大歌手の貫禄に敗れる2009年04月09日 23時03分14秒

自らのイメージ低落を危惧した私は、受付のアルバイトをしていた学生数名に、こういうアイデアがあるが、やってもいいものだろうか、と尋ねてみました。すると、皆硬い表情をして、答えません。強いて尋ねてみると、「そんなの全然大丈夫でしょう」という返事。そこでアイデアを実現することにし、バルバリーナ役の山本真由美さんから、派手な花柄のハンカチを借用しました。

しかしこのアイデアは、大倉さんによって却下(笑)。なんと、「先生を、男の中の男と言います」とおっしゃるのです。これはホメ殺しか、と思いつつも嬉しくなってしまい、こう持ち上げられたのでは返しがむずかしいなあ、などと思ううちに、本番になりました。

そしたら、全然違う。「この私も同じでしょうか」に対して、なんと「先生も同じです。思い当たること、おありになるでしょ」と振ってくるではありませんか。私はシュンとなってしまい、やむなく肯定。「そんなに追い詰めちゃっていいんですか。殿様にもメンツがありますよ」という突っ込みには、「私にも、伯爵夫人としてのメンツがありますよ」という立派なお答えです。「でも心から謝ってくれれば、私、結局許しちゃうと思うわ。」のあとには「だって私、主人を愛しているんですもの」という、絶妙のとどめが来ました。こうなっては私も、「わかりました。もうお帰りください」と言わざるを得ませんでした。

というわけで、大歌手の貫禄に完敗したわけですが、考えてみると、「男の中の男」というのも、全然ほめていなかったわけですよね。「あなたはその典型」を言い換えただけですから。バス旅行で逆人格改造を受けたためか、そこに気がつきませんでした。

〔付記〕今日(10日)新入生の面談をしていたら、「先生あのとき赤くなられたので、思い当たることがおありなのだろうと話していました」とのこと。君たちねえ・・・。

伯爵夫人との対話2009年04月08日 13時17分44秒

スザンナがうっとりするような愛のアリアを歌い、それを物陰からフィガロが歯がみしながら見ています(=スザンナが伯爵との逢瀬を楽しみに歌っていると誤解)。スザンナが退場し、フィガロがよろよろと後を追うところを待ち受けて、インタビューは始まりました。最初はフィガロ、次にスザンナ。そして、伯爵夫人の登場になります。

私の台本は、当初、次のようになっていました。 礒山「奥方様、すべてはあなたの計画の通りに運んでいますね。第2幕ではひとり悲しんでいたあなたが、別人のように生き生きしておられます。」 大倉「主人に一度きつ~くお灸を据えておかないと。」 礒山「でも、フィガロまで巻き添えにしちゃうのは気の毒ですけど。」 大倉「男の人は結局おんなじです。」(きっぱり) 礒山「で、あなたがスザンナに化けて、デートに行かれるわけですか。」 大倉「主人がどんな口説き方をするのか、確かめてみます。楽しみ~。」 礒山「そんなに追い詰めちゃっていいんですか。殿様にもメンツがありますよ。」 大倉「でも心から謝ってくれれば、私、結局許しちゃうと思うわ。」

これで一度リハーサルをしたあと、修正案を作成。それは、「男の人は結局同じです」のあとに、「あの少年も同じですか、まだ子供ですが」というのを入れてケルビーノを紹介し、次に、「この私も同じでしょうか」と付け加える、というものです。そして、どのみち肯定になる答のどちらかに、「彼は(もしくはあなたは)その典型です」というのを入れてもらうことにしました。

大倉さんが、「その典型です」を私に振ってくることは、眼に見えています。それをどう受けるかが難題になりました。思いついたのは、ポケットからハンカチを出して汗を拭きながら、「恐れ入ります」と答える筋書き。ところが、その日は具合の悪いことに、ハンカチを忘れていたのです。ハンカチを買わなくては、と焦っているときに思いついたのが、女性から花柄のハンカチを借りてポケットに入れておくことでした。私が花柄のハンカチで汗を拭く。大倉さんがそれを見咎めて「そのハンカチ、女性用ですよ!」と指摘する。私が「アッ、しまった~~~!!」を叫ぶ、というオチです。

結構いい案のように思われましたが、考えざるを得なかったのは、新入生たちの私へのイメージが今後どうなるのか、ということでした。(まだ続く)

基礎ゼミで《フィガロ》2009年04月06日 23時07分00秒

私の大学では、入学式のあと、「基礎ゼミ」という新入生向けの特別企画を、2週間近くにわたって行います。私はその総合企画者で、2つあるレクチャーコンサートの第1回を仕切るのが、習いになっています。

このコンサートには、「くにたちPhilharmoniker」という教員+卒業生+学生のオーケストラが出演します。最近はその後半を、歌の先生たちを交えてのオペラとすることが定着しました。ガラ・コンサートとして得意のアリアを披露していただく方法もあるのですが、私はやはり作品をきちんと体験する機会とすべきだと考えて、なるべく1つの幕を流れとともに聴いてもらうようにしています。今年は、《フィガロの結婚》の第4幕を採り上げました。これは、2006年の第2幕、2008年の第3幕に続いてのものです。

ご承知のように、《フィガロの結婚》第4幕は5つのアリアのあとにアンサンブル・フィナーレが続くという、特異な形をしています。筋は複雑の極み。短い時間で解説することは至難の業です。

そこで私は、アリアを簡単な解説をはさんで進め(セッコはなし)、フィナーレの前に、登場人物たちにインタビューするという方法を試みました。インタビューを通じてそれぞれの人物の個性を印象づけ、彼らがどういう立場や心境にあるのかを要約し、併せて複雑なフィナーレへの手引きとなるように考えて、台本を作りました。

芸達者な先生たちですから皆さん上手にやってくださいましたが、とりわけ大プリマ、大倉由紀枝さん(伯爵夫人)との対話は二転三転して面白かったので、ここでご紹介したいと思います。(続く)

2つの二重唱2009年03月31日 22時56分32秒

3月30日(月)は立川アミューの大ホールでコンサートを開きました。国立音大と立川市が提携・協力を進める契約をかわしたため、それを記念してのコンサートでした。以前このブログでご紹介した金沢/新潟のコンサートを多少手直しして披露しましたので、一定の成果は見込んでいましたが、同時に大きな責任もかかっていましたから、気合いも特別入ったステージでした。

大勢のお客様に来ていただき、わが大学より抜きのアーチストが全力を尽くしてくださって、熱く盛り上がるコンサートになったのは何よりでした。時節柄、重い花粉症で本領を発揮できなかった方がおられたのはお気の毒でしたが、声楽と室内アンサンブルの親密なアンサンブルはわれわれならではで、私も、お客様と感動を共にしました。

後半は《魔笛》のハイライト。最後に、第2幕のフィナーレから、2つの二重唱(タミーノ+パミーナのセレブ・コンビによる気高い曲想のもの、および、パパゲーノ+パパゲーナのお似合いコンビによるくだけた曲想のもの)を並べて聴いていただくという趣向を設けました。直前のトークで、いずれ劣らぬ超名曲なのだが、音楽の書き方はまったく異なっている、皆さんはどちらをよりお好みになるか、と客席に問いかけました。

私が好きなのは前者です。パミーナが笛の由来を説明するあたりなど、涙なくしては聴けない、というほど好きです。そのことを申し上げ、ちなみに当夜のピアニストで対話や模範演奏もしてくださった久元祐子さんは後者がお好きです、と付け加えて、お客様の判断に委ねました。そして、〈パ・パ・パの二重唱〉が最後に大きく盛り上がって、コンサートはお開きとなりました。

ところが私の勘違いで、久元さんもセレブ二重唱の方がお好きなのだそうです。この場で、謹んで訂正させていただきます。マネージメントを仕切った安藤博さん(←批評家でもある)も同意見。私の好みは、必ずしも少数派というわけではないようです。モーツァルトが本当に自信をもっていたのは、どちらの二重唱だったのでしょうか。

祝!サントリー音楽賞2009年03月22日 22時34分12秒

今年度のサントリー音楽賞が発表されました。本賞がメゾソプラノの小山由美さん。知性、風格、ディクションなどさまざまの点で第一級の力量を示してこられた方ですが、秋のヤナーチェク《マクロプロス家の事》の圧巻の主演(および春の新国での、みごとなフリッカ)で、文句なしの受賞となりました。おめでとうございます。周囲を見るとソプラノが超激戦のわりにメゾ、アルトは数が少ない感じなのですが、最高ランクの歌い手は、何人か集中していますよね。ちょっと不思議な現象です。

もうひとつ、佐治敬三賞というのを選んでいます。これは企画の斬新さ、質の良さを重視して、応募公演のうちから選ぶものです。今年は絨毯座の実験室vol.2「偽のアルレッキーノ(マリピエロ)/カンパネッロ(ドニゼッティ)」が、やはり文句なしの受賞。これはコメディア・デラルテの様式を徹底追究し、スピード感のある楽しい舞台に仕上げたもので、手抜きなしの訓練が、きわめて印象的でした。恵川智美さんの演出の下、今尾滋さんら出演者が、献身的ながんばりぶりでした。あ、私、選考委員を務めています。

セレモアで講演2009年03月12日 22時41分33秒

セレモアつくば立川の敷地内にコンサートホールがあることをご存じの方は少ないことでしょう。外からは見えませんが、永田穂先生設計のホールがあり、そこには、プレイエル、エラールなど4台のピアノが揃えられているのです(近々ヴァルターのフォルテピアノが入るとか)。

「セレモアコンサートホール武蔵野」というその空間で、今日レクチャーコンサートをやりました。私の音楽美学の切り札である時間論をわかりやすく編集した講演の中に、久元祐子さんの実演をはさんでいく形でした。演奏されたのは、シューベルト《音楽に寄せて》、ショパン《雨だれ》《小犬のワルツ》、シューベルト《水の上で歌う》、モーツァルト《ソナタヘ長調》の第2楽章、バッハ《平均律第1巻》のハ長調プレリュード。私の話の趣旨に完璧に即した久元さんの名サポートで、私としても会心の出来となりました。プレイエルの銘器の響きがすばらしく、お集まりいただいた立川法人会東砂川支部の皆さんと、心温まる音楽のひとときを分かち合うことができたと思います。

アンコールは用意していませんでしたが、ふと思いついて、冒頭に演奏した《音楽に寄せて》を再度演奏。山崎法子さんの感動のこもった歌唱がいちだんと冴えて、最後を飾りました。冒頭の曲がさまざまな体験の末に帰り、最初とまったく異なった感銘を与えるというのは、バッハが《ゴルトベルク変奏曲》や《マニフィカト》でやっていることと同じですね。コンサートの枠組みとして、ときどき使ってみたくなりました。

うれしいこと2009年02月17日 21時15分07秒

バレンタインデーの日に、いずみホールでは、「バッハ・オルガン作品連続演奏会」の第4夜が開かれました。私はトークで乗るのですが、基本的に導入の解説と、演奏者へのインタビュー(休憩後、ときにはプログラム終了後)で構成しています。インタビューは通訳をしながらですから、立ち往生の危険が常にあり、それなりに緊張してやっています。

本当にうれしいのは、このシリーズにお客様がよく来てくださることです。回を重ねるごとに少しずつ増え、今回は8割を超える、最高の入りとなりました。出演者のアルヴィート・ガストさんは実力者ではありますが知名度は高くありませんし、演奏された曲もブクステフーデ、ベーム、ブルーンスとバッハなので、お客様が大勢来てくださったのは、むしろ不思議なことです。オルガンのコンサートはどこでも集客がむずかしく、最近の不況で難度はいっそう増しているというのが常識ですから、どちらの方角に足を向けて寝たらいいのか、わからないような心境です。

ライプツィヒのバッハ・アルヒーフと提携するとか、クリストフ・ヴォルフ先生に毎回原稿をいただくとか、回ごとにテーマを決めてプログラムに凝るとか、いろいろな工夫はしていますが、シリーズが健闘している最大の要因は、招聘するオルガニストが実力派揃いで、毎回目覚ましい演奏を展開してくれている、ということでしょう。今回のガストさんも技術のしっかりした、大きなフレージングをもつ音楽家でした。

ここからわかるのは、質のいいものを磨き抜いて提供すれば、共感して足を運んでくださるお客様はかならずいる、ということです。集客率が悪くなると、編曲ものなど通俗的な路線を取って食い止めようとする場合がほとんどだと思いますが、オルガンの場合はやっぱりオルガン音楽の本流をなす作品群--たいていは地味なものですが--をきちんと聴いていただくことが、結局は一番大切だと感じます。他の分野のコンサートについても、このことは言えるのではないでしょうか。

インタビューではこちこちに固くなっていた好漢、ガスト氏とビールを酌み交わし、2日連続の終電で、東京に戻りました。

iBACHの歓び2008年12月19日 22時30分28秒

「くにたちiBACHコレギウム」のコンサート、第1年目に予定した3回が終わりました。ほっとすると同時に、寂しい気持ちもあります。関係の方々、お客様、どうもありがとうございました。

相模大野グリーンホールにおける昨夜のコンサートが、最高の出来になりました。私のトークはミスが多くてだいぶ減点でしたが、演奏には、満員のお客様に助けられて、熱気と高揚があったと思います。今まで少々遠慮がちのように見えた指揮者・藤井宏樹さんが、ふっきれたようにめざましい指揮をしてくださいました。「やっとみんなが一丸になれた」と、目を赤くしておられたのが印象的でした。

帰り道、遠いところから駆けつけてくださったお仲間から、「自分で集めた音楽家に自分の好きな曲を演奏してもらうなんて、さぞかしいい気持ちでしょうね」と言われました。まったくその通りで、世間様に申し訳ないほどです。演奏された曲も、私が大好きな曲、思い出の曲ばかり。本当に、ありがたいことです。

iBACHの私にとってのかけがえのなさがどこにあるかと言えば、それは、合唱団員から指揮者に至るまでのおそらく全員に私から学ぼうという気持ちがあり、私の要求や注文に真剣に対応してくださることです。向上心、意欲、一体性といった言葉であらわされるでしょうか。もちろん私が抑えるのは大きな方向性であり、言葉であり、精神であって、あとは藤井さん、大塚直哉さん以下、音楽家の方々の役割です。こうした、私としても初めて経験する前向きのコラボレーションを、この先も維持していきたいものです。

今年は、バッハに至る宗教音楽の歩みを勉強しました。来年は、バッハのカンタータとモテットの核心部にチャレンジするつもりです。課題はたくさんありますが、皆様に聴いていただけるよう、がんばります。

競演!終了2008年12月03日 22時59分38秒

「競演!ピアノとチェンバロで弾くバッハ」のコンサート、無事終わりました。ご出演いただいた先生や受講生の方々、聴いていただいた皆さん、ありがとうございました。感想を書きたいのはやまやまですが、仕切った本人があれこれ言うのは僭越なので、もしよろしければ、感想を書き込んでください。お待ちしています。

日の出の勢い2008年11月22日 23時27分28秒

21日の金曜日は横浜のみなとみらいホール(小)まで足を伸ばし、加納悦子さんのリサイタルを聴きました(ピアノ・長尾洋史さん)。このところ頂点をきわめるかのような勢いで上昇中の加納さんですが、リサイタルでもの勢いはそのまま出て、ちょっと例を見ないほど中身の濃い、充実したリサイタルになりました。

まず選曲がすごい。ウェーベルンの《ゲオルゲの詩による5つの歌曲》 op.4から始めて、シューベルトの4つの歌曲、ヒンデミット初期の2つの歌曲。後半はスコット『湖の麗人』によるシューベルトの《エレンの歌》3曲と、ゲーテ『西東詩集-不満の書』による、シュトラウスの3つの歌曲。高い文学性をもった詩に付された深い内容の曲がずらりと並べられ、それだけで圧倒されてしまいます。こういうプログラムを見ると、選曲だけでレベルがわかるというのは本当だ、と思わざるを得ません。若い方々、心にとめておいてください。

こうした曲を輝きのある線のはっきりした声で、簡潔に歌うのが加納さんです(長尾さんのピアノがその意味でぴったり)。雰囲気作りのような遠回りをせず、核心に直接切り込んで密度高く歌うスタイルのため、聴く側もうかうかできません。私も、対訳を見ながら集中しました。言い換えれば、聴衆にも多くの要求を課したコンサートであった、ということです。これだけの芸術を、私を含めて聴く側が、もっともっと理解し、応援してあげなければいけません。ドイツ・リートの啓蒙に、私なりに励みたいと思いました。

今日も横浜へ。朝日カルチャーの後中華街で食事をし、マッサージのあと、県民ホールで「アート・コンプレックス2008」という諸芸術の実験的コラボレーションのコンサートを聴きました。こちらの方は、いろいろなことをやり始めている若い人たちがいるんだなあ、という程度の感想です。