詩的時間2013年11月29日 08時10分19秒

詩を愉しむ心を、もちませんでした。学校でも、詩を作りなさいと言われると、まったくダメ。恥ずかしかったのです。今思うと、そこに、詩の力があった。詩は心の中をそのまま映し出してしまうので、恥ずかしく感じたわけでしょうから。不思議ですが、和歌と俳句は、一貫して好きでした。

縁あって長田弘さんの『奇跡-ミラクル-』という詩集を読み、目を開かれました。私はさまざまな文献に当たりますので、必然的に、短時間でより多くの情報を得ようとします。速読が、習いになっているのです。しかしそのテンポが、詩によってまず、拒否される。たとえば標記の詩は、次のように始まっています。

庭の小さな白梅のつぼみが
ゆっくりと静かにふくらむと、
日の光が春の影をやどしはじめる。

つまり、詩の中に独自のゆったりした時間があり、それに身を任せて言葉を味わい、ファンタジーをめぐらすことなしには、進んでゆくことができないのです。これは、私のようなせっかち人間には、とてもよい切り替えであり、修養です。

詩を読むことは、散文を読むのとは異なるひとつの時間体験であることがわかり、詩がぐっと身近になりました。だから、歌曲になり、合唱曲になるわけですね。とてもよい詩集です。