研究に評価を ― 2010年07月11日 09時46分28秒
10日(土)は酷暑の中、皆川達夫先生の研究発表が、明治学院大学で行われました。キャンパスに入ると、観光バスが止まっています。まさか学会に団体が、と思いつつホールにたどりつくと、立錐の余地もない盛況。ほとんど全国大会並みです。さすがに長年スター的存在を保ってこられた皆川先生だなあと思い、すっかり感心してしまいました。
先生が披露されたのは、箏曲『六段』が16世紀スペインの「ディフェレンシアス」という変奏曲形式に基づくもので、具体的には、グレゴリオ聖歌の〈クレド〉を下敷きにしたものである、という仮説でした。このロマンさえ感じさせる壮大な仮説の裏付けと当否に関しては、状況証拠の評価という専門的な事柄がありますので、会員の今後の討論に委ねたいと思います。イベントはさらに、久保田敏子先生(日本音楽研究)の研究発表、野坂操壽さん、神戸愉樹美さんらの演奏と続きました。音楽の「研究」が、華やかな脚光を浴びた一日。皆様、ありがとうございました。
かねてから感じ、昨日もまた思ったのは、音楽の「研究」というものが、もっと世間に評価されるようになって欲しい、ということです。理科系の研究を不要だと思う人はいないでしょうが、文化系の諸学、ことに芸術系の諸学、中でも音楽の研究は、重んじられていない現状があります。先日政府系のある会議に出席したとき、議長が「このプロジェクトの予算は一部の研究者のためでなく、一般の方々のために使うのが原則だ」という趣旨の発言をされ、驚いたことがありました。研究に予算を投じることが長い目で見るとその文化、芸術にとってプラスとなる、という視点が、世の中にはないようです。研究者の側に責任がある、とも言えますが、研究の必要性と意義を訴えることも大切だ、と痛感しました。
先生が披露されたのは、箏曲『六段』が16世紀スペインの「ディフェレンシアス」という変奏曲形式に基づくもので、具体的には、グレゴリオ聖歌の〈クレド〉を下敷きにしたものである、という仮説でした。このロマンさえ感じさせる壮大な仮説の裏付けと当否に関しては、状況証拠の評価という専門的な事柄がありますので、会員の今後の討論に委ねたいと思います。イベントはさらに、久保田敏子先生(日本音楽研究)の研究発表、野坂操壽さん、神戸愉樹美さんらの演奏と続きました。音楽の「研究」が、華やかな脚光を浴びた一日。皆様、ありがとうございました。
かねてから感じ、昨日もまた思ったのは、音楽の「研究」というものが、もっと世間に評価されるようになって欲しい、ということです。理科系の研究を不要だと思う人はいないでしょうが、文化系の諸学、ことに芸術系の諸学、中でも音楽の研究は、重んじられていない現状があります。先日政府系のある会議に出席したとき、議長が「このプロジェクトの予算は一部の研究者のためでなく、一般の方々のために使うのが原則だ」という趣旨の発言をされ、驚いたことがありました。研究に予算を投じることが長い目で見るとその文化、芸術にとってプラスとなる、という視点が、世の中にはないようです。研究者の側に責任がある、とも言えますが、研究の必要性と意義を訴えることも大切だ、と痛感しました。
コメント
_ 極楽とんぼ ― 2010年07月16日 13時50分25秒
_ I教授 ― 2010年07月17日 23時16分44秒
極楽とんぼさん、設定の都合でなかなか投稿していただけず、失礼しました。コメントのご趣旨、見識だと思いますが、全員に中以上の成績を無条件で与えるという点は、同意できません。それって、運動会の順位をなくす、という発想と似ていませんか?私は、世の中には価値判断があるということを子供の内から知り、その上で自分の得意を見つけていく方が、長い目で見るといいと思います。
_ ごくらくとんぼ ― 2010年07月22日 16時55分33秒
I教授さま、お忙しい中、私の唐突な意見に対し、ご丁寧な回答を頂き有難うございます。
なるほどI教授のご回答は筋が通っておられると思いました。
音楽の研究へもっと評価を!は、私も同意見です。
それを打開するには、音楽界をもっと大きく広げる必要があると思います。
もちろん、芸術は全て同じですが、今回は、音楽に絞ることとします。
音楽界という、ピラミットの形があって、きっとなだらかな形なのでしょう。頂上のほうは、たぶん、少し平らになっているのでしょう。その頂上のほうには、おそらくは、音楽界を牽引する著名な音楽学者や音楽家で形成されています。そして、そこから下に中腹?ぐらいまでは、中堅や若手の音楽家やプロのオーケストラ・合唱団、音楽教師、音楽大学の学生で形成されていると思われます。そして、そこから、3合目くらいまでは、アマチュアの演奏家たちです。この中には市民の合唱団も含まれます。
そして、そこから裾野までは、音楽愛好家(聴き手)が占めています。
私は、音楽界のイメージとしては、このように考えられるのではないかと思うのです。
私が日頃、感じることは、一応、日本に限りますが、この音楽界の容積がもっと大きくあっても良いのではないか?ということです。
そうなるには、大きい意味で、方法が二つあると思います。
ひとつは、頂の高さを上げることです。そうすれば自ずと追随して広がって行くでしょう。
世の中の価値判断は知らず知らずに人間が作り上げたものです。
そして、その意義については、今でも音楽学者が研究を続けています。
しかし、その価値判断をあまり大切にすると、自由な発想を妨げることにならないか、という心配です。その自由な発想から、超一流の学者や音楽家が育ちます。そして、彼らが次の世代の音楽界を牽引していきます。
従って、教育での価値判断に基準があり、それに基づいて評価するとしても、下方に外れた子供たちにも、何かその個性(才能)を発見できる眼力が音楽教師には必要ではないでしょうか?
さて、もうひとつは、裾野に広がる音楽愛好家(聴き手)を育て、増やすことです。
そうすれば、頂を上げることの一助にもなりましょう。
それには、幼児からの音楽教育において、優秀な音楽家を育てる側面と、良い聴き手を育てることの両面に力を注がなければなりません。
90%以上の多くの子供たちが実業の世界で生きるための道を選びます。
良い聴き手を育てるとは、そのように多くの子供たちに、人間になくてはならない芸術(音楽)は常に生活と共にある、という習慣を身に着ける必要があると思います。
そして、このピラミッドのあり方ですが、頂上が裾野を見回しながら向上を図る必要があるということです。政治でいうと、民意を汲み取りながら頂上の嵩上げを行うということです。その民意を計るのが演奏披露の場です。
国立音楽大学では、音楽家を育てることはもちろんのこと、音楽を社会に還元する(良い聴き手を育てる)こともとても計画的に実行されています。
この「I教授の談話室」も「良い聴き手を育てる」ことに多大な貢献をされています。
なるほどI教授のご回答は筋が通っておられると思いました。
音楽の研究へもっと評価を!は、私も同意見です。
それを打開するには、音楽界をもっと大きく広げる必要があると思います。
もちろん、芸術は全て同じですが、今回は、音楽に絞ることとします。
音楽界という、ピラミットの形があって、きっとなだらかな形なのでしょう。頂上のほうは、たぶん、少し平らになっているのでしょう。その頂上のほうには、おそらくは、音楽界を牽引する著名な音楽学者や音楽家で形成されています。そして、そこから下に中腹?ぐらいまでは、中堅や若手の音楽家やプロのオーケストラ・合唱団、音楽教師、音楽大学の学生で形成されていると思われます。そして、そこから、3合目くらいまでは、アマチュアの演奏家たちです。この中には市民の合唱団も含まれます。
そして、そこから裾野までは、音楽愛好家(聴き手)が占めています。
私は、音楽界のイメージとしては、このように考えられるのではないかと思うのです。
私が日頃、感じることは、一応、日本に限りますが、この音楽界の容積がもっと大きくあっても良いのではないか?ということです。
そうなるには、大きい意味で、方法が二つあると思います。
ひとつは、頂の高さを上げることです。そうすれば自ずと追随して広がって行くでしょう。
世の中の価値判断は知らず知らずに人間が作り上げたものです。
そして、その意義については、今でも音楽学者が研究を続けています。
しかし、その価値判断をあまり大切にすると、自由な発想を妨げることにならないか、という心配です。その自由な発想から、超一流の学者や音楽家が育ちます。そして、彼らが次の世代の音楽界を牽引していきます。
従って、教育での価値判断に基準があり、それに基づいて評価するとしても、下方に外れた子供たちにも、何かその個性(才能)を発見できる眼力が音楽教師には必要ではないでしょうか?
さて、もうひとつは、裾野に広がる音楽愛好家(聴き手)を育て、増やすことです。
そうすれば、頂を上げることの一助にもなりましょう。
それには、幼児からの音楽教育において、優秀な音楽家を育てる側面と、良い聴き手を育てることの両面に力を注がなければなりません。
90%以上の多くの子供たちが実業の世界で生きるための道を選びます。
良い聴き手を育てるとは、そのように多くの子供たちに、人間になくてはならない芸術(音楽)は常に生活と共にある、という習慣を身に着ける必要があると思います。
そして、このピラミッドのあり方ですが、頂上が裾野を見回しながら向上を図る必要があるということです。政治でいうと、民意を汲み取りながら頂上の嵩上げを行うということです。その民意を計るのが演奏披露の場です。
国立音楽大学では、音楽家を育てることはもちろんのこと、音楽を社会に還元する(良い聴き手を育てる)こともとても計画的に実行されています。
この「I教授の談話室」も「良い聴き手を育てる」ことに多大な貢献をされています。
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この記事の皆川先生のことですが、中世音楽合唱団の定期演奏会でそのかくしゃくとして団員を統率するお姿をここ数年来、拝見させて頂いています。その生涯音楽学者という姿勢は見習うべきとご尊敬申し上げています。それにしても、ご高齢であるにもかかわらず、ご健康で研究の第一線とは驚きです。著作の「バロック音楽」は今でも私の必携になっています。
また、芸術系の諸学、中でも音楽の研究は、重んじられていない現状がある、とのことですが、実感としてそのとおりだと思います。それを打開するには長い目になりますが、幼児からの芸術教育が大切だと私は思います。小学校高学年からでは、教育の重点がどうしても将来の就業を考えた進学の分野に偏って行くので、遅すぎるのです。幼い頃から芸術に慣れ親しんだ子供が多ければ、芸術が人にとってどれほどなくてはならないものか、判る大人も増えていくことでしょう。
そして、幼児からの芸術教育について私に意見があります。小学生までは成績は全員中位以上とし、自由な発想で親しませるべきと思うのです。低い評価だと例え好きでも意欲をなくします。
文科省の教育指導方針に一石を投じるべきと考えます。
この幼児からの芸術教育の音楽の分野では、音楽大学の役割がとても大切になってきます。
芸術は一部の専門家のもののみではないはずです。I教授のご意見をお聞きしたく思います。