松本ブランデンブルク紀行(6)--悲しい初恋 ― 2010年02月05日 23時51分32秒
価値のあることについて詳細に連載しているのに、「痛切」の話はどうなった、いつまで引っ張るんだ、という声が聞こえてきます。引っ張ったわけではありませんが、書いていいものかどうか迷っていたことは確かです。プライベートなことですから。
まあしかし振ってしまいましたから、書こうと思います。ことは、私の初恋に関することです。時効だから、ということにしてくださいますでしょうか。もっとも、過去のホームページにはどんどん書いていましたが・・・。内密にお願いします(って、変ですね)。
整理しておきます。中学生のとき、D組だった私は、B組にいた美女に恋をしました。彼女に恋をしていた子、何十人もいるんじゃないかと思います。彼女には特定の人がいましたから、私は、典型的な片思い。同じ音楽部ではありましたが、付き合うどころか、話をすることもほとんどありませんでした。とはいえ、情熱的な年頃です。彼女の部屋の灯が消えるのを遠くから眺め、寂しく帰った日があったことを覚えています。それはストーカーだ!などと言わないでくださいね。当時はストーカーという言葉、ありませんでしたよ。
その後、私は深志高校に進学し、彼女は蟻ヶ崎高校(当時女子校)に進学しました。大学に入る頃にはすっかり遠ざかってしまいましたが、彼女は国立音大に進学し、私がやがてその教師になるという偶然が進行していて、のちに驚きました。
ずっと時間が経ち、私の『モーツァルトあるいは翼を得た時間』の出版記念会を、松本の友人が開いてくれることになりました。その友人はその機会に、彼女との再会の場を、設定してくれたのです。私は本当に感動しましたね!昨日のことのように覚えています。
その後、松本で会合があると彼女も来てくれるようになり、「松本バッハの会」の連続講演のおりには、司会もしてくれました。とはいえ、昔とはかなり印象の異なっていた彼女に対して、昔の感情がよみがえったわけではありませんでした。
また時間が経ち、驚くべきことが起こりました。お嬢さんが、母が危篤なので会ってあげてくれないか、と言ってきたのです。ところが、連絡先を大学に問い合わせし、大学も今は本人の同意を取らないと教えないものですから、連絡が取れるまで、数日が浪費されてしまいました。彼女は結局亡くなり、私にできたことと言えば、その後松本で行われたコンサートで弔意を述べることと、ご自宅に伺ってお線香を上げることだけでした。その折りに、思い出に写真をいただけないか、と申し上げたのだと思います。今年ご主人から来た年賀状に、写真が遅れていてすみません、と書かれていましたから。
以上、起こった出来事への前提です。
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