自分への非情2009年11月28日 23時56分15秒

放送にかかわったことで身についたこと、大事なことを忘れていました。話を時間通りにできるようになったことです。そもそも人前で話をする場合、時間は2時間のことも、1時間のことも、10分のことも、1分のこともある。それぞれで、最大の効果を収めなくてはならなりません。とりわけ、短い話に少しでも多くの情報を盛り込むことが重要なのです。

それが顕著なのは、生放送。オーケストラが勢揃いし、音が出るまでの40秒間に、挨拶し、曲目のこと、演奏家のことなどを述べなくてはなりません。こういう場合、一番大事なことを先に言い、二番目に重要なことを次に言う。まだ時間があれば、第三のことを滑り込ませる。もちろん、それぞれのメッセージは、秒単位に凝縮するわけです。

こうした技術には、短歌や俳句に近いところがある。1つのことを言って、10のことを知ってもらうテクニックです。すべて、簡潔であるべき。この課題に取り組むと、一般の会話が、どれほど冗長なものかがわかってきます。何を言うかも重要ですが、何を言わずに済ますか、が重要なのです。

新聞のコンサート批評も、簡潔を旨とする意味では、近いところにあります。学会発表も同じ。昔は、与えられた原稿枚数を超過してしまい、ごめんなさい、ということもありましたが、今は、どんなに少ない枚数でも対応する自信があります。そんな枚数では書けない、という話もよく聞きますが、それは錯覚です。ただしそのためには、自分が書きたいことをどんどん削るという、一種の非情さが必要なのです。自分の思い入れに妥協しているうちは、まだ未熟だと思います。

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