ものわかりよくあるべきか2010年04月19日 11時30分40秒

真剣に反省しています。今年、仕事を入れすぎました。がんばればできる、という思いでがんばっているわけですが、体力の限界は、年齢的にも、明らか。かえってご迷惑をおかけしてしまう可能性があります。申し訳ありません。

そのこととも関係があるのですが、最近すべてを、定年との関係で考えるようになりました。博論指導で関係している学生さんには全員学位を取らせてさしあげたいのですが、中断せざるを得ず、残念です。組織としての大学は、安んじて、次の世代の方々にまかせたいと思います。

最近本当に迷うのは、どこまで自分の考え方を伝えるべきか、ということです。私の価値観と異なることが行われている場合、どこまで自分の考えを明らかにすべきなのか。それぞれがそれぞれの価値観で行動しているのだから、それを承認して波風を立てないようにすることがいいように思うわけですが、それはダメだ、ということもはっきり言っていくのが、自分に期待されている責任のように思うことがあります。これは絶対違う、と思うことが、最近複数回ありました。ものわかりのいい自分、価値観を主張する自分、どちらがいいか、迷うことひんぱんです。

〔付記〕この記事を読み、驚いてメールをくださった方があります。誤解を招く書き方だったかもしれませんが、現在はがんばれており、「中断せざるを得ない」のは、2012年のことです。失礼しました。