富山でバッハを語る(1) ― 2014年06月16日 07時32分23秒
バッハアンサンブル富山さんのご招待で、《マタイ受難曲》について話しに行ってきました。
私はいつもベストの講演をしたいと思っているのですが、一番むずかしいのは、バッハの大曲について、1回でお話しすることです。お話ししたいことがたくさんある上、いい演奏を鑑賞していただきたいので、つい盛りだくさんになりすぎ、収拾がつかなくなってしまう。素材をぐっと絞り、ていねいにご説明するのが理想だとは思っているのですが、なかなかそうできずに今日に至りました。
今回は、来年2月22日の公演に寄与するためのレクチャーです。そこで演奏者のヒントとなるポイントを中心にまとめ、それによって時間の効率化を図ることにしました。前日泥縄で、プレゼンテーションを作成。
西国分寺、南浦和、大宮、越後湯沢と乗り換えて富山に着くまでは、かなりの道のりです。新幹線の開通が楽しみ。富山県は、過去に立山登山の帰り、魚津に一泊したことがあるだけで、富山市に降りたことはありません。到着した11時過ぎには雨も上がり、よい天気になっていました。
富山は区画整理が行き届いて広々とし、木々の緑が印象的な町です。
ぶらぶら歩きを楽しみ、途中お蕎麦を食べて、国際会議場へ。行き交う人は少なかったのですが、会場は、合唱団の方々に外部参加者を交えて、思いのほかにぎわっていました。しかも皆さん、私に興味がおありなのか(笑)、興味津々の強い目線で、話に備えていてくださるのです。これでは、気持ちが高まらざるを得ません。
私は「名演奏の条件」というテーマで、話を始めました。私の挙げた条件は、「作品をして自ら語らしめる」「受難に向き合う」「言葉を重んじる」の3つです。(続く)
《マタイ受難曲》、DVDラッシュ ― 2014年05月24日 08時52分29秒
《ヨハネ受難曲》について人様の前でお話しすることが多いので、新しいDVDを待ち望んでいるのですが、《マタイ受難曲》ばかり出てきます。そこで、朝日カルチャーセンター新宿校の《ヨハネ》研究の時間に、《マタイ受難曲》の新DVDを、最初の3曲(合唱曲、レチタティーヴォ、コラール)限定で比較試聴しました。
その3種類というのは、次の通りです。
1.ラトル指揮、ベルリン・フィル&ベルリン放送合唱団、福音書記者:マーク・パドモア、イエス:クリスティアン・ゲルハーヘル。2012年。
2.ジョン・ネルソン指揮、パリ室内管弦楽団&メトリーズ・ド・パリ、福音書記者:ヴェルナー・ギューラ、イエス:ステフェン・モルシェク、2011年。
3.ペーター・ダイクストラ指揮、コンチェルト・ケルン&バイエルン放送合唱団、福音書記者:ユリアン・プレガルディエン、イエス:カール=マグヌス・フレデリクソン、2013年。
以前は拙著『マタイ受難曲』の増刷のたびに、新譜情報を盛り込んいました。しかし最近は紙面スペースが限界なのと、出版状況からして直しができませんので、市場に対応できなくなっています。それならここで、とも思いますが、責任をもった評価をするためには時間をかけなくてはなりませんから、日々の更新で対応することは困難です。そこで、最初の3曲だけでは評価はできない、ということを念押しした上で、冒頭から受ける印象のみ、書いておきます。
1は、ピーター・セラーズの演出によって舞台化されています。この一点からして私は「衝撃的」とされるこの映像を見る勇気がなく、カルチャーに場を求めた次第。合唱団が多様な嘆きを動きながら歌い、カメラがそれを追いますので、人間が主役になる印象です。ラトルがいつも通りの超ドラマティックな指揮で、一流の音楽家を統率しています。
2は、《ロ短調ミサ曲》で白熱的な演奏を展開したネルソン率いるフランス勢の、《マタイ》への挑戦。今度はパリのノートルダムではなく、サン・ドニ大聖堂を会場としています。冒頭からネルソンがカリスマ性を発揮して、勢いがあります。映像がフランス人の見た目のよさを生かしているのも、ミサ曲と同様。
3は唯一のピリオド楽器で、冒頭合唱曲ではレーゲンスブルク大聖堂聖歌隊の少年たちが、大きな効果を上げています。作品としっかり取り組んでいるという印象があり、手応えを感じました。一歩リードのスタートです。(エヴァンゲリストのプレガルディエンはクリストフの息子さんだそうです。生気はつらつ、楽しみな若手です。)
こんな書き方ではかえって無責任かなとも思いますが、こうしたものが出ている、という情報として読んでいただければ幸いです。
その3種類というのは、次の通りです。
1.ラトル指揮、ベルリン・フィル&ベルリン放送合唱団、福音書記者:マーク・パドモア、イエス:クリスティアン・ゲルハーヘル。2012年。
2.ジョン・ネルソン指揮、パリ室内管弦楽団&メトリーズ・ド・パリ、福音書記者:ヴェルナー・ギューラ、イエス:ステフェン・モルシェク、2011年。
3.ペーター・ダイクストラ指揮、コンチェルト・ケルン&バイエルン放送合唱団、福音書記者:ユリアン・プレガルディエン、イエス:カール=マグヌス・フレデリクソン、2013年。
以前は拙著『マタイ受難曲』の増刷のたびに、新譜情報を盛り込んいました。しかし最近は紙面スペースが限界なのと、出版状況からして直しができませんので、市場に対応できなくなっています。それならここで、とも思いますが、責任をもった評価をするためには時間をかけなくてはなりませんから、日々の更新で対応することは困難です。そこで、最初の3曲だけでは評価はできない、ということを念押しした上で、冒頭から受ける印象のみ、書いておきます。
1は、ピーター・セラーズの演出によって舞台化されています。この一点からして私は「衝撃的」とされるこの映像を見る勇気がなく、カルチャーに場を求めた次第。合唱団が多様な嘆きを動きながら歌い、カメラがそれを追いますので、人間が主役になる印象です。ラトルがいつも通りの超ドラマティックな指揮で、一流の音楽家を統率しています。
2は、《ロ短調ミサ曲》で白熱的な演奏を展開したネルソン率いるフランス勢の、《マタイ》への挑戦。今度はパリのノートルダムではなく、サン・ドニ大聖堂を会場としています。冒頭からネルソンがカリスマ性を発揮して、勢いがあります。映像がフランス人の見た目のよさを生かしているのも、ミサ曲と同様。
3は唯一のピリオド楽器で、冒頭合唱曲ではレーゲンスブルク大聖堂聖歌隊の少年たちが、大きな効果を上げています。作品としっかり取り組んでいるという印象があり、手応えを感じました。一歩リードのスタートです。(エヴァンゲリストのプレガルディエンはクリストフの息子さんだそうです。生気はつらつ、楽しみな若手です。)
こんな書き方ではかえって無責任かなとも思いますが、こうしたものが出ている、という情報として読んでいただければ幸いです。
ヨーロッパ通信2014(6)/暗転・・・その後 ― 2014年04月15日 13時18分45秒
13日(日)、すなわち枝の主日は、今回の旅行にとって、もっとも大切な日でした。受難曲ツアーの締めくくりとして、18世紀オーケストラを巨匠ブリュッヘンが指揮する《ヨハネ受難曲》公演が、ロッテルダムのドゥーレン大ホールで開かれるからです。私はこの公演の存在を強調して、参加の呼びかけをしました。皆さんも気合を入れて、コンサートへの備えをなさったようです。
開演は、14時30分。会場に着いてみると、意外にお客様の姿がまばらで、事前の雰囲気が、盛り上がっていません。これって、長老のブリュッヘン様に失礼じゃないの。それとも、もう過去の人?などと思いながら、席に着きました。
プログラムを手に取り、歌い手を確認します。「18世紀オーケストラ」・・フム。「カペラ・アムステルダム」・・合唱団ね。フムフム。「指揮 ダニエル・ロイス」・・なに---っ!!!
何のために来たのか、という思い、お客様から苦情が出るのではないかという思い、ブログに何と書いたらよいのかという思いなどが、脳裏に飛び散りました。演奏は淡々と進行して、第1部が終了。ホールのサイズが大きく、向こうの方で演奏している感じで、コンセルトヘボウのリアリティには及ぶべくもありません。
休憩にはやはり、ワインやシャンパンが、フリードリンクとして提供されていました。あるお客様が、「この演奏なら飲んでもいいでしょう」とおっしゃるので、私もワインをご相伴。ただ、この演奏にはまだ伸びしろがあるような気がする。後半見違えるようによくなることもコンサートでは少なくないから、と申し上げておきました。
で、後半。心なしか引き締まった趣で、コラールがスタート。まもなく、長大な「虹のアリア」がテノール(ヤン・コボウ)にあります。ここのヴィオラ・ダモーレとチェロのトリオがものすごく美しく、私は突然、涙があふれてきました。
その涙は、演奏が終わるまで、止むことがありませんでした。飾り気のない演奏なのですが、しっかり、受難に向かっている。無駄なく、本質がおさえられているのです。進むうちにおのずと作り出されてきた内的な盛り上がりは、私には「バッハの降臨」としか受け止められませんでした。
アンデルス・ダーリンという若いエヴァンゲリストが良かったですね。細い声なのですが語りのすみずみに情感が通り、「ガバタ」「ゴルゴタ」「マリア・マグダレーナ」といった言葉が、潤いをもって立ち上がって来ます。私がとりわけ重要と見なすソプラノ・アリア《溶けて流れよ》では、アマリリス・ディールティエンスの歌と18世紀オーケストラのフルート、オーボエ・ダ・カッチャ、チェロが完璧に溶け合った響きを聴かせて、これこそ古楽の真髄。アルト(ロザンネ・ファン・サンドヴァイク)とガンバのペアもよく、カペラ・アムステルダムの合唱が、ロイスの的確な指揮のもと、最後の2曲を見事なバランスで歌い納めました。ロイスさん、ごめんなさい!
幸福この上ない気持ちで、皆さんとハイネッケン・ビールの乾杯。どうやら私の運気は再起動に成功し、ふたたび上昇しつつあるようです(汗)。
ヨーロッパ通信2014(4)/金持ちケンカせず? ― 2014年04月13日 15時35分50秒
コンセルトヘボウの音響効果は、どの席にも充実した響きがしっかり届いてくる、すばらしいものです。おまけに、2日連続の《マタイ受難曲》公演では、ビールもワインもシャンパンも、フリー・ドリンクとしてサービスされている。でもそこはがまんして、コーヒーをいただきました。写真は、コンセルトヘボウから眺める国立美術館です。
11日(金)の《マタイ》は、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮のコレギウム・ヴォカーレ、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という注目の公演。旅行を企画した段階ですでにチケットは売り切れ、スタッフの努力で聴けるようになったという経緯がありました。
で、その公演がどうだったかということですが・・・。コレギウム・ヴォカーレの合唱はさすがに機動力があり、ソリストも、カウンターテナーのダミアン・ギヨンを筆頭に高レベル(他にキャロリン・サンプソン、ペーター・コーイなど、エヴァンゲリストはマクシミリアン・シュミットでイエスはトーマス・バウアー)。コンセルトヘボウ管は音色の明るい華やぎにモダン楽器らしさを感じさせるものの、バッハ演奏の要点を抑えて違和感がないのは、さすがです。
こうしてよりぬきの美しい響きが、心地よく前を過ぎていきます。でもなぜか、心に訴えて来ない。私の見るところ、理由は2つ。1つは、演奏の方向性が美しい音楽には向かっていても、受難とは、本当には向き合っていないようだ、ということ。もう1つは、金持ちケンカせずと言っては言い過ぎかもしれませんが、高い完成度に充足して、さらに上を求める真摯さが伝わってこない、ということ。ですからつい、「この演奏はもう知っているな」という感じになってしまうのです。
最後に。アムステルダム旧教会でうっかり踏みそうになった、スウェーリンクの墓石をご覧に入れます。99番という番号がついていました。
ヨーロッパ通信2014(2)/リチャード・エガー、息を呑む《マタイ》初稿 ― 2014年04月11日 13時54分30秒
市内観光や美術鑑賞の話はいずれ補うとして、コンサート・イン・コンセルトヘボウの話に参ります。
最初の鑑賞は、10日(木)の《マタイ受難曲》、リチャード・エガー指揮、エンシェント室内管に予定されていました。ところが到着後、9日(水)に同じコンセルトヘボウで、トン・コープマンとアムステルダム・バロックによる《マタイ》があると聞いて、耳を疑いました。それがわかっていたら旅行の価値は倍増し、お客様もずっと増えていただろうにと、天を仰ぎました。
ガイドさんの協力でなんとか若干のチケットを入手し、希望される方に配布。私は美術館で疲れていたこともあり、飲食組に回りました。コープマンの《マタイ》はDVDがあり、よく使ってもいますから、おそらく想定範囲とも思われました。
どうなるか想像もつかなかったのが、エガー指揮、エンシェントの《マタイ》。興味はもっていましたが、結果への確信はもてないまま、聴きに行きました。そうしたら、エガー氏いきなりのスピーチで、初稿の話をします。つまりその日は、初稿による演奏だったのです。《マタイ》の初稿は実演でも何度か聴いたことがありますが、良かったと思ったことがありません。
ところが。音楽が始まったとたん、エガーの克明な指揮のもと、緊張感ただならぬ音が押し寄せてきてびっくり。初稿が研究し尽くされていて、改訂稿の存在をなつかしむゆとりを、聴き手に与えないのです。
デンポはじつに速く、史上最速かもしれません。なによりコラールが速く、ドラマにがっちり組み込まれている。外側から悠長に入ってくるのとは大違いです。結果として、コラールの民衆性といったものは吹き飛んでいるのですが、そこが小休止にならないので、聖書場面の緊迫感が、一貫して持続される。これにこたえるエンシェントの合唱がたいしたもので、小さい役を分担した男声の声は、皆ソリスト並みです。
こうして「エガー劇場」と呼びたいような迫力満点の演奏が展開されました。これに貢献したのが、エヴァンゲリストのジェームズ・ギルクリスト。美声を完璧にコントロールし、正確そのものの発音で、言葉を、センテンスを、会場のすみずみに語りかけるように歌う。私は日頃から「エヴァンゲリストの歌唱は閉じられたものであってはならず、ドラマに開かれていなくてはならない」と言っているのですが、まさにそれが実現されています。知りませんでしたね、こんなにすごい歌手だったとは。エヴァンゲリストとしては、パドモアと双璧でしょう。アリアを歌うテノールのトマス・ホッブスも際立った美声・感性の持ち主で、これから出てくること間違いなしです。
イエスはマシュー・ローズという歌手で、ありあまる声をもつバス・バリトン。その雷のようなVox Christiは《ヨハネ》ではともかく《マタイ》では疑問にも思いましたが、エヴァンゲリストとの声の対比が狙いのうちにあるとすれば、それはみごとに達成されていました。惜しむらくは、女声2人のソロが内容希薄に思われたこと。テンポについていくので精一杯だったのかもしれません。バスはモルトマンでした。
というわけで、この上なくエキサイティングかつクリエイティヴな《マタイ》。イギリス勢を代表して来演しただけのことはあります。それで気づいたのですが、もしコープマンのコンサートの存在を事前に把握していたら、どうだったでしょうか。3日連続を避けて、エガーをパスしたかもしれないと思うのです。結果オーライ、二重丸だったということは、私のツキはまだ持続しているようです(コメントの方々、おあいにくさまです)。
輝き渡るイエス ― 2013年08月08日 07時53分36秒
さて、十字架が立ったことを告げる聖書場面(第58曲)に続くアルトⅠのレチタティーヴォ〈ああ、ゴルゴタ〉(第59曲)は、作品の流れの中で、重要な分岐点に位置しています。ここで、ヴィオローネ+オルガンとチェロのピチカートにより、時満ちたことを告げる鐘の音が響いているからです。それは弔鐘であると同時に救いへの希望の鐘であることが、テキストから理解されます。
その響きがきわめて印象的なのは、この楽曲が変イ長調を基礎としながらもたえず♭、♭♭の臨時記号を内に孕み、♭圏に深く傾斜して、♯満載の群衆の合唱と、鋭い対照をなしているからです。♯圏への傾斜を強める聖書場面の中にト短調のアルトII・アリア、ニ短調のバス・アリアが置かれているため、悲劇と省察の間にはしばらく乖離が生じているのですが、ユニゾンの「私は神の子だIch bin Gottessohn」がホ短調(主調)に歴然と終止したあとに〈ああ、ゴルゴタ〉が響くと、音楽はもう♯調には戻らず、非♯調の楽曲を連ねて、フィナーレへと至ります。以後の30分ほどを「救いと鎮めのゾーン」と呼びたい。ここでどのぐらい「変われる」かが、演奏の感動を左右します。
この偉大なる転換点、戦略上の要衝で、変ホ長調のアリア〈見よ、イエスが私たちを抱こうとして両手を広げているのをSehet, Jesus hat die Hand, uns zu fassen, ausgespannt 〉(第60曲)が登場するわけです。
スタッカートを指定された通奏低音は、十字架が高く伸び上がるような音型を繰り返したあと、鐘の音を鳴らし続けます。アルトは、十字架につけられたイエスの姿に対する、視点の転換を要求する。それは、第2合唱に呼びかける形で行われます。Sehet・・・Kommt(来たれ)!Wohin(どこへ)?のやりとりは、Kommt・・・Sehet! Wen?(後にSeht! Wohin?)という冒頭合唱のそれを、ほうふつとさせます。冒頭合唱における対話が、ここで再現するわけです。
しかし、十字架が実現した今、状況は変わっている。アルトは「イエスの御腕に救済を求めよ」と述べ、ここで初めて、「救済Erlösung」の概念を明示します。それは、生きること、死ぬこと、憩うことが同義となる世界の開かれであることが、中間部で明らかになる。lebet(2回提示)、sterbet、ruhetの3つの動詞は絵画的な音型として対比的に造形されていますが、それらが「ここhier」ではもはや1つものである、さらに言えば「生きる」ことにおいて1つのものであることを、音楽の流れが、力強く物語っています。
この偉大なパッセージは2回繰り返されますが、そこにはオーボエ・ダ・カッチャのモチーフを敷衍した「あなた方、見捨てられた雛たちよ(Ihr, verlassnen Küchlein)の呼びかけが、慎ましく一度限り寄り添っています。感動的なポイントだと思います。
そう思って見ていくと、このアリアを通じて、十字架上のイエスという一種悲惨な対象が、崇高なものとして輝き渡ってくるような印象にとらわれます。「変容アリア」と呼びたい、と申し上げたゆえんです。見直せば見直すほど、その重要性に心を奪われてしまいます。
その響きがきわめて印象的なのは、この楽曲が変イ長調を基礎としながらもたえず♭、♭♭の臨時記号を内に孕み、♭圏に深く傾斜して、♯満載の群衆の合唱と、鋭い対照をなしているからです。♯圏への傾斜を強める聖書場面の中にト短調のアルトII・アリア、ニ短調のバス・アリアが置かれているため、悲劇と省察の間にはしばらく乖離が生じているのですが、ユニゾンの「私は神の子だIch bin Gottessohn」がホ短調(主調)に歴然と終止したあとに〈ああ、ゴルゴタ〉が響くと、音楽はもう♯調には戻らず、非♯調の楽曲を連ねて、フィナーレへと至ります。以後の30分ほどを「救いと鎮めのゾーン」と呼びたい。ここでどのぐらい「変われる」かが、演奏の感動を左右します。
この偉大なる転換点、戦略上の要衝で、変ホ長調のアリア〈見よ、イエスが私たちを抱こうとして両手を広げているのをSehet, Jesus hat die Hand, uns zu fassen, ausgespannt 〉(第60曲)が登場するわけです。
スタッカートを指定された通奏低音は、十字架が高く伸び上がるような音型を繰り返したあと、鐘の音を鳴らし続けます。アルトは、十字架につけられたイエスの姿に対する、視点の転換を要求する。それは、第2合唱に呼びかける形で行われます。Sehet・・・Kommt(来たれ)!Wohin(どこへ)?のやりとりは、Kommt・・・Sehet! Wen?(後にSeht! Wohin?)という冒頭合唱のそれを、ほうふつとさせます。冒頭合唱における対話が、ここで再現するわけです。
しかし、十字架が実現した今、状況は変わっている。アルトは「イエスの御腕に救済を求めよ」と述べ、ここで初めて、「救済Erlösung」の概念を明示します。それは、生きること、死ぬこと、憩うことが同義となる世界の開かれであることが、中間部で明らかになる。lebet(2回提示)、sterbet、ruhetの3つの動詞は絵画的な音型として対比的に造形されていますが、それらが「ここhier」ではもはや1つものである、さらに言えば「生きる」ことにおいて1つのものであることを、音楽の流れが、力強く物語っています。
この偉大なパッセージは2回繰り返されますが、そこにはオーボエ・ダ・カッチャのモチーフを敷衍した「あなた方、見捨てられた雛たちよ(Ihr, verlassnen Küchlein)の呼びかけが、慎ましく一度限り寄り添っています。感動的なポイントだと思います。
そう思って見ていくと、このアリアを通じて、十字架上のイエスという一種悲惨な対象が、崇高なものとして輝き渡ってくるような印象にとらわれます。「変容アリア」と呼びたい、と申し上げたゆえんです。見直せば見直すほど、その重要性に心を奪われてしまいます。
《マタイ受難曲》の「変容アリア」 ― 2013年08月05日 18時12分01秒
朝日カルチャー新宿校で牛歩のごとく進めて来た《マタイ受難曲》講座、先週ようやく、第60曲のアルト・アリアに到達しました。第59曲の〈ああ、ゴルゴタ〉を受ける、2本のオーボエ・ダ・カッチャのついたアリアです。
名曲揃いのアルト・アリアの中でもこれが一番好き、ということはかつても書いたかと思いますが、研究を重ねるにつれてその思いが募り、準備の段階で、これを「変容アリアVerklärungsarie」と呼びたい、というアイデアが浮かびました。
シュトラウスの交響詩に、《死と変容》というのがありますね。昔は、《死と浄化》と訳されていました。この変容・浄化がVerklärungで、動詞がverklären。シェーンベルクの《浄められた夜》はその過去分詞を使っています(verklärte Nacht)。他動詞ですが、再帰動詞としても使われます。
ルター訳の聖書では、この言葉が、マタイ17.2と、マルコ9.2に、印象深く登場します。新共同訳でマタイの方を引用しますと、「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」という部分です。
「イエスの姿が目の前で変わり」という部分を、ルターは"Und er ward verklärt vor ihnen"と訳しました。ギリシャ語を受けてmetamorphosieren、ラテン語を受けてtransformierenとする手もあったかもしれませんが、ルターはドイツ語化(Verteutschung)にこだわり、verkrärenとしました。「変容を受ける」「浄化される」イメージがどのようなものであるかは、続く描写から明らかです。ちなみに、『ヨハネ福音書』では「栄光を受ける」という系列の言葉にやはりverkrärenを当てているのですが、これは考察から省きます。
リュッケルト詩によるシューマンの《献呈》に、この言葉が出てきますね。明らかに、聖書を踏まえた用法です。「君のまなざしは、僕を僕から浄化してくれた Dein Blick hat mich vor mir verklärt)の部分で、異名同音によるすばらしい転調の準備されるところです。(続く)
名曲揃いのアルト・アリアの中でもこれが一番好き、ということはかつても書いたかと思いますが、研究を重ねるにつれてその思いが募り、準備の段階で、これを「変容アリアVerklärungsarie」と呼びたい、というアイデアが浮かびました。
シュトラウスの交響詩に、《死と変容》というのがありますね。昔は、《死と浄化》と訳されていました。この変容・浄化がVerklärungで、動詞がverklären。シェーンベルクの《浄められた夜》はその過去分詞を使っています(verklärte Nacht)。他動詞ですが、再帰動詞としても使われます。
ルター訳の聖書では、この言葉が、マタイ17.2と、マルコ9.2に、印象深く登場します。新共同訳でマタイの方を引用しますと、「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」という部分です。
「イエスの姿が目の前で変わり」という部分を、ルターは"Und er ward verklärt vor ihnen"と訳しました。ギリシャ語を受けてmetamorphosieren、ラテン語を受けてtransformierenとする手もあったかもしれませんが、ルターはドイツ語化(Verteutschung)にこだわり、verkrärenとしました。「変容を受ける」「浄化される」イメージがどのようなものであるかは、続く描写から明らかです。ちなみに、『ヨハネ福音書』では「栄光を受ける」という系列の言葉にやはりverkrärenを当てているのですが、これは考察から省きます。
リュッケルト詩によるシューマンの《献呈》に、この言葉が出てきますね。明らかに、聖書を踏まえた用法です。「君のまなざしは、僕を僕から浄化してくれた Dein Blick hat mich vor mir verklärt)の部分で、異名同音によるすばらしい転調の準備されるところです。(続く)
《マタイ》待望のDVD! ― 2013年05月30日 12時32分05秒
《マタイ受難曲》のお話をする機会が多いため、日本語のついたDVDがもう少し欲しいなあ、と思っていました。「古楽の楽しみ」の材料仕入れのために例によってタワーレコードを訪れたところ、新しいDVDが並んでいます。コンセルトヘボウにおける実況録画で、指揮がイヴァン・フィッシャー、エヴァンゲリストはマーク・パドモア。フィッシャーがバッハ指揮者だという認識はありませんでしたが、ともあれ購入し、昨日、朝日カルチャーの受講生の方々とともに、第2部の前半を鑑賞しました。
感動的なすばらしさです。当面、映像の決定盤となるものだと思います。全部を聴き、新聞に書ければ書いて、それからになりますが、当欄で詳しくご報告します。少し先になりますので、ニュースのみお届けしておきます。ARTHAUS、ブルーレイ仕様が5990円でした。
感動的なすばらしさです。当面、映像の決定盤となるものだと思います。全部を聴き、新聞に書ければ書いて、それからになりますが、当欄で詳しくご報告します。少し先になりますので、ニュースのみお届けしておきます。ARTHAUS、ブルーレイ仕様が5990円でした。
ゼミに学ぶ ― 2013年05月18日 23時24分36秒
毎週木曜日の、芸大ゼミ。ゴールデンウィークの恩恵にまったく浴しませんでしたので、もう6回終了しました。3回講義形式で基礎固めをし、4回目から、学生の発表に入っています。あ、テーマは《ヨハネ受難曲》です。
このゼミが、とてもいいのです。欠席者がほとんどいないし、皆、真剣そのもの。私もコアな専門部分ですから惜しみなく指導でき、それが染み通っていくように実感しています。冒頭合唱曲が、《マタイ》との比較を入れたせいもあって手間取り、同じ発表者ペアが3回継続する形になりました。しかし毎週内容が更新され、たどたどしかったのが、目に見えて向上してくる。若さの特権ですね。
一番楽しいのは、気がつかなかったような視点を、学生に教えられることです。一例を挙げてみましょう。
《マタイ受難曲》の冒頭合唱曲を、学生が、「コラール・ファンタジー」だと説明しました。何かの文献に基づいてです。私は「二重合唱の応答の中にコラールが引用される」と説明していたので、えっと思いましたが、言われてみると、確かにそうかもしれない。そう見ることによって、いくつかのことが説明できるのです。
「コラール・ファンタジー」はオルガン曲の形式ですから、バッハは最初にオルガン曲の感覚で、形式を構想したことになる。すなわち、〈おお神の小羊よ、罪なくして〉というコラールを最初に構想し、それを行ごとに提示して、合唱曲にまとめようとした。ありうることです。そうすると二重合唱を、主役というより、コラールを導き出す前模倣に当たるものと見なすことになります。まさに、地と図の転換です。
だとすれば、バッハはその構想を伝えて、ピカンダーに冒頭合唱曲を作詞させたのかもしれない。《マタイ》の冒頭合唱曲が「ゴルゴタの道行き」というあとあとの場面を提示する異例の内容になっているのは、コラールを生かすための、ピカンダーの工夫とも考えられます。
こうした発想を裏付けるのは、ホ短調の合唱曲がホ長調で終わる、「ピカルディ終止」が採用されていることです。《ヨハネ》の冒頭合唱曲は、ト短調で始まり、ト短調で終わる。それは、ダ・カーポ形式だからです。しかしバール形式に基づいて節を連ねてゆくコラールの場合は、短調なら、長調で終止するのが伝統。《マタイ》冒頭合唱曲の長調終止は、コラールが楽曲の基礎に置かれているからだと考えれば、つじつまが、ぴたりと合います(そこに復活のイメージが重ね合わされている、という解釈は、いぜん有効だと思いますが)。
こんな経験ができるのも、ゼミという形式ならでは。これからの発展が楽しみです。
このゼミが、とてもいいのです。欠席者がほとんどいないし、皆、真剣そのもの。私もコアな専門部分ですから惜しみなく指導でき、それが染み通っていくように実感しています。冒頭合唱曲が、《マタイ》との比較を入れたせいもあって手間取り、同じ発表者ペアが3回継続する形になりました。しかし毎週内容が更新され、たどたどしかったのが、目に見えて向上してくる。若さの特権ですね。
一番楽しいのは、気がつかなかったような視点を、学生に教えられることです。一例を挙げてみましょう。
《マタイ受難曲》の冒頭合唱曲を、学生が、「コラール・ファンタジー」だと説明しました。何かの文献に基づいてです。私は「二重合唱の応答の中にコラールが引用される」と説明していたので、えっと思いましたが、言われてみると、確かにそうかもしれない。そう見ることによって、いくつかのことが説明できるのです。
「コラール・ファンタジー」はオルガン曲の形式ですから、バッハは最初にオルガン曲の感覚で、形式を構想したことになる。すなわち、〈おお神の小羊よ、罪なくして〉というコラールを最初に構想し、それを行ごとに提示して、合唱曲にまとめようとした。ありうることです。そうすると二重合唱を、主役というより、コラールを導き出す前模倣に当たるものと見なすことになります。まさに、地と図の転換です。
だとすれば、バッハはその構想を伝えて、ピカンダーに冒頭合唱曲を作詞させたのかもしれない。《マタイ》の冒頭合唱曲が「ゴルゴタの道行き」というあとあとの場面を提示する異例の内容になっているのは、コラールを生かすための、ピカンダーの工夫とも考えられます。
こうした発想を裏付けるのは、ホ短調の合唱曲がホ長調で終わる、「ピカルディ終止」が採用されていることです。《ヨハネ》の冒頭合唱曲は、ト短調で始まり、ト短調で終わる。それは、ダ・カーポ形式だからです。しかしバール形式に基づいて節を連ねてゆくコラールの場合は、短調なら、長調で終止するのが伝統。《マタイ》冒頭合唱曲の長調終止は、コラールが楽曲の基礎に置かれているからだと考えれば、つじつまが、ぴたりと合います(そこに復活のイメージが重ね合わされている、という解釈は、いぜん有効だと思いますが)。
こんな経験ができるのも、ゼミという形式ならでは。これからの発展が楽しみです。
ピカンダーの構想 ― 2013年04月12日 23時59分41秒
加美町バッハホールが入手したピカンダーの詩集から《マタイ受難曲》の台本部分を眺めていて、いくつかのことに気づきました。
この詩集、出版は1729年で、《マタイ》初演の2年後です。《マタイ》が29年に再演された後、5月のライプツィヒ復活祭見本市に、詩集は出品されました。しかし《マタイ》の台本は、バッハが手にしたであろう手稿から、書き換えられていないとみてよさそうです。バッハの行った変更が、そこに反映されていないからです。
台本に含められているのは、ピカンダーによる自由詩のみです。聖書のテキストはすべて省略され、自由詩をどこで挿入するかの指示のみがあります。コラールでは、自由詩に組み込まれた2曲(冒頭合唱曲と第1部のテノール・レチタティーヴォ)のみが記されています。
さて、台本には、「シオンの娘と信じる者たち」という、役割の注釈があります。これは、バッハの自筆楽譜にはないものです。台本を会話ないし対話の様式で進めるのは、ピカンダーの常套手段とも言えるやり方です。
気がついたのは、「シオンの娘Die Tochter Zion」がつねに単数で扱われ、その主語が「私」であるのに対して、「信じる者たちDie Gläubigen」はつねに複数で扱われ、二人称複数で呼びかけられて、「われわれ」を主語とすることです。両者はつねに、一対多の関係になっている。ということは、台本に従うなら、《マタイ》はソロと合唱で演奏できる。「2つの合唱グループ」という構想は、そこには見られません。
冒頭合唱曲は「アリア」と呼ばれ、その中に、「シオン」と「信じる者たち」の対話があります。最終合唱曲は「アリア・トゥッティ」、かつChorと呼ばれていますが、それは「信じる者たち」がソロに和するからです(ちなみにこのChorは、重唱編成であることを否定するわけではありません)。
ということは、第1合唱、第2合唱の設定、アリアの両者への割り振りは、バッハの構想による、ということです。コラールをどこにどう挿入するかも、バッハの裁量です。バッハは第1幕の最後にコラールを置き、第2稿ではそれを大曲に差し替えましたが、ピカンダーの台本はその前の合唱曲(雷鳴と稲妻は)を第1部の結びとしており、「初め、中、終わりに対話楽曲を置く」という原則が明確です。こうした台本本来の構想は、二重合唱編成の発展とコラールの挿入によって、かえって見えにくくなったようにも思われます。
バッハホールのお宝、見ていると時間の経つのを忘れます。
この詩集、出版は1729年で、《マタイ》初演の2年後です。《マタイ》が29年に再演された後、5月のライプツィヒ復活祭見本市に、詩集は出品されました。しかし《マタイ》の台本は、バッハが手にしたであろう手稿から、書き換えられていないとみてよさそうです。バッハの行った変更が、そこに反映されていないからです。
台本に含められているのは、ピカンダーによる自由詩のみです。聖書のテキストはすべて省略され、自由詩をどこで挿入するかの指示のみがあります。コラールでは、自由詩に組み込まれた2曲(冒頭合唱曲と第1部のテノール・レチタティーヴォ)のみが記されています。
さて、台本には、「シオンの娘と信じる者たち」という、役割の注釈があります。これは、バッハの自筆楽譜にはないものです。台本を会話ないし対話の様式で進めるのは、ピカンダーの常套手段とも言えるやり方です。
気がついたのは、「シオンの娘Die Tochter Zion」がつねに単数で扱われ、その主語が「私」であるのに対して、「信じる者たちDie Gläubigen」はつねに複数で扱われ、二人称複数で呼びかけられて、「われわれ」を主語とすることです。両者はつねに、一対多の関係になっている。ということは、台本に従うなら、《マタイ》はソロと合唱で演奏できる。「2つの合唱グループ」という構想は、そこには見られません。
冒頭合唱曲は「アリア」と呼ばれ、その中に、「シオン」と「信じる者たち」の対話があります。最終合唱曲は「アリア・トゥッティ」、かつChorと呼ばれていますが、それは「信じる者たち」がソロに和するからです(ちなみにこのChorは、重唱編成であることを否定するわけではありません)。
ということは、第1合唱、第2合唱の設定、アリアの両者への割り振りは、バッハの構想による、ということです。コラールをどこにどう挿入するかも、バッハの裁量です。バッハは第1幕の最後にコラールを置き、第2稿ではそれを大曲に差し替えましたが、ピカンダーの台本はその前の合唱曲(雷鳴と稲妻は)を第1部の結びとしており、「初め、中、終わりに対話楽曲を置く」という原則が明確です。こうした台本本来の構想は、二重合唱編成の発展とコラールの挿入によって、かえって見えにくくなったようにも思われます。
バッハホールのお宝、見ていると時間の経つのを忘れます。
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