古楽の楽しみ、今月の特集2012年11月01日 14時29分52秒

再放送で事実上一ヶ月送りとなった、「古楽の楽しみ」。今月は、「バッハの秋のカンタータ」という特集を組みました。

教会暦の三大祝日は、冬と春にやってきます。秋は「三位一体後」の祝日がえんえんと続く地味な季節で、祝日もわずかしかありません。しかしこの季節の礼拝のためにバッハが書いたカンタータには名作が多くあり、これまで、取り上げる機会がありませんでした。そこで、名作選を企画。かなり、切り札を切る結果となりました。

11月5日(月)は、三位一体後第12日曜日のためのアルト独唱用カンタータ第35番《霊と魂は驚き惑う》と、第14日曜日のための第78番《イエスよ、あなたは私の魂を》。前者には鈴木雅明さんのすばらしいオルガンが聴けるBCJ 盤を(ソロはロビン・ブレイズ)、思い出深き後者にはリリングのものを選びました(一応聴き比べましたので、この選択には自分でひっくり)。

6日(火)は、第16日曜日のための第8番《いとしい神よ、私はいつ死ぬのですか》と、ミカエルの祝日(9月29日)のための第19番《かくて戦いが起こり》、そして宗教改革記念日(10月31日)のための第80番《われらが神は堅き砦》。演奏はすべてガーディナーの「バッハ巡礼2000」からで、第80番は抜粋です。

世俗カンタータも1曲入れたいと思い、7日(水)は荘園領主祝賀の《心地よきヴィーデラウよ》BWV30aを取り上げ、皆様御存知の、現地探訪体験をお話しました。演奏はレオンハルト指揮、カフェ・ツィンマーマンのもの。少し余った時間に、第169番の冒頭シンフォニア(オルガン・ソロ付き)を、BCJの演奏で入れました。

8日(木)は、第19日曜日のためのバス独唱用カンタータ第56番《私は喜んで十字架を担おう》と、第27日曜日のための第140番《目覚めよ》。周知の両名曲を、ガーディナーの「巡礼2000」の実録で取り上げました。このシリーズは1年間でバッハのカンタータ全曲ツアーをするという信じがたい企画の生録なので、当然ながら出来不出来がありますが、この2曲、とくに第140番はじつに目覚しい演奏です。この最高傑作に決定盤がないことをずっと嘆いていたのですが、このガーディナーが断然いいです。普段感想などはおっしゃらない技術の方が絶賛しておられましたので、私だけの感想ではないと思います。

これだけ名曲を集めてみると、バッハのカンタータはやっぱりすばらしいなあ、というのが実感。皆様、今月は早起きしましょう(笑)。

鎮魂の調べ2012年11月03日 08時30分02秒

ウィーン・フィルの方々は、日本が大好き。3.11の出来事にはひじょうに心を痛められ、何か力になれることはないか、と申し出られたそうです。そこでサントリーが受け皿になり、「ウィーン・フィル&サントリー音楽復興基金」が成立(詳細はサントリー芸術財団のホームページをご覧ください)。私も、縁あってこのプロジェクトのお手伝いをさせていただいています。

活動の二本柱は、「音楽復興祈念賞」と、「こどもたちのためのコンサート」。復興祈念賞には多数の応募があり、審査の末、助成金受賞者が決定しました。第1回の受賞者は、すべて被災地の方々です。いい企画がたくさんありました。

「こどもたちのためのコンサート」は11月1日から始まり、私も2日間、ご一緒してきました。15人による小編成オーケストラが、東北地方を巡演するのです。曲目はオール・モーツァルトで、ヴァイオリン協奏曲第4番、フルート協奏曲第2番、交響曲第29番の全曲か、その抜粋。1日の夕方には仙台の常磐木学園シュトラウスホール(←立派なホール)、2日の午前には岩沼西小学校でコンサートが行われました(ここで私は帰郷)。ホールでも、体育館でもみごとに響かせることのできるのがウィーン・フィルなので、高校生も、小学生も集中して聴き入っていました。小学校では、《紅葉》のほほえましい合唱が、感謝のお返しとなりました。

小学校のコンサートの前に立ち寄ったのが、被害がもっとも深刻だったところのひとつ、名取市の閖上(ゆりあげ)地区です。バスで向かった現地は、一見草原のようなのですが、よく見ると、建物の土台がそこここに。盛り土された慰霊碑に昇ってみると、風の強い日であったせいか大きな波が打ち寄せており、身震いしました。

ウィーン・フィルの人たちの献花と演奏が予定されていたのですが、あいにくの雨模様。野外で弦楽器というわけにもいかないだろうと思ったら、ウィーン・フィルの方々はぜひやると主張され、ディ-タ-・フル-リ-氏ら3人が、バッハのトリオ・ソナタト長調BWV1039の第3楽章を演奏されました。その模様はNHKのニュースで「鎮魂の調べ」として放映されましたから、ご覧になった方も多いことでしょう。

現場を見、いろいろなご説明を伺って、被害の状況と、復興のために行われている努力のたいへんさがよくわかりました。遅ればせながら訪問の機会を得、多くを学ぶことができました。あらためてお悔やみ申し上げるとともに、復興の早からんことをお祈りします。

第3コンサート:庄司紗矢香2012年11月04日 17時25分51秒

11月3日(土)は、庄司紗矢香+ジャンルカ・カシオーリのコンサート。期待通りすばらしいものでした。私的には、とくにドビュッシー、ヤナーチェクです。庄司さんの純粋をきわめた響き、高貴な美意識に貫かれた繊細な表現を楽しむには、いずみホールの大きさ、音響は絶好であるように思います。またしても完売。ツキがかさんでゆきます。

先日ご報告したオルガン伴奏によるウィーン楽友協会合唱団のコンサート、日経新聞のデジタル版に、佐々木宇蘭記者が感動的な記事を書いてくださいました。私としてありがたいというだけでなく、1つのコンサートに関してこれだけの記事というのはたいしたものだと感服しましたので、リンクを張らせていただきます。http://www.nikkei.com/article/DGXBZO47857800Q2A031C1000001/ いまキャンペーン中で、しばらくはタダで読めるのだそうです。私も加入考慮中です。

今月のイベント2012年11月06日 01時20分29秒

遅れました。今月のイベントです。

7日(水)の13:00からは、朝日カルチャー新宿校の「マタイ徹底研究」の4回目。3曲目から6曲目まで、つまり、最初のコラールから最初のアリアまでを、詳し~くやります。大阪からの帰りになりますので、荷物を持って出ます。忘れ物に気をつけなくては。

11日(日)の14:00からは、まつもとバッハの会の2回目。「バッハの仕事場を覗く」シリーズの第2回、「バッハの環境、バッハ家の伝統」というテーマでお話しします。今回のみ、会場が「県(あがた)の森」に変わります。ステージから転落しないで済みそうです。

17日(土)の10:00からは、立川の「楽しいクラシックの会」例会(錦学習館)。ワーグナー・プロジェクトが、いま《タンホイザー》に入っています。詳しくやった方が面白いので、今回は第1幕後半と、第2幕を対象にします。

21日(水)の13:00からは、「マタイ徹底研究」の第5回です。最初のソプラノのアリアから入ることになるでしょうが、聴き比べなどやっていますので、最後の晩餐に入るぐらいで終わるでしょうか。

24日(土)、25日(日)は京都の西本願寺聞法会館をお借りして、日本音楽学会全国大会が開かれます。テーマは、「宗教と音楽/信仰と音楽」。私の会長任期は今年が最後ですが、絶好のテーマで締めくくることができて嬉しいです。25日の15:10から、私のコーディネートで「宗教音楽の『研究』はいかにあるべきか」というシンポジウムを行います。尊敬する佐々木健一先生をゲストにお招きし、大角欣矢、藤田隆則、田中多佳子3氏をパネリストとして開催します。どなたでもお聴きになれます。

きわめて多忙な今月。おかげさまで、充実しています。

ルプー、入神のシューベルト2012年11月07日 10時31分09秒

最近痛感するのは、ホールもひとつの楽器だということ。楽器が多種多様であるように、ホールも大きさや形態、音響条件によってさまざまです。ですから、演奏家がその違いに対応してホールを鳴らしてくれると、コンサートの価値はずっと高くなる。その逆もまた、真です。そんな思いを強めていたタイミングで、ラドゥ・ルプーのシューベルト・アーベントに巡りあいました(6日)。

ウィーン音楽祭4つ目のコンサートですが、3つ目の完売。演奏者と聴衆の皆様から大きな波をホールがいただいているような、ありがたい気持ちです。いつもより暗い舞台照明で、コンサートは淡々と始まりました。しかしその音の美しさには、満場驚愕といっても、過言ではないでしょう。まろやかで潤いのある音が、清水のような爽やかさで湧きだしてくる。その響きがホールとよくなじんで、客席をすみずみまで満たしていくのです。

タッチや脱力など、技術的な要因も大きいでしょうが、色合いが無限に変化するその奥行きに引き込まれると、演奏者の耳、とりわけ絶妙な和声感がそれを支えていることに、気づかないわけにはいきません。和声の天才、シューベルトの楽譜から、常人では気づかないような何倍もの情報が、引き出されているのです。天国的な長さ、あくなき反復といった特徴も、このように演奏されると、心ゆくまで味わいを楽しむ枠組みとなります。即興曲、最後のソナタには、年輪を重ねたルプーがシューベルトを慰めているように感じられるところもありました。

静かな演奏なのに、客席の盛り上がりは熱烈。高揚した表情で私に声をかけてくださる方も、いつになく多かったです。ご本人は包容力のある素朴なお人柄で、サインの長い列に、上機嫌で対応しておられました。

法隆寺追記2012年11月09日 15時49分11秒

先日の法隆寺談で、触れなかったことが1つあります。

私は信州大学の附属中学(松本校)の出身なのですが、そこでは月曜日の朝にいつも朝礼があり、副校長の先生(校長は大学教授)が講話されるならいになっていました。中山という教養の高い先生で、いつもいいお話しをされていました。

その中に、こういう話があったのです。子規に「柿くえば鐘がなるなり法隆寺」という句があるが、子規がじっさいに聞いたのは東大寺の鐘である。しかし鳴る鐘は、やはり法隆寺がふさわしい。東大寺は「事実」であるが、法隆寺は「真実」なのだ、というお話しです。その後美学を学んでいるときに、おりおりこの言葉が心に浮かびました。

もちろん売店で買った柿を食べたときも、このお話を意識していました。「鐘は鳴りませんでしたが」と書いたのは、そのつながりです。しかし、法隆寺の近辺にはたくさんの柿の実りがあり、売店もあるが、東大寺の環境は、そうとは思われません。法隆寺の方がずっとフィットするように思われます。まさか、子規の句が有名になってから柿を植えたわけでもないでしょう。

そこで調べてみると、「日本語と日本文化」というサイトに、その説明がありました。子規が東大寺近くの宿に泊まったとき、宿の女中さんが柿をむいてくれた。そのおいしさにうっとりしているときに、鐘が鳴ったというのですね。これまたなかなかのシチュエーションですが、俳句にそこまで説明的なことは書き切れません。そこでより自然な法隆寺にした、というのが真相のようです。

工夫を凝らした句かと思っていましたが、法隆寺を訪れた結果、飛鳥らしいおおらかさを自然に味わうべき句だと思うにいたりました。

日生劇場の《メデア》2012年11月10日 15時11分59秒

いま大阪に向かう車中です。昨夜は日生劇場に、アリベルト・ライマンのオペラ《メデア》を見に行きました。阿鼻叫喚のシーンも頻出する前衛オペラですが、書法の密度は高く、演奏・演出((飯塚励生)のすばらしさもあり、類いまれな迫力に、手に汗を握りました。

下野竜也指揮、読響は演奏に勢いがあり、進むにつれ、艶やかな凄味を表出。コロスに相当するモダン・ダンスも良かったです。

長木誠司さんの書かれた名解説に、古典的な教育しか受けていない歌い手ではおそらく2小節も歌えないだろう、というくだりがありました。それだけに飯田みち代さんを始めとするキャストの頑張りが称えられるわけですが、人声に無理をさせることを競うような現代オペラのあり方もどうなんだろう、という思いも頭をよぎりました。

偉大なり!藤村実穂子2012年11月12日 09時24分11秒

いずみホールの「ウィーン音楽祭 in Osaka」、10日のマーラー《大地の歌》(+ピアノ四重奏曲)で、全7公演のうちの5つが終わりました。芸術監督である私が良かった良かったというのも立場上どうか、とつねに思いながら、間近で接する体験のご報告という形で書かせていただいています。それにしても、この《大地の歌》は良かった。レジテントの室内オケ(いずみシンフォニエッタ)を起用した国産企画だけに、感銘もひとしお。偉大なる藤村実穂子さんの絶唱に酔いました。

〈告別〉の章を歌い終え、しばしの静寂のあとに湧き上がった盛大な拍手に応える藤村さんの挙措に、私は格別な「熱さ」を直感しました。ご本人にとっても、この日は会心の演奏だったのではないか。そう思った私は、さっそく楽屋へ伺いました。

「永遠に、永遠にewig, ewig」ですでに涙の出ていた私は、藤村さんが「客席を見ると涙が出そうだったのでずっと楽譜を見ていた」とおっしゃるのを聞き、もはや、涙止まらず。シェーンベルク=リーム編の精緻なスコアをみごとにまとめられた指揮者、金聖響さんも、涙を抑えるのに困った、と言っておられます(自分を誇らずに藤村さんへの感動を一貫して表明された金さん、芸術家ですね)。客席を包んだ尋常ならざる高まりを、演奏者が完全に共有していたことがわかりました。

藤村さんの演奏については皆様もよくご存じでしょうが、強大なブレスに基づく揺るぎない技術的基盤に立ち、ありあまるマテリアルを作品を深奥に向けて注ぎ込む歌い手です。マーラーの寂寥感が、余情や感傷でなく、音へと純粋に結晶した表現として歌い出されるのです。藤村さんから、このホールが大好きであること、シェーンベルク版を演奏できてよかったこと、大阪のお客様が温かいことを伺い、そのお言葉を心に刻みました。いつかまた、再演したいです。

奇跡2012年11月13日 17時19分14秒

奇数月のゾロ目日(すなわち11日)は、「まつもとバッハの会」の講演日。雨模様で寒い一日でしたが、バッハの生い立ちおよび伝統との関係について、楽しくお話しさせていただきました。

「まつもとバッハの会」というと、すぐお思い浮かべるのが、ステージからの転落。受講生の方もまさか今日は落ちないだろうな、という関心がおありになったようでした。しかし今回は会場が「あがたの森文化会館」に変わっており、平らな教室であったため、落ちようがありませんでした。

松本駅から通りを美ヶ原の方向にまっすぐ進むと、突き当たりに「あがたの森」はあります。私の学んだ高校の旧制松本高校時代の
建物が保存され、公園になっているのです。訪れるのも一興かと思います。

終了後の打ち上げを早めに切り上げていただき、お気に入りのワインバーで一杯。その場で高校以来の友人が、次のように言いました。ステージからの転落には驚いた。君は運動神経がまったくないのだから、あの高さから落ちたら大ケガをするのが普通。それを免れたのは幸運ではなくて、奇跡だ、というのです。どうやら私、ツキを浪費し続けて ようです。

新幹線で、名古屋に到着。今日は友人のリサイタルを聴きます。

暗さの探究2012年11月14日 15時48分04秒

名古屋のしらかわホールでリサイタルを開かれたのは、ピアニストの長野量雄さん。私心なく音楽に打ち込む方を尊敬する私には、得がたい友人です。聖心の授業を終えてから名古屋入りして宿泊、翌日大阪に向かうという計画を立てました。

常に高いところを見据えて真摯に音楽作りをされる長野さん、今年のリサイタルのテーマは「終焉」(!)。モーツァルトのロ短調の《アダージョ》を皮切りに、シューベルトのニ長調ソナタ、ベルクのソナタ、シューベルト=リストの《白鳥の歌》から、最後にワーグナー=リストの《愛の死》と、重い曲目が並んでいます。

暗きを目指す構想は、もちろん私も望むところ。シューベルトが〈すみか〉〈海辺にて〉〈影法師〉と進む頃には、暗さも深みを増し、深淵の趣。最後、ピアノに集約されたトリスタン和声がそれを受け止めて法悦へと導くところでは、感動の沸き上がるのを覚えました。

長野さんを敬愛する若い人達が集まった打ち上げも楽しく、行って良かったです。ここにこの人ありと、ご紹介いたします。