新年のご挨拶2014年01月02日 08時16分59秒

皆様、あけましておめでとうございます。2014年の皆様の健康とご多幸をお祈りします。何かにつまずいた場合には、不肖私の「ツキの理論」を思い出してください。私とも、変わらぬ御友誼をお願いいたします。

昨年は、人生でも一番まじめに仕事をしました。・・本当にそうかどうかはわかりませんが、ゲームをあまりやらなかったので、そんな気がします。今年もやるべき仕事が多岐にわたっており、新年早々緊張しています。ともあれ、「一つ一つの仕事を大事にする」という定年時に立てた原則だけは、貫いていくつもりです。

もう一つ、「なるべく新しいことを経験する」という原則を、念頭に置いてゆきます。むずかしいことではありません。いつもと違う道を歩く、入ったことのないお店に入る、食べたことのない料理を注文する、といった程度のことです。それだけでも、人生がずいぶん豊かになるように思います。

とりあえずクリアしたい目標は、筑摩書房から出すモーツァルト本です。既刊の文庫化という前提で準備し始めたのですが、作業を進めるうち、自分のモーツァルト観がある点で根本的に間違っていたのではないかと思うに至りました。目下、新しい視点に沿って、全面的に書き直しています。

もうひとつ、4月に、オランダにバッハの受難曲ツアーを行うという企画があります。別途、ご案内いたします。

「音楽の旅」のご案内2014年01月04日 07時23分03秒

昨年はライプツィヒのバッハ祭へ、いい旅行をさせていただきました。今年はどうするか、朝日サンツァーズのスタッフといろいろ検討しましたが、「バッハ受難曲鑑賞オランダの旅8日間」という企画ができあがりました。

4月8日(火)に、成田または関西空港を発ちます。アムステルダムに着き、10日(木)まず《マタイ受難曲》。エガー指揮、エンシェント室内管の演奏です。11日(金)は昼にアルクマールの聖ローレンス教会(かつてヴァルヒャが録音に使っていたところ)のオルガン・コンサートを聴き、夜はヘレヴェッヘ指揮、コレギウム・ヴォカーレとコンセルトヘボウ管の《マタイ受難曲》です。

デン・ハーグを経てロッテルダムに移動し、13日(日)に、ブリュッヘン指揮、18世紀オーケストラによる《ヨハネ受難曲》を聴きます。15日(火)に成田または関空着。詳細はこちらで。http://www.asahiryoko.com/

古楽大国オランダで、復活祭を控えた時期に受難曲を聴き歩くという企画です。私としては、老境を迎えたブリュッヘンに注目しています。合間にさまざまな美術館を訪れる楽しみは、オランダならではです。お好きな方、どうぞご検討ください。

今月のイベント2014年01月06日 23時28分02秒

恒例のご案内です。授業は今日から始まり、すでに立ち上がっております。

11日(土)はいずみホールのモーツァルト・シリーズ今年度の最終回。ライナー・キュッヒル以下ウィーンの人々を中心に、ニ長調のディヴェルティメントK.334、フルート四重奏曲、オーボエ四重奏曲を演奏します。題して「室内楽はのびやかに」。私も参ります。

12日(日)は立川楽しいクラシックの会の例会(錦町地域学習館、10:00~12:00)。《神々の黄昏》の第2幕にたどり着きました。

朝日カルチャー新宿校は、15日(水)、29日(水)の出講です。10:00~12:00のワーグナー講座「《ニーベルングの指環》徹底研究」は、《ワルキューレ》の第2幕を、2回かけてやります。13:00~15:00の《ヨハネ受難曲》講座は、第1部の終わり、「ペトロの否認」を扱います。

朝日カルチャー横浜校は、18日(土)13:00~15:00です。テーマは、《ロ短調ミサ曲》の、後半の後半です。

19日(日)に、甲府メサイア合唱団で、《ヨハネ受難曲》に関する講演をさせていただけることになりました。2/2との2回、13:30~16:30の予定。外部受講者も募集しているようですので、甲府方面の方々、お目にかかれれば幸いです。

26日(日)の14:00~16:15は、松本のハーモニーホールで、《ロ短調ミサ曲》についてお話しします。あれ、連続講座やってたんじゃないの、と思われるでしょうが、今回はホール主催の別企画なのです。連続講座を聴いてくださった方には、まとめとして役立つように工夫したいと思います。

以上、よろしくお願いします。

感動の仕事始め2014年01月08日 10時37分02秒

須坂のカンタータ/受難曲コンサートのリハーサルをしていた時のことです。アンサンブルは演奏者自身に作っていただき、私は説明したり、要望したり、助言したりしていたのですが、ちょっと力が入って、一瞬、指揮の身振りをしてしまいました。

そうしたら、弦楽器の音がワッと寄ってきてびっくり。鳥肌が立ちました。これが指揮かとも思いましたが、私は指揮という仕事がどんなに困難かよく知っていますので、自分で指揮棒を握りたいとは思いません。ただ、このように演奏家の方々と一緒に音楽を作っていく作業には、言い知れぬ魅力を感じます。その場合、遠慮しながらというのでは、かえってダメ。踏み込んで初めて、いい結果は出るものです。そのための必須の条件は、演奏者との信頼関係です。

そのモデルケースとも言えるようなコラボレーションが、目下進行中。合唱団「CANTUS ANIMAE」との《ロ短調ミサ曲》です。1月4日、朝10時から夕方17時までやった練習が、今年の仕事始めになりました。楽しい懇親会付きで、久々に二次会まで行きました。

この合唱団、全日本合唱コンクールの東京大会で、7人の審査員が全員1位をつけた金賞を取ったとか。常識ではとうてい考えられないことで(意見は必ず割れる)、実力の証明です。全国から集まってくる団員の熱意がものすごく、音楽への取り組み方が爽やか。指揮者、雨森文也さんの情熱、信望、探究心のたまものだと思います。

企画のご相談をいただいたときに、私からは、ピリオド楽器の使用、コンチェルティストの採用という2点を提案しました。4日の練習にはコンマス(大西律子さん)と通奏低音(西澤央子、櫻井茂、廣澤麻美の皆さん)も加わり、準備が進んできました。コンチェルティスト、と口で言うのは簡単ですが、なにぶん大曲ですから、合唱のリーダーとソロを兼ねる負担は、なみなみではありません。しかし安田祥子、川辺茜、高橋幸恵、大野彰展、小藤洋平のiBACH勢がパート練習まで司ってくれる熱心な取り組みで、成果があがりつつあります。

というわけで、自分としても大事なコンサートになりそうです。3月29日(土)、渋谷のさくらホールで公演しますので、ご予定いただけると嬉しいです。

マウス型スキャナ2014年01月11日 23時24分50秒

私のプリンタは、A3印刷のできるブラザーの複合機です(MFC-6890CN)。安定した性能でトラブルも少なく、気に入っています。

機能選択のボタンは上から、ファクス、スキャン、コピー、デジカメプリントと並んでいる。圧倒的に使うのはスキャンです。プレゼンテーテョンの素材作りのために、何より譜例ファイルの作成のために使うのです。スコアの1ページをスキャンし、Irfanで特定部分を切り出し、保存して使っています。慣れては来ましたが、簡略化したい作業ではあります。

今日、一太郎新バージョンの案内を見ていたら、プレミアムには、スキャン機能付きのマウスが付く、というのですね。これはいいのではないかと思い、大阪で購入しました。あ、買ったのはマウスだけで、KING JIMのMSC10という機種です。定価の6割ほどで買えたのにはびっくりしました。

さっそく使い始めました。まだ要領がつかめていませんが、特定箇所のみをスキャンするためには、威力を発揮しそうです。ページごとにスキャンして切り出すやり方ですと、上下逆のページを回転させる必要がよく生まれますし、本とスクリーンのサイズが合わない場合が面倒。スキャンが終わるまで待ち、それから範囲指定して切り出し、保存するということになるので、小回りが利きません。使い込んでみます。

芸術と人生2014年01月14日 06時43分44秒

佐藤愛子さんの『血脈』、分厚い3巻本なので躊躇しつつ手に取り、第1巻を、休み休みですが読了しました。いや、たいへんな迫力です。

ストーリーの迫力もありますが、それ以上に、人間模様の迫力がすごい。「生きざま」という言葉はこういうことのためにあるのか、という感じです。主人公佐藤紅緑(父君)の男性像は、中でも圧巻です。

しかし小説家は、自分の家族のことをよくここまで書けるものですね。普通なら人に言いたくないこと、忘れてしまいたいことが、全部書いてあるわけですから。とうてい、まねができません。

サトウハチローさんは私が子供の頃よくラジオに出ておられた方で、私はその詩が大好きです。『血脈』にもたくさん引用されています。わずかの言葉に凝縮され、透明でやさしいその詩が、阿鼻叫喚の人間模様の中に出現するギャップをどうとらえたらいいか。あの詩からこの人生を読み取れる人はいるでしょうか。

しかしこれが芸術と人生の関係だ、という感じも強くします。おとなしく生きていたら、ああいう詩は生まれない、ということなのですね。

神隠し2014年01月16日 11時17分09秒

朝、カルチャーに出かけるにあたり、《ヨハネ受難曲》のCDを2、3種持参しようと思いました。

ところが、玄関正面に設置されているCDの棚に、《ヨハネ受難曲》のCDがひとつもないのです。左側上からカンタータ、《ロ短調ミサ曲》、《マタイ受難曲》と来て、次の列の上に《ヨハネ受難曲》があるはずなのですが、《マタイ》の次が《クリスマス・オラトリオ》になっている。え~、なぜでしょう。

キツネにつままれたような気持ちになり、目を皿のようにして見直しましたが、BWV順に整理されたCD群の中で、《ヨハネ受難曲》だけが忽然と消えています。「神隠し」という言葉が、頭に浮かびました。最近《ヨハネ受難曲》を一番やっているので、神様がいったん、手の届かないところにもっていってしまったのか、と。

別室を探しても、妻に尋ねてもわかりません。そもそも、《ヨハネ受難曲》だけきれいにない、というのが、たまらなく不思議です。とりあえずどこかで買おうか、新しいのが出ているかもしれないな、とも、急ぐ中で考えました。

約10分後に解決。書斎の棚を整理し、一番よく使う《ヨハネ受難曲》のCDを、書斎の中にまとめて移動させたのです。大晦日に、そういえばやりました。まったく覚えていなかったということは、人生も後期だ、ということですね。

せっかくですから、写真をお見せします。玄関の正面にある棚の左3列がバッハで、空いたところがあるのは並べ替え中のため。増える分は、プラスチックのケースを捨てることで調整しています(バッハ以外は全部捨てている)。下に積んであるのは、間に入れるため順序に並べた予備軍。ほとんどは寝室にあり、DVD、バロックは書斎に置いています。







芸大ゼミ終わる2014年01月18日 21時33分11秒

16日(木)で、芸大のゼミが終了しました。これで、芸大も定年になります。そこで最後にもう一度、このゼミのことを。

発表者が二回りすると《ヨハネ受難曲》を(間を抜きながらも)最後まで勉強できたのですが、それは果たせませんでした。それでも、気持ちは満たされています。なぜなら、残り時間が迫る中、この日は3人の発表者が簡潔に、水も漏らさぬリレーで発表し、それぞれ1回目に比べて、格段の進歩を示してくれたからです。これなら、終わっても大丈夫です。

何度も申しましたが、とにかく、学生の勉強ぶりがすごかった。聖書の参照、テキストの読解、稿の比較、楽譜分析など多角的な研究を徹底してやってきて、何ページもの資料を配付し、週をまたぐとバージョンアップ。誰もが、真剣に取り組んでくれているのです。したがって私も、発表ごとに、賛辞を連発。私は、どんな場合も「ほめて育てる」ことがいいと思っているわけではなく、教育には厳しさが大切、信賞必罰を基本にしたい、という主義なのですが、今回は、ほめながら指導するという本当にいい形を取ることができました。

振り返ると、最初に当たった3年生2人のがんばりが大きく、次に大学院のエースが登場して、流れができたのです。駅伝で、各チームが1区、2区にこだわる理由がよくわかりました。これによってみんなの目の色が変わり、区間賞がいくつも出るようなリレーが実現しました。40年の教師経験で最高のゼミを最後の年に経験することができ、まことに幸せです。

学生たちへの感謝を込めて、打ち上げは、「ラ・ゴローザ」を貸し切りにして行うことにしました。いずれ写真入りでご紹介したいと思います。

なんと残念な2014年01月20日 22時14分13秒

いまネットで、クラウディオ・アバド死去の報に接しました。なんと残念なことでしょう。最近は、彼こそ当代最高の指揮者であり、芸術家であると思っていましたので。

今日は、聖心女子大の今年度最後の授業でした。モーツァルトの生涯を追う授業で、当然、《レクイエム》が中心。そこで、アバド~ルツェルン祝祭のDVDを観たのです。底知れぬ訴えかけをもったすごい演奏で、終わった後の永久に続くかと思われる沈黙が、すべてを物語っていました(聴衆も、たいしたもの)。アバドの身振りからは格別なものを感じないし、練習がいいという話も聞かないのに、どうしてあんなすばらしい演奏ができるんでしょうか。結局人格の力ということなのだろうか、と思っていたところです。

最近発表される録音はどれも神様の音楽でした。もっと聴きたかったです。

今月のCD2014年01月23日 12時16分44秒

過日、デイヴィッド・ジンマン指揮、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によるシューベルト《未完成》を推薦しました。同じシリーズ(RCA)の完結編として今月出た《ザ・グレート》が、劣らぬすばらしさです!続けて特選というのもどうかとは思いましたが、それに値する名演奏だと思います。

とにかくフレッシュ。77歳でこの新しさはすごいですね。贅肉をそぎ落としたシンプルな響きと生き生きしたリズムでてきぱきと運ばれ、「精霊たちが喜び勇んで舞い奏でるかのような」軽やかな《グレート》が実現しています。アンサンブルが交流にあふれているのもよく、高揚感も無類。この交響曲を熱愛するものとしては、なんとも嬉しいディスクです。

もうひとつ、西山まりえさんのバッハ《イギリス組曲》全6曲(OMF)を挙げておきましょう。新聞には「こだわりの美意識を貫くチェンバロから、麗しい優雅が立ち昇る」と書きました。イギリス組曲とフランス組曲は平素ずいぶん違うように思っているのですが、このように演奏されると、通いあうものを感じます。