一応野球の話2013年04月17日 07時51分41秒

シーズンが始まっているのに何も書かないのは変ですので、一応。

去年決めた「広島ファン」というのを今年も継続しています。CSでだいたいの試合は見られるのですが、広島東洋カープの試合にチャンネルと合わせ、おりおり他の試合の様子を見る、という形に定着してきました。

若手の多い、いいチームだと申し上げておきます。でも詰めが甘いというか、隙が多いというか、見ていて切歯扼腕の状況になることも確か。昨日の試合もその1つです。まあ、気長に応援していきます。

ひとつだけ、陣容からして飛び抜けたチームがあるわけですよね。これだけ集まれば、勝つでしょう、それは。ドラフトを拒否して入団し大活躍、なんていうのは一番歓迎できないので、日本でも完全ウェーバー制のドラフトを実施して欲しいと思います。

土曜日の「らららクラシック」に、ちらりと出演します。パッヘルベルの《カノン》をめぐる番組ですが、担当の方がものすごく勉強しておられたので、面白い番組になっているのではないかと思います。

これぞミュンヘン!2013年04月19日 09時45分06秒

18日(木)。早朝に起き、まず原稿の仕上げ。バッハのチェンバロ協奏曲ニ短調の国内盤楽譜が出るので、その解説に、かなりの時間を費やしました。

原稿を送り、芸大の授業準備に入った10:11に、元同僚の知人からメール。土曜日の「たのくら」に欠席するという連絡の終わりに、「今夜はミュンヘン・フィルに行きます」と書いてあります。えっ、ミュンヘン・フィル?!

思い出しました。2月に朝日新聞社で講演したご褒美に、チケットをいただいていたのです。2枚いただいたので、1枚をお世話になった方々の抽選に委ね、開演前にサントリーホールの入り口でお渡しすることになっていました。それをすっかり忘れ、夜は打ち合わせで、NHKに行く予定になっていたのです。急いで連絡し、NHKの方にはコンサートの終わる21:00に、サントリーホールに来ていただくことにしました。

分刻みで準備して飛び出し、授業。それから本郷のアカデミアに回って、支払いと資料購入。重い荷物でサントリーホールに着いたときにはもうへとへと。というわけで、マゼール指揮、ミュンヘン・フィルの感想は、アンコールに絞らせていただきます。

ブルックナー第3が終わると、ただでさえ大編成のステージに、ぞろぞろと奏者が入ってきました。これは《マイスタージンガー》をやるのではないか、と思い、もう20分もお待たせているNHKの方に手を合わせつつ、座席で待ちます。果たして《マイスタージンガー》の前奏曲が、ひときわ荘厳なテンポで始まりました。

でも何か、普通と違う。あれっ、どうしたの、と思うところが随所にあります。しばし首をかしげましたが、まもなく納得。「皆さん、思い切り遊んでください、無礼講です」という指示が出ているようなのです(私の想像です)。ピシリと合わせる棒を振ってきたマゼール氏がいまやそうした度量を身につけたのか、前任者ティーレマンからの引き継ぎなのか、楽員の希望なのか、詳しいことは存じませんが、どのパートも規制を外してエンジン全開、音響のるつぼとなり、思いがけぬ対旋律や内声が表に出てきてびっくりする、という状況になったのでした。パートやセクションの中での打ち合わせもあるらしく、木管がめくばせしながら踊るように合奏したり、コントラバスがしばらく主役を張ったり、という乱闘劇(←第2幕にある)。前奏曲のスコアがきわめて対位法的だということが、逆説的によくわかる進行です。

こういう演奏をプログラム内でやることは考えられないし、アンコールだから、それも日本公演の最後だからということで解放されたアイデアでしょう。でも、じつに面白かった。作品の本質でもある豪快な祝典性が、ホールを圧するようにあらわれていたからです。これぞ、ミュンヘン!東京春祭の《マイスタージンガー》も良かったけど、オーケストラにこの祝典性はありませんでした。ミュンヘン気質とは何か、と問われれば、《マイスタジンガー》と答える、というところです(注:初演以来この作品が本当に愛されていて、われらが音楽、になっています)。お待たせすること40分。ご迷惑をおかけしました。

長い一日、よき一日2013年04月22日 23時41分07秒

20日(土)。「楽しいクラシックの会」例会に向かう途上で、忘れものに気づきました。前回の例会でLDプレーヤーが故障し、新しい機械と取り替えていただく了解が会場とついていたのですが、まだ入っていない可能性も大いにあると気づき、日本語のついたDVDをスペアに持参しようと思って、忘れてしまったのです。

そうしたら、会場には立派なLDプレーヤーが鎮座ましましているではありませんか。ああ良かった、と思ったら、それは設営係の会員の人が、自宅からかついで来たものであるとのこと。ああ、こういう心遣いが「たのくら」26年を支えているんだなあと、感激してしまいました。

私の話が始まる前に総会の行われるのが、毎年の4月。事業報告や会計報告が行われ、会計監査の方まで登場します。こうした役割をみんなで分担しているのが、長寿のコツなのですね。この1年間皆勤という方が12人もおられたのには、びっくりしました。

4月からの素材は《リング》。まず、《ラインの黄金》です。昔凝った作品ですが、しばらくぶりで向き合ってみると、いろいろなことに気がつきます。来月ワーグナーの和声法に関して研究発表しなくてはいけないので、そのためのステップとしても役に立つ講座でした。

会食される会員の方々と別れ、強い雨の中を、三鷹の「風のホール」へ。「小さな小さな音楽会」という、初心者にやさしいコンサートを聴きました。市橋邦彦さんという方が★★★★★(いつつ星)オーケストラを解説付きで指揮し、プログラムには、ロッシーニとエロールの序曲、ベートーヴェンの第7交響曲が並んでいます。

トーク付きのコンサートの場合、私は職業柄、解説を注視します。すばらしいもの、いい加減なものが、演奏以上に混在しているのが解説。しかし市橋さんの解説は誠実にして謙虚、考え抜かれたもので、お客様に行き届いた知識を与えながら、音楽のために、心地よい雰囲気を作っていかれるスグレモノです。私もとても勉強になり、普段書かないアンケートに、励ましの言葉を綴ってしまいました。啓蒙のために、たいへんよい企画だと思います。

銀座のヤマハと渋谷のタワーレコードで資料集めをしてから、いつもながらの「ラ・ゴローザ」へ。その夜は、学会で私の配下として働いてくださっていた方々とのお別れ会でした。本来は私が皆さんを慰労すべきなのに、逆に慰労されてしまい、ありがたいやら、申し訳ないやら。会長職を卒業できて大いにほっとしているのですが、こういう方々との交流がこれで終わりかと思うと沈んだ気持ちにもなる、宴の後でした。

花粉症2013年04月24日 21時46分04秒

私が幸運だと思っていることのひとつは、花粉症にかかっていないことです。周りに被害者がたくさんいますので、同情しつつ、春を楽しく過ごせることは、ありがたいことだと感謝しています。花粉症の方は、花粉症でないわれわれを、どう思っているのだろうか。たとえば巨人ファンの××さんなど。

最近、目がかゆいことがよくあります。これって、花粉症の方の典型的な症状だそうですね。花粉症でなくて、良かった。

おとといの夜、鼻に、ツーンと何かが来る感覚がありました。そうしたら鼻水が出始めて、とまらない。たちまち目の前に、ちり紙の山ができました。花粉症の方は、よくこうなるそうですね。花粉症でなくて、良かった・・・ん?これって、おとといから花粉症の仲間入りをしたということではないだろうか。この命題を否定できるかどうかが、目下の関心事です。ちり紙、大量に携行中。

死との向き合い2013年04月26日 05時00分41秒

高峰秀子さんの本、今度は『にんげん住所録』(文春文庫)を読みました。平成10年から12年、70代半ばに書かれたエッセイが集められています。必然的に、老いがテーマの中心になっている。

老化して気息奄々、という趣旨の文章がさかんに出てきます。ところが、文章には持ち前の気っぷの良さが相変わらず躍動していて、老け込んだところがまったくない。達意の文章を書く人はそういうものなのか、彼女のエネルギーが特別なのか、どうなんでしょうね。

最後に「私の死亡記事」という欄があるのにはびっくりしました。想定される新聞記事を先取りして、簡潔に、クールに書いておられます。

私が思ったのは、こういう記事を書かしめるメンタリティはどんなものだろう、ということです。自分を突き放す豪毅な方ならではのユーモア、という解釈はもちろんありますね。それが基本です。私は豪毅ではないが、この手の冗談は好きな方です。

しかし、逆の解釈もあるように思えるのです。自分にそれを言い聞かせ、気持ちを備えるための一種の念仏、ないし祈り、というような。そこを突っ込めば、あくなき生への意志の逆説的な表現と見られるかもしれません。両面ある、という見方も成り立つことでしょう。

故人の心境を忖度するのも申し訳ないですが、私には、高峰さんのご逝去が、あらためて大きなことに思えてきました。強烈な人生を生きた、本当に偉大な方だったと思います。

今月の特選盤2013年04月27日 08時25分39秒

音楽史上評価のむずかしいもののひとつが、シューマンの後期作品です。再評価の要請が根強くある一方、人気曲としてなかなか浸透しないことも事実。私も、辛い思いをぬぐえない、というのが正直なところです。

そこへ、作品の問題点を十分認識しながらも、それに勝る愛をもって、技術的にも最高の充実度で後期歌曲を再現する、すばらしい録音があらわれました。加納悦子さん(メゾソプラノ)と長尾洋史さん(ピアノ)による、「メアリ・スチュアート女王の詩~シューマン・後期歌曲集」(ALM)です。 op.83の《3つの歌》から op.135の標記作品まで、34曲が収められています。

演奏には本質への鋭利な洞察力が一貫して感じられますが、それを裏付けるのが、ご本人による解説です。ぜひ全文を読まれることをお薦めした上で、すごいなあと思った最後のパラグラフを引用させていただきます。

「後期歌曲」でシューマンは「表現する」のではなく「魂が語る」ような歌を作り出した。「1840年-歌の年-」の作品たちの流麗なピアノパートは見る影もないし、骸骨のようになってしまった歌たちは「歌う」というよりは「念じる」といった感じに近い。枝葉を落とした木々のように、それらの歌曲は立ちすくみ、しかし、まだしっかりと地中深く根を張って、天を向いて立っている。(加納悦子)

銀座線2013年04月29日 23時12分34秒

今日は、久しぶりの在宅日。月曜日ですが休日ですから、野球をやっています。私は広島ファンなので勝ったり負けたり。しかし浮き沈みの激しい球団も、どうやらあるようです。

浮き沈みは、去年にもありました。4月にぐっと沈んでいた球団が、徐々に勝ち始め、最後に優勝したのです。あたかも地下鉄銀座線が、地上に出て坂を登り、渋谷駅に到着したような上昇ぶりです。

同じチームが、今年はぐっと浮いているらしいのですね。渋谷駅の3Fぐらいに高いところから、スタートしたようです。となると、これから地下にもぐっていくことになるのか、どうなのか。常連としていつも勢いのあるコメントを寄せてくださる方に伺いたいと思っているうち、今日の中日戦になりました。

落合さんの築き上げた王国がもろくも崩れてしまった、ドラゴンズ。情けないですね。でもなんとかがんばって欲しいと思っていたら、先発の中田がつるべ打ち。1回表で、4失点です。こりゃとても歯が立たん、完全に今年の象徴のような試合だと思って、応援を諦めました。勢いのあるコメント氏も、きっと同様に思われたことでしょう。

ところが。その後は中日が一方的に打ちまくり、ついに逆転して、圧勝してしまったのです、ご承知の通り。キツネにつままれたような気がしますが、ツキの法則からすれば、こんなものかもしれません。問題は、この試合が本当に、今年を象徴するものであるのかどうか、ということです。勢いのあるコメントを、ぜひお待ちしています。