忘れもしない思い出2011年07月18日 23時12分00秒

今日はトッパンホールに、「高橋悠治×藤井一興 20世紀横断」というコンサートを聴きに行きました。

ギリギリに飛び込むと、すぐ目が合ったのが、マーラー然とした雰囲気で中央に座っておられる、三宅幸夫さん。お互いにすぐ思い浮かべるのは、野球のことです。この前まで「今年はまったく興味がなくなった」とおっしゃっていたのに、連勝のせいかとてもご機嫌で、愛想を送ってこられるのです(もちろんこの時点では、今日の結果はご存知ありません)。

私も余裕がありますので、塩を贈ろうと何かいいかけたら、隣に座っていた、見たことがあるようなないような女性が、「礒山さん!Aです」と言うではありませんか。「あ~、久しぶり!」と返しましたが、忘れもしないAという名前に、記憶は一気に、半世紀前の松本へと飛んでしまいました。

この方は、高校時代の私の同級生で、私が指揮者をしていた音楽部の団員でもありました。そして、松本深志高校美女ナンバーワンとして、人気の高い方だったのです。あ、その人に片思いしていたわけね、とおっしゃるあなた。違います(きっぱり)。私が好きだったのは、Aさんといつもいっしょにいる、親友のBさんだったのです(拙著『マタイ受難曲』に、ちらりと登場されます)。悪い男子生徒たちがミス深志のアンケートをひそかに回したことがありました。その結果、ダントツ1位だったのがAさんで、わがBさんは、10位。「こんなアンケートは女性に失礼だっ!」と叫んだことを思い出しましたが、もちろん、人権に配慮しての発言ではありません(汗)。

なんでこのような思い出を書くのかというと、このAさんが、高橋悠治さんの奥さんであるからなのです。結婚のうわさを聞いたときには驚きましたが、なるほどさすがに、とも思ったことを覚えています。高校卒業後、お会いするのは初めて。ナチュラルなイメージではつらつとしておられ、いい人生を生きておられるようにお見受けしました。

それにしても、高橋悠治さんのピアノのすばらしさには脱帽です。そもそもピアノ演奏は、技術的な要素と音楽的な要素が半分ずつ結びつくのがいい形かな、と思っていますが、技術的な要素が消し去られて音楽だけがそこにある、ということが可能であれば、それが最高かもしれない、という思いもありました。ところが、今日の高橋さんの演奏が、まさにそういうものだったのですね。なんの力みも作りもなく、無心に音楽を奏でて、やさしく血がかよっている。アンコールの《マ・メール・ロワ》にはとりわけ感激しました。〈美女と野獣〉というのもありましたね(笑)。