最高の作曲家2010年12月23日 11時00分57秒

今日は、桜木町の渡邊邸で行われている練習に、1日付き合いました。渡邊さん、平尾さんがフルタイムで1人ずつ綿密な指導をするのですから、若い人たちにとっては、本当にいい勉強。意欲が高まるのも当然です。

渡邊さんがプログラムに寄稿された文章を読んだら、次のような部分が目に止まりました。おお、やっぱりそうですか!

「その時以来、モンテヴェルディは、私にとっての『古今の作曲家ベストテン』の首位を占め続けている。今までの音楽家人生で、私は、特にバッハとベートーヴェンには特別な思いを抱いて接してきたが、モンテヴェルディの首位が脅かされることはなかった。」

さすがのバッハもモンテヴェルディには及ばないのではないかということは、私もずっと思っていることです。渡邊さんもそれがあるからこそ、予算も満足にない公演に、惜しまず時間と労力を投入してくださるわけですよね。

聖書の意思?2010年12月17日 11時47分15秒

笛吹き小僧さん、澄音愛好者さん、貴重な感想コメントありがとうございました。こちらで対応します。

お褒めにあずかった若いテノールは小堀勇介君といいまして、優秀な頭脳と温かい心をもったすばらしい歌い手です。3月30日にいずみホールの「日本の歌」に出演しますから、関西の方、ぜひ聴いてあげてください。

合唱における男声の充実はおっしゃる通りで、多くのメンバーがバッハを愛し、バッハを理解しているのが強みなのだと思います。本当はソロを歌わせたい人が、たくさんいるのです。

澄音さんの「バッハにここまでしてもらった選帝侯妃はなんと幸せな人だろうか」というご感想について。私も最初すごくそう思ったのですが、今は迷っています。だって死んでから作曲され、演奏されているわけですよね。即物的に言えば、本人は無関係。それとも、思いは天に届くのでしょうか。

スマートフォンで大失態を犯した私ですが、案外喜んでくださっている方の多いことがわかってきました。それも私に近い人ほど、人によっては手を打たんばかりに、喜んでくださっているようなのです。人様に喜んでいただくために活動しているわけですから、ありがたいことだと思います(ちょっと割り切れない)。

聖書、出てきました!私の研究室の机の上に置いてありました。付箋をつけて、そのまま置いていってしまったようです。私は聖書を取りに研究室に戻ったわけなので、それを置いて出るという可能性はきわめて考えにくいのですが、何か考え事をしていたのでしょうか。それとも、聖書に、「お前に読まれたくない」という意思があったのでしょうか。

聖書の復讐2010年12月15日 08時09分31秒

カンタータの解説をするときに、私はよく、聖書を朗読します。そして、そこにはこういう意味がある、といった話をする。最初のうちは、信仰もないのにこんなことをしていいのか、という「畏れ」を抱きつつやっていましたが、だんだん慣れてきて、畏れが薄らいできていました。

昨夜の、くにたちiBACHコレギウムのコンサート開始前。私は研究室に戻り、使う聖書に付箋をはさんで、ホールに戻りました。あと5分。さて準備をしようと控え室を探しましたが、聖書が、どこにも見当たりません。しかし、図書館に借りに行く時間はない。さあ、困りました。

でも思いつくものですね、方策を。スマートフォンが、あるじゃないか。そこにDropboxを入れているから、研究ファイルを見られるじゃないか。電池も今日は満タンじゃないか。

さっそくDropboxから0179.docというファイルをダウンロード。カンタータ第179番の情報庫です。ところが、聖句が入っていない。聖句が入っているのは、「0179詳細」という方のファイルであることを思い出しました。で、そちらをダウンロード。そうしたら、開けないのです。一太郎のファイルだったからです。さあ、困りました。

でも思いつくものですね、方策を。新共同訳のサイトに入ればいいじゃないか。それをスマートフォンを見ながら読めばいいじゃないか。高度な情報生活の立証にもなるじゃないか。

さっとくサイトに入りました。ルカ福音書のページへ。当該の「ファリサイ人と徴税人のたとえ」は第18章なので、画面の送りに時間がかかります。しかし無事、画面に出現。話しているうちにきっと電源がoffになりますから、必要な局面でもう一度、電源を入れることになりそう。そのときにふたたびその画面が出てくれるかどうか、ためして見ました。ちゃんとルカ18章に戻ります。一安心。この時点で、予定の開始時間に少し食い込んでいました。

あわててステージに出て、解説を開始。聖書を読む段になり、私は意気揚々とエクスペリアを取り出して、経緯を述べ、電源を入れ直しました。

そうしたら、なんと!検索画面に戻ってしまったのです。これだと、新共同訳のサイト→ルカ福音書のページ→第18章への送り、というプロセスをもう一度やらなくてはならない。少し試みましたが、かなり時間がかかりそう。後ろにはすでに演奏者がスタンバイしており、10秒、15秒を大切にしなくてはならないときです。私は結局聖書朗読を断念し、解説にとどめました。「お前のごとき者が人前で読んじゃいかん!」と聖書に言われたわけですよね、これは。次はせめて「畏れ」をもって臨みたいと思います。

いきなりこのような大失態で、気持ちが上ずり、トークはあまり上出来ではありませんでした。しかし演奏は、3年間の研鑽の集大成として、相当良かったのではないかと思いますが、いかがでしょう。時間が押してしまったなあと思って休憩時にスケジュール表を見ると、むしろ予定より速く進行している。これは、モテット《主に向かって新しい歌をうたえ》がいつもよりはるかに速いテンポになったからだそうです。スピリット全開の二重合唱を、すごいなあと思いながら客席で聴いていたのですが。

悔い改めのカンタータ第179番には心理を直撃されましたが、後半の第198番では気持ちに若干の余裕が出て、厳粛かつ艶麗に展開される名曲を楽しみました。コレギウムの合唱は堂々たる顔ぶれで、誰がソロを取ってもおかしくないほど。でも、ソプラノもアルトもそのほとんどが、私の論文弟子なのですね。いわば身内を中心にこのようなコンサートを開くことができたわけで、こんなにありがたいことはなく、この時間を、一生の思い出として心にとどめようと務めました。音楽のために悪いツキを背負う役割を果たせて、本望です。(聖書は、まだ出てきません。)

北と南2010年12月02日 23時49分17秒

1日と2日、いずみホールでは、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルのシューマン交響曲全曲のコンサートがありました。月をまたいでしまったためご案内ができず失礼しました。私は1日、第4番と第1番(+α)のコンサートを聴きました。

こんなシューマン、今まで聴いたことがありません。オーケストラの士気が高く、集中力が高くてアグレッシヴ。シャープな響きで奔流のように綴られてゆくシューマンは細部の着想も豊かで、きわめて独創性の高い演奏になっています。胸のすくような全力投球の演奏に接して、お客様たちの熱狂も、まれに見るほどのものでした。

オーケストラの本拠は、北ドイツのブレーメン。指揮者は、エストニア人です。エストニアがどういう風土か知らないのですが、私には、こういう演奏は北のプロテスタント圏でのみ生まれるもののように思われました。南ドイツ以南、カトリック圏の人たちは、長い文化の歴史がありますから、演奏にも、伝統を重んじる。これに対して北は宗教改革を受け入れた人たちで、実験や革新を重んじて、ゼロからの出発も辞さない。古楽において北が先行し、南がずっと遅れたのは、その意味でロジカルなことでした。生活習慣においても、そういう傾向があると思います。

シューマンの音楽に余情や奥ゆかしさを求めると、今回の演奏は、ちょっと違う。でもそこで革新を選ぶのが北の人たちらしいな、と思って聴いた私でした。

〔付記〕オペラの演出もそうですよね。北が前衛傾向、南が伝統傾向です。

精神の静けさ2010年12月01日 08時46分38秒

11月31日(火)には、バッハ演奏研究プロジェクト・ピアノ部門の発表コンサートがありました。今年は《ゴルトベルク変奏曲》をテーマに勉強してきましたので、最初は、6人の選抜受講者による、リレー演奏。本番に向けて練習を積んできた成果のわかる、なかなか粒の揃った出来映えでした。

「ピアノで弾くバッハ」の研究を掲げて勉強してきたこのプロジェクト。常任の指導者は、ピアノの加藤一郎さんと、チェンバロの渡邊順生さんのお二人でした。第2部ではまず、加藤一郎さんによる、《半音階的幻想曲とフーガ》。加藤さんのまとまったピアノ演奏を客席で聴くのはじつは初めてでしたが、明晰な音色と知的な構成はたいしたもので、びっくりしました。次いで、お二人の二台チェンバロで、《ゴルトベルク変奏曲》の主題による《14のカノン》。渡邊さんの詳しい解説がつき、バッハの幾何学的世界のすごさを、どなたも実感。私は14のカノンの番号を読み上げる仕事でしたが、途中でわからなくなる危険があり、緊張しました(笑)。

最後は、渡邊さんのチェンバロによる《ゴルトベルク変奏曲》の抜粋演奏でした。渡邊さんの《ゴルトベルク》には本ブログでも何度か賛辞を捧げていますが、今回はとりわけ感動的で、チェンバロという楽器のすばらしさにあらためて目を開かれた方も多かったようです。渡邊さんはこの日身内のご不幸を乗り越えて演奏に来てくださいました。そのことも、感動の背景にあったかもしれません。三年間のよい締めくくりになりました。ありがとうございます。

チェンバロ演奏には何が必要か、はっきりわかったことがあります。それは、「精神の静けさ」です。静謐の中から繊細な響きが紡がれるときに、真の優雅さが立ち昇る。渡邊さんがそうですし、レオンハルトもそうですよね。

ファイルの復活から打ち上げまで2010年11月29日 07時40分57秒

USBメモリに入ったパワーポイントのファイルを、会場にしつらえられたパソコンで、いかにして開けるものとなしうるか。皆さんだったら、どうなさるでしょうか。

加藤一郎先生がご自分のノートパソコンで試してくださいましたが、やはり開けない、とのこと。ファイルに問題があることは、確かなようです。でも手段は、いろいろありそう。研究室に戻って考えました。私のパソコンには、Agreeは入っているが、Powerpointは入っていません。パソコンごと運搬するという方法は、ちょっと現実味を欠きます。

音楽学の研究室のパソコンには、パワポが入っていない。しかし音楽研究所のパソコンに、オープンオフィスが入っていることがわかりました。やってみると、開けます!そこで、開いたファイルの名前を変え、パワポの複数のバージョンで保存しました。ホールに戻り、試してみると、無事開けるではありませんか。オープンオフィスで保存し直したことで、会場のパソコンと整合性が取れたようなのです。参考にしていただけると嬉しいです。

順調に進んだようですが、時間も迫っていたので、かなり焦りました。しかしおかげで順調に「バッハとポロネーズ」の話が出来、中舘栄子先生率いるリトミック・サークルによる舞踊実演に引き継ぐことができました。後半は、ショパンのポロネーズに関する、さまざまな考察。久元祐子さんの《英雄ポロネーズ》が、華やかな締めになりました。直前のインタビューで、この曲には英雄の裏の面が盛り込まれていることを忘れてはならない、というお話をされたのが、心に響きました。

ホールに人を集めて研究発表するというのは、学生にとって、重い課題です。ポーランドに精通する学生がいるわけではありませんから、当初はまことに頼りなく、これで発表会できるのかなあ、というのが正直なところでした。そこで、ポーランド音楽研究の権威である田村進先生のお話を伺い、ショパン研究で知られる加藤一郎先生のご指導をいただくなどして、専門性の涵養に努めました。諸先生の無償のご協力は、本当にありがたいことでした。

救いだったのは、7人の学生がきわめて熱心で、団結していたということです。授業時間(←このイベント用に設定されている)内にも、時間外にもいつも集まって、活発に動いている。私はときどき顔を出す程度でしたが、どんどん自力で、雪だるまが大きくなっていくのです。

結果として、かなりのレベルまで進んだと思います。目標に挑むことによって、学生は成長するなあというのが、偽らざる実感。きびきび準備に動いている姿は、全員、とても魅力的に見えました。夜は当然、打ち上げ。ほとんど寝ていないのに解放感を満喫できるのも、若さなのでしょうか。

やっぱりブーレーズ2010年11月23日 11時56分48秒

毎日、がんばっています。

土曜日は、「楽しいクラシックの会」。現役指揮者の映像を見て、品定めをしました。断然すごいと思ったのは、ブーレーズ。シカゴ交響楽団を指揮した《火の鳥》ですが、人間業とは思えません。超正確、精密なのに、音楽が生きていて、しなやかなのです。いったいどのぐらい練習すればああなるのか不思議ですが、ブーレーズが指揮するだけで、かなりそうなってしまうとも思われます。指揮者の能力への、尊敬と信頼、ということなのでしょうか。それとは正反対ですが、アバドの《新世界》も情感豊かで、皆さん感動されていたようです。

今月のCD選でブーレーズのシマノフスキ《ヴァイオリン協奏曲》と《交響曲第3番》を第1位にしたところ、3人の評者が全員一致しました。ウィーン・フィルのライブですが、度肝を抜かれるすごさです。私は先月もブーレーズのマーラーを第1位にしたので、2ヶ月続きました。第2位には、ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルのシューマンの交響曲を入れました。「鳴らない」ことでは定評のあるシューマンの交響曲がこれほど新鮮に響くのは、たいしたものだと思います。

先月スクロヴァチェフスキー~読響のブルックナー《第8》を推薦したのですが、今月は別テイクが、《第9》との組み合わせでDVD化されました。「端然とした楷書の芸術に、求道の精神を聴く」と書いて推薦しましたが、やっぱり80代の指揮者、すごいです。

日曜日は、山崎法子さんのリサイタル。ヴォルフの自在な表現はこの方ならではで、後半、大きく盛り上がりました。火曜日は、皆川先生のホストによるサントリーのオルガン・コンサート。椎名雄一郎さんの演奏がすばらしかったですが、私自身は60点というところで、もうひとつ、流れに乗りきれませんでした。

青春2010年10月19日 08時50分30秒

日曜日は、私の大学秋恒例の「大学院オペラ」を見に行きました。モーツァルトの《コシ》。土曜日、日曜日でキャストが変わります。論文指導をしたのに声を聴いていない、という人たちが土曜日に集中していたので本当は土曜日に行きたかったのですが、琵琶湖が入ったため、日曜日になりました。

中村敬一さんの演出も凝っていてなかなか本格的、出演者も揃って熱演(とくに助演を呼ばれる卒業生の力量はたいしたもの)。しかしまだ発展途上であることも事実ですから、客席で客観的に聴くと、足りないところも多々、意識されます。

どのように声をかけるのがいいのかな、と思って終演後楽屋を覗いて見ると、達成の感動が渦巻いていて、主役の2人(安田祥子さん、小堀勇介君)が号泣中。青春っていいなあ!と思いました。

ちなみに、号泣というのは、身体にいいのだそうですね。存在が根底からリフレッシュされるということのようです。そういえば昔何度か号泣したなあと、はるかな記憶がよみがえりました。その上に今日があると言われれば、そうかもしれません。

ワーグナー&モンテヴェルディ2010年10月17日 10時37分09秒

16日の土曜日は、琵琶湖ホールに、《トリスタンとイゾルデ》を見に行きました(沼尻竜典指揮、大阪センチュリー交響楽団)。ロビーから直接琵琶湖の景観が得られる、すばらしいロケーションのオペラ・ハウスです。どうやら各地からワーグナー好きが集まったようで、知り合いの多さにびっくりしました(うっかり橋下知事に声をかけそうになった)。

批評の場ではないので細かいことは申し上げませんが、率直のところ第2幕までは、いろいろなことが気になって聴いていました。しかし第3幕に入り急速にまとまってきて、そうそう望めないぐらいの立派な公演になったと思います。メゾ・ソプラノからの挑戦が注目された小山由美さん、本当のソプラノの声が出ていましたし、持ち前の品格で、堂々たるイゾルデ。松位浩さん(マルケ王)の朗々とした低音、加納悦子さん(ブランゲーネ)の密度高い歌唱もたいしたものでした。

このところまったく時間がなく、モンテヴェルディの研究が進められなかったものですから、エレン・ローザンドの本を携行して、道中読み進めました。後期オペラに関するきわめて詳細な研究で、参考になります。1ヶ月ぐらい休みが欲しいなあ、というのが実感。

モンテヴェルディ研究と言えば、ありな書房の「オペラのイコノロジー」シリーズに入っている山西龍郎さんの《オルフェオ》に関する著作はすばらしいですね。音楽はもちろん美術、楽器に関する知識が満載され、文明論的な切り口もあざやかで、すっかり感心しました。こんなに立派な研究を今まで知らずにいて、申し訳ないと思います。

広尾から大阪へ2010年10月01日 17時54分54秒

9月29日の水曜日から、聖心女子大の後期授業が始まりました。テーマはバッハです。『エヴァンゲリスト』をテキストに行いますが、まだテキストがありませんでしたので、BBCの大作曲家シリーズのDVDを使いました。これ、バッハへの導入としてはとてもよくできているので、お勧めです。ヴォルフやマーシャルの専門的な解説もありますし、現地の美麗な映像もたくさん。シフのピアノ演奏+コメント、マグレガーのチェンバロ演奏+コメントなども良く、加うるに、ガーディナーとモンテヴェルディ合唱団による《ロ短調ミサ曲》の圧巻の演奏が、何カ所かに挿入されています。

終了後、昼食を食べようと、お店探し。広尾はグルメ・ゾーンでたくさんお店はあるのですが、ちょうどお昼時で、どこも混み合っています。脇道に入っていくと、「天ぷら定食3000円、天丼2200円」という看板のかかった店がある。そこに、「予約は不要です」というコメントが書かれているのです。予約が不要とはどういう意味だろうと不審に思い、覗いて見ると、数名だけの小さなお店に、お客さんが2人だけ。ここで食べることとし、天丼を注文しました。

そしたら、これがすばらしいのです。新鮮で高級そうな食材が惜しげもなく盛り込まれ、天丼の概念をくつがえすほど。夜の予約客を貸し切り中心に運営しているお店なので、ランチに対し「予約不要」というコメントを出していると判明しました。「銀座大新」というお店です。

バーバーのイガラシさんの話では、天ぷら職人は日本食のうちでもとくに位が高いのだそうですね。野菜や魚介の食べ方として、天ぷらはとりわけ高級ということを知りました。

その足で大阪に行き、いずみホール・シューマン特集企画の第1回コンサートを体験。クリスティアン・ツィメルマンのピアノ、ハーゲン弦楽四重奏団の出演で、バツェヴィッチのピアノ五重奏曲、ヤナーチェクのクロイツェル・ソナタ四重奏曲、シューマンのピアノ五重奏曲が演奏されました。超一流奏者たちのさすがの貫禄に接して、室内楽としては空前とも思える盛り上がりがホールに作り出されました。ピアノと弦の響きが融合してあたかもシンフォニーのごとく鳴り響いていたのは、楽器のかけ離れたメカニズムを考えると、とても不思議です。どうぞ感想をお寄せください。

ハーゲン紅一点のヴェロニカさん、すばらしいセンスの衣装で、木訥なご兄弟たちに花を添えていましたね。楽屋に行こうかと思いましたが、遠くから見るだけしておこうと思い、ご遠慮しました。