絶叫調2014年05月22日 11時03分34秒

いま集中的にテレビに映っている芸能人、絶叫調で歌う方ですよね。この絶叫調というのは、いつごろ始まり、広まったものなのでしょうか。

政治家の演説に、絶叫調という類型がありました。今は、タイプというほど特別なものではなくなっていると思います。私は昔から、絶叫調が好きではありませんでした。主義主張を納得させるには相手に考えてもらう必要があるわけで、そのためには絶叫はむしろ有害であるからです。演劇でも、絶叫調の台詞をよく聞きますね。私はたいていunhappyです。まあ、絶叫調と雄弁、熱弁が紙一重ということはあるでしょうが。

ひるがえって、音楽。クラシック畑の私からすると、絶叫調で歌うと声の美しさが損なわれ、表現も突っ張ったものになると思うのです。いま昔の歌謡曲を調べていますが、昔の歌手は音色を大事にして、やわらかく歌う人がほとんどだった。演歌も繊細に小節が利いていて、誇張された「ド演歌」が出てくるのは、あとからのことです。オペラの世界で、ベルカントが音量主義に置き換えられていくのと同じ傾向が見て取れます。

歌は世に連れですから、流行歌の変遷はあって当然です。でも量より質を尊ぶ立場からしますと、昔をなつかしむ気持ちも生まれてきます。月曜日のコンサート(いずみホール)に、近江俊郎の《南の薔薇》という曲が含まれていますが、You tubeで見る近江さんの歌唱力はすばらしく、脱帽します。最後、「君はやさしの薔薇」という決めのフレーズさえあの美声を張らず、「やさしく」歌うのですから。

《マタイ受難曲》、DVDラッシュ2014年05月24日 08時52分29秒

《ヨハネ受難曲》について人様の前でお話しすることが多いので、新しいDVDを待ち望んでいるのですが、《マタイ受難曲》ばかり出てきます。そこで、朝日カルチャーセンター新宿校の《ヨハネ》研究の時間に、《マタイ受難曲》の新DVDを、最初の3曲(合唱曲、レチタティーヴォ、コラール)限定で比較試聴しました。

その3種類というのは、次の通りです。
1.ラトル指揮、ベルリン・フィル&ベルリン放送合唱団、福音書記者:マーク・パドモア、イエス:クリスティアン・ゲルハーヘル。2012年。
2.ジョン・ネルソン指揮、パリ室内管弦楽団&メトリーズ・ド・パリ、福音書記者:ヴェルナー・ギューラ、イエス:ステフェン・モルシェク、2011年。
3.ペーター・ダイクストラ指揮、コンチェルト・ケルン&バイエルン放送合唱団、福音書記者:ユリアン・プレガルディエン、イエス:カール=マグヌス・フレデリクソン、2013年。

以前は拙著『マタイ受難曲』の増刷のたびに、新譜情報を盛り込んいました。しかし最近は紙面スペースが限界なのと、出版状況からして直しができませんので、市場に対応できなくなっています。それならここで、とも思いますが、責任をもった評価をするためには時間をかけなくてはなりませんから、日々の更新で対応することは困難です。そこで、最初の3曲だけでは評価はできない、ということを念押しした上で、冒頭から受ける印象のみ、書いておきます。

1は、ピーター・セラーズの演出によって舞台化されています。この一点からして私は「衝撃的」とされるこの映像を見る勇気がなく、カルチャーに場を求めた次第。合唱団が多様な嘆きを動きながら歌い、カメラがそれを追いますので、人間が主役になる印象です。ラトルがいつも通りの超ドラマティックな指揮で、一流の音楽家を統率しています。

2は、《ロ短調ミサ曲》で白熱的な演奏を展開したネルソン率いるフランス勢の、《マタイ》への挑戦。今度はパリのノートルダムではなく、サン・ドニ大聖堂を会場としています。冒頭からネルソンがカリスマ性を発揮して、勢いがあります。映像がフランス人の見た目のよさを生かしているのも、ミサ曲と同様。

3は唯一のピリオド楽器で、冒頭合唱曲ではレーゲンスブルク大聖堂聖歌隊の少年たちが、大きな効果を上げています。作品としっかり取り組んでいるという印象があり、手応えを感じました。一歩リードのスタートです。(エヴァンゲリストのプレガルディエンはクリストフの息子さんだそうです。生気はつらつ、楽しみな若手です。)

こんな書き方ではかえって無責任かなとも思いますが、こうしたものが出ている、という情報として読んでいただければ幸いです。

木を見るか、森を見るか2014年05月25日 17時44分42秒

最近若い研究者の方とお話しする機会があり、そのさい標記の話題を提供しましたので、ここにも書いておきます。

よく、「木を見て森を見ず」というたとえが語られます。視野は広く持つべし、との意で、私がよく使う言葉で言えば、「大局観」の重要性を語ったものです。

しかし私は若い方々に、むしろ「まず木を丹念に見よ、しかるのちに森を見よ」と述べたいと思います。その人の大きなテーマが森だとしますと、若いうちは、個々の木の丹念な研究を積み重ねる。木のことがよくわかってくるにつれて、森に対する視点が、しだいに開かれてゆく。かなりの歳月が必要でしょうが、その上に立って形成される森への視点は、強固にして確実です。

なぜこのように申し上げるかと言いますと、若い人が木をスルーして森を論じようとする傾向が、最近強いように思えるのですね。大きなテーマを、特定の視点を定めて、かっこよく切っていこうとする。基礎研究を省略して大きな視点を構築しようとすると、研究はおしなべて、イデオロギーになってしまいます。初めに結論ありきで、都合のいい資料だけを取り出してつじつまを合わせていくようになりやすいからです。

「木を見て森を見ず」といういましめは、たくさんの木を見ている人に対する激励として、理解したいと思います。

新・あれ、バッグがないっ!(1)2014年05月27日 13時43分05秒

フランクフルトでノートパソコン入りのバッグとお別れしてから、40日ほど経ちました。ルーターともお別れしましたので、タブレットもお蔵入り。不便が募ってきたので、環境の再構築を思い立ちました。

5月23日(金)を待ったのは、その日がパナソニック・レッツノートの夏モデル発売日だったから。いくつもノート・パソコンを使いましたが、レッツノートの性能が抜群と認識しているので、多少高くとも、購入することに迷いはありませんでした。5年ぶりの買い換えです。前機種の性能がとても良く、ずっと使い続けていたのです。

バッテリーの持ちよりも軽さ優先、オフィス不要、という方針で、CS-FXのエントリー・モデルを購入。解約していたWiMAXに入り直しました。入ると「5万円安くなる」という触れ込みでしたが、毎月の払いは多くなるのですね。それでも2年間で1万円安くなるということなので、5万円引きのコースにしてもらいました。

さっそく、環境を構築。欠かせないのは、ブラウザ=Chrome、メーラー=Thunderbird、クラウド=Dropbox、そして最近使い始めて便利さ痛感のEvernote。ノートパソコン、タブレット、スマホのすべてを4つのアプリで統一し、携帯用のルーターもバッグに忍ばせて、私は意気揚々と、大阪に出発しました。月曜日のコンサートのリハーサルが、日曜日の夜にあるのです。(続く)

新・あれ、バッグがないっ!(2)2014年05月28日 16時15分56秒

日曜日は、新宿でいったん下車。いずみホールのオペラをおまかせしている河原忠之さんと、歌舞伎町の風俗まっただ中の喫茶店で、打ち合わせがあるからです。

私は右手に神器入りのバッグ、左手に舞台衣装という大荷物でしたので、コインロッカーを探しました。しかし日曜日の昼間は、どこも満杯。ようやく地下鉄の駅近くで空きが見つかり、荷物を収めて、手ぶらで歌舞伎町に出かけました。

打ち合わせ終了後、東口方面にスープカレーのおいしいお店を見つけて昼食。私はスープカレーのお店があると必ず入るほど好きなのですが、このお店「東京ドミニカ」はいいですね。一番といっていいくらい気に入りました。

大満足で荷物を取り、JRへ。思えば、ここに間違いがありました。身軽なときに、本を買っておくべきだったのです。月曜日のコンサートのために高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』を再読しておこうと思ったのですがなぜか見あたらず、紀伊國屋で買うことにしていたのでした。

新幹線の車中では、ノートパソコンの環境構築に熱中。本は、大阪駅で下車し、梅田の紀伊國屋で買うことにしました。文春文庫のはずが新潮文庫に変わっていてびっくりしましたが、無事購入。大阪駅に戻ります。

両手に荷物をもっていますが、なんとなく軽いように思えました。右手には、ステージ衣装。左手には、本屋の手提げ袋。・・・えっ、違うじゃん!本当は3つあるはずの荷物が、2つだけなのです。またバッグが!と、このときばかりは気が動転しましたね。なぜなら、バッグの中味が、パソコンだのルーターだの、フランクフルトのホテルとうり2つになっていたからです。しかし、5年使ったパソコンをなくすのと、前の日に買ったばかりのパソコンをなくすのでは、意味が違います。

バッグが手元にないのはさてどの段階からか、私は考え始めました。(続く)

新・あれ、バッグがないっ!(3)2014年05月29日 23時33分52秒

さて、どこにバッグを置いてきたか。新幹線の車内でノートパソコンを使っていたのだから、新幹線に乗る以前ではない。新幹線に置き忘れたという可能性が、まずひとつです。だとすると、荷物は博多まで行ってしまう。博多まで取りに行くのではたまりません。

もうひとつは、紀伊國屋梅田店で本を購入するときに、足元に置いて出てきてしまったという可能性。これの方が多分多い、と推測しました。まだそう時間は経っていないので、レジにそのまま置いてあるのではないか。しかしこの場合は、誰かが持ち去る、ということも考えられる。そのままならいいが・・、いや絶対そのままだっ、と念じて、阪急梅田まで戻りました。

レジに直行。店員数人が並ぶ、大きなレジです。若い男性店員を覚えていたので、その前を見ましたが、バッグはありません・・。

残る可能性は、お客さんが忘れ物に気づき、お店が預かった、というケースです。それが最善で、そうでなければたいへん。「ここにバッグを忘れたと思うんですけど」と尋ねると、その店員は思い当たる様子で、ちょっと探してから、他の店員に相談。しばらくしてその人が、バッグをもってきてくれました。

良かった(しみじみ)。やっぱり、日本ですね!でも、喜んでばかりはいられません。不注意から起こった出来事が幸運な解決を見て、大量のツキを消費したように思えたからです。これがコンサートにかぶったら困る。夜9時からとなったリハーサルでは、皆さん心なしか好調でないように思え、別の心配が兆してきました。(続く)

次週の「古楽の楽しみ」2014年05月31日 11時22分42秒

連載中ですが放送が迫ってきてしまいました。そこで、来週のご案内を割り込ませます。

バッハのリレー演奏を楽しんでくださる方が多いので、来週は、《フランス組曲》に挑戦しました。アシスタントはピアノをやられた方々で興味津々のご様子でしたが、いつもクールに務めてくださる技術の方が「じつに面白いですねえ」とおっしゃったのには嬉しくなりました。以下に概要を記しておきます。

6/2(月) 
第1番ニ短調 全曲:ギエルミ2011(チェンバロ)、グールド1972(ピアノ)
第2番ハ短調 全曲:バッケッティ2011(ピアノ)、サラバンド~メヌエット:レオンハルト1975(チェンバロ)

6/3(火)
第3番ロ短調 全曲:コルネリア・ヘルマン2012(ピアノ)、アングレーズ+メヌエット:曽根麻矢子2004(チェンバロ)
第4番変ホ長調 全曲:鈴木雅明1999(チェンバロ) 異稿BWV815aから:リヒテル1991(ピアノ)

6/4(水)
第5番ト長調 全曲:コープマン1993(チェンバロ) リレー演奏(ピアノ):シフ1991→井上直幸2000→アンデルジェフスキ1998
組曲イ短調BWV818a ボーモン1998(チェンバロ)
第6番ホ長調からプレリュード、アルマンド:西山まりえ2004(チェンバロ)

6/5(木)
第6番ホ長調 全曲:ファジル・サイ1998(ピアノ) リレー演奏(ピアノ):ホルショフスキー1991→へブラー1979→ラローチャ1971
組曲変ホ長調BWV819a ピヒト=アクセンフェルト1991(チェンバロ)
第5番ト長調からガヴォット、ブーレー: バックハウス1956(ピアノ)

新旧をとりまぜて紹介していますが、ごく新しい演奏からですと、チェンバロではギエルミがすばらしく、ピアノでは新感覚のバッケッティ、正統的なヘルマンが楽しめると思います。