3分の感動2010年08月03日 11時56分01秒

8月1日日曜日、すざかバッハの会。

今回はドイツ・リートの特集ということで、前半が詩をくわしく学んでからCDを聴き、後半はDVDでいろいろなリートを鑑賞する、というプランを立てました。前半の曲として選ばれたのは、シューベルトの《糸を紡ぐグレートヒェン》、シューマンの《蓮の花》、ブラームスの《子守歌》、シュトラウスの《万霊節》。後半には、ベートーヴェンの《アデライーデ》、シューベルトの《春に》、シューマンの《月夜》、ブラームスの《私の女王よ》、ヴォルフの《散歩》、シュトラウスの《明日の朝》を選びました。前半の歌はシュワルツコップ、フィッシャー=ディースカウ、エディット・マティス。後半は、フィッシャー=ディースカウ。最後に、晩年のフィッシャー=ディースカウとエッシェンバッハによる《水車小屋の娘》から、最後の2曲を聴いて、締めとしました。鬼気迫る、究極の演奏です。

私の傾倒する名曲ばかり集めているためもありますが、つくづく思ったのは、歌曲というのはなんとすばらしいのだろう、ということです。なにしろ、どの曲も、数分しかかからない。ほとんど弱音指定されている曲もあり、効果からしたら、地味。にもかからず、内部には延々と広がったファンタジーの世界があります。オペラが1時間かけて獲得する感動を、歌曲は3分で獲得できるのです。この世界を、もっと啓蒙したいと思います。

上に並べた曲のうち、私の一番好きな曲・・・と問われたとしますと、答えは《万霊節》です。第3節の「今日はどの墓の上も、花が咲き匂っている。1年に1日が、死者たちの自由になるのだ」のくだりは毎度涙なしには聴けないという感じで、困ってしまいます(笑)。

「たのくら」について2010年08月04日 22時04分50秒

ごくらくとんぼさんのお勧めもいただきましたので、「たのくら」について、あらためてご紹介させていただきます。

「たのくら」は、本名「楽しいクラシックの会」。ルーツは、私が1987年に立川市の錦町公民館に依頼されて行った、「呼びかけるバロック音楽」という市民講座です。1986年秋、私は市民大学のバロック音楽シリーズ全12回を教育テレビから放送する予定だったのですが、長期入院の大病をし、放送は、88年に延期になりました。しかし講座だけは先行してやろうということになり、ものすごく痩せた状態で出講したのです。

講座は無事終わりましたが、雰囲気がとても良かったこともあり、自主団体として存続させようということになりました。月に一回、土曜日の午前。立川駅から遠いのが難点ですが、施設を無料で借りられるという、大きな利点があります。

こうして始まった講座が延々と続いて、ついに24年目に突入したのです。よく続くなあと、本当に思います。いろいろなところで講座をしますが、私が一番リラックスしているのが、「たのくら」。冗談混じりでお話できる場は、ここぐらいです。終了後はたいてい、食事をご一緒します。他にビヤパーティーや新年会、バス旅行があり、本格的なコンサートと講座内のコンサートが、一つずつ。鈴木雅明さん、寺神戸亮さんなど、ビッグネームにもご出演いただいています。

このようにいい会ですので、興味のある方、ご参加ください。ホームページのないのがネックですが、イベントはここで紹介しますし、お問い合わせは、マーラーファンのグスタフさんgustav@myad.jpが対応してくださいます。

今月は、7日。既報の通り、ミニミニコンサートあり、ビヤパーティーありの楽しい月です。見学も歓迎です。

[付記] 錦公民館は錦地域学習館と改称されました。場所は立川駅南口から南東方向で、立川通りのデニーズが近いです。メンバーのコアはクラシック通の男性で、コンサート通いや合唱の好きな女性もたくさんおられます。とはいえマニアックな雰囲気はまったくなく、和気藹々です。会員の方、追加のコメントがあればお書きください。

力士の日本語2010年08月06日 18時32分26秒

新聞に、白鵬のスピーチのすばらしさを賞賛する記事が出ていました。私もまったく同感です。語彙の豊富な、格調の高い語り口で、配慮があり、責任感もにじむ。これだけのレベルでスピーチできる日本の若者がどのぐらいいるだろう、とさえ思ってしまいます。

それにしても、相撲界の外国人は、みな立派な日本語を話しますね。このことは、どんなに外国人が増えても相撲はやはり日本のものだと感じさせる上で、大きな働きをしていると思います。野球の選手なんか、何年いても通訳なしでは話せませんものね。

要するに、どんな人でも環境が導けば、外国語をしっかりマスターできるのです。誰も母国語では助けてくれず、日本語に必死にならざるを得ない、という環境が必須条件。通訳付きを売りにする部屋が出てきたりすれば、このレベルはたちまち瓦解してしまうでしょう。

日本に移住して何年も経たないうちにむずかしい日本語を完全にマスターして生活できるなんて、たいしたものですね。尊敬に値します。このことを含め、相撲の世界に数々の美風があることも、考えてあげたいと思います。

互恵の楽しみ2010年08月08日 13時02分33秒

「たのくら」の8月例会。「ミニミニコンサート」と講義を半々、という計画だったのですが、結局時間のほとんどを、コンサートに費やす結果になりました。ソプラノの川辺茜さん、メゾソプラノの高橋幸恵さん、ピアノの三好優美子さん、精魂込めてのご出演、ありがとうございました。

24年もやっている会ですから、会員の皆さんが1つになって、きわめて好意的に、演奏に向かってくれます。このため若い人たちも、安心して演奏に集中できる。つまり、出演者は「たのくら」の恩恵を受け、会員の側は、私の弟子たちの力量や魅力に、いい形で接することができるわけです。コンサート自体は超のつくほどささやかなものですが、こうした「互恵」に良さがあり、楽しみがあります。

オペラの部は私が解説しましたが、歌曲の部はそれぞれ専攻の曲を取り上げましたので、解説を歌い手に委ねました。簡単にやるのかと思ったら、2人とも詳細に掘り下げられた、後期博士課程在籍者ならではの解説。結果として--興味深いことに--シェーンベルクの初期歌曲に皆さんの関心が集まりました。今までは敬遠していたがこういう面白いものだったのか、という感想をおっしゃった方が何人もおられたのは、川辺さんの明晰な歌唱と解説のたまもの。なにしろ私自身が、同じことを思っているのです(笑)。ワーグナーの《エルザの夢》を歌われるほど声のある方なので、これからが本当に楽しみです。

パーセルの《ディドとエネアス》では、川辺さんがベリンダにまわり、高橋さんが、ディドの2つのアリアを歌いました。品格の中に憂いというか陰影をたたえた高橋さんは、ディドにぴったりのキャラクター。完成度の高い、情感豊かな歌唱だったと思います。「天使のピアノ」で知られる三好優美子さんがいつも的確なピアノで伴奏してくれるのも、会の自慢です。

年に1回のメインのコンサートには、渡邊順生さんがフォルテピアノで出演され、チェロの花崎薫さんと、ベートーヴェンのチェロ・ソナタを演奏してくださることになりました。来年、2月2日の水曜日。またご案内します。

〔付記〕最初「相互互恵」とタイトルしましたが、屋上屋を架す日本語ですので「互恵」に改めました。悪しからず。

続・アクセントの話2010年08月10日 22時07分18秒

いまどきのアクセントについて、コメントで熱い/厚い議論が続いています。私は長野県育ちですが、長野県は濃厚な方言をもたない反面、アクセントに細かな違いがある、と認識して来ました。私の生まれは東京で家では東京言葉を使い続けていましたから、アクセントへの違和感は、ずっと解消しませんでした。

最近は、須坂の方々とお話しする機会が多くあります。そこで気がつくのは、須坂の方々に、かつて「長野県」と思っていたアクセントが、ほとんど見あたらないことです。これは中信と北信の違いなのでしょうか、それとも、時代による変化が加わっているのでしょうか。はたまた、公の場でみなさんが標準語を話しておられるからでしょうか。

昔の松本と今の須坂を比較するにあたり、話を地元の地名に限りましょう。「長野」はどう発音するでしょうか。カタカナを高い部分、ひらがなをが低い部分とすると、松本が「なガの」(!)であるのに対し、須坂は「ナがの」です。「松本」は、たとえば「松本へ行く」という場合に松本は「まツモトへ〔ひらがな〕いく」となるのに対し、須坂は「まツモトヘ〔カタカナ〕イク」となり、東京と同じです。などなど、今の須坂ではほとんど、言葉の違和感を感じないのです。

この話題でコメントをくださったClaraさんは、どうやら私より少々年上の方でおありのようです。いつも精彩のあるコメントをくださいますので、年長、というイメージは浮かびませんでした。

昔は国語の時間のアクセント指導が厳しかったとのこと、たしかにそうですね。私も、ドイツ語のアクセントの誤りは厳しく指導しますが、日本語の場合はかえって注意しないことに気がつきます。方言にも価値を認めなくては、という心理があるのと、自分でも自信のない場合が多いからかもしれません。国語の入学試験問題で、アクセントの問題ってありますか?中学の国語の時間で「おやおや」をアクセントづけする問題が出たことを、鮮明に記憶しています。私は「おヤオヤ」と回答したのですが、正解は「オやオや」でした。これは両方ありますね(笑)。

達人の根拠とは2010年08月11日 11時51分11秒

年齢の話が出ましたので、エピソードをひとつ。

大勢の人を観察し、目の肥えている商売というのがありますね。高級レストランのウェイターは、その代表でしょう。連日、多くの人を観察している。そしてそこから、高級店ならではのサービスが生まれてきます。

その日(←つい最近)、私は、ある地方都市の高級レストランで夕食を摂っていました。はっきり言えば、松本の「鯛萬」です。ワイン・リストを見ると、値段がほとんど5桁!それだけあって、練達のウェイターさんが、行き届いたサービスをしてくれます。きっと、いろいろなお客様を見てきているいちがいありません。

一行は、4名。私の右に、Claraさんよりさらに年上、喜寿相当のご婦人。私より、少なくとも一回りは年長でしょうか。向かいに、ひげを生やした30代の男性。その右に、40代の女性。女性2人が親子で、あとは他人という関係です。こういう組み合わせをウェイターさんはどう見ているのだろうな、とかすかに思いながら、談笑を交わしつつ、食事を進めていました。

するとウェイターさんが、「ご家族で写真をお撮りしましょうか」とおっしゃるではないですか。これには、のけぞってしまいました。右におられるのは尊敬する愛すべきご婦人でしたのでいやな感じはまったくしませんでしたが、私が心から疑問に思ったのは、こういう接客の達人は、どういう根拠で、お客様が家族か否かを判定するのだろう、ということです。その理由を、心から知りたいと思います。

ウェイターさんが深読みし、親子二代で姉さん女房、と判定したのかもしれません。でもそれでは、向かいにいる男性が、私の息子ということになってしまう。その男性がまさお君だっただけに、割り切れない気持ちでいっぱいです。

若い友人を惜しむ2010年08月13日 22時07分35秒

今週初めて家を出て、年下の友人、佐藤秀樹君の葬儀に行ってきました。腎臓ガンの発見が遅れ、闘病生活のいとまもなく、亡くなってしまったのです。気の毒といえばその一語に尽きますが、私はむしろ、ダメじゃないか、奥さん、お嬢さんはどうするんだ、と叱りたい気持ちです。健康に気を配っていれば、この事態は避けられたように思うからです。

まだ講師の私が早稲田大学の理工学部出講し、そこで出会ったのが佐藤君です。都立西高から早稲田の理工に進んだのですから、相当な秀才ですよね。私を慕ってくれましたので仲良くなり、よく、一緒に飲みに行ったものです。

さっぱりした、男性的な気性の持ち主でした。口が悪く、私のことをたえず「いい性格してる」と言っていた。再度注釈しますと、この「いい」は、悪いという意味です。サッカーを愛するスポーツマンで、音楽大学の環境には、あまりいないタイプの人。ピアニストのブレンデルが大好きで、追っかけもしていたようです。最近は、飲み会に呼ぼうかと思いながら実現しないまま、会わない年が続いていました。

奥さんから連絡といただいて、つい先日、見舞いにいきました。かつての面影は失われていましたが、奥さんのお話では、私が来たことで、目に見えてシャンとしたそうです。少し昔話をしましたが、「いい性格してるといつも言われていたよねえ」と言ったところ、ごく小さな声で、しかしはっきりと「人だけじゃない」と言いました。自分も同じだ、と言いたかったようです。弱々しい中に、豪快な気性の片鱗が見えました。

でも、こんなに早く死んじゃいけません。健康そのもののスポーツマンが病院に一度も足を踏み入れないまま過ごし、気がつくと手遅れ、という典型的なケースにはまったと、奥さんもおっしゃっていました。皆さん、検診受けましょうね。手術を何度も受けている私が元気に生きているのは、現代医学のおかげなのですから。

MSの軍門に降る2010年08月14日 23時34分35秒

もう3年ぐらいになるでしょうか。私は、マイクロソフトから限りなく離れたパソコン・ライフを送ってきました。OSはウィンドウズ。これは仕方ありませんが、ブラウザはFirefox、日本語変換はAtok、ワープロは一太郎、表計算は三四郎、プレゼンテーションはAgree、メールはShuriken。要するにジャストシステムのSuiteを購入し、すべてのオフィス系ソフトをJS系で固めていたのです。やたら値段が高く、購入届けのような手続きまで必要なMS-Officeに対し、抵抗したい気持ちがあったことは確かです。

しかし判官贔屓も、今日で打ち切り。久々にOfficeのProfessional Academic 2010というのを購入し、たった今インストールしたところです。Accessとか、OneNote、Publisherも入っている。値段は3万円弱、2台のパソコンにインストールできるというのですから、さすがに昔よりは安くなりました。

孤軍奮闘のジャストシステムを見限った理由を述べて、これからの改善に期待したいと思います。1つは、ファイルを送ることひんぱんな仕事をしているために、一太郎の標準仕様であるオリジナル・ファイル形式(jtd)が有害無益であること。もちろんワードファイルも使えますが、ワープロ自身は何かとオリジナル形式を使いたがるので、ついつい、選択の操作が増えます。それがだんだんわずらわしく感じられるようになりました。結果として2つのファイル形式が入り乱れて存在し、管理がややこしくなっています。

しかもオリジナル形式のファイルは、ツールで検索してもらえないのです。Googleのデスクトップ検索に一太郎ファイルを含ませる方法も開発されていますが、導入が面倒で、実現できませんでした。かといって、検索のためにワードファイルで保存するためには、手をかけてやらないといけない。だったら、ワードを使った方が早いじゃありませんか。

ジャストシステムは、高速検索の技術をぜひ磨く必要がありますね。Googleの速さを知っていると、Shurikenの検索の遅さは耐え難く感じられます。このメーラー、自動振り分け機能や種々の入力補助のように、機能としてはとてもいいものをもっているのですが、メーラーにおいては、検索の速さが死活的に重要なのではないでしょうか。

G-MailやSunderbirdは、速い検索を武器に、分類せずに検索せよ、という姿勢で来るわけですよね。でも私は、学生、大学、学会、というようにフォルダ別にメールを保存する習慣がついてしまっているので、Shurikenの自動振り分けに頼っているわけです。ところが細かく分けているためにどこにあるかわからないメールが生じ、それを探そうとすると遅い検索が立ちはだかる、という循環になっています。仕方がないので検索はG-Mailから行い、出てきたメールへの処理をShurikenで行う、という面倒なことをしているのです。

本当は、シェアが大きい方が勝つというグローバリゼーションが好きなわけではありません。日本のメーカーにがんばってもらいたいし、応援したいと思っています。しかし仕事のツールは合理性が生命ですので、どうしても、こうなってしまうのです。

専門家集団の長所2010年08月15日 23時28分21秒

大相撲関係の不祥事が、マスコミをにぎわしています。新聞の論調はおおかた、外部理事長にしなければ事態は収拾できない、ということのようです。本当にそうでしょうか。今のこの事態を合理的に処理するにはそれも一案でしょうが、そうやって改革という名の合理化をされていった相撲は、やがて相撲ではなくなるのではないかと思います。

マスコミは、悪い面をとらえて攻撃します。しかし物事には両面あって、いいところも見なくちゃいけない。このご時世に相撲取りが独自の美学と行動様式で存在しているのは、力士が力士を教えるという同族集団あればこそです。外部の人間が相撲取りの作法を力士に教えることはできないし、外部の人が仕切る世界になったら、若い力士がトップをあこがれて励むというモチベーションも、成立しなくなるでしょう。相撲が格闘技とは一線を画する文化であるべきであるならば、組織に一定の自律性を許容しなくてはいけないのではないでしょうか。

私は一般論として、専門集団にはそうした自律性が必要だ、という考え方です。大学は学者の、音楽大学は音楽家の、専門集団。もちろんそうした集団の弱さはあり、外部の人を入れて企業のノウハウに学ぶということは大切です。でもだからといって、役所や会社から派遣されてきた人が上に立つべきではない。学問や芸術を極めた人、専門分野で尊敬され目標とされる人が、極力上に立つべきです。なぜなら、学問や芸術がどういうものかを本当に知るためには長期にわたる研鑽が必要で、外部から観察しているだけではけっしてわからない、したがって、そこで起こる事柄を適切に判断できない、と思うからです。

そうしたことができにくい世の中になってきました。専門家集団がその閉鎖性に甘えてきたツケが、回っているのでしょう、きっと。しかしだからといって専門家集団の長所を認めないということになれば、文化はおしまいです。

「バロックの森」9月の予告2010年08月17日 23時54分47秒

今週収録のある「バロックの森」9月放送分の原稿を、今日準備しました。ご案内しましょう。

9月は、全部の日を1人の作曲家でまとめました。13日(月)は、ブクステフーデ。14日(火)は、ケルル。15日(水)はパーセル。16日(木)は、グラウプナー。17日(金)と18日(土)が、バッハです。

売りの曲を紹介すると、ブクステフーデでは、カンタータ《イエスよ、私の喜び》。バッハのモテットと比較すると面白いと思います。ケルルは、1683年のオスマン・トルコによるウィーン包囲のさい書かれた《ウィーン包囲の嘆きを慰めるミサ曲》が歴史のひとこまを伝え、感情のこもった作品になっています。パーセルは、《メアリー女王の誕生日のためのオード》2曲で構成しました。第1作と、第6(最終)作です。第6作の《来たれ、学芸の子ら》は、いい曲ですね。セシリアのオードと同じように、楽器が主役を演じます。

180年前の9月17日に、ソプラノ独唱用のカンタータ第51番が、聖ニコライ教会で演奏されました。これにちなんで、金曜日は51番を、ハルテリウス/ガーディナーの演奏で出します。抱き合わせは、同じ主日のための第138番《なぜ憂えるのか、私の心よ》。これも、いい曲ですね。余白には、《フーガの技法》の4つのカノンを入れました。土曜日に入れられなかった曲のフォローです。

というわけで、18日(土)は、バッハの《フーガの技法》を、ギエルミ氏が送ってくれた新しい録音で放送します。ギエルミがチェンバロとジルバーマン・フォルテピアノを演奏し、息子さんのガンバ合奏と交互に、ときには一緒に演奏していくのですが、例の未完の三重フーガに、新しい補完稿が使われているのです。

三重フーガを編成の工夫でとてもわかりやすく演奏したあと、有名な中断部分のあとに、ギエルミはフォルテピアノのソロで、補完部分を演奏しています。38小節のものですが、主要主題の反行形、その後基本形が登場し、既出の3主題といっしょに4重フーガを形成する構想は、まことにお見事。彼なりに三重フーガの和声を分析した上で行った復元だそうで、イタリア語の論文が出るとのことでした。これは、お聴きくださいね。