ヨーロッパ通信2014(17)/反響御礼2014年05月02日 09時40分58秒

このところ、外国旅行に行くたびに連載を行うようになっていました。皆様の反響に後押しされて、旅がいっそう印象的になるのも事実。同時に、皆さんに楽しんでいただける旅をしなくてはならない、というプレッシャーも、大きくなってきていました。ここもよかった、あそこもよかったというだけではご満足いただけないということを、ひしひしと感じていたからです。

しかるに今回は、機内持ち込みバッグをあざやかな手口で盗まれ、その後手ぶらになるという、大きな出来事が起こりました。愕然とする一方で、ああ、これで喜んでいただける、という安堵感が生まれたことは、既報の通りです。

出来事を喜劇的な色彩でご報告する私の脳裡には、皆様がどんな反響を寄せてくださるか、期待する気持ちが生まれていました。どうせなら、呵々大笑沸き返るような反響だといいな、という捨て鉢な気持ちもあったことは否定できません。

ところが、その反響がなかったのですね。しばらくしてtaiseiさんから、「すごいです!」というコメントが入りましたが、二の矢がない。あれほど期待感を表明しておられた何人かの方が、逼塞してしまわれたのです。どう反応したらいいか、思案しておられるご様子です。

業を煮やした私は、コメントで指名さえしながら、反響を促しました。同情してくださる方もあり、当惑しつつ慎重に言葉を選ぶ方もおられました。そりゃそうですよね。私が書く側でも、当惑すると思います。

でも逃げるのはダメ(笑)。100パーセント期待通りの、胸のすくような反応をくださったのは、taiseiさんです。これこそ男の友情、コメントのグランプリです!そこで、taiseiさんに感謝しつつ、コメントを平素読まない方にも読んでいただけるよう以下に引用して、連載の結びといたします。皆様、ありがとうございました。

「教授!すごいです!わざとでないとしたら((笑)(まさかネタのために盗難にあうとも思えませんので)、まさにツキの理論!期待にたがわぬ展開。他人の不幸を喜んでいるようで申し訳ない気持ちもしますが、教授も『安堵感』を感じておられるようですし、生命に危険の及ばない範囲のことの様なのでやっぱり『すごい!』
 さらに続きがある様子。今後どんな展開になるのかまさに『固唾をのんで』待つとはこのことです。期待しています!」(taisei)

今月のイベント2014年05月04日 11時10分21秒

平素のペースに戻り、ご案内を。

大きなものからいきます。26日(月)14:00から、いずみホールの平日コンサート枠で、日本のうた「日本映画の主題歌たち」を開催します。「1.戦前--映画の普及とともに」「2.大女優・高峰秀子に捧げる」「3.戦後--映画は歌とともに」「4.変わりゆく映画と歌」の4部構成です。

ご想像のように、この企画は、昨年における私の高峰秀子体験から出発しています。映画の歴史と歌のからみも、彼女の『わたしの渡世日記』から学んだもの。そこで、高峰さんと風貌の重なるソプラノ歌手、高橋薫子さんを、このシリーズ常連の田中純さんと組み合わせました。ピアノはもちろん花岡千春さんです。

私はしかし映画のフリークではなく、映画を語ることができません。そこで映画評論家の河内篤郎さんにゲストをお願いしました。第4部「変わりゆく映画と歌」は河内さんの選曲で、《男はつらいよ》とか、《少年時代》が入っています。曲目詳細は、いずみホールのHPをご覧ください。いま、近江俊郎の《南の薔薇》に凝っているところです。

カルチャー。朝日新宿校は7日(火)と21日(火)。10:00からのワーグナーは《ジークフリート》の第2幕、13:00からの《ヨハネ受難曲》は、十字架上の場面に入ります。朝日横浜校は24日(土)13:00からで、バッハの演奏史を「ピアノ VS チェンバロ」という形でたどります。

28年目に入った立川の「楽しいクラシックの会」は、ワーグナー・プロジェクトが受けて、4月29日にはかつてない盛り上がりになりました。《トリスタンとイゾルデ》の人気かもしれません。5月17日(土)10:00から、その第2幕です。

10日と11日には、郡山に参ります。 アマデウス室内管弦楽団のウィーン・フィル・メンバーが加わったリハーサルと本番を聴いてきます。以上、どうぞよろしく。

先月のCD2014年05月05日 23時49分06秒

先月のCD選は、オランダに行く前に、それまで集まった新譜で行いました。特選に選んだのは、モーツァルトのクラリネット五重奏曲と弦楽四重奏曲第15番ニ短調のカップリング。演奏は、アルカント・カルテットです(独ハルモニアムンディ)。

このカルテットはいいですね。ヴァイトハース、ゼペック、タベア・ツィンマーマン、ケラスという40代後半のソリストによって編成されていて、感覚が新しい。弦楽四重奏が、精妙をきわめたポリフォニーになっているのです。すなわち、4つの線がつねに生命力を保ち、柔軟に動いています。音楽的な主従関係が生じることはあっても、パート間の主従関係は生じない。それでいて名手にありがちな自己主張は抑制され、弱音を生かした透明な造りの中に、細やかな利かしが明滅してゆくのです。

イェルク・ヴィトマンのクラリネットはそう特別とは思いませんでしたが、クラリネットがこれほど弦に溶け込んだ五重奏は初めて聴きました。クラリネットのソロに弦が伴奏を付けるという演奏では(よくあります)、曲が生かされないと、あらためて思った次第。ニ短調四重奏曲もすばらしい演奏で、曲尾の意味深い弾き終わりに驚かされました。

今月の「古楽の楽しみ」2014年05月06日 23時22分16秒

リューベックさんのご指摘をいただいて、今月のご案内をしていないことに気づきました。ご指摘があるということは、案内に基づいて聴いてくださる方がいらっしゃる、ということです。申し訳ありません。じつは連休中、ご厚意で招待していただいたコンサートの日にちを間違え、プラチナ・チケットを無駄にしてしまいました。フランクフルト以来、ツキがない・・・ということではないですね。ミステイクを重ねている私です。

というわけで遅きに失しますが、ご報告を兼ねて、一応。今月は「聖堂の響き」と題して、ドイツ・バロックのカンタータ(+モテット、アリア)を、オルガン曲で縁取りながら紹介しました。

5日(月)は、ブクステフーデの作品。6日(火)は、ヨハン・シェレのカンタータを、リューベックのオルガン曲と併せて紹介しました。ブクステフーデはもちろんですが、シェレ(バッハの先々代のトーマス・カントル)の作品もたいへん美しくて、感心させられます。

7日(水)は、パッヘルベルのオルガン曲を枠組みとして、エルレバッハ、クーナウ、グラウプナーのカンタータとアリアを。エルレバッハとクーナウの憂い、グラウプナーの豊かさ。知られざる作品の良さを、感じていただけると思います。

8日(木)は、ベームのオルガン曲とカンタータ、テレマンのカンタータ2曲です。テレマンのカンタータにも、ルター派の伝統をしっかり感じさせる、いい曲がありますね。こうした作品が、どんどんCD化されています。

次の出演は6月2日からになりますが、鋭意、準備中。バッハのフランス組曲のリレー演奏を、新しい演奏を中心にお届けします。忘れないでご案内しないといけませんね。

南太平洋2014年05月07日 22時54分18秒

オランダ旅行中には、日本でもいろいろなことがあったようです。それによって押し出され、報道もされなくなったのが、南インド洋におけるマレーシア機の墜落事件。飛行機に乗る前に起こったことですので、関心をもってウォッチしていました。

南半球に行ったのは一度だけ。北オーストラリアのケアンズです。中学のとき「南太平洋」というミュージカル映画に魅了されて以来、南へのあこがれがずっと心にありました。まあ「南太平洋」という映画はハワイ・カウアイ島でのロケで、現実には北太平洋だったのですけれど。

でも事故の報道でわかったのは、南半球というのはそんなに甘いところではない、ということです。陸が少なく大半が海である結果、強風が吹いて海はたえず荒れ、「吠える40度・狂う50度・絶叫する60度」という言い方があるとか。南インド洋は地球でもっともわかっていない地域だ、という報道も読みました。

陸地が多く、人がたくさん住んでいる北半球は、恵まれているということなのですね。南半球に乗り出した昔の船乗りたちは、勇敢だったんだなあ・・・。

事件は、迷宮入りになりそうです。危険がありお金もかかる深海の探索はそうそうできないのだろうけれど、好都合な幕引きという面もあるようなので、気の毒に思います。

コピペについて2014年05月09日 21時38分50秒

ニュース等に、よく「コピペ」という言葉が出てきます。おおもとにある問題はさておき、私の体験的コピペ論を書かせていただきます。

授業の最後に、試験をする場合と、レポートを課す場合がありますよね。試験でカンニングをするのは、誰が考えてもいけないことです。レポートにおけるコピペも、実質的にはカンニングと同じだと、私は思っています。自分で考え、文章化して提出するべき課題に対して、他人が考えたこと、他人がどこかに発表した文章を、あたかも自分が書いたかのようにして提出するからです。

レポートを読んでいると、これはコピペではないか、手書きであれば、どこかの丸写しではないかという文章に、よく出くわします。妙に訳知りな文章、やけに完成された他人行儀の文章は、疑わざるを得ません。

残念なのは、たいていの場合、疑わしくとも証拠がないことです。突き止める努力をすべきだ、というのは正論ですが、たくさんあるレポートのひとつひとつについてルーツを探して回るというような作業は、気の遠くなるようなことで、普通はできません。では、どう採点するか。

論文やレポートでは、ほとんどの先生が、参考文献を明示せよ、と指導されていると思います。もっといいのは、それを明示した上で、筆者の意見と自分の意見を区別して書くことです。文献にこう書いてある、だから(or こう書いてあるがしかし)私はこう思う、という風に、たとえ小さなレポートでも書くべきなのです。私もそのように指導しています。しかしなかなか徹底しませんので、本当に自分で考えたのかどうかわからない、というものが出てくるわけです。

出所不明のものにいい点は出しませんが、かといって、落第させるのもためらわれます。こういうレポートを出す学生には、多くの場合、わからなければもうけものとか、どうせわからないだろう、という意識があるのではないかと思います。受験社会で育っているのだから、悪いことだという意識はあるはずですが、この授業ならいいだろうとか、あの先生ならわからないだろうとか、甘く見ているわけです。

学位のからむ論文のような場合、コピペはもちろん厳禁です。すべてに、出典の提示が求められます。しかし、序文なり一定部分なりを丸ごとコピペしても、出典を明示しておけば大丈夫だということではありません。自分の学説を組み立てるのは、問題提起から結論に至るまで、自分自身にしかできないからです。

私は、自分なりの文章で学問的成果を綴ることに苦心惨憺している若い人たちを、間近に見てきました。ですから、そのけじめが失われるような風潮、またそれを許容するような言論を、残念に思います。

混んだ電車で2014年05月11日 21時30分08秒

夕方、混雑する南武線に乗っていたときのことです。優先席ではない3人掛け、すなわち車両の端で、私は奥に入り、つり革につかまりました。

私の隣に白髪の、しかしまだ元気な女性(70歳ぐらい?)が立ちました。すると中央の席の女性(30代後半?)が立って、どうぞ、と席を譲ります。感心感心。ところが譲られた女性は自分で座らず、連れの女性を座らせたのです。座ったのは40歳ぐらいのしっかりした体格の人で、二人は親子に見えました。

すると、左側の席の女性(20代後半?)が立って、まだ立ったままの母親(?)の方に「どうぞ」を席を譲りました。「そうですか」と、彼女は座ります。流れるようにことは進み、親子(?)はああよかったと、盛んにおしゃべりを始めました。

隣で見ていた私は、不愉快になった。真ん中の席の女性は、高齢の方に譲ったのであって、若い方に譲ったわけではないからです。左の席の女性も、白髪にまだ立っていられたのでは、譲らざるを得なくなったのでしょう。妙にスムーズなので、初めてとは思えない。私は、善意で譲った結果立つはめになった元真ん中の女性が気の毒で、これは何か言ったものかどうかと、しばらく考えました。結局、言えないのが私です(汗)。

さて、途中の駅で、私の前の席が空きました。私は立っている善意の女性に、「どうぞ」と声をかけました。一瞬驚いたようですが、私が声をかけた意味は伝わったようでした。しかしその方もそこで降りてゆかれたので、私が座りました。

私が声をかけた意味は、座ってしゃべっていた二人にも伝わったようです。なぜなら30秒ぐらい、おしゃべりが途絶えましたから。彼女たち、得をしたんでしょうかね。そうは思えません。いつか、借りを返す時が来るように思います。

芸者歌手2014年05月13日 01時15分12秒

いずみホール「日本のうた」シリーズのために、歌謡曲の歴史を勉強しています。今はそのオリジナルが、You tubeでたくさん見られるんですよね。ワインを飲みながら逍遙するうちに夜が更ける、ということがよくあります。

今日もいろいろな画像を見ていたのですが、昔存在して、今はないのが、芸者出身の歌手によって歌われる、日本調の歌謡曲。神楽坂はん子、神楽坂浮子、小唄勝太郎、音丸・・。みなさん伝統芸能の素養をお持ちですから、たいへんお上手です。

でも今夜、すばらしさに震撼してしまったのが、市丸さん。有名な方ですが私より40歳も年長ですから、若い頃はさほど親近感を感じていなかった。しかし今見直すと、じつに際立っておられるのですね。《三味線ブギ》、《天竜下れば》の二大ヒット曲を、You tubeで見ることができます。

《天竜下れば》の映像は、調べてみると84歳。しかしじつに洗練されていて美しく、歌に、華と色香があります。ワインが回っているせいか、観ていて涙が止まりませんでした。

こういう人たちが、皆さん、この世にいらっしゃらないわけです。そのことに感傷が湧くのは、私が年取ったということでしょうか。

【付記】いま市丸さんのWikiを観たら、市丸さん、松本のご出身なのですね。よきかな、松本!

音楽都市、郡山2014年05月15日 23時59分15秒

先週の週末(10日、11日)は、ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞の仕事で、郡山に行きました。いい町ですね。垢抜けていて、飲食も楽しめます。合唱王国福島の中核という認識をもっていましたが、「音楽都市」として、器楽にも力を注いでいることがわかりました。

いつもながら感心するのは、ウィーン・フィルの方々の、音楽に対する誠実さ。フロシャウアー(ヴァイオリン)、カルヴァン(ヴィオラ)、イーベラ-(チェロ)の3人が気の毒なぐらいの忙しい日程で来日されたのですが、土曜日に予定されていた中学生の合奏の指導と小さいコンサート、アマデウス室内管弦楽団のリハーサルを全力投球でこなし、サービス満点。中学生たちの顕著な向上を実感しました。私の役割は、開会の挨拶と、夜の乾杯挨拶。親しくお話しすることができました。

日曜日はゲネプロを免除していただいたので、空き時間に観光。磐越西線で磐梯熱海まで足を伸ばし、自然の中を歩いて、足湯につかりました。好天に恵まれ、新緑がきれいでした。




車窓からは、残雪のある安達太良山がみごと。福島県の山は、ひととおり歩いています。


午後は、アマデウス室内管弦楽団のコンサート。ベートーヴェン《英雄》では、アマチュアの概念を超える力量にびっくりしました。かつて授業に出ていた本多優之君が勉強の行き届いた指揮をしていて、嬉しかったです。オーケストラはその名の通りモーツァルトを主要レパートリーとし、交響曲の全曲演奏を進行中。曲ごとの研究にしっかり取り組むことで、意義も高まることでしょう。

惻隠の情生まれる2014年05月18日 12時42分56秒

16日(金)夜。近江楽堂で西山まりえさんの弾くゴシック・ハープの美音を満喫した私は、10時に帰宅。しかしいつものようには、テレビのスイッチを入れませんでした。入れたのは、11時になってから。巨人-広島戦を、先入観なしで観戦しようというのです。チャンネルは、CS608です。

試合は広島が先攻し、ルーキーの大瀬良が力投。私はワインを飲みながら油断なく観戦し、深夜の2時に及びました。広島のはつらつとした戦いぶりは、胸のすくよう。「カープ女子」が急増中であるのもうなずけます。

私は昨今カープ・ファンですが、勝ったときだけ書いているわけではありません。昨日は巨人の完勝でしたし、1時間後に始まる今日の試合も、楽観はしていません。だからこそ今、久しぶりに野球ネタを披露しているのです(こういう心境を「余裕」といいます)。

17日(土)。「たのくら」で《トリスタンとイゾルデ》の第2幕を鑑賞し、会員の方々と、お昼を食べに行きました。立川の中華料理「五十番」で砂肝を食べるのが、最近の好みなのです。いつもは2テーブルに分かれるのですが、この日は10人だったので、1つのテーブルを囲み、楽しくお話しすることができました。当然、野球の話になります。

そうしたら、驚くべき事実が。なんと10人が全員、アンチ巨人であったのです!昔なら、10人いれば8人が意気軒昂とした巨人ファンで、暗い眼でおどおどしている1人か2人がアンチ巨人。それが相場でした。時代が変わったとはいっても、10人が10人アンチとは。だから「たのくら」が28年も続いているのか、それともそういう人ばかり残っているのか(汗)。あ、皆さんいい方たちですので、巨人ファンの会員も歓迎いたします。

なにしろ今年は、有力な選手をどんどん補強し、ぶっちぎりで優勝確実、と言われていた巨人軍です。私もそれがありますからつい巨人ファンの方にからんでしまい、先日も尊敬するYM先生に、「あなたのような性格にだけはなりたくない」と言われてしまいました(笑)。

関西における阪神の人気と全国における巨人の人気は似ている、とおっしゃる方がいます。しかし私の見るところ、ファン気質はまったく違う。阪神ファンにはおしなべて自虐的な傾向を感じますが、巨人ファンはまっすぐかつ繊細で、どちらかと言えば打たれ弱いように思いますが違うでしょうか。なんとなく、惻隠の情を感じるようになってきました。やさしく振る舞うようにします、私。

パ・リーグで巨人化しているのが、ソフトバンクです。先発のウルフとスタンリッジ、抑えのサファテ、四番の李、みんな去年は他チームの選手じゃないですか。好きなチームが多い中で、今年は善戦しているオリックスを応援することにしました。めざそう、三連勝!