挑戦の価値2008年11月20日 23時40分57秒

久しぶりの日生劇場で、開場45周年記念公演《マクロプロス家の事》(ヤナーチェク)を見てきました。今日が初日で、ダブル・キャストの3回公演。ということは、チェコ語のこのむずかしい作品を、22日出演の人は1回だけのために覚えるわけですね。20日の人でも、2回。もったいないなあと思いますが、人生と同じで、1度かぎりだからこそ、貴重なのかもしれません。でもこういう作品に挑戦することには、計り知れない価値があります。賛美を惜しみません。

初めて見る作品で、解説を読んでも、筋がまったく頭に入らない(←超複雑)。幕が上がってからもさっぱりわからず、もう少し整理して作れるんじゃないか、などと閉口していたのが、前半でした。もちろん一貫して、細胞のブロックを延々と繰り返すヤナーチェク様式で綴られています。

しかし後半になり、演奏にノリが出てくると、のめり込むように見てしまいました。338歳の女性主人公が死を迎える最後のモノローグなど、〈ブリュンヒルデの自己犠牲〉さながらの迫力。持ち前の知性に貫禄を加えた小山由美さん、すばらしい舞台でした。

青春の燃焼2008年11月04日 09時06分20秒

学生4組の合同による芸術祭《冬の旅》、無事終わりました。

お客様が入らないことには、確信をもっていました。私以外に何人来られるか、いずれにしろ、ガラガラだろう、と。そうしたら、次々と入場されるお客様で椅子が足りなくなり、演奏者の椅子を全部提供して、それでも数人が立ち見。これには驚きましたが、芸術祭を楽しみに訪問される市民の方が少なからずいらっしゃることがわかりました。

演奏が未熟であることは、言うまでもなし。しかし気合いはすごく、どのペアからも、ほとばしるものがあったと思います。歌曲の演奏会は、歌の学生がピアノの学生を頼んで、という形になるので、ピアノは、ふつう助っ人。しかし今回はピアノの学生の意気込みと水準が並々でなく、歌がずいぶん助けられました。

後半になるにつれ思ったのは、このように燃焼の時間をもてる青春は幸せだなあ、ということ。今後《冬の旅》でステージをもてる人がこの中に何人いるかわからないのですが、今回挑戦したことが音楽とかかわる人生において大きな意味をもつに違いない、と感じつつ聴きました。

終了後、思いがけなくも、私に花束をくださるイベント。すばらしいご指導をいただいて、と言う言葉に嘘はないように思えましたので、ありがたくいただいておきます。今回の経験を通じて、《冬の旅》が相当理解できるようになりました。やはり後半になるほどよく、〈道しるべ〉から〈宿〉にかけて、大きな頂点がありますね。今度批評が回ってきたら、今までよりよく書けると思います。

〔付記〕作品に対する学生の共感に一種特別なものがあったのは、多くが4年生で、先行きの不安を感じていることと関係があったようです。音楽性の高いピアノを弾かれたある方も、音楽とは別の方向に向かわれるとか。残念ですが、これが一生の思い出になりますね。

モザイクを聴く2008年11月01日 20時07分42秒

昨日、10月31日は、大阪いずみホールで進行中のベートーヴェン弦楽四重奏曲シリーズを聴きに行きました。8つの弦楽四重奏団がリレー式で出演するシリーズも、最後から2つ目。今回はモザイク・カルテットの出演です。これは、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーで構成されている、ピリオド楽器の四重奏団。バッハ《フーガの技法》抜粋で始まり、ベートーヴェン作品は第4番ハ短調と第8番ホ短調でした。

ガット弦、ノン・ヴィブラートの響きはいいですねえ。中声がしっかりしていて、素朴な味わいに骨格というか、構成感が与えられています。地味と言えば地味なのですが、音楽のよさがお客様によく伝わり、熱気のある反応。大阪にも室内楽文化が本当に根付いてきた、という気がします。ホ短調(ラズモフスキー第2番)の主題は、いくつも休符を含んでいますよね。耳を静寂へとすうっと引き込む始まりです。その「静けさに耳を傾ける」という室内楽ならではの感覚が、こういう演奏だと触発されるのです。

気持ちよく聴き終えて飲みにでかけたら、財布をホテルに忘れてきて大騒ぎ。「ツキの量は一定」という法則を立証しました。今朝は早く出て、新宿で、ワイマール時代のカンタータの講義をしました。大阪も東京も、めっきり秋の雰囲気です。

極美の《コシ・ファン・トゥッテ》2008年10月22日 00時11分44秒

今日は大学を早じまいして、エクソンモービル音楽賞の授賞式へ。邦楽部門の今藤政太郎先生、洋楽部門奨励賞の幸田浩子さんから、招待をいただいていました。挨拶した幸田さんが頭を下げたらマイクにぶつかってしまい、アイタタとなったのが、絶妙のボケでした。〈ホフマン物語〉のアリア、じつにみごと。お二人とも、おめでとうございます。

申し訳ないながらコンサートを中座して、ウィーン国立歌劇場の初日公演へ。ムーティの驚嘆すべき円熟の指揮ですばらしい《コシ・ファン・トゥッテ》となり、大いに感動しました。バーバラ・フリットリ以下の超弩級のキャストが誰も抜け駆けせず、オーケストラと細やかなアンサンブルを織りなして、美しいモーツァルトを奏でているのです。明日起きてから、腕によりを掛けて批評を書きます。帰宅が12時を過ぎ、更新が1日遅れになってしまいました。

身振りの術2008年10月19日 23時56分04秒

今日は「三善晃作品展」の2日目のために、オペラシティに足を運びました。三善先生の生誕75年を兼ねたこのイベント、この日は合唱曲特集で、演奏担当は栗山文昭指揮の栗友会諸合唱団でした。

合唱コンクールによく出かける私ですが、三善先生の作品のすばらしさは桁違い、とかねがね思ってきました。その思いで結ばれた合唱人が、本当に、たくさんいるのですね。コンサートはそうした人たちが結集して先生に思いを届ける場となり、どのステージも、いくつもの合唱団が相乗り。最後は500人ほど(?)の壮大なコーラスが、会場をゆるがせました。

繊細、鋭利を特色とする三善作品にとって、相乗り方式は必ずしもプラスだけではなかったと思いますが、音楽を介して広がる人の輪の実感は、この上なく強いコンサートでした。先生には、ぜひお元気でご活躍いただきたいと思います。(先生はたいへんな料理通だそうですが、軽井沢の中華料理店で、偶然ご一緒したことがあります。)

ところで、合唱のステージを見るとき、皆さんは、どこをご覧になりますか。今日わかったのは、内容と一体になって歌っている人に、眼が吸い寄せられるということです。必ずしも、美貌の女性ばかりを見るわけではない。今日の歌はすべて日本語なのであまり違いは目立ちませんでしたが、外国語の歌だと、内容を理解して表現している人と、外目にそれがわからない人とでは、大きな違いがあります。逆に言えば、内容への共感を身振りで示すことも、演奏家の大切な技術だということです。マッテゾン(18世紀)はそれを、「身振りの術」と呼んでいます。

トゥーランドット2008年10月15日 23時56分51秒

今日は新国立劇場のプッチーニ《トゥーランドット》最終公演を見に行き、感激して帰ってきました。感想は、あらためて。

iBACHコレギウムお披露目コンサート2008年10月10日 22時09分40秒

ここしばらく毎日切り抜けるのがやっとという状態で過ごしていましたが、その中で楽しみにしていたのは、「楽しいクラシックの会」の主催する、9日のコンサートでした。既報の通り、「くにたちiBACHコレギウム」が、晴れのお披露目を迎えるからです。

立川アミューでの入念なリハーサルを終え、腹ごしらえしようと、カレー屋に入りました。浮ついた気持ちではいけませんから、気を引き締めるために、平素より辛さのグレードを上げ、ウン倍を注文。そうしたら、のどを通ったとたんにしゃっくりが出て、止まりません。おまけに気分も悪くなって、控え室で横になったまま、オープニングを迎えました。

でもまあ、これが厄落とし。コンサートは大過なく進み、終了しました。プレ・バッハの名曲、それも私も好きな曲ばかりを並べたプログラムに仲間たちが真剣に取り組んでくれている姿を見るのは、感無量です。もちろん演奏にはこれからの課題もたくさん見えたわけですが、コンサートがあったからこそ、この10月にここまで盛り上げられたのだと思います。ありがとうございました。

アンコールは、お客様のリクエストで、という趣向を立てました。選ばれた席に座っておられたお客様が、曲を特定する権利をもつのです。女性のお客様が選ばれたのは、シュッツでもブクステフーデでもバッハでもなく、トゥンダーのカンタータ《ああ主よ、あなたのいとしい天使に》でした。そこでソプラノの小島芙美子さんが、神戸愉樹美さん率いるヴィオラ・ダ・ガンバの合奏でこの曲を再演。北ドイツのしみじみした調べがもう一度、ホールに広がりました。

次の公演は12月。それまで、バッハのカンタータ第150番を勉強します。今後とも、よろしくどうぞ。

明晰なポリフォニー2008年10月04日 22時21分55秒

自分がかかわったコンサートのことをほめて書くのは、スマートでないと、基本的に思っています。かかわりが深いと自己投入しますから、音楽に感動する確率も、当然高くなる。それがわかっていても書いておきたいのが、木曜日のいずみホールにおける、ミヒャエル・ラドゥレスク氏のコンサートでした。オルガンで弾かれるこんなすばらしいバッハを過去にいつ聴いただろうか、というのが、心からの実感です。

氏は当日の曲目のCDを出しておられますが、実演の方が格段によかった。それは、ナマと録音の違いでしょうか、あるいは、いま特に充実しておられるのでしょうか。お弟子さんのご意見では、後者でもあるようです。オルガンが「精神的」と呼びたくなるような密度で鳴り、ポリフォニーが、あまねく明晰。特筆すべきは、微動だにしない安定したテンポです。それによって、宇宙的とも思える一種崇高な秩序が、長い持続の中で組み上げられてゆくのです。かつてないほど熱烈な拍手が客席から送られたのも、むべなるかなでした。

ラドゥレスク氏はその道の大家ではありますが、音楽の世界全体から見れば、知る人ぞ知るという、地味な存在でしょう。そういう人からこういう音楽を聴けるのが、音楽の醍醐味ですね。有名でも毎度毎度いいかげんな演奏をする人も、いますから。

バッハの演奏にもっとも大切なものは安定したテンポの秩序であることに、あらためて確信をもちました。アゴーギクはもちろん必要だし有効ですが、秩序を中断するようなルバートは、すべきでないと思います。ピアノによるバッハを聴いて、しばしば気になる部分です。

大阪にて2008年10月01日 22時28分39秒

昨日更新した「イベントのお知らせ」、ミスだらけでした。「すざかバッハの会」は、19日ではなく12日です。修正しましたが、お間違いのないようにお願いします。ごめんなさい。

もうひとつ忘れていたのが、明日2日(!)の19:00からいずみホールで行われる、ミヒャエル・ラドゥレスク氏のオルガン演奏会です。ライプツィヒ・バッハ・アルヒーフとの提携による連続演奏会の第3回。「導きのコラール」と題し、《クラヴィーア練習曲集第3部》に中核をなす教理問答コラール6曲を軸に、ロ短調のプレリュードとフーガと、パッサカリアが組まれています。私の役割は冒頭の解説と、コンサート終了後のインタビュー。お近くの方、ぜひお出かけください。

今日は午後大阪入りし、NHK-BSの収録に立ち会いました。緊張していた原因は2つあり、放送のための「インタビュー」に適切に対応できるかということと、ラドゥレスク氏とのステージ・インタビューを上手に乗り切れるかどうか、ということ。どちらも、かなり不安に思っていました。

ラドゥレスク氏との顔合わせから映像を撮るということで、到着後即、オルガン席へ。するとラドゥレスク氏が手を挙げて挨拶され、私の名前もすでにご存じで、友好的な雰囲気。これですっかり緊張が解けました。こうなるといくらでもはかどるのが外国語の会話ですが、最初がうまくいかないとしどろもどろになる可能性も、つねにあります。だからこそ、不安なわけです。練習に垣間見るラドゥレスク氏の演奏は、知的で安定感があり、温かな人間味に満たされていました。いいコンサートになりそうです。

出発前グーグル・デスクトップで検索したら、前回いずみホールにお出でいただいた時は、私はちょうど交通事故に遭って、トークをキャンセルしていたのですね。明日がんばって、挽回したいと思います。

放映に挿入するコメントは、連絡の手違いから「計3回、1回目は13分」と思い込み、13分をどう有効に使うか、あれこれ頭を悩ませていました。そうしたら2分であることが判明し(笑)、短縮に四苦八苦。まあ、逆よりはよかったですけど・・。現場の方々の親切な対応で無事終えることができ、ほっとしました。気の抜けない日々が続きます。

振り子状態2008年07月31日 22時50分58秒

すばらしい音楽に触れた興奮と、その反対の落胆と。今週はその両極を行ったり来たりしています。コンサートは、本当にさまざま。なにもそこまで、というほど磨きをかけられた演奏もあれば、この程度でいいだろうと見切りをつけているとしか思えない演奏もある。要は良識の差で、受け手の印象は、何倍にも違ってきます。

悪い目が出たときに批評に当たると、やっかい。とても辛い思いをします。でも読む方はどうやら、酷評に興味を持たれるのですね。すばらしかった、批評に書きます、と言うと話はそこで終わるのに、ひどかった、でも書かなくちゃ、と言うと、ぜひ読ませてください、となりますから(笑)。

思うにそれは、辛口の批評が少ないからかもしれません。切り捨て御免の批評の弊害はつねに指摘されますが、迎合的な批評の弊害も、長い目で見ると、大きいのではないでしょうか。とくに、宣伝が行き届き、大金が動いているようなイベントに対して甘口で対応するのは、批評の自殺行為です。もちろん批評するこちらが正しいとは限らないわけですが、私は自分なりに極力吟味した上で、理由を明示し、書くべきことは書くようにしています。いずれにせよ、上述した「良識の差」は、知名度、メジャー度と関係がない、というのが、繰り返し抱く実感です。

めったに来ない都市に今日はいますので、コンサート後、町をぶらぶらしました。でも演奏の記憶が残り、楽しくありません。昨夜の東京カルテットの演奏が、すばらしすぎたためでしょうか。