立ち稽古進行中2010年12月22日 22時43分21秒

26日(日)に須坂メセナホールで上演する《ポッペアの戴冠》、立ち稽古進行中です。みんなオペラが大好きなのでしっかり仕上げてきていて、相当いいんじゃないかと、手応えを感じています。当日のプログラムに書いた「すざか版《ポッペアの戴冠》ができるまで」というエッセイを、宣伝代わりに公表させていただきます。みなさん、ぜひ須坂までお出かけください!
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 小さな思いを集めた源流がしだいに流れを増し、川となる・・・。すざか版《ポッペアの戴冠》の上演を前に、今、そんな高まりを実感している。

 渡邊順生さんがモンテヴェルディに傾倒しておられることは、わかっていた。かつて大阪いずみホールで、ご一緒にモンテヴェルディ・フェスティバルを開催したことがあったからである。私もモンテヴェルディは大好きで、「無人島へ持って行く曲」に、彼の《聖母マリアの夕べの祈り》を挙げているほどである。渡邊さんも私も、《ポッペアの戴冠》がモンテヴェルディ究極の名作であり、なんとか上演する機会を得たいものだと、別々に思っていた。

 今年渡邊さんは、高性能のリュート・チェンバロを購入された。ことあるごとに自慢されるその性能のひとつは、「歌の伴奏に最適」というものであった。東京でのバッハ《ヨハネ受難曲》実演のさいその響きを耳にして驚いた私は、この楽器があれば《ポッペアの戴冠》を上演できる、その場所は須坂だ、と直感した。古楽器が居並ぶ《オルフェオ》とは異なり、《ポッペア》は歌と通奏低音を主体に書かれているため、チェンバロと歌い手がいれば、最低限、上演可能なのである。メセナホールにチェンバロを運び、何人かの若い歌い手といくつかの部分を演奏するイメージが、すぐ私に生まれた。場はもちろん、私が8年来続けている、「すざかバッハの会」連続講演の、オペラを採り上げる回である。

 《ヨハネ受難曲》には、国立音大博士後期課程の学生で私の論文弟子の一人である阿部雅子さんが出演していた。阿部さんはモンテヴェルディを専攻しており、誰の目にも、ポッペア役にぴったりな人である。そこで阿部さんを主役に、博士後期課程の学生を中心とするキャスティングがまとまった。メンバーは全員、私が学内に主宰する「くにたちiBACHコレギウム」に所属している。歌曲専攻の学生も多く、オペラに取り組むことは共通の念願でもあったので、10月の壮行会は、意気盛んなものとなった。

 いくつかの場面の抜粋、というアイデアは、コンパクト版の全曲演奏という願望の前に消えていった。しかし、全3幕、上演時間3時間を超える大作を、どう講演会の中に収めたらよいか。ストーリーのポイントを押さえ、美しい楽曲を網羅し、出演者の出番を均等化することは、容易ではない。もう5分あれば、もう10分あればと、どれほど思ったことだろう。キャスティングで悩ましかったのは、ソプラノ音域で書かれ、当時カストラートによって歌われた皇帝ネローネ(ネロ)を女性が歌うか、オクターヴ下げて男性が歌うかということである。どちらにも長所、短所があるためスタッフと激論を交わしたが、最後は私が折れ、「男が男を歌う」自然さを優先することにした。メゾ・ソプラノ音域で書かれた将軍オットーネは、逆に音域を生かして、女性により歌われる。

 《ポッペア》には多くの登場人物があるが、須坂まで足を伸ばせる人数には、限りがある。そこでどうしても必要になるのが、兼役である。私は当初、3人の神(幸運、美徳、愛)の世界をはっきり分け、兼役をそれぞれの世界の内部にとどめる発想をもっていたのだが、それはとうてい実現できないアイデアであることがわかった。このため、プロローグにおける美徳の神が第2幕で快楽のとりことなる侍女に扮したり、哲学者セネカが親友たちによる「死ぬな、セネカ」のバス・パートを歌ったり、またオットーネがポッペアの侍女を兼ねたり、ということが起こっている。ご寛恕いただきたいと思う。

 夢は、器楽の領域でもふくらんだ。当初チェンバロのみで演奏するつもりだった通奏低音にヴィオラ・ダ・ガンバを入れることになり、名手の平尾雅子さんにお願いしたが、ご快諾をいただいたことで、演奏のステイタスはぐっと高まった。しかしそうなると、シンフォニアやリトルネッロを、弦合奏で演奏したくなる。そこで2本のヴァイオリンを含めることにし、通奏低音にはリュートも加えた。凝ったストーリーを理解していただくために、スタッフには字幕の担当者も加えることになった。

 《ポッペアの戴冠》は、厳しい世界観とリアリスティックな人間表現において、並みのオペラとは一線を画している。こうした作品の上演には、根本的な研究が欠かせない。そこで私は、全曲の台本の対訳を、内外の訳業を参考にしつつ自ら行い、文献や楽譜の研究も行って、詳細な解説を、演奏者たちに配布した。時間はかかったが、これまで取り組んだことのない新しい世界に入りこんで、知的な興奮を禁じ得なかった。それを通じて学んだ認識を、ぜひステージにも生かしてみたい・・・。そんな思いから、素人ではあるが簡単な演出を行って、視覚面でも楽しんでいただけるように考えたつもりである。

 皇帝を考えつく限りの手練手管で籠絡し、皇妃への階段を上り詰めてゆく、ポッペア。あらがうすべもなくその術中にはまり、皇妃を離別するローマ皇帝ネローネ。苦悩の日々を過ごし、ポッペア暗殺に失敗して流刑となるオッターヴィア。美徳を説きながらも理解されず、皇帝の命令を受け容れて自殺する哲学者、セネカ。寝取られたポッペアへの思いを断ち切れず逡巡したあげく、ドゥルジッラの純愛に追放の慰めを見いだす将軍オットーネ。天上から快楽をあおる〈幸運〉、時勢ゆえに零落する〈美徳〉、世の人々を手玉に取る〈愛〉の三神・・・。こうした人々の織りなすドラマを、モンテヴェルディの音楽は強靱に造形し、仮面の下にひそむ人間の真実を、われわれに突きつけてくる。その恐ろしさと美しさを、須坂の方々にお伝えしたいと思う。