記者会見2012年04月20日 11時50分21秒

今日は大手町で、秋の「ウィーン音楽祭 in Osaka」のプログラムを発表する記者会見がありました。3年ごとにやってきたこの音楽祭、今回が一応最後になるのですが、とてもいいプログラムになったように感じているのです。近いうちに、ここでも発表させていただきます。

《ミサ・ソレムニス》を指揮するクリスチャン・アルミンク氏(←ウィーンが洋服を着ているような方)、ベートーヴェンの第4協奏曲のソロを弾くインゴルフ・ヴンダー氏が同席。プレス関係の方々が30人以上も集まってくださり、有名な方が何人もおられて、緊張しました。私が企画紹介をしている間に練達の通訳の方が同時通訳でよどみなくドイツ語にしてくださるのですが(すごいです)、少しわかるだけに頭が混乱してしまい、浮き足立った説明になって修正できず。まだまだ未熟です。それにしても、アルミンク氏の人当たりの良さはたいへんなもので、すっかり感心しました。このように人の気持ちをそらさないことが、指揮の秘訣でもあるようです。

そういえば、鈴木雅明さんがライプツィヒの「バッハ・メダル」を受賞した件が報道されていました。おめでとうございます。バッハ・コレギウム・ジャパンの日本人離れしたバッハは現地でも有名ですし、明晰な頭脳で英語、ドイツ語を完璧に話され、研究にも精通しておられる鈴木さんへの尊敬は、研究者の間でも確立されています。6月の授賞式では、私も祝辞を差し上げることになっています。

その原因は?2012年04月22日 23時32分40秒

数日多忙だったものですから、今日は完全休養しました。そうなると、野球観戦をするわけですよね。今年はすでに書いたとおり広島カープを応援しています。広島の現在は、横浜と巨人に全勝、中日、ヤクルト、阪神に全敗という極端な結果だとか。今日の中日戦、最終回にサファテが打たれて負けるという、珍しい結末でした。4番の栗原が、1本でも打っていれば。

今年のセ・リーグは、つまらないと思っていたのです。なにしろ巨人が大物をかき集める大補強で、何を見ても、ぶっちぎりという事前予想。監督は与えられた戦力で戦わざるを得ないわけですから、原監督は本当に幸せだなあ、と思っていました。カネはいくらでも出す、という会長様もついておられます。

それでも5連敗、中畑さんのチームよりも下、というのはなぜなんでしょうか(真剣)。今日はヤクルト戦でしたが、小川監督に率いられたヤクルトの水際だった戦い方に比べると、個々の戦力は絶対上なのに、意外とあっけないのです。

巨人ファンの方はこの状況をどう見ておられるのかと思い、しばらく、ブログのはしごをしてしまいました。ともあれ不思議な状況。大いに観察してみたいと思います。

英語の勉強法2012年04月23日 22時31分03秒

絶えざる目標である英語力のアップは、今後の人生の選択肢のひとつでもあります。そこで、『英語を学ぶのは40歳からがいい』という本を読んでみました(幻冬舎新書)。著者は菊間ひろみさんという方です。私の年齢が「40歳から」というくくりに入るとも思われませんが、どのような理由付けをしているかに興味がありました。

隅々まで納得の行く、いい本でした。40歳からがいいという理由は、本当に必要な勉強にモチベーションと豊かな人生経験をもって向かい合えるということで、確かにそうですね。

英語力を伸ばすのにもっとも大切なことは音読である、というのが著者の主張です。それは、「発音ができる音は聴き取れるようになる」という根拠から。繰り返し音読することが、もっとも大切なリスニング力を高める、と力説されています。漫然と聴き流すだけではダメ、というのは、まったく同感。でも音読って、案外、行われていないのではないでしょうか。

目から鱗に思ったのは、英語にもリエゾンがある、という指摘でした。What are you doingは、アメリカ人が発音すると「ワラユ・ドゥーイング」になる。単語の最後にあるt、k、dは発音しない。そういう学習者にとっての躓きの素が、系統立てて説明されています。終わりの方には、表現法の具体例がたくさん。mustとhave to、canとbe able toの間にはっきりした使い分けがあることを知ったのは初めてで、とても勉強になりました。

電子書籍2012年04月25日 22時17分29秒

電子書籍リーダーを導入しようかと考え始めたところへ、私の文庫を電子化しないか、という、出版社からのご相談。もちろん違和感なくお受けしたのですが、WEBをこれほど活用している私であるにもかかわらず、液晶画面で本を読む、という感覚がまだつかめないのです。

スマホには、「青空文庫」というアプリを入れています。しかしどうにも、文学を読んでいる気がしない。『源氏物語』にチャレンジしようと思ってダウンロードしましたが、行間から雰囲気が立ち上らず、意味を追うだけになってしまうのです。これは、単なる慣れの問題なのでしょうか。それとも、電子書籍がまだ発展途上で、情報を媒介することはできても、芸術性の表現には至っていないのでしょうか。リーダー導入の是非を含めて、先学の方に教えていただきたいと思います。

これは紙の本ですが、小松長生さんの『リーダーシップは「第九」に学べ」という新書(日経プレミアシリーズ)を、興味深く読みました。小松さんは、東大美学の後輩。そういう方がいらっしゃるということは知っていましたが、面識はありませんでした。しかし共通の知人を介して、本を私にプレゼントしてくださったのです。

「そもそも指揮者は必要なのか」という章から始まるこの本は、指揮者のリーダーシップやマネージメントに焦点を当て、ビジネスマンの参考にも供しよう、という内容のものです。美学出身の方だけあって、指揮という営みへの分析と反省が行き届いており、学ぶところ、共感するところが、たくさんありました。

小松さんの指揮の極意は、「気配を消す」ことだそうです。棒は動かしているけれども指揮者の気配は消えているというときに、楽員はもっとも音楽に没入して、音楽は帆にいっぱい風をはらんだ状態になる、と書かれていました。笛吹けど踊らず、の対極ですね。

寿命の縮まる定期めぐり2012年04月27日 11時39分56秒

26日(木)はNHKの収録(5月放送分)。ちょうどいいので、その晩N響を聴こうと思い立ちました。オケ定期めぐりの第2弾、指揮者はロジャー・ノリントンです。

しかし時間が空いてしまいます。そこで床屋に行くことにし、三越前の「イガラシ」を往復。NHKから渋谷への坂を下り、また登って、NHKに戻りました。

ホールについてみると、灯が消えて、ひっそりしています。仰天して調べると、果たせるかな、当日の会場はサントリーホール。チケットをお願いした手前遅れては申し訳なく、気の動転したまま、タクシーを拾いました。なんとか2曲目から聴けましたが、本当にこんなことばかりで、いやになります。寿命、少しずつ縮まっているのではないでしょうか。

2曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ソロは河村尚子さんです。セッティングを見ると、蓋を外されたピアノが、鍵盤をこちらに向けて直角に置かれています。オーケストラがそれを囲むようになっている。一瞬、指揮者なしで演奏するのかと思いました。しかしそうではなく、指揮者は中央の奥に立って、親密な媒の趣きで、しっかり指揮をしていました。

この配置はソロとオケのコラボレーションには利点があると思いますが、ピアノの響きが向こうに行ってしまうのと、ソリストをたえず背中から見ることになるのが欠点です。アリーナ型のサントリーホールだからこそあり得た発想でしょうか。

後半は、ブラームスの第2交響曲。ノリントンの指揮は、オーケストラを外から、距離をとって見つめているようなところがあります。私は第2交響曲好きなのでもっと素直なロマンがあふれて欲しいなあと思いつつ聴いていたのですが、小松長生さんのおっしゃる「楽員が没入して、音楽が帆にいっぱい風をはらんだ状態」は、フィナーレに至って完全に実現されていましたね。N響のブリリアントな合奏はすばらしかったです。ノリントンは、大人の風格とユーモアで、聴衆の心をしっかりつかんでいました。

個人的な疑問ですが、3拍子の3拍目が概して少し長く(とくに第1楽章)、小節がしばしば個別化する傾向があったのは、彼の感覚なのでしょうか、それとも主張なのでしょうか。後者であれば、その理由を知りたいと思います。

バリアを越える2012年04月29日 07時43分55秒

27日(木)、退職後初めて旧職場を訪れました(厳密に言えば、4月2日の教員懇親会後、初めて)。図書館で調べ物をするのが目的です。

訪問に、少しですが、心理的バリアがありました。松本清張の小説が、ずっと心にあったからです。それは定年になったサラリーマンの心境を描くもので(タイトルが思い出せません)、やめた人間が行き場もないまま元の職場を訪れ、歓迎されるようで嫌がられるシーンがクライマックスをなしていました。わびしさの秀逸な短編でした。

ですからなるべく目立たないように、と思っていたのですが、結局いろいろな方と出会い、親切にしていただきました。図書館でも、新しい利用証を作成。あらためて使ってみると、この図書館のすばらしさがわかります。これからは、気軽に出かけることができそうです。

ゴールデンウィークのメリハリはなくなりましたが、まだ上手に時間を使えません。5月になったら、いい時間サイクルを作りたいと思います。

天才でした2012年04月30日 18時26分56秒

コンサートを増やしているためか、都内に出かけることが、むしろ多くなりました。となると、電車の中での時間をどう使うかが問題。専門書に集中するのはもうちょっと辛いので、軽く読めるいい本はないかと、本屋さんに向かいます。

厚く積んであるものとか、話題の著者とか、いろいろ試しましたが、なかなか面白いものに出会いません。手の内がわかってしまったり、退屈してしまったり。この歳になるともうあまり読む本がなくなるのかな、と思いつつ、昨日もオペラを控えて、本屋に立ち寄りました。

今まで読んだことのない著者のものをと思い、まず篠田節子さんの『仮想儀礼』(新潮文庫)を購入。どうせならもう1冊ということで、綿矢りささんの『蹴りたい背中』(河出文庫)を加えました。綿矢さんの芥川賞受賞をテレビで見たのは昨日のことのようで、美しい人だなあと思ったことを覚えていますが、世評高い小説も、いまどきの若い女性の作では世界が違いすぎるように思い、手を出す気持ちが起きなかったわけです。でもどんなものか知っておこう、という興味がふと起こりました。

薄い方、すなわち『蹴りたい背中』を、先に読み始めました。いや~、驚きましたね。冒頭からぐんぐん引きこまれて、呪縛されるように読み進め、中断することができないのです。奔放に綴られているようで力強い構成と流れがあり、繊細にして怜悧な心理描写と、凡人にはついていけない変り身の速さとがある。19歳でこれを書くわけか。天才です。

文庫化は2007年だそうですが、私の買った版は昨年5月のもので、27刷となっていました(汗)。「蹴りたい背中」ってどういう意味かな、とは、以前から思っていたのですが、わかってみると、その絶妙さを痛感します。

(たちまち読み終え、篠田さんの方に入りました。これも丁寧に書かれていて、じつに面白いです。)