大山越え2014年02月05日 23時44分42秒

2月1日と2日に、講演・講座3つという、大きな山がありました。2月に入っていきなりの試練です。

横浜での入門講義(変奏曲)を終え、向かったのが参宮橋。演題は「バッハ自由自在--パロディ再考」というものです。東京バロックスコラーズの主催で行う講演は、いつも参加者充実。合唱団の実力の証明でしょう。一件奇妙なタイトルは、パロディをテーマとした2回目のコンサート(23日)を「バッハ自由自在!」と銘打って行うという、三澤洋史さんのアイデアに即したもの。《フーガの技法》の未完の三重フーガを声楽曲をして演奏するという、破格の試みもあるようです。

私も《ロ短調ミサ曲》研究を通じて、パロディには新しい考えを抱くようになっていました。それを、《ロ短調ミサ曲》、《小ミサ曲》を例としてお話ししたのですが、自分としては、会心の出来だったと思います。なぜか、TBSの講演はいつも心ゆくまで話せ、事後の三澤さんとの対談、客席との質疑応答も、盛り上がるのです。打ち上げをパスしたのは、翌日の準備が間に合っていなかったため。残念なことをしました。

2日(日)は、「甲府メサイア合唱団」主催の、《ヨハネ受難曲》講演会その2。前日帰宅後残された準備を行い、レジュメを送ったのが午前3時。その後画像ファイルを整えるなどして、終了が午前5時になりました。

え?何度もしている話でしょ?と思われるかも知れませんが、今回は合唱団用にトゥルバ(聖書場面の中の合唱)を通して考察するという目標を立てたため、たいへん手間取ったのです。もっと効率よくやらなきゃいかんなあ、とつくづく思います。しかし準備をするからこその遅れは、はらはらして待っている合唱団の方々にも理解されていて、この日生まれた熱いつながりの要因になったようにも思います。

山梨市駅に降り立つと、長身の指揮者、依田浩さんとアロハ先生の姿が。お二人とも国音の出身者です。デリーベイというお店で驚くほどおいしいカレーを食べ、笛吹市の会場「スコレーセンター」に向かいました。


熱心に聴いていただいて疲れも吹き飛び、終わって外に出ると、富士山から甲斐駒まで、山々が姿をあらわしていました。甲府市内で、合唱団の方々と打ち上げ。


嬉しいつながりがどんどん増えていきます。コンサートは4月5日(土)と伺っています。

がんばった2日間2014年02月06日 23時57分15秒

3日(月)が、在宅日でした。この日は本当にがんばったので、日記代わりに、書いてしまいます。

やったこと。「古楽の楽しみ」2日分の企画確定と、アシスタントへのCD送付。2つの大学の採点(1つは四年生のみ)。朝日新宿校の水曜日2コマ分の準備。某学会から頼まれていた仕事。これだけこなせるのだから、やはり元気だということですよね。いつもこうできるわけではありませんが・・・。今週を乗り切れる光が見えて、充実感をもてました。

4日(火)は、雨が雪に変わる、寒い日。ICUの授業から、1日が始まりました。帰り道に寂しい駅前のお店でうな重の「上」を頼んだのですが、甘いタレで気分が悪くなってしまい、家に帰ってダウン。後で楽しいことのある日って、ダメですね。

なんとか起き、山梨に忘れてきたデジカメが届いていたのでそれをもち、NHKに向かいました。「らららクラシック」の収録です。

「ららら」の瞬間出演は3回目ですが、今度は無伴奏チェロ組曲第1番が対象。最近取り組んでいた作品なので、まずます対処できました。NHKから、渋谷「ラ・ゴローザ」へ。芸大ゼミの打ち上げが、この日だったのです。その模様は、あらためてご紹介いたします。

芸大ゼミ打ち上げ2014年02月07日 23時43分32秒

なにかと個人情報に気を遣う、このごろ。ブログに写真を載せるのも善し悪しだと思って遠慮しているのですが、登場してみたい、と思われる方も、案外あるよう。芸大の学生たちも、遠慮は要りませんよ、と声を揃えました。

そういうときにかぎって失敗するのが、写真。デジカメのフラッシュを切っておいたのが良くなかったようで、どれもこれもボケているのです。受講生を自慢したかったのにこれでは残念ですが、次回のない催しなので、なんとか見られるのを選び、ご紹介します。

「初めは処女のごとく、終わりは脱兎の如し」という言葉がありますが、この日の打ち上げがまさにそうでした。一流店にびびったのか、楽理の学生たちはいかにもおとなしく、会食は粛々と進んでゆきます。回りから見たら、気の毒に、先生がいるから窮屈なんだね、と言われても仕方のない状況でした。

それも徐々にほぐれ、三択クイズで盛り上がりが。私の三択クイズ、答の1つは単に自虐的なものなのですが、それだっ、と選んでくる学生はいるもの。私は見ていますよ、君の選択を!・・・というわけで、別れがまことに残念な会になりました。あとは写真をどうぞ。不出来ですみません。


開始時点。席は阿弥陀で決めます。


研究発表先発の一人、夢川 愛唯奈さん(お茶大2年)。クイズは12問正解の最高点でした。


同じく先発隊の松本彩友美さん(3年)。研究発表最多登板。


男性陣も充実。洗練された飲みっぷりの吉田万里欧君(左)と思索型の砂田歩君(右、いずれも4年)。


前列は左から岡本悠さん、関茉林さん、幹事で貢献してくれた藤田瞳さん(いずれも3年)。後列左端は山口慶子さん(4年)、右端は英国から日本のバッハ受容というテーマで留学中のトマス・クレッシー君。


最後に駆けつけた須摩恵子さん(4年)。




皆さん、すばらしい学生さんたちでした。本当にありがとう。

弔いの精神2014年02月10日 10時17分26秒

8日(木)。NHKでの録音を終え、能を観に行きました。能は詞章が好きなので時折出かけますが、国立能楽堂は初めて、「能を再発見する」という鼎談付きのシリーズで、演目は『藤戸』でした。そのストーリーは次のようなものです。

源平合戦の将、佐々木盛綱は、若い漁師から浅瀬の存在を聞き知る。彼はその漁師を殺して口封じしてから軍を進め、大勝する。恩賞として手に入れた土地で盛綱が苦情受付を行ったところ、漁師の老母がやってきて、息子の死を激しく抗議する。そこで盛綱は弔いの管絃講を催し、あらわれた漁師の霊を供養して、成仏させる・・・。最近では権力の横暴、社会への告発という側面を強調されることもあるストーリーだが、真髄は供養、魂の鎮めにこそある、という趣旨の解説がされていて、なるほどと思いました。その老母を後ジテ(漁師の霊)が出ても舞台に残すのが、原型を復元する今回の工夫だそうです。

能を観るたびに思うのは、こういう様式美を作り上げた昔の人の偉大さです。音楽といい、所作といい、多くのことが非合理的とも思われますが、すべてが神様(広義)を呼び出す装置として作動していると言えば、納得できそう。異界との交信がまさに眼前に開かれ、閉じられるのです。

明日をも知れぬ世を生きていた人々にとっては弔いがこんなにも重要だったのだなあ、という重い感慨を抱きました。それは、長く生きられるようになった現代には軽んじられるようになっている。葬儀は簡略化される一方ですし、灰を撒いて葬儀に代える、という人もいますね。かくいう私も、「葬」に手厚く対処してはいないのですが。

昔の人は、思いを残して死んだ人の魂が手厚い弔いによって鎮められ、この世を離れることを体験し、自らの死への備えをなしたのにちがいありません。そうした精神が働いていれば、諸行無常もニヒリズムではない。そういう精神の喪われた現代に、むしろニヒリズムの温床はありそうです。

雪の長岡京2014年02月12日 05時57分40秒

8日、9日の週末は、京都、岡山に出張。雪の中を新横浜で、遅れている新幹線を待ちました。

ひとつわかったのは、遅れている新幹線の指定券を買うことはできない、ということ。すぐ乗れると思って買った車両に乗り込むまで、45分待ちました。その間に、数両が発着。急ぐ場合には、自由席に乗り込むほかなさそうです。

新幹線の遅れ1時間半。15:00からのコンサートにぎりぎり滑り込めたのは幸いでした(昼食は食べはぐれました)。目指すコンサートは、長岡京記念文化会館で行われる、長岡京室内アンサンブルの「ニューイヤー・コンサート」。ニューイヤーとはいえ、曲目はオール・モーツァルトで、協奏交響曲をメインに、セレナータ・ノットゥルナ、ト長調のカッサシオンK.63という本格的なもの。CDも作られるようです。

その道では有名なアンサンブルで私もCDは聴いていたのですが、実演は初めて。いや、たいへん感心しました。私の最近求めている音楽のひとつの姿が、ここにありました。

スッキリ、爽やか系のスタイルで、メンバーの自発性が豊か。お互いにしっかり聴き合いながら、誰もが前向きに、音楽に参与しています。初期のモーツァルトが曲ごとに行っている工夫や冒険がくっきりとクローズアップされる面白さは、格別。指揮者なしでここまでできるものかと驚くと同時に、これこそ室内アンサンブルのあるべき姿だなあ、とも思いました。本拠で聴くことができて、本当に良かったです。

遅れている新幹線をふたたび待ち、岡山へ。

バッハの発信地、岡山2014年02月13日 21時07分40秒

9日(日)。東京は雪でたいへんだったようですが、岡山は雪も上がり、晴天でした。3時開始のコンサートまで時間があるので、岡山城から後楽園まで、散策。松本城とは違って岡山は宇喜多ですから、領主の知名度があります(松本は小笠原、戸田)。


私が訪れたコンサートは、バッハの《ヨハネ受難曲》です。オーケストラが岡山フィル、合唱が岡山バッハカンタータ協会、指揮が岡フィル首席のハンスイェルク・シェレンベルガー(ベルリン・フィルのオーボエ奏者だった人)。この顔ぶれで、どんなバッハになるか、想像がつきますか?私はまったく見当がつきませんでした。

しかしこれが、すばらしかった。とくに合唱が、目を見張るトゥルバ(聖書場面の合唱)で、ドラマを引っ張りました。佐々木正利さんの指導は、さすがたいしたものです。新聞(毎日)に批評を書きましたので、詳細はそちらを御覧ください。多分来週月曜日に掲載されます。

ヴィンシャーマンの貢献が大きいのでしょうか、岡山はいまや、日本を代表するバッハの発信地のひとつになっていると認識しました。岡山シンフォニーホールもいいですから、観光がてら、コンサートを訪問されるようお勧めします。


私は字幕2014年02月15日 22時28分59秒

11日(火)は、松本へ。北アルプス北部まで鮮やかに見えているすばらしい天候の日でしたが、私は「あずさ」の車中で、必死の字幕点検。この日は小林道夫指揮、松本バッハ祝祭アンサンブルによる《ロ短調ミサ曲》の本番で、プレレクチャーを済ませた私は、お客様のはずでした。しかし字幕が急遽準備され、私がその責任者となったのです。

私は声楽曲に字幕は絶対必要、という考えです。ですから、自分がプロデュースするコンサートでは極力、字幕を使ってきました。しかし、操作は全部、人任せだったのですね。しかし今回は、字幕原稿とキュー入り楽譜ができたばかりの上に、リハーサルは短いので、事実上、本番ぶっつけ。これでは人任せにはできず、自分でやることにしました。

操作する場所は、ホール奥の、高いところです。煙突まがいのハシゴを登り、四角い穴を抜けなければなりません。覚悟を決めて上り始めたところ、松本ハーモニーホールのスタッフが駆け寄り、「それだけはやめてください」と、止めにかかるではありませんか。炎の山を登るジークフリートの心境になりました。


制止を振り切って上ると、そこはホールを一望できる、気持ちのいいところ。降りることさえ考えなければ、天国です。初体験の字幕操作が始まりました。


一発勝負なので緊張しますね。次の画面が予定と違うものだったらどうしよう、という不安も起こってきます。流れに乗ってしまうと、演奏に加わっているような快感があるのですが、ふっと気が緩む瞬間も訪れる(遅れ、1回)。演奏を楽しみながら、という境地に至るまでは、経験が必要なようです。裏方の苦労、少しわかりました。


写真の右上に、字幕が移っています。演奏はたいへんすばらしく、《ロ短調ミサ曲》の真髄を伝えるに足るものでした。若い演奏者が多いのに、円熟した味わい深い響きが、小林道夫先生のタクトから引き出されてくるのです。リハーサルがとても勉強になりました。先生はメンバーをくつろがせながら、少しの無駄もなく的確な指令を発し、歌って模範も示しつつ、演奏をどんどん向上させていくのです。そんな偉大な先生に、みんなが心酔してベストを尽くしていることがよくわかります。声楽にコンチェルティスト方式が採られていたのもうれしいことでした。

松本というと「転落」という言葉が皆さんの脳裡に浮かぶようです(注:昨年の講演中、演壇から転落)。でもハシゴは無事に降りることができました。おあいにくさまです。

潤いに満ちたオルガンの響き2014年02月17日 08時08分45秒

先週の週末に、仕事のピークが来ていました。14日(金)は朝10時に大阪で現地集合、15日(土)は朝10時に立川で講座開始というスケジュールです。

朝6時に出発しても、間に合うかどうか。それを2日続けるのはイヤだな、と思っていたところへ、大雪になりそうだ、という予報が入ってきました。とりあえず13日(木)のうちに大阪に入っておくことが望まれたわけですが、それには、それぞれの準備や急ぎの仕事を、その前に片付けておかなくてはならない。その見通しが、立ちませんでした。

しかし追い込まれるとできるもので、ヘトヘトになりながらも完了させ、「古楽の楽しみ」を2本収録してから、大阪へ。翌朝は、たしかに雪が降りしきっていました。

午前中の仕事は無事終え、いずみホールへ。当夜出演の女性オルガニスト、ビーネ・ブリュンドルフさん(デンマーク)はすでにリハーサルを切り上げておられ、私は控え室で休憩。しかし疲労著しく、今夜という今夜は失敗するのではないか、と思えてきました。バッハ/オルガン作品全曲演奏会シリーズはステージでのインタビューもあり、集中力を必要とするからです。ホールのスタッフに弱気の虫を打ち明けることなど、今までになかったことでした。

でもそれが、悪いツキの消費だったのですね。この日のプログラムは、「喜びに満ちて、晴れやかに」というタイトルで、主調はト長調。短調の曲はコラール・パルティータ1曲だけで、ハ長調のトリオ・ソナタ(第5番)の後を《ピエス・ドルグ》で締める、という明るいもの。その、ある意味では偏ったプログラムを、ブリュンドルフさんは自然な流れをもつ、心温まる演奏で聴かせてくれたのです。

いずみホールのオルガンがこれほど潤いに満ちて響いたのは初めて。好感度の高いお人柄と共に、私はすっかりファンになりました。何となく曲間は拍手なしが定着しているのですが、この日はパルティータのあと自然に拍手が起こり、お客様の好印象を裏付けていました。

終了後、最終の新幹線(名古屋行き)で、名古屋まで移動。少しでも、翌日の早発ちを確実にするためです。

タブレット導入!2014年02月19日 22時26分40秒

14日(金)夜に戻ります。大阪は雪が雨に変わり、交通機関も、ほぼ順調。しかし東日本はたいへんなことになっていたようで、名古屋まで終電で移動したものの、翌日のイベント(楽しいクラシックの会)は中止になりました。

おかげで睡眠を取ることができ、10時ぎりぎりにチェックアウト。東京には12時前に着きました。でも視察予定のコンサートまでに3時間の空白が生まれ、やることがありません。こういう時間を生かすことが大切。無駄にしてしまえばそれきりですが、効果的に使うことができれば、思わぬ展開があり得ます。この日が、まさにそうなりました。

池袋まで行き、食事。それでも2時間あります。思い立って、ビックカメラに入りました。パナソニックのノートパソコンを使っているのですが、性能が良すぎて、何年間も初期設定のまま。古いWimaxに頼っているため通信がままならず、新幹線の仕事がいつも不能率です。そこで、通信機能改善の方策を探ることにしたのです。

対応してくれたのは、芸大のゼミにいそうな感じの店員さん。その誘導にはあらがいようもなく、まず、Wi-Fiの携帯用ルータを導入することに決定。そうしたら、それでタブレットも使えると言うのですね。じつはタブレットに憧れ、Nexus7の導入を検討していたのです。なぜなら、なにかと同行するまさお君が、ノートパソコン、タブレット、スマホをこれ見よがしに使い分け、ものには役割がある、などと宣うていたからです。

タブレットになかなか踏み切れなかったのは、高いWimaxの上にさらに通信回線を契約するのでは、いかにも不経済だと思ったから。でも1つのルーターで両方使え、しかもタブレットが1万円割引になる、というのなら、いい話ですよね。

自宅では使えないことがわかり、外出するたびに、少しずつ環境構築中。でも、いいですね~。気に入っています。発生した空き時間を使って、電脳生活を効率よくバージョンアップできました。日曜日には、須坂までお供します。

「遅れ」じゃないでしょ!2014年02月21日 08時05分28秒

15日(土)は、大雪のため、長野新幹線が全面運休になりました。これは翌日超満員になるなと思い、あらかじめ、指定券をゲット。日曜日の須坂に備えました。雪はもう、降っていません。

16日(日)。朝ネットで運行状況を調べると、「長野新幹線は遅れが出ています」と表示されています。どの情報も同じで、詳細はわかりません。須坂からも「動いているようです」と連絡が来ましたので、どのぐらい遅れているのかな、と思いつつ、武蔵野線で大宮に向かいました。

ところが。東京から乗ってくるはずのまさお君から情報が入り、長野新幹線は死んでいる、というのです。ともあれ、大宮まで行くことにしました。

到着したのは11時近くでしたが、大宮駅のホームでは、8時の長野新幹線が止まったまま。そもそも除雪ができておらず、軽井沢までは行かれないことが判明したのです。当分、状況は変わらないようです。

これでは、講演会は中止にせざるを得ません。集まった方々には申し訳ないことをしましたが、急遽モーツァルトの《レクイエム》のDVD(アバド指揮、「今月のCD」で紹介します)を鑑賞されたそうで、いい時間になったことでしょう。私も家に戻り、久々の休養をとりました。おかげで、月曜日を活用して仕事ができました。

しかし、これだけ情報化が進み、「運行状況」関連のサイトも林立しているというのに、長野新幹線は不通、という情報が回らなかったのはなぜでしょう。不思議でなりません。