日常の五心2012年02月20日 08時38分28秒

4冊目を迎えた『土曜日の朝に』(「たのくら」の記念誌)を読んでいます。さすがに皆さん自分の世界をお持ちで、円熟したエッセイが多く、心を惹かれます。その中に、なるほどと膝を打つものがありました。重鎮、斉藤隆夫さんの寄稿です。

斉藤さんは、夏に法事で、曹洞宗のお寺に行かれたそうです。住職のお経に敬服し、立ち上がると壁に「日常の五心」が掲示してあることに気づかれました。次のようなものです。

一、すみませんという(反省の心)
ニ、はいという(素直な心)
三、おかげさまという(謙譲の心)
四、私がしますという(奉仕の心)
五、ありがとうという(感謝の心)

これを読んで私が反射的に思ったのは、これって、ミサ曲のテキストと同じじゃないの、ということです。同じ5章ですし、何より冒頭が、〈キリエ〉に重なります。以降も、もちろん厳密にではありませんが〈グローリア〉や〈サンクトゥス〉に類比できますよね。違うといえば、信仰箇条を列挙した〈クレド〉の存在でしょうか。宗教的な心は普遍的なものであるという《ロ短調ミサ曲》を通じての思いが、裏付けられたような気がしました。

エッセイは、含蓄深い、次のような文章で閉じられています。「私はこの古いお寺で身体も心も清められ、今後はこの『日常の五心』を心掛けて行動しようと思いつつ、小雨にけむる古寺を後にしました」。

コメント

_ マッキー ― 2012年02月20日 23時56分21秒

表意文字の日本文化、日本人の持っている言葉の奥行きを改めて思い知らされます。この「日常の五心」には、日本語のとりわけ美しい言葉が並んでいることが嬉しくなります。先人達が心の奥底から導き出し積み重ねてきたであろう、生き抜くための深い深い思いが綴られていると思う次第です。
一神教の人々であれ多神教の民であれ、人なるものの思いは遥か彼方の時より繋がっているのでしょう。それが命というものなのだと、思ってしまいます。

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