よき「終わり」2012年11月26日 23時18分12秒

「終わり」を強く意識した、今年の日本音楽学会全国大会。23日(金)夕方に西本願寺に隣接する聞法会館(会議スペース兼ホテル)に到着し、626号室(!)をいただきました。モーツァルトの顔を思い浮かべ、「なるほど」とつぶやく私でした。

それにしても、会場に泊まっているのは便利ですね。なにかと、部屋に戻ることができます。音楽と信仰/宗教の関係を問う今年のテーマには、聞法会館はいかにもふさわしいスペース。議論の進展を会場が後押ししてくれているように感じることが、しばしばありました。

「終わり」を意識している私にとって、弟子の活躍は嬉しいことでした。当地で僧職にあり、仏教音楽を研究している福本康之君は実行委員会の中心になっていて、人柄のよさ丸出しでサポートに走り回るばかりか、シンポジウムのコーディネーターも担当。私のもとで修士過程を終え東大美学に転じた堀朋平君は、シューベルトのマイヤーホーファー歌曲についての研究発表で、格段の充実を示しました。

優秀だった堀君が成長しつつあることはわかっていましたが、長所と短所は裏腹ですから、懸念も感じていました。しかし今回の発表は私の懸念を払拭するすばらしいもので、「コイツに教えることはもう何もないな」というのが実感。「新旧交代」という言葉が、頭に浮かびました。これからは、彼らの時代です。

会長としての業務をこなしながら気を抜くことができなかったのは、最後に私のコーディネートする「クロージング・シンポジウム」が控えていたためです。6年間の会長職の仕上げのような意味をもつイベントでしたので、失敗は許されない。「九仞の功を一簣に虧く」ということわざも、頭に浮かんでいました。

シンポジウムは、ともすれば冗長になりがちです。報告が延び、議論が尽くされずに中途半端に終わることも多いのがシンポジウム。そういう結果にだけはなりたくないと思い、パネリストの諸先生には完全原稿を書いていただくこと、時間を厳守して進めることをお願いして、準備に慎重を期しました。テーマは「宗教音楽をどのように『研究』すべきか」というものでしたが、しだいに、宗教音楽の「宗教性」とはいかなるものか、という本質的な議論が、前面に出るようになってきました。

1分1秒たりとも無駄にしないという意気込みで開始した、シンポジウム。文字通り友情出演してくださった美学者、佐々木健一さんの存在が大きく、その基調講演を受けた大角欣矢さん(キリスト教音楽研究)、田中多佳子さん(ヒンドゥ教宗教音楽研究)、藤田隆則さん(能楽研究)が、各自12分の完璧リレー。凝縮された12分の中には各自のご研究のエッセンスが投入されており、報告を、続くディスカッションを聞きながら、私は心に感動が高まるのを抑えることができませんでした。

終了後、私の退任にかかわるねぎらいを実行委員長からいただき、フロアからも拍手をいただいて、それが大会の締めくくりともなりました。夜は、福本君の予約してくれたレストランで、ちょっと張り込んだワインを飲みながら会食。全力投球したパネリストの方々の高揚感は、すごかったです。

月曜日は雨。新聞の取材を終えて、ゆっくりと帰宅しました。学会を終えると虚脱状態になると予想していましたが、案に相違して、しみじみした幸福感が心を包みました。皆様のおかげです。仏教的な意味をこめて、「ありがとう」と申し上げます。