ヨーロッパ真摯の旅(14)--ナウムブルクのオルガン・コンサート ― 2015年06月26日 23時43分03秒
メールは、美学時代からの友人で、藝関連(藝術学関連学会連合)の会長をなさっていた、西村清和さんから。内容は、私が藝関連の新会長に選出されたことの連絡で、組織が直面しているさまざまな課題が書き連ねられていました。さてこのニュースは、今まで見ていた夢とは関係があるのか、ないのか。あるとしたら、どんな関係なのか。しばらく考え込んだ私でした。
この重責をどうやって果たしていけるか、正直のところ自信はないのですが、たくさんの学会が私をと指名してくださったことは光栄でもありますので、がんばって務めたいと思います。皆様のご協力をお願いします。
ナウムブルクに向かうバスの中で夢の話を披露したところ、散らばった所持品を拾い集めるくだりから、皆さん爆笑。そうか、やっぱり人間のメンタリティは、読んでくださる方も同行してくださる方も同じだなあ、と、しみじみ思った次第です。夢に登場したのは全部私の知った人だったはずだという青春きっぷさんのご指摘(コメント)ですが、ほとんど知らない人でしたよ(とくに風俗関係)。自分の行ったことのない場所の夢を見る、っていうこと、ありませんか?ユングの理論が、それを裏付けていますよね。
たしか3年ぶりのナウムブルクは、私の好きな町のひとつ。大聖堂の威容が抜きんでています。次の写真は、市庁舎前の広場が市でにぎわっているところ。
この裏にある聖ヴェンツェル教会には、晩年のバッハが鑑定をしたオルガンがあり、女婿のアルトニコルが、そのオルガニストになりました。ちょうど水曜日だったので、12時から30分のコンサートで、ジルバーマンの流れを汲むヒルデブラント・オルガンの響きを体験。
北欧風の名前のオルガニスト(男性、中堅)の名前を覚えられなかったのですが、コンサートはとても良かったです。簡潔で的確な解説をはさんで進められていく曲目が、バッハのト短調のファンタジーBWV542、トリオ・ソナタ第2番ハ短調、20世紀のコラール楽曲、BWV542のフーガ、という魅力のプログラム。ラドゥレスクの曲目に大好きな第3番ニ短調のトリオ・ソナタが入っていて感激しきりだったのですが、劣らず大好きな第2番ハ短調を聴けて、至福のひととき!演奏は流れの良い、しっかりしたものでした。おりおりにCDを買い込みましたので、放送で使えるといいな、と思っています。
コメント
_ 青春23きっぷ ― 2015年06月27日 14時24分34秒
_ I招聘教授 ― 2015年06月27日 22時39分34秒
どこかで目にしている、ということは大方あるでしょうが、スナップ写真のような表面的な記憶であって、内的なつながりではないのではないでしょうか。私の夢が、気にしていることの連鎖だということは確かだと思います。それにしても、行ったことのない場所を夢で見る、という類のことは、あるように思えます。
_ 縄文 雅use ― 2015年06月28日 05時41分39秒
私もよく夢を見ている時は、知らない人によく会います。そして、乗り物に乗る夢と、研修会で宿泊する夢を良く見ます。その場所が都会だったり,海のそばだったりするのですが、夢の中で何回も訪れた場所の近くであることがあります🏨🏠
私も帰るために,荷物をしまうのに鞄がしまらなかったり、片付かなかったり、荷物を散乱させてしまって慌てる事は多々ありました👜
あと明晰夢と呼ばれている夢もあって、現実感が非常に強い夢です。これは浅い眠りの時に多いのですが、意識がハッキリしていて身近な物事にであう事もあります🙏
夜寝ている時は,肉体から魂が抜け出してあの世に帰っていると言う説もありますので、夢には色々なパターンがあると思います⛄
私も帰るために,荷物をしまうのに鞄がしまらなかったり、片付かなかったり、荷物を散乱させてしまって慌てる事は多々ありました👜
あと明晰夢と呼ばれている夢もあって、現実感が非常に強い夢です。これは浅い眠りの時に多いのですが、意識がハッキリしていて身近な物事にであう事もあります🙏
夜寝ている時は,肉体から魂が抜け出してあの世に帰っていると言う説もありますので、夢には色々なパターンがあると思います⛄
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先月のコメント、心とはで、他者と縁し・・・云々と長々と述べましたが、この縁とは、聞いたり見たりなどしたすべてですので、例えばネオン街を歩いていて偶然目に飛び込んできた華やかな女性の後姿も、お酒の席で友人の会話に登場した人も含め、会った、いや縁したことになります。それらが(意識をしなくても、すべてではなくても)、過去の記憶との干渉を受けながら記憶されていると、考えています。まあ、自然ことだと思います。
また、テレビを見ていて、いいなあと思った場所や、書物を読んでいて想像を脹らせたりして言葉と共に記憶され場所も、だと思えるのです。
そうしたものも含め「(13)--夢」にコメントしたようにして(願望も擡げたりもあったりして)、ハチャメチャ感満載で夢の中に出でくるとと思っています。これで『とくに風俗関係』についても解決すると思うのですが。。。
前回の--夢 ― のコメントで「現実に関わった以外のものは皆無」と記しましたが、より正しくは「縁した以外の・・・」と言うことになります。
今回、先生が『ナウムブルクの大聖堂』の姿を目のあたりにした時、3年前の記憶が蘇り何かを想いその想いと共に(干渉)、ナウムブルクの大聖堂の新たな記憶が刻まれた(更新された)と、考えられる訳です。
こうした瞬間瞬間起きていることが、心の働き、実体だと思っています。心とは、他者との関係性を反映している記憶の動的集積体(その在り処は殆んどが脳)とその働き、との思いを深めています。
人に限らず命あるものは、縁が完全に途絶えた状態に移行すると、それが死と言うものなのでしょう。
大好きな音楽が聴けなくなるなんて死んだも同然だ、なんて何処かで聞いたことがありますが、こういう事なんでしょう。
縁が完全に途絶えると、外界(他者)が無になると"同時"に内界も無になる、心(記憶)も無に帰す、これが個体の死の様に思います。この時、魂が抜け出て・・・は、人生観・宗教観に依るのでしょう。
旅が夢が・・・こんな重たく個人的なコメントになってしまいすみません。