ヨーロッパ真摯の旅2015(7)ーーガーディナー、巨匠の潤い ― 2015年06月18日 02時09分46秒
三日間のポーランド滞在を終え、ベルリンを経由して、ライプツィヒに到着しました(13日)。酷暑が続き、荷物をもってのホテル探しに大汗をかきましたが、夕立が降って一段落。ホテルは星5つのフュルステンホーフです。
14日(日)はまず、同行の方々と市内観光。トーマス教会を前にあれこれ説明していると、後ろを見ろと促されました。振り返ると、クリストフ・ヴォルフ先生が立っておられます。前回同様、さっそくの再会は嬉しいかぎり。翻訳を進めていることも、ご報告しました。バッハ博物館では、戻ってきた肖像画と対面。大きく、鮮やかな絵です。
聖ニコライ教会で行われた最初のコンサートは、「バッハとモーツァルトの死の音楽」と題するもの。選帝侯妃追悼カンタータ(第198番)とモーツァルトの《レクイエム》、《アヴェ・ヴェルム・コルプス》をガーディナーが指揮するという、垂涎のプログラムです。
第198番が好きということは日頃から申し上げていますが、その理想的な演奏をついに聴いた、というのが実感。鋭角的にてきぱきとしたCDの演奏とは異なり、慈しむような間合いがあって潤いが豊か、というのが、この日の演奏でした。中央に置かれたアルトのアリア、すなわち唯一の長調曲の余情がそくそくと心に迫り、合唱も言葉のエネルギーに満ちていました。
カンタータで死を叙情的な角度から美しく描き、《レクイエム》ではその畏怖すべき様相を劇的な角度から表現して対比する、というコンセプトが、ガーディナーにはあったようです。《レクイエム》は速いテンポでたたみかけるように演奏され、モンテヴェルディ合唱団ならではの透徹したハーモニーが躍動。この対比を、《アヴェ・ヴェルム》がじつにみごとに捨象して、豊かな安息へとコンサートを導きました。
一種虚無的に終わる《レクイエム》にコンサート内で《アヴェ・ヴェルム》を続けるのは、なるほどというアイデアです。様式が共通しているし、ニ短調をニ長調にもたらすことになる。それは、カンタータのロ短調の受けにもなっているわけです。
というわけでいきなりすばらしい一夜になりましたが、いいことばかりは続きませんでした。皆さんを張り切ってご案内した夕食でろくろく料理の説明もできず、不適切な仕切りをしてお店を怒らせてしまったのです。まずかった、申し訳ないという反省で、じつは夜も眠れず。「iが仕切りを買って出るとろくなことはない」という仮説が頭に浮かびましたが、それがさっそく実証されるだろうとは、この時点では思っていませんでした。
14日(日)はまず、同行の方々と市内観光。トーマス教会を前にあれこれ説明していると、後ろを見ろと促されました。振り返ると、クリストフ・ヴォルフ先生が立っておられます。前回同様、さっそくの再会は嬉しいかぎり。翻訳を進めていることも、ご報告しました。バッハ博物館では、戻ってきた肖像画と対面。大きく、鮮やかな絵です。
聖ニコライ教会で行われた最初のコンサートは、「バッハとモーツァルトの死の音楽」と題するもの。選帝侯妃追悼カンタータ(第198番)とモーツァルトの《レクイエム》、《アヴェ・ヴェルム・コルプス》をガーディナーが指揮するという、垂涎のプログラムです。
第198番が好きということは日頃から申し上げていますが、その理想的な演奏をついに聴いた、というのが実感。鋭角的にてきぱきとしたCDの演奏とは異なり、慈しむような間合いがあって潤いが豊か、というのが、この日の演奏でした。中央に置かれたアルトのアリア、すなわち唯一の長調曲の余情がそくそくと心に迫り、合唱も言葉のエネルギーに満ちていました。
カンタータで死を叙情的な角度から美しく描き、《レクイエム》ではその畏怖すべき様相を劇的な角度から表現して対比する、というコンセプトが、ガーディナーにはあったようです。《レクイエム》は速いテンポでたたみかけるように演奏され、モンテヴェルディ合唱団ならではの透徹したハーモニーが躍動。この対比を、《アヴェ・ヴェルム》がじつにみごとに捨象して、豊かな安息へとコンサートを導きました。
一種虚無的に終わる《レクイエム》にコンサート内で《アヴェ・ヴェルム》を続けるのは、なるほどというアイデアです。様式が共通しているし、ニ短調をニ長調にもたらすことになる。それは、カンタータのロ短調の受けにもなっているわけです。
というわけでいきなりすばらしい一夜になりましたが、いいことばかりは続きませんでした。皆さんを張り切ってご案内した夕食でろくろく料理の説明もできず、不適切な仕切りをしてお店を怒らせてしまったのです。まずかった、申し訳ないという反省で、じつは夜も眠れず。「iが仕切りを買って出るとろくなことはない」という仮説が頭に浮かびましたが、それがさっそく実証されるだろうとは、この時点では思っていませんでした。
コメント
_ 縄文 雅use ― 2015年06月20日 06時58分13秒
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それが好きで合唱を止められないのですが、7年ほど前にBETのメンバーと大晦日に聖ニコライ教会でメサイアを歌った時も響きが良いので、大変気持ちよかった事を覚えています。また丁度、曲が終わったタイミングで新年を迎えると言う趣向だったので、曲が終わってすぐ新年の花火が始まると響きが良すぎてまるで戦時下にいるみたいでした。
7月7日に地元で、柳沢寿男の指揮でオーケストラアンサンブル金沢と終戦70周年記念講演 平和への祈りと言う事でモーツァルトの「レクイエム」を演奏します。山本有希子(ソプラノ)、清水華澄(アルト)、与儀巧(テノール)、青山貴(バリトン) 、五環の森合唱団なのですが、どのような演奏になるのやら?