スマートフォン2010年06月19日 23時46分37秒

水曜日。聖心女子大の授業を終えた私は、その足で大阪に行くべく、東京駅に着きました。大型のLDなど、授業で使った素材は、地下のコインロッカーへ。帰りに回収すればいいのですから、コインロッカーは便利ですね。

道中読む本には、アンドロイドの入門書を選びました。なぜというに、須坂へも同行するまさお君が、いつもスマートフォンを使っているのです。その使い方が貪婪というか、節度が感じられないものですから、私もどんなものか、まず本から入ってみることにしました。

すると、おお、それは、私のためにあるような機械ではないですか。私は携帯電話を活用していますが、その主な用途は、リモートメールの閲覧と、カレンダーやToDoの参照、ニュースの購読など。ほとんど、グーグル系のサービスです。これまでは普通の携帯電話で、かなり遠回りをしながら、それらを使っていました。ところがDoComoのスマートフォンならばそれらが直接使え、カレンダーへの書き込みもできるという。これです(きっぱり)。

木曜日。帰路、新橋のマッサージ店を訪れた私は、目の前に、新しい量販店が出現していることを知りました。有名なヤマダ電機です。DoComoのコーナーでは、とてもかわいい店員が、お客様を待っている。だからというわけではまったくないのですが、善は急げと、手続きしました。ところが新加入にはパスポートが必要とわかり、出直さざるを得なくなりました。残念、と思って帰る際に、コインロッカーに寄ることを忘れてしまいました。

土曜日。新橋まで再度出向きました。日曜日のたのくらのために、コインロッカーの荷物がどうしても必要なのです。1時間の待ち時間に秋葉原を往復し、放送用のCDを調達。新橋に戻り、めでたく、実物をゲットしました。車中遊びながら帰宅しましたが、コインロッカーに寄ることは、もちろん忘れてしまいました。コインロッカーというのは、不便ですね。どうもコインロッカーにたたられることの多い、わが人生です。

名作は時代を超えて2010年06月21日 11時36分18秒

名作。それは人々に記憶され、長く、心に住みつきます。私は、そうした名作の研究と紹介に、人生を捧げてきました。そうしたら、なんと、私の書いたものが、(たのもーさんによれば)人の心に住みついたというではありませんか。そう、フランクフルト駅、931番のコインロッカーをめぐるお話です。

開かないコインロッカーの前で立ち尽くした血の凍るような感覚は、いまでも私の心に、生き生きとよみがえってきます。目的地は、バッハの国際学会。私の人生を左右するような分かれ道でした。その深刻きわまる体験を、当時の私は、かつてのホームページに連載したのです。

反響は、かつてないものでした。次々と寄せられる反応に接して、私は、人間とは何かに関する理解を、格段に深めました。それでどうしたんだ、早く次を書け、という大合唱。その中に、「でも帰国しているんだから、何とかなったんじゃないの?」というメッセージがありました。もちろん、その言葉に込められた真意は、私に伝わっています。コインロッカーが開かないことをこれだけ喜んでいただければ、私も本望です。その味は、「蜜の味」であったにちがいありません。

たのもーさんのように、コインロッカーの番号まで覚えてくださっている方もいらっしゃる。ありがたいことです。性善説の人であればここでショックを受けるのかもしれませんが、私は幸い性悪説なので、励みになりました。あと何年生きられるかわかりませんが、皆さんに楽しんでいただける人生を送りたいと思います。

最後に。東京駅の荷物は、日曜日の夕方、百円玉を12枚入れて取り出してきました。すぐ開きましたよ。

性善説/性悪説2010年06月23日 11時05分05秒

「名作」の公開を求める声が届いています。う~ん、どうしましょうか。

その前に、Claraさんのこだわっておられる、性善説と性悪説について、最近の考えを述べておきましょう。

私は、基本的に性悪説です。物心が付き、自分の心を見つめたときに、性悪説以外の選択肢は浮かびませんでした。人さまを観察して、そう思ったわけではありません。オレは人がいい、世の中にはそんなに悪い人はいない、だから性善説、という人に会うと、不思議でなりませんでした。

友人たちも、応援してくれたのですね。私、いい人だ、と言われたことが、ほとんどありません。早稲田の友人など、いつも私のことを、「いい性格している」と言ってくれました。こういう言い方、いけないと思います。外国人が、理解できません。だってこの場合の「いい」は、「悪い」という意味なのですから。

でも、若い頃の性悪説が、しだいに和らいできたのです。人間を理想化するから、性悪説になる。人間がいかに不完全かを実感し、それを赦す気持ちになれれば、性善説もあり得る、と思うようになったわけです。

要するに、性善説は、性悪説を通り抜けた先にしかあり得ない、というのが、私の結論です。その意味では、性悪説もやさしさの根源になりうる、と考えます。

〔付記〕「いけないと思います」というのは、冗談です。コメントをいただきましたので、念のため。

「バロックの森」7月2010年06月24日 23時42分54秒

今日、「バロックの森」7月の19日から21日までの放送分を録音しました。ご案内しておきます。

19日(月)は、パーセルの聖セシリアのための頌歌です。4つある頌歌のうち1692年の最後、最大の作品を、マクリーシュの指揮で取り上げました。まさに、円熟期の代表作ですね。パーセルは、どんどん取り上げていきたいと思っています。

20日は、J.C.F.フィッシャーの管弦楽組曲、チェンバロ組曲、オルガン用のプレリュードとフーガ(←バッハ《平均律》の先駆作品)を特集しました。これ、案外面白いですよ。私にとっても発見でした。ドイツ最古の管弦楽組曲集である《春の日記》など、とても魅力的です。

21日はバッハ特集で、カンタータの第88番(初演日が放送日と同じ)、第93番の2曲と、それにちなむオルガン曲を集めました。いま、ガーディナーがバッハ・イヤーに行った全曲演奏(カンタータ巡礼)の--一度は市場化を断念したといわれた--録音が、市場に出回っています。これを、積極的に取り上げていくことにしました。88、93の入った
1枚は、なんと、ミュールハウゼンの聖ブラージウス教会におけるライヴなのですね。ミュールハウゼン時代のカンタータ、第131番も収録されています。

帰路、次回用の素材をたくさん集めました。渋谷のタワー・レコード、とても充実していますので、クラシック・ファンにはお勧めです。

無限ループ2010年06月27日 09時28分59秒

週後半のプログラムを決めました。7月22日(木)はヴァイスのリュート組曲、リュート協奏曲と小品。23日(金)はバッハのカンタータ第88番、第93番とオルガン曲少々。24日(土)はハマーシュミットのモテットと組曲です。ハマーシュミットはとてもいいので、ぜひお聴きください。

いろいろなバロック音楽を聴いていて思うのは、シャコンヌ/パッサカリアが多いなあ、ということです。オルガン用の独立曲もありますが、種々の組曲やオペラのフィナーレになるので、とても目立つし、充実感があります。オペラのレチタティーヴォが、最後シャコンヌに高まるところも印象的ですね。モンテヴェルディなどです。

シャコンヌは、それとわかって聴いた方が絶対面白いです。低音(典型的にはラソファミの音型)がループしていますから、それに耳を合わせ、流れに乗って聴くと楽しい。この循環する時間は、神の永遠と触れあっているようにも思えてきます。音楽は来世の幸福をこの世で味わうことだと当時言いましたが、シャコンヌ/パッサカリアは、その象徴ではないでしょうか。

あざなえる縄2010年06月30日 23時25分07秒

ここしばらく、今日、6月30日の水曜日を無事クリアできるかどうかが問題だ、と思っていました。もともと今日は、聖路加病院で超音波の検査をすることに決まっていた日です。10時から検査、10時40分から授業では間に合いませんので、聖心女子大には、お休みをいただく予定でした。

ところが、先週23日に、外せない所用ができてしまいました。テレビで有名な方々が一堂に会する、帝国ホテルでの会合です。これを優先するために考えたのは、聖心女子大の授業を何とか成立させられないか、ということでした。2週連続休講というのは、いまどき、許されません。

考えてみると、聖路加病院と聖心女子大は、同じ日比谷線のルート上にあります。なるべく病院に早く行き、全速力で移動することで、11時からなら授業ができるのではないか。そのように決めて学生には連絡し、大学のあとでまわるNHKは、1時半開始に遅らせてもらいました。検査で朝食が摂れませんので、昼食は、ぜひしたいと思ったからです。もちろん計画のリスクは高く、何か起こったら即、アウト。着いてみたら学生は引き上げた後、という可能性もあり、朝から緊張していました。

家を早めに出たのはいいのですが、中央線が徐行して、10分間ロス。病院に着いてみると、超音波の検査のほか採血のあることが判明しました。これって、いつも混み合うのです。こりゃダメだな、と悲観的な気持ちが芽生えました。

ところが。1番ですぐに検査に呼ばれ、採血も待たずに済みました。支払いまでスムーズに進行し、11時には、余裕で聖心の教壇に立つことができました。ガッツポーズです。お昼も渋谷で、大好きな道玄坂のスープカレー店によることができました。辛さ7倍、おいしいのなんの!あとは放送を取るのみですが、準備は完了しています。

放送も、出だしは好調でした。ところが、しばらくするとお腹がゴロゴロいい始め、腹痛がしてきたのです。空腹に7倍カレーで、胃がびっくりしたようです。しかし小刻みにコメントする流れになっていて、スタジオを離れることができません。

私は思うのですが、人生に苦しいことはたくさんあるとはいえ、その最上位に含まれるのが、「トイレをがまんする」ということではないでしょうか。本当に辛い経験を、何度も何度も、過去にしています。這うようにして何とかたどりついてみると、全部使用中、並んでいる人さえいる、というような・・・。

今日も、それに近い状況になりました。最後は鬼の形相で、つとめて平然とコメント。やっと長い曲に入り、スタジオを飛び出しました。あ、NHKのトイレは空いていますのでご心配なく。

録音自体は、その名も「スーパー・ブレーン」という会社のスタッフが鉄壁のサポートをしてくださいますので、無事進行しました。終わった後、再度、聖路加病院へ。なぜというに、あわてて飛び出すとき、更衣室に時計を忘れてきたことに気がついたからです。

時計は結局見あたりませんでした。スイス製の、結構思い出のある時計でしたが・・・。疲労困憊で帰宅した私は、さて今日という日は私の理論を立証したのかどうか、考え込んでおります。