拝金主義2010年03月21日 22時35分50秒

今日は、バッハの誕生日でした。コンサートがさぞ多かったと思いますが、今年は、自宅休養とさせていただきました。将棋NHK杯の決勝戦、開幕したパ・リーグ、同じく選抜甲子園、民主党の内紛など、テレビで見るものには事欠かない1日で、少し、ゆっくりしてしまいました。

しばらく前の新聞で、最近の日本語には敬語が過多になる傾向がある、と書いてありました。たしかにそう思いますが、考えてみれば、これは不思議な現象です。なぜなら、昔の発達した敬語体系が少しずつ簡略化されてきたのが近年の歴史であったと思うからで、女性の会話とか、手紙の時候の挨拶とか、昔はずっと入り組んだ言葉の使い方をしていたんじゃないかと思います。

そうした流れが逆流し始めたというのですから、面白い。典型は、鳩山首相も得意とする、「させていただく」言葉でしょう。たとえば会議で司会者が、「始めさせていただきます」と言う。私が冒頭で、「休養させていただきました」と書く。ごく一般化しているので、疑問を感じながらも、ついこう使ってしまいます。

でも、これ以上の敬語の過剰、いわゆる「馬鹿丁寧」というのは、よろず合理化された現代生活には似合わないのではないでしょうか。私は、礼儀も好きですが、単刀直入な会話がそれ以上に好きなので(=時間が節約できる)、お愛想や丁寧語で会話のかなりが支配されることは好みません。そもそも私は、年少の人に敬語を使うことが、少ない方です。学生には、ほとんど使いません。昔職場のトップだった方で、すべての人に絶対に敬語を外さない方がおられましたが、あまり丁寧な人とは、親密になりにくいものです。

でも、正しく使われていれば、いいのです。きわめて丁寧で、しかも誤用されているのは、気持ちが悪い。比較的よくあるのが、事柄本位の会話で「そうですか」と返答すべきところを、「そうでいらっしゃいますか」と返す場合。また最近進出してきたのが、「存じません」というべきところを、「存じ上げていません」と返す場合です。「政治とカネ」がらみの会話で、お金の授受に対して「存じ上げていない」という言葉を使われると、拝金主義とはこのことか、と思わざるを得ません。複数の方が使っておられました。

コメント

_ まさお ― 2010年03月22日 08時19分18秒

想像するに、リスクヘッジ的な使い方がされているのではないでしょうか。通常、敬語を使われて気分を害する人は居ないわけで、とりあえず敬語(場合によっては重ねて)使っておけば問題なかろうと。

敬語の難しいところは相手との相対関係や場面などの環境によって使い分けなければ行けない点で、間違えると下手すればトラブルになるわけです。それを避けるには、とりあえず(表面的に)自分がへりくだっておけばOKと。「バイト敬語」もこの一種ですね。

敬語に限らず、世の中全般がそうなってますよね。ケータイ禁止、過激な表現禁止、云々とどんどん窮屈にしているのが今の日本ではないでしょうか。

この手の施策は、本質的ではないのに一見正論なので反論しにくいのが特徴です。

バラマキ政策もそうですが、本質をとらえることを避ける最近の風潮には、ホトホト嫌気がさします。

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