松本ブランデンブルク紀行(2)--人気投票 ― 2010年02月01日 23時55分58秒
冬こんなに天気のいい松本というのは、そうあるものではありません。なにしろ周辺の山々がすべて克明に姿を現していて、常念岳を盟主とする北アルプスの美しさは、息を呑むほど。それが夜まで変わらないのです。ここでもまたツキを使った感のある、私でした。
講演は、ふつう、総論から各論へと向かいます。しかしこの日は、逆の構成を考えました。まず全6曲を解説し、その上で、全体を考えてみよう、という趣向です。フライブルク・バロック・オーケストラの映像を流しながら6曲を概観した後、休憩時に、アンケートを採ってもらいました。6曲のうちどれが好きか、独断と偏見で投票してください、というものです。皆さんなら、どの曲に1票でしょうか。
ずいぶん大勢の方が、投票してくださいました。結果は、興味深いものです。1位は第5番ニ長調で、75票。2位は第3番ト長調で、30票。3位は第4番ト長調(!)で、22票。4位は第6番変ロ長調(!)で、15票。5位は第2番ヘ長調で、11票。最下位は第1番ヘ長調で、わずか6票(!)ということになりました。
昔から有名な第5番の1位は、予想通りです。これに次いで演奏される第3番の2位も、想定内。比較的地味な第4番、第6番がそれなりに票を得た反面、目立つ場所にある第2番、第1番が人気薄でしたね。とくに、第1番の惨敗には意外感があります。というのも、私の『バロック音楽名曲鑑賞事典』では、100の名曲のうちに、第1番を入れているからです(笑)。しかしいちばん質の高い曲は、と尋ねられれば、第3番と答えると思います、きっと。
打ち上げもこの話題で持ちきりでした。皆さん、楽しんでくださったようです。
松本ブランデンブルク紀行(3)--諸説の紹介 ― 2010年02月02日 22時21分24秒
人気トップの第5番の成立に関しては、最近支持されるようになった新説があります。それはピーター・ディルクセンが提起したもので、その成立を、1717年にドレスデンで行われた、ルイ・マルシャンとの腕比べに求めるものです。選帝侯の臨席する注目の腕比べで先進国フランスの音楽家マルシャンを夜逃げに追い込み、バッハの名声はいやが上にも輝いたわけですが、そのおりにドレスデンの宮廷楽団と演奏した作品のひとつが、この第5番というわけです。
この説は、第5番で突出したチェンバロ・ソロのパートが、時代に先んじてあらわれることをよく説明しています。フルートの独奏パートがバッハに初めてあらわれることについては、ドレスデンにビュファルダンという名手がいたことが説明になる。なにより、美しい第2楽章の主旋律が、マルシャンの作品から取られていることが、強い裏付けとなります。従来の「ベルリンで購入したミートケ・チェンバロの性能を発揮するために」という説では、資料の初期段階を説明しにくいのです。
講演会の後半では、曲集としての、さまざまな問題を論じました。調性が偏っているのは、偶然か意図的か。6曲は何らかのプログラムに沿って並べられているのか、そうではないのか。構成を古代の凱旋行列になぞらえるピケットの説、バロックの城館を絵を見ながら経めぐるベーマーの説を紹介しましたが、どちらも、思いつきの域を出ないと思います。しかし、正しい考察が一部含まれている可能性はなしとしませんし、本当の意図がまだ見つけられていないという可能性もある。「求めよ、さらば与えられん」というのが、《音楽の捧げもの》のカノンに付された注釈だからです。
松本ブランデンブルク紀行(4)--全曲演奏 ― 2010年02月03日 23時28分20秒
バッハは《ブランデンブルク協奏曲》が全曲通して演奏されるようなコンサートを、想定していたでしょうか。多分、していなかったと思います。曲ごとに編成が全然違うというのでは、効率よく演奏するわけにいきません。ブランデンブルク辺境伯の宮廷では演奏しようがなかったことはよく指摘されていますが、同時代にはせいぜいドレスデンぐらいしか、演奏可能な楽団はなかったはずです。
しかし日曜日のコンサートを聴いて、全曲演奏することの効果はたいへん大きいと思いました。曲ごとに多様性がありますから変化に富んでいる。いろいろな楽器が出てくるので、目で見ても面白い。かなり長くはなりますが、飽きることがありません。
それも、ピリオド楽器であればこそです。ナチュラルのホルンやトランペット、トラヴェルソやバロック・オーボエ、さらにはヴィオリーノ・ピッコロといった楽器が登場すればこそ、面白いのです。編成も、小さい方がいいですね。第3番、第6番は、ぜったいにソリスト編成であるべきだと思います。この日は、第1番、第3番、第4番、休憩、第6番、第2番、第5番という演奏順序が採用されました。(続く)
松本ブランデンブルク紀行(5)--コンサート ― 2010年02月04日 23時40分22秒
理にかなっている、と感じられるということは、音楽の意味がしっかりとらえられていたということです。たとえば、開始後2時間近くにようやくやってきた第5番の、第2楽章。小林、桐山、北川森央(トラヴェルソ)の3人によるロ短調のトリオは珠玉のように味わいが深く、ひとつの音も聴き落とせないと思うほど、磨き抜かれていました。その日の出来事で沈みがちだった私の心に、その響きは、じーんと染み通ってきました。
大いに感動して楽屋に向かうと、桐山さんがもう、泣いているではありませんか。こうなったら、一緒に泣くしかありませんよね(笑)。涙の結ぶ力は大きく、私は、この人となら一生一緒に音楽をやっていけるな、と確信しました。ロビーでようやく発見した小林先生との抱擁シーンを掲載します。私の感動ぶりに接して、クールにいなす言葉を吐かれるのがいかにも先生です!
松本ブランデンブルク紀行(6)--悲しい初恋 ― 2010年02月05日 23時51分32秒
価値のあることについて詳細に連載しているのに、「痛切」の話はどうなった、いつまで引っ張るんだ、という声が聞こえてきます。引っ張ったわけではありませんが、書いていいものかどうか迷っていたことは確かです。プライベートなことですから。
まあしかし振ってしまいましたから、書こうと思います。ことは、私の初恋に関することです。時効だから、ということにしてくださいますでしょうか。もっとも、過去のホームページにはどんどん書いていましたが・・・。内密にお願いします(って、変ですね)。
整理しておきます。中学生のとき、D組だった私は、B組にいた美女に恋をしました。彼女に恋をしていた子、何十人もいるんじゃないかと思います。彼女には特定の人がいましたから、私は、典型的な片思い。同じ音楽部ではありましたが、付き合うどころか、話をすることもほとんどありませんでした。とはいえ、情熱的な年頃です。彼女の部屋の灯が消えるのを遠くから眺め、寂しく帰った日があったことを覚えています。それはストーカーだ!などと言わないでくださいね。当時はストーカーという言葉、ありませんでしたよ。
その後、私は深志高校に進学し、彼女は蟻ヶ崎高校(当時女子校)に進学しました。大学に入る頃にはすっかり遠ざかってしまいましたが、彼女は国立音大に進学し、私がやがてその教師になるという偶然が進行していて、のちに驚きました。
ずっと時間が経ち、私の『モーツァルトあるいは翼を得た時間』の出版記念会を、松本の友人が開いてくれることになりました。その友人はその機会に、彼女との再会の場を、設定してくれたのです。私は本当に感動しましたね!昨日のことのように覚えています。
その後、松本で会合があると彼女も来てくれるようになり、「松本バッハの会」の連続講演のおりには、司会もしてくれました。とはいえ、昔とはかなり印象の異なっていた彼女に対して、昔の感情がよみがえったわけではありませんでした。
また時間が経ち、驚くべきことが起こりました。お嬢さんが、母が危篤なので会ってあげてくれないか、と言ってきたのです。ところが、連絡先を大学に問い合わせし、大学も今は本人の同意を取らないと教えないものですから、連絡が取れるまで、数日が浪費されてしまいました。彼女は結局亡くなり、私にできたことと言えば、その後松本で行われたコンサートで弔意を述べることと、ご自宅に伺ってお線香を上げることだけでした。その折りに、思い出に写真をいただけないか、と申し上げたのだと思います。今年ご主人から来た年賀状に、写真が遅れていてすみません、と書かれていましたから。
以上、起こった出来事への前提です。
松本ブランデンブルク紀行(7)--痛恨の思い ― 2010年02月06日 23時26分11秒
初日、講演会の終了後。上品なご婦人が、私を尋ねて来られました。初恋の彼女の、母であると名乗られました。私と彼女は同年齢ですから、私の母でもあり得るお年のはずですが、自然なたたずまいは、到底そんな年齢に見えません。
ご婦人は私に袋を渡されました。そこには、やっと探し当てた古い写真が入っている、とのこと。そして、自分は短歌をやるので、娘が亡くなるときに詠んだ短歌を同封しました、とおっしゃいました。便箋に綴られているようです。
ありがたく頂戴しましたが、開く勇気がありません。翌日も勇気はなかったのですが、このままでは永久に開けないと思い、勇を鼓して、開いてみました。
白い紙に包まれた写真を取り出します。2枚ありました。小さい方を見たら、ああ!まさに中学生の頃そのままの面影の、彼女です。ずいぶん若い頃のようで、もしかしたら、国立音大在学中のものかもしれません。大きい方の写真は正装で、結婚式に撮ったものと思われました。2つの写真の間には、多少の年月の開きがあるようです。
達筆の書状が添えられていました。私の幼い頃の姿が今でも懐かしく浮かぶ、と書いてあります。ご存じだったんですね、私を。そのあとに6篇の短歌が記されていました。いずれも痛ましいものですが、その中にバッハが出てくるものを発見し、衝撃を受けました。
孫娘は涙ぬぐひてその母の柩に納むバッハの楽譜
どんな楽譜が選ばれたのか、私にはわかりません。思ったことはただひとつ、ああ、万難を排してお見舞いするのだった、ということです。その日は痛恨の思いにさいなまれ、心の晴れることがありませんでした。ご冥福をお祈りいたします。
2月のイベント、とくに「すざかバッハの会」新シリーズ ― 2010年02月08日 23時03分00秒
「痛切な出来事」の件、温かなコメントをいただき、ほっとしました。松本でも話が回り、お母様がブログを読まれたそうです。喜んでくださったそうで、本当に良かったです。
長期連載をしているうちに、今月のイベント、2つ終わってしまいました。6日の土曜日に朝日カルチャーのはしごがあり、新宿校で「20世紀のバッハ演奏」について、横浜校で《ロ短調ミサ曲》について話しました。後者については、次の更新で補足します。
今月は大学関係の試験その他が続いていて、これからあるイベントは2つだけです。1つは20日(土)に入学試験の合間を縫ってやる「楽しいクラシックの会」(10:00-)。テーマは「やっとわかった《フーガの技法》」です。
14日(日)から、「すざかバッハの会」の新シリーズを開始することになりました。今まではバッハを中心に、比較的専門性のあるテーマを追求してきましたが、今年と来年のシリーズは、「耳と心をつなげよう!」と題する、クラシック音楽入門講座です。そのコンセプトと第1回の内容を、次に記しておきます。楽しくやりたいと思います。須坂メセナホールで、14:00からです。
企画コンセプト:「すざかバッハの会」ではこれまで、バッハを中心に、モーツァルト、バロック音楽をテーマとして取り上げてきました。なるべく突っ込んで内容のあるお話をしたいと考えてきましたので、慣れない方には、むずかしく感じられることも多かったかもしれません。そこで、会の実力が充分に蓄えられてきたこの機会に、クラシック音楽のすばらしさを広く知っていただくための入門講座を企画してみました。映像などを鑑賞しつつ、基礎的なところから丁寧にお話しするつもりですが、もちろん目標は、表面的なことの先にある音楽の深奥に対して、耳をしっかり備えてゆくことです。名曲がもっと楽しく、もっと身近になるよう、工夫してみたいと思います。
第1回 音楽の原点、変奏曲--姿を変える主題の楽しみ いろいろな形式の中で、いちばんわかりやすく基本的なものが、変奏曲です。美しい旋律が好きになると、それが戻ってくることを期待するようになるものです。しかし新しい出現のさいに装いを変え、思いがけない姿に変貌させてゆくのも、作曲家の腕前です。ハイドンの《皇帝》、シューベルトの《ます》など、代表的な変奏曲を聴きながら、主題変容の面白さを学びましょう。
《ロ短調ミサ曲》のDVD ― 2010年02月09日 23時07分58秒
《ロ短調ミサ曲》のDVD。いま、4種類手に入ると思います。
リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ(グラモフォン)。ビラ-指揮、聖トーマス教会聖歌隊(TDK)。ブロムシュテット指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団、合唱団(ユーロアーツ)。ジョン・ネルソン指揮、ノートルダム・ド・パリ聖歌隊&アンサンブル・オルケストラル・ド・パリ(ヴァージン)の4つです。トランペットやホルンの活躍する曲なので、ピリオド楽器のものが1つもないのがいかにも残念ですが、それはそれとして。
多分市場で人気があるのは、一にリヒター、二にビラ-ではないでしょうか。しかし私のイチオシは、最後のネルソンです。ブロムシュテットも、なかなかいいと思います。
ネルソン盤は、合唱もオーケストラもフランス人ですが、ソリストは、ツィーザク(S)、ディドナート(Ms)、テイラー(CT)、アグニュー(T)、ヘンシェル(B)と一流揃い。合唱もオーケストラも若々しくはつらつとしていて、後半に行くにつれ、強烈にノリが出ています。カトリックの聖歌隊だけに、グレゴリオ聖歌の引用はお手のもの。《ロ短調ミサ曲》はカトリックのための作品だという観念はあるとしても、ラテン的な明るさがこれほど生きる曲だというのは、初めて知りました。お薦めです。
髪を切る ― 2010年02月11日 22時10分22秒
「先生、髪を切ったんですか?」と、また言われました。言う人、全部女性です。髪を整えてからもう2週間になるのに。
違和感のある表現です。髪を切るというのは、ロングにしていた女性が突然ショートになってあらわれる、というような場合に言うのではないでしょうか。私のようなケースは、昔から、「床屋に行く」と言うのです。ですから、「先生、床屋へいらしたんですか」と言うのが、正しい日本語です。
と書いたものの、自信がなくなってきました。男の方々、いかがですか。「床屋へ行った」とおっしゃいますか、「髪を切った」とおっしゃいますか。後者は、男性の長髪が流行したグループサウンズの頃に生まれた表現なのでしょうか。そんな気もしてきました。
もうひとつあるのではないか、とおっしゃる方。わかりますよ。「美容院に行った」という類型を加えなければいけない、ということですよね。昔、友人のひとりが1万円で美容院に行っているという話を聞いて仰天したことがありますが、いま周囲にいる声楽の学生たちのうち、少なからぬ数が美容院に行くようです。そんな恥ずかしいこと、私には考えられません。美容院がいいという理由は何なんでしょうね。「ひげを剃ってくれない」ということが致命的なのではないかと思うのですが。
ワインの勢いで ― 2010年02月13日 09時41分59秒
かつてパーティ用に作ったクイズの中に、本当に忙しいとき私のとる行動はどれか、というものがあります。選択肢は 1.休講が多くなる 2.ビジネスホテルに缶詰になる 3.ビールを飲みながら仕事をする で、正解は「3」でした。普通、飲み始めたらもう仕事はできませんし、仕事をやめるから飲み始めるわけですが、いよいよとなると、ビールを眠気覚ましに使う。お酒の勢いを借りて仕事をするのです。緊張感があると、それができるから不思議です。
で、いま、その状態。ひとつ違うのは、飲むのがビールからワインになっていることです。景気づけにはビールの方がよさそうですが、ワインを飲みながらでも、案外持続することがわかりました。連日、深夜までやっています。
何をやっているか。『魂のエヴァンゲリスト』の文庫版の、仕上げにかかっているのです。多少の修正で再使用する章もありますが、大幅に書き直した章もあり、目下最終章「数学的秩序の探究」を、根本的に改訂しています。あまり直すと、若い頃ならではの力が失われてしまうとも思うのですが、バッハ研究でその後わかったこと、私の勉強したことがあまりにも多く、割り切って書き直しています。読んでいただく日が楽しみです。
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