まぐろ丼2010年12月20日 23時52分09秒

久しぶりに、食べ物の話です。

完全に肉食男子の私ですが、お昼に意識的に探して食べているのが、まぐろ丼です。種々の変化球も歓迎。お寿司屋さんでも、ランチとして出していますよね。

ひとつ好きなのは、武蔵小杉の「三崎港」。横浜に行くときの乗り換えで、よく使います。しかしいまJRの乗り継ぎで行けるようになったので、訪問が減りそう。メニュー豊富でいろいろ選べるのが、ここの魅力です。

聖心女子大の授業のあと出て行く渋谷。駅の東、恵比寿に向かう通りには行列するラーメン屋がいくつもあります。その並びにある「鮪市場」が、いま気に入っている店。しばらくサンマ丼に凝っていましたが、季節が終わり、残念です。

今日は聖路加病院での検査の後、ひさびさに築地の「千秋」に寄ってみました。寒ブリと鮪の二食丼、1000円で、やはりぶっちぎりのおいしさ。ここは極めつけです。皆さんのお薦めがあったら教えてください。軽く食事をしたい立川、国立、新宿あたりに、いいお店があるとよいのですが。

立ち稽古進行中2010年12月22日 22時43分21秒

26日(日)に須坂メセナホールで上演する《ポッペアの戴冠》、立ち稽古進行中です。みんなオペラが大好きなのでしっかり仕上げてきていて、相当いいんじゃないかと、手応えを感じています。当日のプログラムに書いた「すざか版《ポッペアの戴冠》ができるまで」というエッセイを、宣伝代わりに公表させていただきます。みなさん、ぜひ須坂までお出かけください!
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 小さな思いを集めた源流がしだいに流れを増し、川となる・・・。すざか版《ポッペアの戴冠》の上演を前に、今、そんな高まりを実感している。

 渡邊順生さんがモンテヴェルディに傾倒しておられることは、わかっていた。かつて大阪いずみホールで、ご一緒にモンテヴェルディ・フェスティバルを開催したことがあったからである。私もモンテヴェルディは大好きで、「無人島へ持って行く曲」に、彼の《聖母マリアの夕べの祈り》を挙げているほどである。渡邊さんも私も、《ポッペアの戴冠》がモンテヴェルディ究極の名作であり、なんとか上演する機会を得たいものだと、別々に思っていた。

 今年渡邊さんは、高性能のリュート・チェンバロを購入された。ことあるごとに自慢されるその性能のひとつは、「歌の伴奏に最適」というものであった。東京でのバッハ《ヨハネ受難曲》実演のさいその響きを耳にして驚いた私は、この楽器があれば《ポッペアの戴冠》を上演できる、その場所は須坂だ、と直感した。古楽器が居並ぶ《オルフェオ》とは異なり、《ポッペア》は歌と通奏低音を主体に書かれているため、チェンバロと歌い手がいれば、最低限、上演可能なのである。メセナホールにチェンバロを運び、何人かの若い歌い手といくつかの部分を演奏するイメージが、すぐ私に生まれた。場はもちろん、私が8年来続けている、「すざかバッハの会」連続講演の、オペラを採り上げる回である。

 《ヨハネ受難曲》には、国立音大博士後期課程の学生で私の論文弟子の一人である阿部雅子さんが出演していた。阿部さんはモンテヴェルディを専攻しており、誰の目にも、ポッペア役にぴったりな人である。そこで阿部さんを主役に、博士後期課程の学生を中心とするキャスティングがまとまった。メンバーは全員、私が学内に主宰する「くにたちiBACHコレギウム」に所属している。歌曲専攻の学生も多く、オペラに取り組むことは共通の念願でもあったので、10月の壮行会は、意気盛んなものとなった。

 いくつかの場面の抜粋、というアイデアは、コンパクト版の全曲演奏という願望の前に消えていった。しかし、全3幕、上演時間3時間を超える大作を、どう講演会の中に収めたらよいか。ストーリーのポイントを押さえ、美しい楽曲を網羅し、出演者の出番を均等化することは、容易ではない。もう5分あれば、もう10分あればと、どれほど思ったことだろう。キャスティングで悩ましかったのは、ソプラノ音域で書かれ、当時カストラートによって歌われた皇帝ネローネ(ネロ)を女性が歌うか、オクターヴ下げて男性が歌うかということである。どちらにも長所、短所があるためスタッフと激論を交わしたが、最後は私が折れ、「男が男を歌う」自然さを優先することにした。メゾ・ソプラノ音域で書かれた将軍オットーネは、逆に音域を生かして、女性により歌われる。

 《ポッペア》には多くの登場人物があるが、須坂まで足を伸ばせる人数には、限りがある。そこでどうしても必要になるのが、兼役である。私は当初、3人の神(幸運、美徳、愛)の世界をはっきり分け、兼役をそれぞれの世界の内部にとどめる発想をもっていたのだが、それはとうてい実現できないアイデアであることがわかった。このため、プロローグにおける美徳の神が第2幕で快楽のとりことなる侍女に扮したり、哲学者セネカが親友たちによる「死ぬな、セネカ」のバス・パートを歌ったり、またオットーネがポッペアの侍女を兼ねたり、ということが起こっている。ご寛恕いただきたいと思う。

 夢は、器楽の領域でもふくらんだ。当初チェンバロのみで演奏するつもりだった通奏低音にヴィオラ・ダ・ガンバを入れることになり、名手の平尾雅子さんにお願いしたが、ご快諾をいただいたことで、演奏のステイタスはぐっと高まった。しかしそうなると、シンフォニアやリトルネッロを、弦合奏で演奏したくなる。そこで2本のヴァイオリンを含めることにし、通奏低音にはリュートも加えた。凝ったストーリーを理解していただくために、スタッフには字幕の担当者も加えることになった。

 《ポッペアの戴冠》は、厳しい世界観とリアリスティックな人間表現において、並みのオペラとは一線を画している。こうした作品の上演には、根本的な研究が欠かせない。そこで私は、全曲の台本の対訳を、内外の訳業を参考にしつつ自ら行い、文献や楽譜の研究も行って、詳細な解説を、演奏者たちに配布した。時間はかかったが、これまで取り組んだことのない新しい世界に入りこんで、知的な興奮を禁じ得なかった。それを通じて学んだ認識を、ぜひステージにも生かしてみたい・・・。そんな思いから、素人ではあるが簡単な演出を行って、視覚面でも楽しんでいただけるように考えたつもりである。

 皇帝を考えつく限りの手練手管で籠絡し、皇妃への階段を上り詰めてゆく、ポッペア。あらがうすべもなくその術中にはまり、皇妃を離別するローマ皇帝ネローネ。苦悩の日々を過ごし、ポッペア暗殺に失敗して流刑となるオッターヴィア。美徳を説きながらも理解されず、皇帝の命令を受け容れて自殺する哲学者、セネカ。寝取られたポッペアへの思いを断ち切れず逡巡したあげく、ドゥルジッラの純愛に追放の慰めを見いだす将軍オットーネ。天上から快楽をあおる〈幸運〉、時勢ゆえに零落する〈美徳〉、世の人々を手玉に取る〈愛〉の三神・・・。こうした人々の織りなすドラマを、モンテヴェルディの音楽は強靱に造形し、仮面の下にひそむ人間の真実を、われわれに突きつけてくる。その恐ろしさと美しさを、須坂の方々にお伝えしたいと思う。

最高の作曲家2010年12月23日 11時00分57秒

今日は、桜木町の渡邊邸で行われている練習に、1日付き合いました。渡邊さん、平尾さんがフルタイムで1人ずつ綿密な指導をするのですから、若い人たちにとっては、本当にいい勉強。意欲が高まるのも当然です。

渡邊さんがプログラムに寄稿された文章を読んだら、次のような部分が目に止まりました。おお、やっぱりそうですか!

「その時以来、モンテヴェルディは、私にとっての『古今の作曲家ベストテン』の首位を占め続けている。今までの音楽家人生で、私は、特にバッハとベートーヴェンには特別な思いを抱いて接してきたが、モンテヴェルディの首位が脅かされることはなかった。」

さすがのバッハもモンテヴェルディには及ばないのではないかということは、私もずっと思っていることです。渡邊さんもそれがあるからこそ、予算も満足にない公演に、惜しまず時間と労力を投入してくださるわけですよね。

大合唱2010年12月25日 23時14分20秒

桜木町の渡邊邸に、通い詰めました。昨日は深夜の帰宅、今日は朝からで、最後の通し稽古。多くの人が心配していたのが、雪でした。でも最近の長野県は、雪、降らないんですよね。年内は、まず降らない。ですから、絶対に大丈夫だ、降る確率はかぎりなく低い、余分な心配はするな、と気合いをかけていたところ、大(?)雪。誰のせいだ、と叫ぶ私に、先生だ、という非難の大合唱です。確率、低いんだがなあ。

稽古の途中、私は抜け出て朝日カルチャーへ。別れるにあたり、長野で会いましょう、新幹線に乗り遅れることのくれぐれもないように、と念を押したところ、先生に言われたくありません、の大合唱。そうですね、危ないのは私です。でも私がいなくても、コンサートは成立する。ここまでくると、もっとも不要なのが、私なのです。

しかし連日、すごい追い込みだったなあ。明日が楽しみです。なお、体調不良で交代が2人出ました。ドゥルジッラ役が小島芙美子さんから安田祥子さんに交代し、ヴァイオリンが渡邊慶子さんから宮崎容子さんに交代します。緊張、緊張。

達成感2010年12月27日 23時49分07秒

「すざかバッハの会」におけるモンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の公演、無事終了しました。出演者の方々、裏方の方々、応援してくださった会と聴衆の方々、ありがとうございました。『信濃毎日新聞』にも、カラー写真入りの記事を掲載していただきました。

音楽監督である私が自分からああだった、こうだった、と書くのは気が引けますので、出演者や聴衆の方々から、できればコメントを頂戴したいと思います。私としては、《ポッペア》をプロデュースするという望外の機会に恵まれ、残りの人生をどう過ごしたらいいか、というぐらいの達成感に包まれています(笑)。ひじょうに忙しかった今年。この公演を目指してすべてが進んできました。斎藤佑樹さんが「自分には仲間がある」という有名な言葉を吐きましたが、その気持ち、よくわかります。

神様の後押しで2010年12月29日 14時21分05秒

いきなり書きこむのは気が引ける、という空気があるようですので、私から、少し書かせていただきますね。

オペラをご覧になる方は、気に入った歌い手を見つけようとするものです。それもまた、鑑賞の楽しみ。しかし《ポッペアの戴冠》in Suzakaの場合、それは困難ではなかったでしょうか。なぜなら、適材適所の配役(←自慢させてください)のもと全員がベストを尽くし、レベルの揃ったアンサンブルを繰り広げていたからです。いったんお気に入りを見つけても、新しい歌い手が登場するたびに再考を迫られる、という状況になっていたのではないかと思います。

歌のレベルが高かったというのは、指導された渡邊、平尾の両先生はじめ、いろいろな方がおっしゃってくださったことです。これは両先生のご指導のたまもの、出演者の才能と努力のたまものであるわけですが、「くにたちiBACHコレギウム」における最長3年のバッハ経験と、ドクター論文に取り組むことによる知的な鍛錬が、大きくプラスしているように思えてなりません。それなくしては、様式感を踏まえた、洞察力に富むモンテヴェルディ演奏はあり得なかったと思うからです。ただ優秀なソリストを集めただけでは、日曜日の演奏は成立しなかっただろうと感じています。

そうなると、大元にあるのは、大学に後期博士課程が設立され、そこに入学してくる優秀な声楽学生の論文指導を私が担当するようになった、という事実です。でもまさかそこからモンテヴェルディの公演が可能になるとは、思いもよりませんでした。このありがたい流れを後押ししてくれた神様は、〈幸運〉でしょうか〈美徳〉でしょうか、それとも〈愛〉なのでしょうか。

2010年回顧2010年12月31日 13時58分32秒

今年も、あと10時間。押し詰まらないうちに、振り返っておきたいと思います。

今年は、私の生涯のうちでいちばんいい年であり、いちばん忙しい年でした。これは多分、不正確な感想でしょう。体力にまかせて動いていた多忙な年は以前たくさんあったはずですし、「いい年」も過去さまざまに訪れては、遠ざかっていったに違いないからです。でも今年の終りに上記のような感慨があることは、まぎれもない事実です。

私の人生は、ここへ来て、かなり変わってきました。実践とのかかわりが、ずっと広く、深くなってきたのです。解説を書くだけなら学生の頃からやっていましたが、企画の仕事が増え、現場を取り仕切ることが多くなってきました。しかも音楽大学とその周辺において、そうなっているのです。音楽が好きで、それがあればこそ打ち込んだ研究でしたから、一種の自己実現として、この流れを受け止めています。

こうした傾向を踏まえて、今年の十大ニュースを選んでみると・・・

1.モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》上演(12.26)--新しい領域を仲間たちと開拓できたことにより。
2.バッハのカンタータ演奏会(12.14)--3年間にわたるバッハ演奏研究プロジェクトの総仕上げとして。
3.後期博士課程における研究教育の進展、とりわけ湯川亜也子さんの博士号取得--今年もっとも時間を費やしたことと、その嬉しい見返りとして。
4.NHK「バロックの森」放送の開始。個別的には、アーノンクール《ロ短調ミサ曲》の生放送を挙げるべきかもしれません。
5.『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』の文庫化--25年ぶりに、自分の原点と向かい合いました。
6.聖心女子大学への久しぶりの出講--すばらしい大学であると再認識。
7.日本音楽学会会長としての活動、その再選--周囲におんぶしていますので、重要ですが上位にはできません。
8.いずみホールのコンサート活動、とりわけバッハのオルガン作品連続演奏会--やっぱりステージに乗ったものが心に残ります。
9.「楽しいクラシックの会」24年目の活動--いわば私のふるさと。
10.ワイン嗜好の進展--人生の豊かさとして。目下の好みはシチリアの赤ワインです。

周囲の方々に恵まれ、健康にも恵まれて、一年を終えることができました。皆さんに感謝します。どうぞよいお年をお迎えください。