『氷点』に挑戦2013年11月20日 05時51分53秒

このカテゴリに書くことが多いのは、専門外で気楽だからです。コンサートの感想は責任上正確を要するので、書いたり、書かなかったり。新聞批評は今月、ペライアとムーティをやりました。それは紙面でご覧ください。

女性作家の小説探訪、三浦綾子さんに挑戦してみました。もちろん『氷点』です。

読み始めての最初の思いは、文章がこなれていないなあということと(偉そうにすみません)、設定がどぎついなあということ。極限状況を設定してその力で引っ張るというのは、しばしば行われて効果を上げますが、文学の手法としてはどうかなあという思いが以前からあります。すばらしく描かれている「陽子」という主人公があまりにも気の毒な流れになるので、ちょっとたまりません。

と思いつつもその迫力に吞まれて読了し、いま、続編に入っています。人間の「罪」を掘り下げる問題意識には、全面的に共感。「罪」という考え方がわからない、違和感がある、とよく言われますが、「内なる悪」ととれば、ほとんどの人が思い当たることではないでしょうか。どこまでそれと向き合うかは、メンタリティにおける宗教性の問題なので、千差万別でしょうが。

間違いないことは、バッハの宗教声楽曲の演奏において、「罪」への理解と体感が死活的に重要だ、ということです。世の中には悪いやつが多い、と外に心を向けながら「キリエ・エレイソン」というわけにはいきません。

そのことをますます考えるようになっている昨今ですが、メンタルヘルスの分野では違うのですね。過度に自分と向き合い、自分を責める傾向にある人は鬱になりやすいので、そういう意識から離れることが重要だ、と。この違いをどうとらえるべきか、まだ考えがまとまりません。