雪の閏日2012年02月29日 17時51分44秒

大雪の閏日になりました。通勤に不自由されている方もおられることでしょう。私の大学では昨日に続き博士後期課程の入学試験が行われましたが、今日受験した人は、その風景が一生記憶に残ることでしょうね。

終了後、研究室の仲間とのお別れ会までに、長い時間があります。そこでいよいよ、部屋の片付けに乗り出しました。3月を、片付け月間とします。なぜなら、自分の家を片付けないと、大学を片付けても処理できないからです。

今週「古楽の楽しみ」に出ています。しかし今週と3月26日からの週は再放送期間なので、去年の9月に出したバッハのトリオ・ソナタ特集と、12月に出したバッハの《クラヴィーア練習曲集》の特集を選びました。聴き逃された方はどうぞ。

閏日というと連想するのは、バッハのカンタータ第140番《目覚めよ》です。この曲は教会暦の閏日、すなわち三位一体後第27主日のために1731年に書かれたのですが、この日は復活祭が一番早くなった年にのみあらわれる日曜日で、バッハの生前には3回しか出現しませんでした。作曲前に1回、作曲後に1回です。

バッハのカンタータ中の最高傑作が、こういう珍しい日のために書かれているって、面白いと思われませんか?再演の機会がほどんどないことがわかっているにもかかわらず、バッハはこの日のテーマである終末を扱って、すばらしい作品を作りました。音楽は人間が作って人間に聴かせるもの、という発想では、説明のできないことだと思います。

コメント

_ マッキー ― 2012年03月01日 16時24分10秒

カンタータ第140番について読み終わり、うぅーん、そう言うことかと考え込んでしまいました。神の存在のことだと思えるのですが、少々的外れになるかもしれませんが・・・。

西欧音楽史におけるバッハまでの時代と言うのは、信仰が人々の生活と社会に深く根付いていて、苦難でもあった時代と思うのですが、そのような時代の人々に思いを馳せ巡らすことが、バッハ(の時代まで)の音楽、とりわけ宗教音楽を味わうためには大切であるのだと、改めて思った次第です。

バッハが到達した至高の精神性から紡ぎ出された音楽世界の核心に迫るには、それなりに厚い信仰心が必要なのでしょうが、私には信仰心はないも同然で、神と言われても正直、実感が湧きません。ただ、
日本の仏教宗教家と、20世紀最大の歴史家の一人、イギリスのトインビーとが対話した際に「神」とは、と尋ねられ、
 「宇宙の背後にある精神的実在」
と述べたと言う。
キリスト教西欧文明の国の歴史家の含蓄深い言葉だと常々思うのですが、思い出すたび、うぅーん、となってしまいます。

観念的だと思いつつ、バッハが到達した音楽の奥底と繋がっているような気がしてしまうのです。

こんなコメント後でなんですが、因みに、閏日で直ぐに想い出したのはロッシーニでした。ロッシーニの誕生日なのです。

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