ニヒリズム2010年12月12日 23時48分53秒

澄音愛好者さん、さっそくありがとうございます。澄み切った音にニヒルに耳を傾けておられるご様子を、訪問者の皆さん、それぞれに思い描いているのではないでしょうか。

前話ではニヒルの条件として寡黙、孤高、陰影を挙げましたが、寂寥感というのもあるかもしれないですね。高倉健ですか(笑)。私をニヒルとはどなたも言ってくれませんが、私、ニヒリズムは強靱な精神の形成に絶対必要だと思っているのです。大人になるということは、それなりにニヒリズムを体得する、ということなのではないでしょうか。いつまでも幼児的、というのが一番いけないと思います。

過日、図書館の広報誌から、自分に一番影響を与えた本について書け、という原稿を求められました。実存的なレベルで考えると、その答えは三島由紀夫の『豊饒の海』ということになるので、四部作に関する学生時代の熱狂を綴りました。三島由紀夫の文学観は、「この世には何もない、ということを、これでもかこれでもかと教える」というものです。したがって私は、ニヒリズムに傾倒していた、ということになるわけです。

あれほど熱狂し、尊敬していた三島を、その後、まったく読まなくなりました。でもその体験は、人生にとってとても大きかったと思うのですね。人との出会いとか、人の温かさとか、世の中には感動的なものがたくさんありますが、それは、ニヒリズムの洗礼を受けているからこそ、本当に受け止められるのではないかと思うのです。ニヒルな人というのは、そのままずっとニヒリズムということなのでしょうか。それはちょっと、考えにくいのですけれど。