ツェーラーさんのコンサート ― 2011年03月23日 17時34分20秒
21日(月)、バッハの誕生日にいずみホールで、ご案内したヴォルフガング・ツェーラーさんのオルガン・コンサートが開かれました。最初に、大震災の犠牲者の方々を偲んで、黙祷。関西の方々は皆さん震災経験者ですから、よく状況を理解してくださり、義援金にも多大のご協力を賜りました。ありがとうございます。
このシリーズでは毎回ステージでインタビューをするのですが、ツェーラーさん、こんなときわざわざ日本に行かなくても、とずいぶん言われたそうです。直接復興のお手伝いはできないが、精神的に深いバッハの音楽を通じて霊的な側面から貢献したい、というお気持ちを述べられ、ほぼ満員の場内から、大きな拍手が湧きました。
客席に有力なオルガニストの方々の姿が見られたのは、ツェーラーさんに対する専門家筋の評価の高さだと思います。まだ若いのにたいへんな水準をもっておられ、いずみホールのオルガンが、これまでの誰とも違う、すごい鳴り方をしていました。単に音色の選び方が違う、というのではなく、根本的に器が広がるような鳴り方なのです。《クラヴィーア練習曲集第3部》の全曲演奏はさぞ負担のかかる大仕事だと思いますが、精密、正確な名人芸で、後半、フーガへ向けての盛り上がりは圧巻でした。
翌日は、日本オルガニスト協会と連携しての、マスター・クラス。ふだんは口数の少ない方とお見受けしましたが、レッスンでは一転して論理明晰、みごとなレッスンです。何より、作品の構造への視点が研ぎ澄まされていて、作品全体の中でどの部分、どの音がどう弾かれるべきかについて、理にかなった洞察をしておられるのです。全国から受講生が集まったのも、むべなるかなと思いました。
震災後の復興に向けて、大阪の方々からアドバイスをいただきました。それは、「お金を使え」ということ。義援金のことではなく、その後の消費活動のことです。震災後はどうしても、外食すら慎むようになりますよね。でもずっとそうしていると経済が収縮してしまい、復興の基盤ができなくなる、というご意見を、何人もの方から、異口同音に伺いました。なるほどと納得したのですが、帰ってきてみるとテレビでは、「今私にできること--必要もないのに買うのをやめよう」というコマーシャルが流れています。どうなんでしょうね。
このシリーズでは毎回ステージでインタビューをするのですが、ツェーラーさん、こんなときわざわざ日本に行かなくても、とずいぶん言われたそうです。直接復興のお手伝いはできないが、精神的に深いバッハの音楽を通じて霊的な側面から貢献したい、というお気持ちを述べられ、ほぼ満員の場内から、大きな拍手が湧きました。
客席に有力なオルガニストの方々の姿が見られたのは、ツェーラーさんに対する専門家筋の評価の高さだと思います。まだ若いのにたいへんな水準をもっておられ、いずみホールのオルガンが、これまでの誰とも違う、すごい鳴り方をしていました。単に音色の選び方が違う、というのではなく、根本的に器が広がるような鳴り方なのです。《クラヴィーア練習曲集第3部》の全曲演奏はさぞ負担のかかる大仕事だと思いますが、精密、正確な名人芸で、後半、フーガへ向けての盛り上がりは圧巻でした。
翌日は、日本オルガニスト協会と連携しての、マスター・クラス。ふだんは口数の少ない方とお見受けしましたが、レッスンでは一転して論理明晰、みごとなレッスンです。何より、作品の構造への視点が研ぎ澄まされていて、作品全体の中でどの部分、どの音がどう弾かれるべきかについて、理にかなった洞察をしておられるのです。全国から受講生が集まったのも、むべなるかなと思いました。
震災後の復興に向けて、大阪の方々からアドバイスをいただきました。それは、「お金を使え」ということ。義援金のことではなく、その後の消費活動のことです。震災後はどうしても、外食すら慎むようになりますよね。でもずっとそうしていると経済が収縮してしまい、復興の基盤ができなくなる、というご意見を、何人もの方から、異口同音に伺いました。なるほどと納得したのですが、帰ってきてみるとテレビでは、「今私にできること--必要もないのに買うのをやめよう」というコマーシャルが流れています。どうなんでしょうね。
市民オペラ! ― 2011年03月06日 11時54分00秒
尊敬する友人、慶応大学教授の三宅幸夫さんが、5日(土)、最終講義をなさいました。シューベルトの《白鳥の歌》から〈影法師〉の分析を中心に話されたというのはいかにも「らしい」と思いますが、私はどうしても時間が空けられず、夜の懇親会に駆けつけるという形になりました。締めのユーモラスなスピーチも、優秀な方にふさわしい、冴えたものでした。これからますます活躍されると、確信しています。
6日(日)は、東大和市民合唱団10周年記念+同市ハミングホールの開館10周年記念イベント「華麗なるオペラ」へ。私の役割は、《魔笛》の抜粋公演にナレーションを行うことです。いわゆる「市民オペラ」に参加するのは初めての経験でしたが、皆さんは「市民オペラ」なるものについて、どのようなイメージをお持ちでしょうか。少なくとも私は、自分の中にあった概念を、完全に覆されました。これは、書いておかなくてはなりません。
市民合唱団のものすごい熱意と、それに協力を惜しまなかった方々によって、公演がまれに見るほど盛り上がったこと。それは事実です。だがそれが可能になったのは優秀な指揮者が統率していたからで、逆に言えば指揮者が優秀で全力投球されれば、市民オペラの可能性はじつに大きい、ということです。その指揮者は時任康文さんのだったのですが、この方の人間性と力量には、感嘆を覚えました。
オーケストラやソリストを揃えての練習時間は、当然、限られています。その中で、感じよく、無駄なく練習を進め、本質的なところに絞ってわかりやすい指示を出して、演奏の質を、目に見えて向上させる。高い集中力と威厳を保ちながら、配慮にあふれていて、スマート。みんなが眼の色を変えてついてくるのも、当然です。日本ニューフィルハーモニック管弦楽団の向上度合いも、眼に見えるほどでした。
ソリストは、ザラストロ 志村文彦、夜の女王 佐藤優子、パミーナ 横山美奈、タミーノ 土崎譲、パパゲーナ 白木あい、パパゲーノ 小林昭裕、モノスタトス 葛西健治という顔ぶれ。初めての方がほとんどだったのですが、皆さん、相当な力量です。若手にチャンスを与え、クラシック音楽の啓蒙の場にもなるという意味で、市民オペラというのは本当に大事なイベントなんだなあということを肝に銘じる、この1日でした。
6日(日)は、東大和市民合唱団10周年記念+同市ハミングホールの開館10周年記念イベント「華麗なるオペラ」へ。私の役割は、《魔笛》の抜粋公演にナレーションを行うことです。いわゆる「市民オペラ」に参加するのは初めての経験でしたが、皆さんは「市民オペラ」なるものについて、どのようなイメージをお持ちでしょうか。少なくとも私は、自分の中にあった概念を、完全に覆されました。これは、書いておかなくてはなりません。
市民合唱団のものすごい熱意と、それに協力を惜しまなかった方々によって、公演がまれに見るほど盛り上がったこと。それは事実です。だがそれが可能になったのは優秀な指揮者が統率していたからで、逆に言えば指揮者が優秀で全力投球されれば、市民オペラの可能性はじつに大きい、ということです。その指揮者は時任康文さんのだったのですが、この方の人間性と力量には、感嘆を覚えました。
オーケストラやソリストを揃えての練習時間は、当然、限られています。その中で、感じよく、無駄なく練習を進め、本質的なところに絞ってわかりやすい指示を出して、演奏の質を、目に見えて向上させる。高い集中力と威厳を保ちながら、配慮にあふれていて、スマート。みんなが眼の色を変えてついてくるのも、当然です。日本ニューフィルハーモニック管弦楽団の向上度合いも、眼に見えるほどでした。
ソリストは、ザラストロ 志村文彦、夜の女王 佐藤優子、パミーナ 横山美奈、タミーノ 土崎譲、パパゲーナ 白木あい、パパゲーノ 小林昭裕、モノスタトス 葛西健治という顔ぶれ。初めての方がほとんどだったのですが、皆さん、相当な力量です。若手にチャンスを与え、クラシック音楽の啓蒙の場にもなるという意味で、市民オペラというのは本当に大事なイベントなんだなあということを肝に銘じる、この1日でした。
耳を澄ますからこそ ― 2011年02月03日 11時59分49秒
分刻みの毎日から、2月2日の記録です。
準備もおぼつかないまま飛び出し、NHKへ。内容はあらためてご紹介しますが、ウィーンの宮廷音楽特集を録音しています。面白いのですが、よく知っているわけではないので、準備に時間がかかる。結局12時半からのスタートに間に合わず、息せききって飛び込みました。
ところがスタジオはまだ準備以前。聞いてみると、今日は13時スタートとのことです。なあんだ、と思う反面、よかった、とも。おかげで、NHKの食堂で昼食をとることができました。収録は意外に難航し、いつもより遅い終りになりました。
そんなわけで、立川アミューに着いたのが、7時15分前。開演の直前となり、会場には緊張が走っていました。7時から開演なのに司会者が来ないのですから、無理もありません。疲れを休めるひまもなく、トーク開始。それでもなんともないのには、2つ理由があります。1つは、出演者が渡邊順生さんで、司会者は話を振りさえすれば済むこと。もうひとつは、280席のちょうどよい空間におなじみのお客様が集まっているため、緊張が少しもいらないことでした。これだから、「たのくら」はやりやすいのです。
コンサートはベートーヴェンのチェロ・ソナタ第2番(初期)から始まり、第4番(後期)、《魔笛の主題による7つの変奏曲》をはさんで第3番(中期)と進みました。フォルテピアノは音が小さいですから、最初はあれっという感じで、耳を澄ます。これがいいのです。耳を澄ますことは、心を澄ますことだからです。響きになじむにつれ、その繊細な世界の様子がよく見えてきます。やがて、バロック・チェロとフォルテピアノががっしりと嚼み合って音楽を作っているさまがわかり、音量の不足は、まったく感じなくなります。耳を澄ますからこそ見える、音楽の奥行きです。
小さな会なのに、花崎薫さん、渡邊順生さんは本当によく準備して臨まれ、ベートーヴェンの真髄を伝えてくれました。会のコンサートでブラボーが出たのは、初めてではなかったでしょうか。おかげさまです。
準備もおぼつかないまま飛び出し、NHKへ。内容はあらためてご紹介しますが、ウィーンの宮廷音楽特集を録音しています。面白いのですが、よく知っているわけではないので、準備に時間がかかる。結局12時半からのスタートに間に合わず、息せききって飛び込みました。
ところがスタジオはまだ準備以前。聞いてみると、今日は13時スタートとのことです。なあんだ、と思う反面、よかった、とも。おかげで、NHKの食堂で昼食をとることができました。収録は意外に難航し、いつもより遅い終りになりました。
そんなわけで、立川アミューに着いたのが、7時15分前。開演の直前となり、会場には緊張が走っていました。7時から開演なのに司会者が来ないのですから、無理もありません。疲れを休めるひまもなく、トーク開始。それでもなんともないのには、2つ理由があります。1つは、出演者が渡邊順生さんで、司会者は話を振りさえすれば済むこと。もうひとつは、280席のちょうどよい空間におなじみのお客様が集まっているため、緊張が少しもいらないことでした。これだから、「たのくら」はやりやすいのです。
コンサートはベートーヴェンのチェロ・ソナタ第2番(初期)から始まり、第4番(後期)、《魔笛の主題による7つの変奏曲》をはさんで第3番(中期)と進みました。フォルテピアノは音が小さいですから、最初はあれっという感じで、耳を澄ます。これがいいのです。耳を澄ますことは、心を澄ますことだからです。響きになじむにつれ、その繊細な世界の様子がよく見えてきます。やがて、バロック・チェロとフォルテピアノががっしりと嚼み合って音楽を作っているさまがわかり、音量の不足は、まったく感じなくなります。耳を澄ますからこそ見える、音楽の奥行きです。
小さな会なのに、花崎薫さん、渡邊順生さんは本当によく準備して臨まれ、ベートーヴェンの真髄を伝えてくれました。会のコンサートでブラボーが出たのは、初めてではなかったでしょうか。おかげさまです。
独創的な解説 ― 2011年01月18日 23時49分20秒
モルゴーア・クァルテットの定期演奏会を聴いてきました(東京文化会館小ホール)。3つのオーケストラのトップ奏者によって構成されている弦楽四重奏団です。ソ連/ロシア特集で、ストラヴィンスキーの《コンチェルティーノ》、カプースチンの弦楽四重奏曲第2番、モソロフの第1番、プロコフィエフの第1番という、意欲的にして秀逸なプログラム。演奏も完成度が高く、たいへん面白く聴きました。4人のおじさんがにこりともせず演奏している、という謹厳なイメージですが、腕は確かです。
そのプログラムに、なんと、林光さんが解説を寄稿していました。これが、自分の目で大所高所から作品を記述する、独創的なものなのです。達人の自在さにすっかり感心し、もって範としたい、と思いました。
明日は、ケラスのチェロを聴きに、トッパンホールに行きます。予習しようと思ってバッハの無伴奏を聴きましたが、すばらしいですね。楽しみです。
そのプログラムに、なんと、林光さんが解説を寄稿していました。これが、自分の目で大所高所から作品を記述する、独創的なものなのです。達人の自在さにすっかり感心し、もって範としたい、と思いました。
明日は、ケラスのチェロを聴きに、トッパンホールに行きます。予習しようと思ってバッハの無伴奏を聴きましたが、すばらしいですね。楽しみです。
ハイcの新年会 ― 2011年01月16日 11時41分54秒
15日(土)は、「たのくら」(楽しいクラシックの会)の新年会でした。午前中の例会と組み合わせてお昼から行うのが、いつものこと。例会には内之倉勝哉、阿部雅子のゴールデンコンビが小崎麻美さんのピアノで出演、後半はガーシュウィン《ポーギーとベス》を楽しみました。
内之倉=阿部コンビには熱さ冷めやらぬネローネとポッペアの二重唱を歌ってもらったわけですが、サービスとして内之倉君がドニゼッティ、阿部さんがヨハン・シュトラウスのアリアを披露。驚いたのは、まだ朝だというのに、内之倉君が「ハイc」を三度も響かせたことです。「国立王子」と呼ばれるほどのイケメンであることもあり、女性陣を中心に、一同熱狂。阿部さんはもちろん男性陣に絶対強いですから、例会といい、新年会といい、空前の盛り上がりとなりました。これほど出足がいいのでは、先行き不安です。
今年、なんと25年目の「たのくら」。大学とのパイプも大きくなり、ピークの年を迎えそうです。
内之倉=阿部コンビには熱さ冷めやらぬネローネとポッペアの二重唱を歌ってもらったわけですが、サービスとして内之倉君がドニゼッティ、阿部さんがヨハン・シュトラウスのアリアを披露。驚いたのは、まだ朝だというのに、内之倉君が「ハイc」を三度も響かせたことです。「国立王子」と呼ばれるほどのイケメンであることもあり、女性陣を中心に、一同熱狂。阿部さんはもちろん男性陣に絶対強いですから、例会といい、新年会といい、空前の盛り上がりとなりました。これほど出足がいいのでは、先行き不安です。
今年、なんと25年目の「たのくら」。大学とのパイプも大きくなり、ピークの年を迎えそうです。
須坂の舞台 ― 2011年01月14日 23時39分22秒
お待たせしました。昨年12月26日に須坂メセナホールで上演したモンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の写真をいくつか、ご覧に入れます。ゲネプロのスナップから、苦労して拾い出しました。楽器の方々、なくて申し訳ありません。

プロローグ。金満の〈幸運の神〉(川辺茜)が、斜陽の〈美徳の神〉(山崎法子)を嘲る。

第1幕。帰還したオットーネ(湯川亜也子)がポッペアへの慕情を歌う。名場面の1つ。

皇帝ネローネ(内之倉勝哉)に取り入るポッペア(阿部雅子)。第1の二重唱。

第2の二重唱。巧みな色仕掛けに、皇帝はなすすべなし。

ドゥルジッラ(安田祥子)の純愛に慰められるオットーネ。

第2幕。従容として自殺に赴く哲学者セネカ(狩野賢一)。

小姓(川辺茜)と侍女(山崎法子)の恋遊び。私のまったく指示していない、きわどい演技を披露。

セネカの死を喜んだネローネは、ルカーノ(小堀勇介)とともにポッペア賛美の詩を競作する。華麗なテノールの二重唱。

眠るポッペアを守護する〈愛の神〉(髙橋幸恵)。ドラマを動かす陰の主役。

第3幕。流刑を前にローマに別れを告げる皇妃オッターヴィア(髙橋織子)。絶唱でした。

ヴェーネレ(大峡喜久代)が天上から下り、戴冠したポッペアに「地上の女神」の称号を授ける。
コンサート始め/仕事始め ― 2011年01月07日 23時10分28秒
昨日は、近江楽堂で、今年の初コンサート。クリスティーネ・ショルンスハイムさんが《平均律第1巻》を演奏されました。ショルンスハイムさん、芸大に来ておられたのですね。ご本人からメールをいただいて知りました。音型を生き生きと立ち上がらせた確実な演奏で、集まった若い人達も、学ぶところが多かったと思います。《平均律》の全曲を一晩でというのはちょっと重いな、と思うのですが、最後の〈ロ短調〉にたどり着いたときに、得も言われぬ到達感があります。あの美しいプレリュードが丹念に装飾されて演奏され、聴き惚れました。
今日は、NHKで仕事始め。1月31日から始まるプロイセン宮廷音楽特集の前半を収録しました。月曜日がフリードリヒ大王、クヴァンツ、エマヌエル・バッハのフルート音楽、火曜日がバッハの《音楽の捧げもの》、水曜日はバッハの結婚カンタータBWV210とホ長調のフルート・ソナタで組んだのですが、並べるとやはり、バッハは時代を超えていると痛感。《捧げもの》は、究極の作品だと感じます。演奏は、コープマンの新録音を使いました。とても円熟したいい演奏で、お薦めです。210番の結婚カンタータも、もっともっと聴かれて欲しいですね。弟子の小島芙美子さんが、いま論文を書いています。これはシェーファーのCDを使いました。
今日は、NHKで仕事始め。1月31日から始まるプロイセン宮廷音楽特集の前半を収録しました。月曜日がフリードリヒ大王、クヴァンツ、エマヌエル・バッハのフルート音楽、火曜日がバッハの《音楽の捧げもの》、水曜日はバッハの結婚カンタータBWV210とホ長調のフルート・ソナタで組んだのですが、並べるとやはり、バッハは時代を超えていると痛感。《捧げもの》は、究極の作品だと感じます。演奏は、コープマンの新録音を使いました。とても円熟したいい演奏で、お薦めです。210番の結婚カンタータも、もっともっと聴かれて欲しいですね。弟子の小島芙美子さんが、いま論文を書いています。これはシェーファーのCDを使いました。
神様の後押しで ― 2010年12月29日 14時21分05秒
いきなり書きこむのは気が引ける、という空気があるようですので、私から、少し書かせていただきますね。
オペラをご覧になる方は、気に入った歌い手を見つけようとするものです。それもまた、鑑賞の楽しみ。しかし《ポッペアの戴冠》in Suzakaの場合、それは困難ではなかったでしょうか。なぜなら、適材適所の配役(←自慢させてください)のもと全員がベストを尽くし、レベルの揃ったアンサンブルを繰り広げていたからです。いったんお気に入りを見つけても、新しい歌い手が登場するたびに再考を迫られる、という状況になっていたのではないかと思います。
歌のレベルが高かったというのは、指導された渡邊、平尾の両先生はじめ、いろいろな方がおっしゃってくださったことです。これは両先生のご指導のたまもの、出演者の才能と努力のたまものであるわけですが、「くにたちiBACHコレギウム」における最長3年のバッハ経験と、ドクター論文に取り組むことによる知的な鍛錬が、大きくプラスしているように思えてなりません。それなくしては、様式感を踏まえた、洞察力に富むモンテヴェルディ演奏はあり得なかったと思うからです。ただ優秀なソリストを集めただけでは、日曜日の演奏は成立しなかっただろうと感じています。
そうなると、大元にあるのは、大学に後期博士課程が設立され、そこに入学してくる優秀な声楽学生の論文指導を私が担当するようになった、という事実です。でもまさかそこからモンテヴェルディの公演が可能になるとは、思いもよりませんでした。このありがたい流れを後押ししてくれた神様は、〈幸運〉でしょうか〈美徳〉でしょうか、それとも〈愛〉なのでしょうか。
オペラをご覧になる方は、気に入った歌い手を見つけようとするものです。それもまた、鑑賞の楽しみ。しかし《ポッペアの戴冠》in Suzakaの場合、それは困難ではなかったでしょうか。なぜなら、適材適所の配役(←自慢させてください)のもと全員がベストを尽くし、レベルの揃ったアンサンブルを繰り広げていたからです。いったんお気に入りを見つけても、新しい歌い手が登場するたびに再考を迫られる、という状況になっていたのではないかと思います。
歌のレベルが高かったというのは、指導された渡邊、平尾の両先生はじめ、いろいろな方がおっしゃってくださったことです。これは両先生のご指導のたまもの、出演者の才能と努力のたまものであるわけですが、「くにたちiBACHコレギウム」における最長3年のバッハ経験と、ドクター論文に取り組むことによる知的な鍛錬が、大きくプラスしているように思えてなりません。それなくしては、様式感を踏まえた、洞察力に富むモンテヴェルディ演奏はあり得なかったと思うからです。ただ優秀なソリストを集めただけでは、日曜日の演奏は成立しなかっただろうと感じています。
そうなると、大元にあるのは、大学に後期博士課程が設立され、そこに入学してくる優秀な声楽学生の論文指導を私が担当するようになった、という事実です。でもまさかそこからモンテヴェルディの公演が可能になるとは、思いもよりませんでした。このありがたい流れを後押ししてくれた神様は、〈幸運〉でしょうか〈美徳〉でしょうか、それとも〈愛〉なのでしょうか。
達成感 ― 2010年12月27日 23時49分07秒
「すざかバッハの会」におけるモンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の公演、無事終了しました。出演者の方々、裏方の方々、応援してくださった会と聴衆の方々、ありがとうございました。『信濃毎日新聞』にも、カラー写真入りの記事を掲載していただきました。
音楽監督である私が自分からああだった、こうだった、と書くのは気が引けますので、出演者や聴衆の方々から、できればコメントを頂戴したいと思います。私としては、《ポッペア》をプロデュースするという望外の機会に恵まれ、残りの人生をどう過ごしたらいいか、というぐらいの達成感に包まれています(笑)。ひじょうに忙しかった今年。この公演を目指してすべてが進んできました。斎藤佑樹さんが「自分には仲間がある」という有名な言葉を吐きましたが、その気持ち、よくわかります。
音楽監督である私が自分からああだった、こうだった、と書くのは気が引けますので、出演者や聴衆の方々から、できればコメントを頂戴したいと思います。私としては、《ポッペア》をプロデュースするという望外の機会に恵まれ、残りの人生をどう過ごしたらいいか、というぐらいの達成感に包まれています(笑)。ひじょうに忙しかった今年。この公演を目指してすべてが進んできました。斎藤佑樹さんが「自分には仲間がある」という有名な言葉を吐きましたが、その気持ち、よくわかります。
大合唱 ― 2010年12月25日 23時14分20秒
桜木町の渡邊邸に、通い詰めました。昨日は深夜の帰宅、今日は朝からで、最後の通し稽古。多くの人が心配していたのが、雪でした。でも最近の長野県は、雪、降らないんですよね。年内は、まず降らない。ですから、絶対に大丈夫だ、降る確率はかぎりなく低い、余分な心配はするな、と気合いをかけていたところ、大(?)雪。誰のせいだ、と叫ぶ私に、先生だ、という非難の大合唱です。確率、低いんだがなあ。
稽古の途中、私は抜け出て朝日カルチャーへ。別れるにあたり、長野で会いましょう、新幹線に乗り遅れることのくれぐれもないように、と念を押したところ、先生に言われたくありません、の大合唱。そうですね、危ないのは私です。でも私がいなくても、コンサートは成立する。ここまでくると、もっとも不要なのが、私なのです。
しかし連日、すごい追い込みだったなあ。明日が楽しみです。なお、体調不良で交代が2人出ました。ドゥルジッラ役が小島芙美子さんから安田祥子さんに交代し、ヴァイオリンが渡邊慶子さんから宮崎容子さんに交代します。緊張、緊張。
稽古の途中、私は抜け出て朝日カルチャーへ。別れるにあたり、長野で会いましょう、新幹線に乗り遅れることのくれぐれもないように、と念を押したところ、先生に言われたくありません、の大合唱。そうですね、危ないのは私です。でも私がいなくても、コンサートは成立する。ここまでくると、もっとも不要なのが、私なのです。
しかし連日、すごい追い込みだったなあ。明日が楽しみです。なお、体調不良で交代が2人出ました。ドゥルジッラ役が小島芙美子さんから安田祥子さんに交代し、ヴァイオリンが渡邊慶子さんから宮崎容子さんに交代します。緊張、緊張。
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