見ての通り ― 2008年04月12日 23時55分49秒
金本選手が大記録達成。優さん、お喜びでしょう。私が興味があるのはしかし、別のことです。
野村監督、すっかり人気者になりましたね。この名声、この人気は、昔なら考えられなかったことです。スポーツ記者たちもコメントを楽しみにし、監督の方も、日替わりで愉快なコメントをしている。毎日、新バージョンを考えているようです。
反面、言葉が変わらない監督というのもいる。開幕から当分の間、判で押したように「見ての通り」とコメントしている監督がいました。楽しみに読みに行く人(私のこと)もいるのだから、もう少し表現にバラエティがあってもいいなあ、と思っていました。記者さんたちも、同じじゃ書きにくいですよね。
ところがこれが、意識的なものであったことを知りました。なぜならその後、「本当はこの言葉は使いたくなかったのだが、今は我慢だ」というコメントが出てきたからです。そうか、「我慢」という言葉を使わないように、「見ての通り」と言っていたのですね(よく意味がわかりませんが)。
今日は久しぶりに、この方のコメントを楽しみにしていました。今、テレビで確認。今日は「プロとして当たり前のプレーができていない」というものであったようです。また、「見ての通り」というのを聞きたいなあ。今年、野球面白いです。
季節柄の話題 ― 2008年03月31日 21時25分30秒
28日(金)、台東区のミレニアムホールに、絨毯座の公演を見に行きました。マリピエロとドニゼッティの作品によってコメディア・デラルテの真髄を伝えようとの趣旨の公演でしたが、恵川智美さんの演出が丁寧かつ徹底していて面白く、ひとつの発見をした思いでした。こう心から思えるのも、主演の今尾滋さん以下の歌い手がベストを尽くしていたからでしょう。目的のはっきりした、志の高い公演でした。
でも、季節柄の話題というのは、そのことではない。この日は、巨人対東京ヤクルトの初戦にあたっていたのです。その進行を気にしつつ、ホールに出かけました。
私の隣に座られたのは、尊敬する同業者、YM先生。優秀な方ですが、何もここまで、というほどの巨人ファンです。とにかく、相手の攻撃が、こわくて見られず、その間は別室に行っているという。私が野球の話題でつきまとうのを、概して忌避されます。
私「ここに来てる場合じゃないんじゃないの?」 YM「・・・」(笑顔のみ) 私「また、心休まらない日々が始まるねえ。」 YM「だから、ここへ気分転換に来てるんだよ。」 私「大丈夫、巨大戦力だから、ぶっちぎりですよ。」
戦いが始まったばかりの時点でこの会話を交わしておいて、幸いでした。オペラが今日だったら、気の毒で言うに言えないし、もし言ったら、友達をなくしてしまいますから。
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