用されますから、「思い」という言葉、あたかも乱舞するがごとき印象があります。

それに違和感を抱くのは、「思い」という言葉を、私は一度も使ったことがないからです。「私の考えは」とはしばしば言いますが、「私の思いは」とは、私は一度も言ったことがない。皆さん、どうでしょう。もちろん、正しいとか間違っているとかいうレベルではありません。立派な日本語で、意味はわかります。しかし、使ったことのない私から見ると、これはあるときある理由から、ある範囲の人たちによって使われるような言葉ではないか、と思うわけです。たとえば翻訳書で「思い」という言葉を見た記憶を、私は思い起こせません。

「思い」という言葉は、あいまいだと思うのです。これはなかなか主観的な言葉で、願望も入っていれば、思い入れも入っている。「考え」であれば理知的に整理できますし、反駁もできる。しかし「思い」となると、人それぞれということになって、反駁はできないと思います。それが政治的なコンテクストで重要なタームになっていいのだろうか、という思いがあるわけです。

いま初めて使ってみました。いつごろから一般化した言葉なのか、知りたいと思います。

陽気なアメリカ人2010年01月09日 22時22分22秒

午前中、新宿の朝日カルチャーでバッハの最晩年の話をしてから、武蔵野文化センターへ。来週いずみホールに出演されるジェイムズ・デイヴィッド・クリスティーさんがこの日は武蔵野でコンサートをなさるので、挨拶に伺うのです。

こんなときいつも気が重いのは、英語に自信がないから。もじもじと待つことしばし、食事に行かれたクリスティーさんが戻ってこられたのは、1時半からの開場がまもなく、という頃でした。

でも挨拶したとたんに、私はクリスティーさんが大好きになってしまいました。明るくフランクで、何もここまで、というほど、友好的。重いウィスキーをアメリカから運んできてくださったのには驚きました。こういううれしい出会いになると、英語がどんどん出てくるから不思議です(笑)。

日本は2回目で、1度目は小澤征爾指揮のボストン響に同行されたとか。サン=サーンスのオルガン交響曲を演奏されたそうです。あなたはオルガニストですか、と聞かれたので、そうです、と言いたかったのですが、うそは言えませんから、音楽学者、バッハ研究家です、と申し上げました。「じゃ、クリストフ・ヴォルフをご存じですか」「はい。(ボストンにお住まいとわかったので)ジョシュア・リフキンは私の友達ですよ」「そうですか。リフキンの《ロ短調ミサ曲》でオルガンを弾いているのは私ですよ。」「へ~。リフキンは昨年来日して、《マタイ受難曲》を指揮したんですよ」「日本人のメンバーでですか」「いや、第1グループはボストンから来た若い人たちで・・・」といった会話が続き、思いの外身近な方だったことにびっくりしました。

《フーガの技法》のコンサートは前半のみ聴いて次の目的地、紀尾井ホールへの向かいました。情熱的で闊達、フーガが複雑になるほど、雄大に盛り上がる演奏です。関西の方、14日はぜひお出かけください。

卓抜なイメージ2010年01月10日 21時18分40秒

土曜日、クリスティーさんのコンサートを途中で飛び出した私は、紀尾井ホールへ。途中で昼食を摂ったものですから、四ッ谷へは駆け足になりました。やっぱり走ると、あとが疲れます。

紀尾井のコンサートは、尊敬する今藤政太郎先生の邦楽リサイタルでした。リサイタルといっても、2人の人間国宝をはじめ、邦楽界の重鎮がずらりとステージに並ぶ、大コンサートです。これだけの方が共演されること自体が、今藤政太郎先生のぬきんでた力量とご人格を証明しています。演奏内容も第一級のものであったことは、いうまでもありません。

具体的な内容については専門外でもありますので控えますが、「書く」という私の専門にかかわることを、ひとつだけ書かせてください。

後半に、『古事記』の仁徳天皇の章に取材した今藤先生のオリジナル作品が演奏されました。尾上菊之丞さんの原案構成による《舟と琴》です。丈高い木が伐られて速い舟になり、それが焼かれて名器の琴になるというお話で、最後に、天皇の作歌とされる古代歌謡が歌われます。

駒井邦夫さんによるプログラム解説では、このあたりについて、次のように述べられていました。「大君は、大木から舟に、そして今一面の琴にと精霊の魂が移り宿ったと感じたはずです。大君はその琴に歌を贈り称えます。曲の最後は、大君の作った歌が唄われます。その歌の感じは、古墳時代の朗々としたひろがりを聞く者にあたえます。」

「古墳時代の朗々としたひろがり」とは、何というすばらしいイメージなのでしょう。私は古代にそんなイメージを重ねたことなど、一度もありませんでした。深い尊敬を覚え、何度も何度も読み返してしまいました。

研究年報作成中2010年01月12日 18時03分43秒

バッハ研究所のホームページ、今年はしっかり更新することにしました。とりあえず、昨年演奏したモテットについて連載しますのでごらんください。→http://www9.ocn.ne.jp/~bach/ です。

いま、音楽研究所研究年報の作成にかかっています。今日は座談会を開きました。リフキン先生の公開レッスンの思い出を語り合うという趣旨で、受講生になった4人の方々に、お話を伺いました。そのさい思い出したことで、以前の報告に書かなかったことがあります。いずれ年報で公開しますが、その予告も兼ねまして。

《マタイ受難曲》の〈血を流せ〉という、ソプラノ・アリア。これは4つの音符を繰り返し歌います。シンプルなだけにどう表現すべきかむずかしいところなのですが、リフキン先生がそこでおっしゃったのは、「30種類ぐらいの歌い方を試してご覧なさい」ということでした。普通は、自分が一番いいと思う1つの歌い方を追究するわけですが、それにとらわれない、たくさんの可能性の長短を、自分で試してみるといい、ということです。

このお話で私が思い出したのは、本のタイトルの付け方に関する、私自身の考えでした。タイトルを探すとき、どうしても1つの案を追究してしまいますが、これは、20ぐらい、たくさんの案を考えた方がいいのです。その過程で、イメージがひろがり、思わぬ名案が浮かびます。これは持論でしたので、リフキン先生の指導は、まったく同じことを提案されているのだと、感じ入りました。

勉強中の方に、絶対お勧めできる提案です。

変わり映えのしない話2010年01月13日 23時27分05秒

私の職場ではいま、庭に建物が建ちつつあります。庭がなくなって残念、という気持ちは強いですがそれは置くとして、建物を建てるためには、地鎮祭というイ、ベントを行わなくてはなりません。10時半からです。家を出るにあたり考えたのは、これって、礼装?ということでした。

ネットで調べると、ダークスーツまたは略礼装、と書いてあります。そこでダークスーツと、もっとも地味なネクタイを選び、職場に向かいました。しかし、遅れられないときに限って、バスは来ませんね。じりじり待つことしばし。やっとタクシーをつかまえることができました。そうしたらこの運転手さん、一度も通ったことのない道を飛ばし、過去最短で職場に着けてくれたのです。庭での行事にはふさわしい好天です。

集合場と思われるところに行ってみると、あれ、何しに来たんですか、といぶかられる雰囲気。結論を急ぎましょう。地鎮祭は来週だったのです。理事会は?それも来週、とのこと。何だ、来なくてもよかったんじゃないの。今日は大阪に入らなくてはならないので、すごくタイトなスケジュールだったのに。

何の新鮮味も面白味もない話で、申し訳ありません。でも、「皆さんおそろいですが」と電話がかかってくるよりましですよね。その後、夕方に卒業生との面談を約束していたことが発覚。近くで済ませてから大阪に来ました。新幹線の車両が冷えてくる寒さです。20年通っていますが、こんなに寒い大阪は初めて経験しました。