責任2010年07月05日 21時53分31秒

先々週の阿部雅子さん、今日の高橋織子さんと、博士後期課程声楽の方々の研究発表が上々の成果を収めました。これだけやってくれれば指導者としての責任を果たせたかなと、ほっとしています。

責任をもつ、責任を果たすというといい意味ですが、責任を感じる、責任を取る、責任を追及する、などと言うと、まったく違う意味になりますね。ニュースになるのはほとんど後者です。日本相撲協会をめぐってとか、最近多いですね。しかし行動規範の一般論として言えば、他人の責任ばかりあげつらうのは、どうかと思います。まず考えるべきは、自分の責任です。

具合の悪いことが起こり、下の人に「困った。どうしようか」と相談しました。するとその人は躊躇なく、自分に責任がないことを立証しようとするのです--過去に、複数回経験したことです。これほど白けることはありません。私が非難がましく話を向けたのならともかく、知恵を借りようとしただけなのに、一抜けた、と返されたことになるからです。

「どうしましょうか」と一緒に考えてくれるのが望ましい対応で、幸い、今周囲にいる人は、皆そうしてくれます。責任逃れを押し出すのは、損をするまいとして、じつは一番損な対応だと思います。

今度も、私がうっかりしていたことがあり、どうしようかと下の人に相談しました。するとその人は、私の責任です、気がつかずに申し訳ありません、と謝罪し、すぐ対応してくれるではありませんか。こういうのを、「親身な」対応というのですね。感謝しつつ、勉強しました。

コメント

_ sin0112 ― 2010年07月06日 00時34分12秒

たしかに会社員生活においても、上司が具合の悪い状況になったときに
「どうしましょうか」と一緒に考える部下は重宝されますね。

そのとき、ほんとうに親身になって「こうしませんか」と
ソリューションまで提案できる部下は、総じて出世の可能性が
高いような気がしています。

そのような場面で、「この人が困っているなら何とかしたい」と
自然と思わせる上司と一緒に仕事ができている私の今の状況は
ほんとうにありがたいと思います。

I先生がそうなのかどうか、というのとは関係なく、34歳男性の目から見た
一般論として、そんなものではないかなぁと最近思っています。

皮肉とかは一切ないですので誤解しないでくださいね(>_<)

_ Tenor1966 ― 2010年07月06日 10時25分55秒

私が責任と言うことばの述語で好きなものは「負う」というものです。

自分が負うべき責任を自覚することはもちろんですが、他の人のものも
共に負おうとするところに、I教授の言われる「親身さ」があるような気がしました。

他人のことを自分のことのように考えるということでしょうか。

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