真意はどこに2012年05月17日 11時23分31秒

言葉を使うのを商売にしているとさけて通れないのが、レトリックです。バロック音楽ではレトリックが語彙になっていますから、私の研究対象でもある。しかしディベートの手段となるような、言いくるめ、言い逃れのようなレトリックは、私のもっとも忌避するところです。政治の世界では(裁判の世界でも?)、そういうレトリックが多いですよね。

いまレトリック分析の対象になっているのが、橋下大阪市長です。分析しがいのある対象だと思いますがまだ私にはその用意がないので、今日は別の話。レトリックなのかどうなのか、どうにも真意がわからないのが、鳩山由紀夫さんの発言です。

先般、イランを訪問して大統領に友愛を説いた、という報道がありましたよね。良かった、また訪問したい、とおっしゃっているそうです。でも、行動の趣旨は何でしょう。2つ考えられます。心を込めて友愛を説けば異国の大統領も理解し、政治が変わってくるはずだ、と思っている。もうひとつは、そんなことで政治は変わらないと承知しているが、自分がそういう活動をしている姿を見てもらいたいと思っている。

後者でしょうか。それも好ましくはないですが、そういう人はたしかにいるし、いることも理解できます。しかし前者だとすると、私にはとうてい理解できないし、深刻だと思う。上に立つ人には、冷厳な現状分析と人間へのシビアな眼が前提として必要だと思うからです。先日まで日本を預けた人だけに、どうも納得がいきません。

コメント

_ junjun ― 2012年05月17日 14時01分27秒

フライブルクよりjunjunです。

記事に関係のないことなのですが、書き込ませてください。
フライブルク大学でも和声学をやっているのですが、今学期からRegola dell'ottavaが出てきて、国立ではやってないと記憶しているのですが、先生は毎時間とっても重要だとおっしゃっています。国立のときのノートをみてもどこにも出てきてないので音楽学を専攻している学生はやるのかな~??と疑問に思い、質問させて頂こうと思った次第です。
私はローマ数字で書く和音記号から考える習慣がついていて、でもこちらではまずゲネラルバスの上についている数字から和音を考えたり・・と違いがあるなと感じています。
どうしても今までやってきた考え方で考えてしまうため、ごちゃごちゃになってしまうときもあります。
日本でどうなのか知りたくて、書き込んでしまいました。すみません。

_ I招聘教授 ― 2012年05月18日 13時02分11秒

junjunさん、こんにちは。正しい回答は理論系の方にお願いしたいと思いますが、私のようにバッハ、バロックを専門としていると、通奏低音の理論から和声に入ることには魅力がありますし、実践にも役立ちます。ただし時代様式に限定されますから、和声をもっと広く普遍的に捉えたいということになると、国立方式が合理的になるのではないでしょうか。

_ junjun ― 2012年05月18日 23時02分48秒

先生、ありがとうございました。
なるほどーですね。少しつっかえてたものがとれたような
感じがします。
対位法も国立で学んだことよりももっと古い時代からはいって
いってるようです。
幸い国立でとった単位が正式に認められたため、授業にはでてますが
学期末の試験という恐怖からは逃れられました。
本当にありがとうございました。

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