大化け2010年07月26日 11時08分30秒

ごくらくとんぼさん、コメントありがとうございます。論旨は文化論、教育論に深く触れる問題で、一筋縄でいかないのですが、今回はいただいたご指摘をヒントに、「大化け」について考えてみたいと思います。

この人がこんなにできるようになるとは、ここまで成長するとは、という現象は、たしかに、この世に存在します。私も、経験したことがあり、教育者としては最大の喜びに属する現象だと、理解しています。昔、どんな学生も大化けする可能性をもっている、だから全員を徹底して指導せよ、と檄を飛ばす先生を見たこともあります。でも実際問題として、そんなことができるでしょうか。

教育現場における教員の負担は、重くなる一方です。しかも教員というのは、学生の指導さえしていればいい、というものではない。自分自身を向上させ、研究、演奏等の実績を上げていかなければ、本当の意味の指導はできません。また大学のような組織から見ると、少子化で収入増の望めない昨今、大化けさえ念頭に入れた徹底指導、などということに制度的保証を与えることは不可能です。少ない人数、限られた時間で多くの人数を教育するとなれば、一定の効率を追求することは、避けがたいのです。

そうなるとどうしても、選別が生じてきます。試験を受けて上に進む、いい成績をとって発表の権利を得る、という形です。試験に落ちた人の中にも磨けば光る人はいるかもしれない、という可能性はもちろんあり、そう感じられる人も多数見ていますが、そこまで手を広げる余裕はとうていない、というのが正直なところです。

ですから、教育を受けている側にも、結果を出す、少なくとも姿勢を見せる、というアピールは、必要だと思うのです。結果はすぐに出せないかもしれませんが、この人は勉強している、という印象を評価する側に抱かせることは、どんな場合にも、きわめて有効です。考えてみると、いわゆる「大化け」も、地道に努力している人にだけ、起こることのように思われます。違うでしょうか。

一定の緊張感のもとに、正当な競争をすること。それがレベルを高め、人材を育成することには欠かせない、というのは、分野を問わない真理なのではないでしょうか。本当に勉強する人を応援したい、といつも思っています。これは、その逆もある、ということです。