友竹さんの思い出2008年07月27日 23時17分43秒

今日は、東京室内歌劇場40周年記念公演《夜長姫と耳男》(間宮芳生作曲)を、第一生命ホールに観に行きました。一瞬のゆるみもなく見入ってしまう迫真の公演で、すばらしかった。演奏も舞台もことごとく良かったと思いますが、そう思うのは何より、作品の良さがあったからだと思います。指揮:寺嶋陸也、演出:中村敬一、出演:大貫裕子、太田直樹、吉田伸昭、多田康芳、松本薫。

坂口安吾原作のこのオペラを脚色したのは、バリトン歌手の友竹正則さんだそうです。併せて演奏された《おいぼれ神様》(間宮芳生)の初演を歌ったのも、友竹さんだとか。それを知り、昔のことを思い出しました。友竹さんはだいぶ前に亡くなりましたが、才能と愛嬌のあるキャラクターで、茶の間の人気者だった方です。

私が中学3年生のとき、友竹さんが三浦洋一さんの伴奏で、学校に演奏に来てくれることになりました。松本でのことです。そのとき、プログラムをもらいに行くという大役を、私がおおせつかった。私(少年)はガチガチに緊張して、ホテル(だったかな)に出向きました。

プログラムは、歌曲だの日本の歌だの、何部かに分かれていました。でもちょっと、盛りだくさんすぎた。そこで三浦さんが「オペラ、カットしちゃったら?」とおっしゃり、いくつかのアリアがカットされました。当時すでにオペラ・ファンだった私は、内心、え~とがっかりしたことを覚えています。

コンサートで覚えているのは、三浦さんがリストの《水の上を歩むパオラの聖フランシス》を華々しく独奏された様子です。友竹さんも進むにつれて調子が上がり、私はめったに触れる機会のなかった生演奏に、興奮していました。アンコールが1曲入り、盛り上がりが最高潮に達したところで、なぜかPTAの会長が登場し、お礼の言葉。え~、もっと聴きたかったのに!と、心底がっかりしました。あとで聞いたところでは、友竹さんは「さあ、次何いきましょうか」と乗っていたのに、PTA会長が「お疲れではないか」と心配して、挨拶に移ったとのことです。残念だったなあ。その友竹さんが、今日のオペラの台本を書かれていたことを知り、感慨を新たにしました。

楽しみな新人2008年06月26日 23時36分03秒

昨日は、いずみホールでアルティ弦楽四重奏団のベートーヴェンを聴きました。豊嶋、矢部、川本、上村という4人の名手がひとつの方向に心を合わせて仕上げられており、《ラズモフスキー第3番》で大きく盛り上がりました。

今日は帰路、東京文化会館で二期会のオペラ《ナクソス島のアリアドネ》を鑑賞。これは批評に書きます。「作曲家」を歌った谷口睦美さん、潤いのある声でロマンを表現してすばらしかったです。まだ新人のようですが、じつに楽しみな人があらわれたと思いました。

クイズ、学生さんが正解!「~たい」のつくもとの動詞のアクセントに左右されるのですね。私はそれに気づかず、内容的なことかと思って考えこんでいたのですが、1年生のひとりがぴしりと言い当てました。

ピアノがこんな風に響くとは!2008年05月22日 22時32分45秒

昨日(21日)紀尾井ホールで、別府アルゲリッチ音楽祭の東京公演を聴きました。アルゲリッチの他、樫本大進、ミッシャ・マイスキー、ネルソン・ゲルナー、川本嘉子といった一流どころが出演し、この音楽祭が10年間積み重ねたものの大きさを実感させる、すばらしいコンサートになりました。

その全体については毎日新聞をお読みいただくとして(来週の月曜か火曜に掲載)、ここでは一点だけ、アルゲリッチのピアノの音色について書きたいと思います。

マイスキーとのグリーグのソナタにおけるアルゲリッチのピアノの音色は、私がこれまで聴いたことのないものでした。弦楽器とピアノのデュオというと、両者の原理的な違いが大きいために、別のものが合わせている、という感じになります。ところが、アルゲリッチの響きはまったく弦楽器そのもののようで、チェロと心地よく一体となり、ふくよかに、味わい深く響くのです。この音色は、アンサンブルをいつくしむ心の究極の産物のように、私には思われました。

アンサンブルの妙味にここまで深入りすれば、もうソロには興味が薄れるのかもしれません。ソロを弾いてくれなくて残念だ、などと言っていては、彼女についていけないのですね、きっと。アルゲリッチの姿には、神々しさが備わってきました。音楽の神様の域に、もう相当近づいているようです。

誕生日の心境2008年04月30日 21時38分54秒

今日誕生日を迎え、62歳になりました。

父がこの年齢の頃は、かなり衰えていたのではないかと思います。今はこの年でもそれなりに仕事ができるのですから、ありがたいですね。60代なんて、以前は想像もつきませんでした。しかし別の人生に入るような変化は、どうやらないようです。学生さんたちとの距離も、思ったほど遠くなった感じはしません。むしろ、対人関係は、楽になったように思います。

野心や欲は、前以上になくなってきました。好きなことを好きなようにやりたい、しかしやる以上は、自分に恥じない仕事をしていきたい、という心境です。できるだけ、正直でありたいと思います。

「腹を決めて」で触れた批評は、月曜日(28日)の毎日新聞夕刊に出ました。対象をぼかしていましたが、ザルツブルク音楽祭制作のオペラ《フィガロの結婚》です。ドイツ人演出家、クラウス・グートの演出は私にとって絶対に受け入れることのできないものでしたので、そのことをはっきり書き、理由を示しました。受け取り方はさまざまでしょうが、私自身は、さっぱりした気持ちです。ちなみにデスクの付けたタイトルは、「自らの着想に惚れ込む演出」というものでした。

そのことをここで再び論じることはいたしませんが、批評の最後の文章は私の信念に相当する部分なので、引用させて下さい。「こうした演出はたしかに、いま世界で脚光を浴びている。だが流行は、かならず古くなる。いつまでも新しいのは、ささやかであっても、まじめに本質を追究する営みである。そのようにモーツァルトに向かっている人は、私の周囲にもたくさんいる。」

腹を決めて2008年04月25日 16時14分11秒

最近、新聞批評の対象に恵まれていました。いい公演だと、このすばらしさと何としても伝えようと考えて、気合いが入る。必然的に、心のこもった批評が書けます。喜んでくださった方も、おられると思います。

しかし、いいことばかりは続きません。久しぶりに、これはダメだ、というものに当たりました。それどころではない。公演の方向性にがまんができず、激怒の状態。もちろんメジャーな、注目度の高い公演です。きっと、面白がる人も多かったことでしょう。さて、これをどう書くべきか。

そこでわかりました。批評の真価は、こうしたネガティヴな場合にこそ発揮される、と。どこまでを、どのように書くべきか。あいまいな形では自分の良心が許さないが、時代や流行にあらがって酷評に踏み込む自分は、果たして正しいだろうか。ずいぶん困り、ずいぶん考えました。

授業の間を縫ってぎりぎりまで作業し、完成稿を送りました。はっきり書き、責任は自分で取る、という道を選びました。掲載は来週初めかと思います。

手に汗握る体験談2008年04月10日 22時52分47秒

9日(水)は基礎ゼミ最後のイベント。皆様ご存じの大テナー、小林一男先生が「私のヨーロッパ・オペラ武者修行」と題する講演をなさいました。

小林さんが話題豊富な座談の名手であることは、私も先刻承知。企画者として唯一の不安は、話題が広がりすぎて時間内に収まらず、いいところで打ち切り、となってしまうことでした。まあそれでもくつろいだお話を楽しく伺えれば、と思い、開始前に控え室に挨拶に行きました。

すると棚の上に、原稿が乗っています。1時間半のお話が、すべて原稿化されている。そしてところどころに赤で、「10時59分」「11時13分」という1分単位の指定で、時間が書き込まれているのです。驚いて引き返した私が、手伝いに控えておられた中村敬一さん(演出家)にその旨を伝えると、その原稿は何稿目かのものだ、との由。準備に準備を重ね、時間の計測も繰り返して、このように練り上げられたようなのです。

ピアノの河原忠之さんを伴い、スカルラッティの軽妙なアリアを披露して始まった講演は、こなれた日本語で(←原稿が完全な話し言葉になっている)、背景写真も交えつつ進んでゆきます。途中、一度ブレイクがあり、代わりに登場された河原さんが、プッチーニ《マノン・レスコー》の間奏曲をピアノで演奏。むせび泣く弦合奏を聴くような、情感にあふれた演奏でした。続いてトスティの《四月》が、きめ細かな美声に情熱を込めて歌われ、後半のお話へ。終了が12時00分であったのには、あっけにとられてしまいました。

武者修行のお話は、波瀾万丈、手に汗を握りました。遠慮して失敗談ばかり話す方もおられますが、やはり学生に夢を与えるのは、苦労や努力の背景をたっぷり折り込んだ、成功談です。しかし、言わなくても済むような挫折の体験も率直に盛り込まれ、お話の幅を広げていました。

昔の写真よりずっとすてきな先生とワインを飲みながら楽しく語り、夜を過ごしました。

スザンナは来ない!2008年04月08日 23時19分27秒

新入生企画「基礎ゼミ」は、後半に入りました。総責任者であるため連日大学に出向き、打ち上げに付き合ったりしていますので、かなり疲れてきています。金曜日まで、がんばらなくてはなりません。

しかしこの企画、新入生にはもちろんですが、教員間のコミュニケーションのためにも、たいへん役に立ちます。「お話」と呼んでいる講演や、クラスでの自己紹介談話などを通じて、平素外側しか拝見していない同僚の先生方の人間味や力量、ワールドなどがよくわかるからです。さまざまな発見があります。

それは、出演の方々が周到な準備に基づいてベストを尽くしてくださっているからに違いありません。終了した2つのお話、今井慎太郎さん(コンピューター音楽部門)と横井雅子さん(民族音楽学部門)のそれは、的確な話術といい、興味深い内容といい、引き締まった進行といい、見事なものでした。こういう取り組みこそ、新入生に伝わるものであると思います。

私が自分でステージに上がったのは、1度目のコンサートでした。プログラムは既報の通りです。ずらりと一線級の並んだ《フィガロの結婚》第3幕についてはいろいろご紹介したいのですが、スペースの関係もあり、あえて1点だけ書かせていただきます。

六重唱が終わったあとに始まる、伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア(←オリジナルの順序)。「スザンナは来ない」と待ちわび顔で始まるのですが、ここのところで大倉由紀枝さんが出された声を、できうれば、皆さんにお届けしたいです。気高いまでの味わいをたたえたその声は、一朝一夕では、絶対に出ない(と思います)。平素はとてもさっぱりした方なのですが、深い人間性がその背後にあることを、その声は物語っていました。それが伝わるのが、音楽のすばらしさではないでしょうか。

同僚のことを文章化することが適切であるかどうかわかりませんが、このことは、どうしても記録しておきたいと思いました。他の皆様にも、本当によくやっていただきました。ありがとうございます。

4月のイベント(1)2008年04月01日 22時09分01秒

4月に予定されているイベントをご紹介していきます。

4月3日から、私の勤めている国立音楽大学(玉川上水)では、基礎ゼミという、新入生のための特別企画を開始します。私はずっとその責任者で、企画立案をしていますが、スタートにあたるレクチャーコンサートでは、トークも担当します。今年は「響け、オルガン!」と題して、次のようなプログラムを組んでみました。

バッハ プレリュードとフーガ変ホ長調BWV552/ サン=サーンス 交響曲第3番ハ短調《オルガン付き》/ モーツァルト 歌劇《フィガロの結婚》より第3幕

出演:今尾滋(アルマヴィーヴァ伯爵)、大倉由紀枝(伯爵夫人)、久保田真澄(フィガロ)、高橋薫子(スザンナ)、長谷川顕(バルトロ)、押見朋子(マルチェッリーナ)、角田和弘(ドン・クルツィオ)、青田絹江(オルガン)、栗田博文指揮 KUNITACHIフィルハーモニカー

どうです、このキャスティングは!今日リハーサルをやりましたが、〈手紙の二重唱〉なんか、すごいですよ。

このコンサートは2時半からで、残念ながら外部の方はお入りいただけません--というのがいつもだったのですが、今年は6時半から2回目のコンサートを行い、どなたでも聴いていただけることになりました。入場無料。ただし、国立音楽大学のホームページから、チラシをプリントアウトしてご持参ください。3日、講堂大ホールです。お待ちしています。

季節柄の話題2008年03月31日 21時25分30秒

28日(金)、台東区のミレニアムホールに、絨毯座の公演を見に行きました。マリピエロとドニゼッティの作品によってコメディア・デラルテの真髄を伝えようとの趣旨の公演でしたが、恵川智美さんの演出が丁寧かつ徹底していて面白く、ひとつの発見をした思いでした。こう心から思えるのも、主演の今尾滋さん以下の歌い手がベストを尽くしていたからでしょう。目的のはっきりした、志の高い公演でした。

でも、季節柄の話題というのは、そのことではない。この日は、巨人対東京ヤクルトの初戦にあたっていたのです。その進行を気にしつつ、ホールに出かけました。

私の隣に座られたのは、尊敬する同業者、YM先生。優秀な方ですが、何もここまで、というほどの巨人ファンです。とにかく、相手の攻撃が、こわくて見られず、その間は別室に行っているという。私が野球の話題でつきまとうのを、概して忌避されます。

私「ここに来てる場合じゃないんじゃないの?」 YM「・・・」(笑顔のみ) 私「また、心休まらない日々が始まるねえ。」 YM「だから、ここへ気分転換に来てるんだよ。」 私「大丈夫、巨大戦力だから、ぶっちぎりですよ。」

戦いが始まったばかりの時点でこの会話を交わしておいて、幸いでした。オペラが今日だったら、気の毒で言うに言えないし、もし言ったら、友達をなくしてしまいますから。

芸術への敬意2008年03月24日 23時07分01秒

3月12日、16日と、ヴィオラ奏者坂口弦太郎さん(N響)の出演が続きました。16日(日)のプログラムはシューマンの《アダージョとアレグロ》、日本の歌3曲、シューマンの2つの歌曲 op.91、そしてシューベルトの《アルペッジョーネ・ソナタ》でしたが、この方ならではの心にしみる音色と歌心にあふれたカンタービレを楽しみました。ヴィオラって、いいですねえ。

最近しばしば述べている「音楽には神様がいる」というテーゼに確信を抱くのは、こういう音楽に立ち会った時です。立川駅から離れた小さな公民館(地域学習館)の、体育館同然の講堂。ごくごくわずかな予算。ふらりと寄られた、地域のお客様たち。こうした条件にもかかわらず、坂口さんや、ベルリン在住のピアニスト元井美幸さん、アルト歌手の北條加奈さんがベストを尽くしたコンサートとやってくださるのは、やはり、音楽の神様に尊敬を捧げているからではないでしょうか。ありがたいことです。

芸術への敬意は、演奏家にとって、必ず必要なものです。そうしたものに欠ける人は、ヴィルトゥオーゾにはなれても、芸術家にはなれないと思う。研究にとっても同じことで、対象に対する尊敬がなければ、何のための研究かと思います。芸術に関する素朴な敬意は、どの分野でもいま、なくなりつつあるように思えてなりません。そうしたものを愚直に育てられないものか、と思案する昨今です。