復活楽章の出典(1) ― 2008年05月04日 22時05分57秒
今日は、ちょっと専門的な情報提供です。
《ロ短調ミサ曲》の諸楽曲が、とくにその後半においてしばしば既成楽曲からの歌詞を振り直した転用(パロディ)であることは、よく知られています。原曲がわかっている曲もいくつかあるが、わからない曲もある。特に謎めいているのが、〈クレド〉の中程にある復活楽曲(〈そして三日目によみがえりEt resurrexit tertia die〉)です。トランペットの鳴り渡る生気にあふれた楽章で、《ロ短調ミサ曲》最大の聴き所のひとつですね。
これがパロディであろうというのは、バッハ研究において根強く言われてきたことでした。途中、〈そして栄光に満ちてふたたび到来し、生者と死者を裁かれるでしょう et iterum venturus est cum gloria, judicare vivos et mortuos〉のくだりで突然、バスのソロがあらわれます。私も大学の合唱団で歌ったことがありますが、とても歌いにくく、不自然にも感じられる部分です。これに原曲があり、別の歌詞が振られていたとすれば、なるほどそれなら、となる可能性があります。
1977年の『バッハ年鑑』にクラウス・ヘーフナーが、この楽章の原曲は、失われた世俗カンタータ《遠ざかれ、明るい星たちよ》BWVAnh.9の冒頭合唱曲である、とする説を発表しました。このカンタータは、先代のザクセン選帝侯、フリードリヒ・アウグスト一世がライプツィヒの見本市を訪れたさい(1727年、《マタイ受難曲》初演直後)に初演された誕生日祝賀作品で、楽譜は失われましたが、バッハの指揮による祝賀演奏を記録した文書に、歌詞が掲載されているのです。
ヘーフナーの説は、シュルツェ/ヴォルフの『バッハ便覧』にも記述され、通説とはいかぬまでも、広く知られるものとなっています。 もしこの説が正しいとすると、あのすばらしい楽曲が選帝侯祝賀のカンタータの冒頭を飾り、市の中央広場で、大々的に演奏されていたことになる。「バッハにおける聖と俗」といった問題を考える上で、避けて通れません。 そこで、ヘーフナーの論文を読み直し、楽譜に歌詞を振って、パロディ説が成立し得るかどうかを、吟味してみました。(続く)
復活楽章の出典(2) ― 2008年05月05日 22時23分45秒
選帝侯誕生日祝賀カンタータの冒頭歌詞は、"ENtfernet euch, ihr heitern Sterne! "(遠ざかれ、明るい星たちよ!)と始まります。ヘーフナーは、復活の主題にターン音型(バロックの修辞学的音楽論に言う旋回Circulatioフィグーラ)が使われていることに注目し、それが原歌詞の「星」という語のイメージに由来すると考えました。「星」を旋回音型で表現する例として、彼はシュッツの《クリスマス物語》を挙げています(第4インテルメディウム)。
しかし、復活の主題に上記のドイツ語歌詞を振ってみると、旋回音型にはeuchの語が当たってしまいます。修辞学的音楽論では語と音型が直接に対応するのが原則ですから、祝賀カンタータの冒頭楽曲から《ロ短調ミサ曲》の復活楽章が作られたとする説の根拠としてこのフィグーラの存在を挙げるのは、適切とは思えません。
より重要なのは、それによって長大唐突なバス・ソロへの説明がつくかどうか、です。ドイツ語歌詞(後半)を振ってみると、語反復の工夫によって、それなりに形はできます。しかしバスは楽章の中間部ですでに何度か歌われた歌詞を歌い直す形になり、なぜ突然バス・ソロか、という問題が残ってしまいます。
復活楽章のテキストは、主部が復活の報告、中間部が昇天の報告となっており、中間部の終わり、バス・ソロの部分で、再臨・審判の預言に移ります。そして、統治の永遠を語る最後の行が、再現部を構成する。すなわち、バス・ソロ(キリストの声?)を驚きの効果を踏まえて投入することに、十分な根拠があるわけです。
ですから、バッハが何らかの楽章をもとにして復活楽章を作ったと仮定するにしても、バス・ソロの部分は、〈クレド〉の当該歌詞を効果的にさばくために新たに挿入した、と見る方が、理にかなっているのではないでしょうか。そうした補正はパロディの場合よく行われますので、現在見る形に原歌詞をそのまま当てはめられるとは限りません。
以上2つの理由から、ヘーフナーの説は成り立たない、というのが私の結論です。・・こう書いても、説明不足で何のことかわかりませんよね。ちゃんとした記述は、次の著作をお待ち下さい。『カンタータの森』シリーズの第3巻として、ザクセン選帝侯関連の世俗カンタータを集めた1冊を準備しています。いろいろ新しい情報を盛り込みますが、昨今の多忙で、執筆が遅れています。
逆戻り ― 2008年05月06日 22時35分42秒
昔、「喜び」と「ぬか喜び」の違いについて、書いたことがあります。「集める」と「かき集める」の違いを考察したことも。今頭を悩ませているのは、「逆戻り」という表現についてです。
この言葉、ずいぶんくどくありませんか。「巨人、5割に戻る」と言えば済むところを、かならずスポーツ新聞は、「巨人、5割に逆戻り」と書きますね。あ、まだ5割行ってないですか。「巨人、借金2に逆戻り」でもいいですけど。
「逆戻り」という言い方には、行動者にとって心外な状況を、冷やかすというニュアンスがあるようです。「時計の針が逆戻りする」という言い方もある。この場合は、心外な状況に対する憤慨が、少し入っているようです。
こう書いていて気がつきました。「逆戻り」とは言うが、「戻り」とは言わないですね。また、「戻る」とは言うが、「逆戻る」とは言わない。どうやら、動詞表現すると「戻る」、名詞表現すると「逆戻り」になるようです。
では動詞で揃えるとして、「戻る」と「逆戻りする」は、強調の違いだけでしょうか。「しばらくモーツァルト研究をやっていたが、本業であるバッハの研究に戻った」というような場合は、「逆戻り」ではありませんね。オデュッセウスが長い放浪の末に故郷に戻った、という場合も「逆戻り」ではない。別のルートをたどる戻りは逆戻りではなく、そこにはポジティヴな意味合いも、添えることができるようです。
上原がもし巨人の抑えとして復活したら、それは戻ったのでしょうか、逆戻りしたのでしょうか。こういうことを考えていると、時間を食います。
やみつきの中華料理 ― 2008年05月07日 23時16分47秒
国立の中華料理「杏仁坊」が店じまいした件を、ご報告しました。正確には移転で、以前「虎萬元」と名乗っていた店が、チェーン内移動のような形で、杏仁坊になったのです。連休中、家族で偵察に行ってきました。
以前の店は、国立駅南口から右(南西方向)へ富士見通りをかなり歩き、ちょっと右に曲がったところにありました。新しい店は、曲がり角の少し手前、富士見通りの左側です。虎萬元時代は庶民的な印象でしたが、杏仁坊になってからは小ざっぱりと改装され、とても気持ちのよい空間になっています。以前の店のように広大な空間でおしゃべりし放題、という感じではありませんが、料理はますます磨きがかかっていて、お薦めです。
もう一件。職場から都内の音楽会に行くとき、高田馬場でよく、「陳麻家」という店で食事をします。「陳麻飯」という麻婆ご飯が名物で、「やみつきになる」と書かれている。辛いのを身体に汗しながら食べるのですが、不思議なもので、時間が経つと、どうしても食べたくなってくるのです。検索してみると、中央線沿線にも何件かあるのですね。今日は、新国立劇場の《軍人たち》を観に行く前に、吉祥寺店に寄りました。ヨドバシの隣ですから、すぐわかります。「タマネギの黒胡麻和え」というのもおいしいですよ。これと陳麻飯、ウーロン茶で800円しませんでした。
あるメールの場合 ― 2008年05月08日 23時16分53秒
先日議論になった、届かないメールの件。理由の判明したケースがありましたので、ご報告します。
送り主は、私のかつての弟子で、いま東大美学のドクターでシューベルトを研究している、堀朋平君。彼が、ウィーン留学に関する報告を、しばらく前に、私に送ったそうです。え、そんなのもらってないよ、ということになり、再送を依頼。でもやはり、届きません。それならと携帯に打ち直して送ってもらい、ようやく内容に接しました。
これが不思議。なぜなら、堀君とはしばしばメールを交わしており、これまで、何の問題もなかったからです。そこで、ASAHI-netのspamメールフィルターで削除されたメールをチェックしてみました(ひところ外していたのですが、また復活させていた次第)。そうしたら、その中にしっかり見つかったのです。タイトルも、文面も、すべて文字化け(ここが重要)していました。
どうやら、文面で使われているドイツ文字(ウムラウト)が、文字化けの原因であるようです。たしかに、ドイツ語のメールが、時折り脱落する。先日もそれが起こり、冷や汗をかいたところでした。ドイツとのやりとりには、重要なものが多いですからね。
しかし、全部ダメではなく、着いたり着かなかったりする、というのがおかしい。何らかの条件で文字化けが発生するようなのですが、その条件がわかりません。ロシア語の迷惑メールは、どんどん入ってくるというのに・・・。フランス語のアクサンも、あぶないかもしれませんよ。お気を付けください。
事件は続く ― 2008年05月10日 23時03分49秒
今、いずみホールでロッシーニの《ランスへの旅》を見て、帰る途中です(たいへん楽しい公演でした)。イー・モバイルに加入しましたので、新幹線から更新ができるのです。
迷惑メールの記事、複数の方から、親切なご教示をいただきました。ありがとうございます。その話題の続きです。
返事を待っているのにいっこうに届かないドイツ語のメールが2件ありました。ひとつはウィーンから、ひとつはライプツィヒから。そうしたら今日、いずみホールでスタッフが私に、礒山にメールを出したのだが返事がない、というウィーンからのメールを手渡すではありませんか。英語のメールの中に、私宛のドイツ語文が引用されています。先生にはすでに転送しましたが、お返事がないので心配していました、とのことでした。
仰天した私は、そのスタッフに、あらためて3通のメールを送信してもらうことにしました。1通目は、単なる日本語のメール。2通目は、彼がすでに転送したという、ウィーンからのメール。3通目は、そのメールからドイツ語の引用部分を削除したメールです。
その結果、1と3のメールは届きましたが、2のメールは、ASAHI-netのスパムブロックによって振り分けられ、メーラーに入ってきませんでした(サーバーのスパム用フォルダから発見)。この場合は英語とドイツ語の混成メールですが、ウィーンから先に私に送られていた(はずの)ものは、ドイツ語のみのメールです。これによって、ドイツ語が入ったメールが、ドイツ文字の使用によってフィルタリングされてしまった可能性が高くなりました。
とはいっても、それまではだいたい入ってきていたわけです。ですから、どこかの時点で、フィルタの強化が行われたのかもしれない。それとも、ウムラウトのようなものが一定数を超えると削除される、といった基準が導入されたのでしょうか。
家庭の受信には柴さんのアドバイス(コメント参照)を生かすことにし、ASAHI-netには、事の次第を報告しようと思います。他にも大事なメールが来ていたのではないかと、心配です。
こわいぐらい便利! ― 2008年05月11日 23時12分04秒
私はかねてから、インターネットのホームページをGoogleにしていました。カレンダーを使い、メーラーを使い、ニュースの検索などもして、鋭意自己グーグル化を進めていたのですが、iGooglというのだけは、使っていなかった。携帯電話との連携機能でしょ、ぐらいに思っていたのです。
ところが今日、その実態を認識。立ち上げたページに、ランチャやリンク集をビジュアルに展開できる、スグレモノなのですね。しかもワンタッチで表示できる既成のコンテンツが、盛りだくさんに用意されている。こわいぐらい便利。まだ使っておられない方、絶対お薦めです。
ちなみに、私の今のホームページのコンテンツは、次のようになっています。 左の列:日付と時刻、ToDoリスト(当日用)、Gmail、I教授の談話室、Googleニュース(検索)。 中央の列:Googleノートブック(メモ用)、Googleカレンダー、エキサイト英和辞典、goo辞書。 右の列:トップニュース、乗り換え案内、若干の趣味サイト。
う~ん、いい時代になりました。
5月のイベント ― 2008年05月14日 22時11分28秒
まだご案内していませんでした。遅ればせながら。
5月24日(土) 13:00-15:00 には朝日カルチャーセンター横浜校で、「バロックの名曲を聴く」の第3クールが始まります。今月は「ヴィヴァルディとイタリアの後期バロック」というテーマです、
5月25日(土、15:00-16:30)は、日本ピアノ教育連盟の東海支部で講演します。場所は名古屋アパホテル、演題は「モーツァルトの響きの魔術」です。N市のNさん、お世話になります。
5月31日(土)は「楽しいクラシックの会」例会(立川市錦地域学習センター、10:00-12:00)で、今月のテーマは「歌うイタリア」です。ストラデッラ、カルダーラ、スカルラッティ(親)あたりが中心になることでしょう。よろしくお願いします。
聖書索引をネットで! ― 2008年05月15日 22時20分02秒
若い人たちを指導していて残念に思うのは、西洋音楽の古い方をやっている人でさえ、キリスト教に対する知識が乏しいことです。聖書を読んだことがない人も、たくさん。でもそれでは、バッハの歌詞はもちろん、聖書を踏まえた歌曲の歌詞(←多いですよ)の理解はお手上げです。
理解を深めるためには、手元の語学辞書を引くだけでなく、聖書本文に対する索引(コンコルダンス)を駆使して、ある言葉が、聖書でどう使われているかを調べなくてはなりません。ひとたびこれができるようになると、宗教的な文章に対して目が開かれること請け合いです。
今は、ネットの時代。専門書を求めなくても、手軽に索引検索を使えるようになりました。お薦めは、”eBible Japan”というサイト(http://ebible.echurch-jp.com/)です。
ここでは、口語訳、新共同訳、新改訳の3種類の本文に対して、検索が使えます。それ以上に圧巻なのは、「多国語Bible検索」。ルター訳は1545年版(←バッハが使ったもの)と現在の両方を引けますし、ヴルガータ訳のラテン語も引けます。英訳は、欽定訳を含め11種類も使え、ヘブライ語、ギリシャ語も大丈夫です。ありがたく活用されることをお薦めします。
《平均律》、勉強しませんか?! ― 2008年05月16日 22時03分25秒
国立音楽大学の音楽研究所(私が以前ベートーヴェン研究を行っていたセクション)が復活、私がバッハ部門を司ることになりました。題して、「バッハ演奏研究プロジェクト」。定年までの期間、せいぜい力を注いで、職場に恩返しをしたいと思います。
プロジェクトは、ピアノ部門と声楽部門を分けて活動することにしました。今日は、ピアノ部門をご紹介します。「ピアノで弾くバッハ」というテーマで、古楽演奏の最前線にも学びながら、ピアノでバッハをどう弾いたらいいかを勉強します。今年は、《平均律クラヴィーア曲集》第1巻を採り上げます。
時間は火曜日の6時~7時半。6月から12月まで、計13回の勉強会が開かれます。講演会と、公開レッスンが半々。講師の1回目は私、2回目は野平一郎さんで、後期には、富田庸さんも登場されます。中心となる指導者は、渡邊順生さんです。
修士の1年生が新カリキュラムで単位になるほか、外部からも受講生を募集します。ときどき覗きに来る方には無料で開放しますが、継続受講し、レッスンを受けられた方には、大学が受講証明を発行します。選ばれれば、発表のコンサートにも出演できるはずです。受講料は、合わせて4万円です。
20日(火)の6時から、大学1号館の120室でガイダンスをします。院生のためのものですが、外部の方も参加してくだされば、その場で申し込みができます。まだ正式にご案内していませんので、ご案内後に手を挙げていただくこともできますが、あまり多くなるようでしたら、何らかの制限をするかもしれません。
詳細なスケジュールは、追って発表します。よろしく!
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