燃焼の一日 ― 2014年08月04日 01時06分07秒
8月1日のモンテヴェルディ・コンサートへのご支援、ありがとうございました。どっと疲れが出て、2日の土曜日はなにもできず、ご報告もすっかり遅くなりました。
1日は、「手違いでホールに入れず足止めを食う」、「いつもは簡単にできる昼食が長蛇の列で食べはぐれる」といった、私好みのスタート。ツキの理論に照らして私がそれを喜び、本番への確信を深めたことはいうまでもありません。打ち上げのお店にも足を運んで打ち合わせを済ませ、いよいよ本番となりました。
トークは前半2、後半2の計4箇所。原稿を準備していましたので大きな過失もなく、モンテヴェルディの作品としっかり向き合い、集中して聴くことができました。演奏の評価は、私から申し上げるべきことではありません。しかし加納/櫻田の傑出した2枚看板のおかげ、脇を固めるiBACHメンバーの高い士気のおかげ、すべての練習に付き合ってくれた器楽の方々と渡邊順生さんのおかげで、モンテヴェルディとの取り組みがわれわれとして新しい段階に達したことは、確かではないかと思います。
というわけで、涙を拭きながら幸福感にひたることのできた2時間でした。打ち上げは、赤坂のパーティスペースで。その後は赤坂見附のワインバーに場所を移し、演奏の方々と、解放感を共有させていただきました。これが楽しいんですよね。何本もワインを飲んで深夜にタクシー帰りでは、翌日、何もできないのも当然です。
カーテンコールの写真です。前列右から、阿部雅子、加納悦子、渡邊有希子、川辺茜、高橋幸恵、大野彰展、櫻田亮、小藤洋平、小笠原美敬、渡邊順生の皆さんと、私。後列から姿の見えるのは、チェロのエマニュエル・ジラールさんと、ハープ/オルガンの西山まりえさんです。小さくて見えないですね。また写真が集まったら公開します。皆さん、ありがとう。

いよいよ本番 ― 2014年08月01日 06時58分15秒
今朝は、ものすごく早く目が覚めてしまいました。緊張しているんだなあと、自分でびっくり。コンサートのステージ・トークは慣れた仕事でもあるのですが、今回は特別です。打ち上げの手配を含めて、直接責任を負っている部分がたくさんあるためでしょう。
こういうことがあと何回あるか、わかりません。しかし、これが「生きる」ということだな、という実感も。出演者、裏方のみんなが気持ちよく力を発揮し、お客様に楽しんでいただけるといいなあというのが、現在の思いです。
これから、トークの原稿を書きます。原稿を用意するのは善し悪しでもあるのですが、時間の制約が大きい場合には、無駄を省くため、内容の密度を高めるために必要。最近は忘れてしまうのを避けるため、という目的がそこに加わったので、やはり、しっかりやっておきます。
では夜、ブルーローズでご挨拶いたします。お声をおかけください。
こういうことがあと何回あるか、わかりません。しかし、これが「生きる」ということだな、という実感も。出演者、裏方のみんなが気持ちよく力を発揮し、お客様に楽しんでいただけるといいなあというのが、現在の思いです。
これから、トークの原稿を書きます。原稿を用意するのは善し悪しでもあるのですが、時間の制約が大きい場合には、無駄を省くため、内容の密度を高めるために必要。最近は忘れてしまうのを避けるため、という目的がそこに加わったので、やはり、しっかりやっておきます。
では夜、ブルーローズでご挨拶いたします。お声をおかけください。
舞台上演に接近 ― 2014年07月30日 08時10分29秒
日曜日から月曜日にかけて、ようやくモンテヴェルディ・コンサートの字幕と演出ノートを完成し、メンバーに送りました。《ウリッセの帰還》《ポッペアの戴冠》には既存のいい翻訳がありますが、やはり自分で訳してみないと、自分として気がつかないことがありますね。演出のイメージも、そこからようやく固まりました。
「演出」という言葉を使っているということは、8月1日のブルーローズのコンサートにおいて、演技が行われるということです。暗譜でやろうというみんなの意欲から始まり、オペラ的な視覚化を伴うところまで来ました。その分、楽しんでいただけると思います。「演奏会形式」と告知するのではなかったと後悔しています。
29日(金)に1日がかりの練習を行い、こうした一歩一歩の作業こそが音楽家を、コンサートを作るのだということを、感動をもって実感しました。今回はかつてなくキャストが充実していますが、間近で聴く渡邊順生さんのチェンバロもすごいです。洞察力、造形力が桁違いです。
《ポッペアの戴冠》のすばらしさを全身で浴びるにつれ、作品に対する考えが変わってきました。ストーリーには勝者と敗者があるわけですが、敗者の高貴さを表現することが重要だ、と思うようになっています。自らの哲学を実践して天上への道を歩むセネカ、厳しい追放の中にも生きる意志を示すオッターヴィア。そこには人間にとってきわめて大切なものが示されており、この作品を猟奇的に上演してはならないと、あらためて思った次第です。
まったく違うように見える《ウリッセ》と《ポッペア》にも、つなぐ意図がずいぶんあるなあとも、思うようになりました。皆様、ぜひお出かけください。
「演出」という言葉を使っているということは、8月1日のブルーローズのコンサートにおいて、演技が行われるということです。暗譜でやろうというみんなの意欲から始まり、オペラ的な視覚化を伴うところまで来ました。その分、楽しんでいただけると思います。「演奏会形式」と告知するのではなかったと後悔しています。
29日(金)に1日がかりの練習を行い、こうした一歩一歩の作業こそが音楽家を、コンサートを作るのだということを、感動をもって実感しました。今回はかつてなくキャストが充実していますが、間近で聴く渡邊順生さんのチェンバロもすごいです。洞察力、造形力が桁違いです。
《ポッペアの戴冠》のすばらしさを全身で浴びるにつれ、作品に対する考えが変わってきました。ストーリーには勝者と敗者があるわけですが、敗者の高貴さを表現することが重要だ、と思うようになっています。自らの哲学を実践して天上への道を歩むセネカ、厳しい追放の中にも生きる意志を示すオッターヴィア。そこには人間にとってきわめて大切なものが示されており、この作品を猟奇的に上演してはならないと、あらためて思った次第です。
まったく違うように見える《ウリッセ》と《ポッペア》にも、つなぐ意図がずいぶんあるなあとも、思うようになりました。皆様、ぜひお出かけください。
昔おおらか ― 2014年06月22日 10時57分15秒
21日(土)は、「たのくら」のワーグナー・プロジェクトで《トリスタンとイゾルデ》の第3幕を鑑賞したあと、皆さんと立川の「五十番」で昼食。毎度の「砂肝」に舌鼓を打ちました。いつもにぎわい、ジャズのコンサートも開かれるお店です。
夕方は、国立劇場で「日本音楽の光彩」と題する現代邦楽のコンサート。この手の作品を西洋音楽のホールで聴く機会はよくありますが、日本音楽のロケーションで聴くのも、別の味があっていいですね。舞台が照明で美しく彩られ、「和」の雰囲気があります。
勉強になるプログラムでしたが、とりわけ、最後に演奏された伊福部昭の郢曲《鬢多々良》に魅了されました。和と雅楽の楽器がよりぬきの奏者で並び、吉村七重さんの目覚ましいリードで演奏するさまは壮観。のびやかな古代の中国に空想の翼を伸ばしました。伊福部の最近の人気、わかりますね。
最近国立劇場によく行くのは、ここ(日本文化伝統協議会)の評議員のお仕事をいただいているから。公表しないでいたのですが、どんどん言っていただいて構わないということですので書きました。歌舞伎、能、文楽など、いろいろ勉強させていただいています。
夕方は、国立劇場で「日本音楽の光彩」と題する現代邦楽のコンサート。この手の作品を西洋音楽のホールで聴く機会はよくありますが、日本音楽のロケーションで聴くのも、別の味があっていいですね。舞台が照明で美しく彩られ、「和」の雰囲気があります。
勉強になるプログラムでしたが、とりわけ、最後に演奏された伊福部昭の郢曲《鬢多々良》に魅了されました。和と雅楽の楽器がよりぬきの奏者で並び、吉村七重さんの目覚ましいリードで演奏するさまは壮観。のびやかな古代の中国に空想の翼を伸ばしました。伊福部の最近の人気、わかりますね。
最近国立劇場によく行くのは、ここ(日本文化伝統協議会)の評議員のお仕事をいただいているから。公表しないでいたのですが、どんどん言っていただいて構わないということですので書きました。歌舞伎、能、文楽など、いろいろ勉強させていただいています。
高橋薫子、「倍返し」の熱唱 ― 2014年06月05日 12時10分52秒
話を5月25日(日)に戻します。バッグの紛失を免れた私は、良いツキを大量消費した形で夜9時からのリハーサルに臨み、26日昼のコンサートに余波が及ぶのではないかと、不安をもっていたのでした。昼のコンサートというのは、映画の主題歌を特集したいずみホール「日本のうた」のコンサートです。
出演者は高橋薫子(ソプラノ)、田中純(バリトン)、花岡千春(ピアノ)という方々で、いわば、信頼する仲間たち。ただリハーサルに様子見の感じがあったものですから、私は気安さも手伝って、いろいろ注文を出しました。本番に心配はないとは思いつつも、何割かでも生かしてもらえれば、というつもりでした。
驚いたのは、本番の出来映え。高橋さんの歌は言葉がほとばしるように前面に出て、《君の名は》など、精魂こもった絶唱。何割かどころではなく、「倍返し」という、去年の流行語を思い浮かべました。さすが一流ですね。田中さんはこのシリーズの常連で、その高貴で爽やかな声は、こうしたプログラムには不可欠です。映画に詳しい河内厚郎さんにコメントをいただきながら進めましたが、舞台上で何度も涙を拭わざるを得ないコンサートになりました。おかげさまです。
打ち上げでお二人と飲んだワインのおいしさは格別。田中さんとは、サントリーのブルーローズで《冬の旅》のコンサートを開くことになりました。またご案内します。
出演者は高橋薫子(ソプラノ)、田中純(バリトン)、花岡千春(ピアノ)という方々で、いわば、信頼する仲間たち。ただリハーサルに様子見の感じがあったものですから、私は気安さも手伝って、いろいろ注文を出しました。本番に心配はないとは思いつつも、何割かでも生かしてもらえれば、というつもりでした。
驚いたのは、本番の出来映え。高橋さんの歌は言葉がほとばしるように前面に出て、《君の名は》など、精魂こもった絶唱。何割かどころではなく、「倍返し」という、去年の流行語を思い浮かべました。さすが一流ですね。田中さんはこのシリーズの常連で、その高貴で爽やかな声は、こうしたプログラムには不可欠です。映画に詳しい河内厚郎さんにコメントをいただきながら進めましたが、舞台上で何度も涙を拭わざるを得ないコンサートになりました。おかげさまです。
打ち上げでお二人と飲んだワインのおいしさは格別。田中さんとは、サントリーのブルーローズで《冬の旅》のコンサートを開くことになりました。またご案内します。
人前で踊る ― 2014年03月10日 11時27分06秒
8日(土)は音楽三昧の一日でした。まず「楽しいクラシックの会」例会で、ワーグナー《神々の黄昏》の第3幕。ブリュンヒルデを歌うアン・エヴァンスの精根尽くした演唱に圧倒され、まず涙。この会でワーグナーをやるのは冒険かなと思い、一人去り、二人去りという情景も思い描いていたのですが、結果は逆で、月ごとに盛り上がってきました。4月からの年度は《トリスタン》《マイスタージンガー》《パルジファル》をやって、プロジェクトを完遂することになりました。
午後は同じ立川の錦学習館で、3月の「錦まつり」に会が提供するコンサート。今年は「メゾソプラノってすばらしい!」と題し、岩森美里さん、久元祐子さんにご出演をいただきました。企画として定着し、多くのお客様が楽しんでくださいます。
信頼する方々のご出演なので左うちわで、という目論見だったのですが、思いも寄らぬ事態に。岩森さんの歌うメドレーにバリ島の《おデブの坊や》という曲があるのですが、なんと、それに合わせて踊ってほしい、と頼まれたのです。私はそういうプレゼンテーションがまったくの苦手。死んでもいやだ、と申し上げたかったのですが、岩森さんに頼まれるとなぜか抗弁することができず、お役に立ちますっ、となってしまうのですね(汗)。
やりましたが、さぞお見苦しかったと思います。でも歌はすばらしかったですね。声がお人柄の深いところから湧き出ていて、あえて言えば、存在の悲しみに触れるようなところがあります。久元さんが学習館のくたびれたピアノを見違えるように鳴らされるのは、プロの至芸。人の出会いからこのようなコンサートを実現できて、感涙です。
終了後ただちに池袋まで移動し、カンタータ/受難曲コンサートのリハーサル。若い方々の出演ですが、実践と研究の共同を実現すべく、みっちり練習しました。今日これから、そのコンサートがあります。踊りはありません。
午後は同じ立川の錦学習館で、3月の「錦まつり」に会が提供するコンサート。今年は「メゾソプラノってすばらしい!」と題し、岩森美里さん、久元祐子さんにご出演をいただきました。企画として定着し、多くのお客様が楽しんでくださいます。
信頼する方々のご出演なので左うちわで、という目論見だったのですが、思いも寄らぬ事態に。岩森さんの歌うメドレーにバリ島の《おデブの坊や》という曲があるのですが、なんと、それに合わせて踊ってほしい、と頼まれたのです。私はそういうプレゼンテーションがまったくの苦手。死んでもいやだ、と申し上げたかったのですが、岩森さんに頼まれるとなぜか抗弁することができず、お役に立ちますっ、となってしまうのですね(汗)。
やりましたが、さぞお見苦しかったと思います。でも歌はすばらしかったですね。声がお人柄の深いところから湧き出ていて、あえて言えば、存在の悲しみに触れるようなところがあります。久元さんが学習館のくたびれたピアノを見違えるように鳴らされるのは、プロの至芸。人の出会いからこのようなコンサートを実現できて、感涙です。
終了後ただちに池袋まで移動し、カンタータ/受難曲コンサートのリハーサル。若い方々の出演ですが、実践と研究の共同を実現すべく、みっちり練習しました。今日これから、そのコンサートがあります。踊りはありません。
男性もまたよし ― 2014年03月03日 22時16分39秒
冷たい雨がそぼ降る日曜日(2日)、「キラリ☆ふじみ」というホールを訪れました。ご存じですか?富士見市市民文化会館というところで、いかにも遠そう。しかし武蔵野線北朝霞→東上線朝霞台と乗り換えると、下車駅、鶴瀬はすぐ近くでした。
ただそこからホールまでが、歩くと遠かった。すっかりお腹が空いたところにちょうどおいしいラーメン屋さんがあり、ラッキーでした。「やまむろラーメン」というお店です。ニラそばを食べました。
この日のコンサートは、「日本の俊英」と題する西巻正史さんの企画で、若い男性アーチスト3人が出演したのです。金子三勇士さん対、山根一仁+北村朋幹さんの競演、という打ち出しです。後のお二人は初めて聴きましたが、山根さんには驚きましたね。
バッハの無伴奏ソナタ第1番を、飄々と、力みなく弾く。自分を見張る目がいつも頭上にあり、それが音楽の全体を、また自分の向かう先を、クールな客観性をもって見晴らしている。この批評眼、この大局観を、18歳にして備えているとは!ラヴェルの《ツィガーヌ》になると、抑制をめぐらせたバッハとは一転して、扇情的な優雅さえほのめく。硬軟両様、融通無碍なのです。
北村朋幹さんのピアノがまた、第一級の硬軟両様。ヴァイオリンとピアノが惜しみなく音楽をやりとりするうちに響きが融合するという、すばらしいデュオになりました(プロコフィエフのニ長調ソナタ)。山根さん、北村さんを知ったのは大収穫。男性ならではの音楽がそこにありました。西巻さんの企画、すごいです。
ただそこからホールまでが、歩くと遠かった。すっかりお腹が空いたところにちょうどおいしいラーメン屋さんがあり、ラッキーでした。「やまむろラーメン」というお店です。ニラそばを食べました。
この日のコンサートは、「日本の俊英」と題する西巻正史さんの企画で、若い男性アーチスト3人が出演したのです。金子三勇士さん対、山根一仁+北村朋幹さんの競演、という打ち出しです。後のお二人は初めて聴きましたが、山根さんには驚きましたね。
バッハの無伴奏ソナタ第1番を、飄々と、力みなく弾く。自分を見張る目がいつも頭上にあり、それが音楽の全体を、また自分の向かう先を、クールな客観性をもって見晴らしている。この批評眼、この大局観を、18歳にして備えているとは!ラヴェルの《ツィガーヌ》になると、抑制をめぐらせたバッハとは一転して、扇情的な優雅さえほのめく。硬軟両様、融通無碍なのです。
北村朋幹さんのピアノがまた、第一級の硬軟両様。ヴァイオリンとピアノが惜しみなく音楽をやりとりするうちに響きが融合するという、すばらしいデュオになりました(プロコフィエフのニ長調ソナタ)。山根さん、北村さんを知ったのは大収穫。男性ならではの音楽がそこにありました。西巻さんの企画、すごいです。
私は字幕 ― 2014年02月15日 22時28分59秒
11日(火)は、松本へ。北アルプス北部まで鮮やかに見えているすばらしい天候の日でしたが、私は「あずさ」の車中で、必死の字幕点検。この日は小林道夫指揮、松本バッハ祝祭アンサンブルによる《ロ短調ミサ曲》の本番で、プレレクチャーを済ませた私は、お客様のはずでした。しかし字幕が急遽準備され、私がその責任者となったのです。
私は声楽曲に字幕は絶対必要、という考えです。ですから、自分がプロデュースするコンサートでは極力、字幕を使ってきました。しかし、操作は全部、人任せだったのですね。しかし今回は、字幕原稿とキュー入り楽譜ができたばかりの上に、リハーサルは短いので、事実上、本番ぶっつけ。これでは人任せにはできず、自分でやることにしました。
操作する場所は、ホール奥の、高いところです。煙突まがいのハシゴを登り、四角い穴を抜けなければなりません。覚悟を決めて上り始めたところ、松本ハーモニーホールのスタッフが駆け寄り、「それだけはやめてください」と、止めにかかるではありませんか。炎の山を登るジークフリートの心境になりました。

制止を振り切って上ると、そこはホールを一望できる、気持ちのいいところ。降りることさえ考えなければ、天国です。初体験の字幕操作が始まりました。

一発勝負なので緊張しますね。次の画面が予定と違うものだったらどうしよう、という不安も起こってきます。流れに乗ってしまうと、演奏に加わっているような快感があるのですが、ふっと気が緩む瞬間も訪れる(遅れ、1回)。演奏を楽しみながら、という境地に至るまでは、経験が必要なようです。裏方の苦労、少しわかりました。

写真の右上に、字幕が移っています。演奏はたいへんすばらしく、《ロ短調ミサ曲》の真髄を伝えるに足るものでした。若い演奏者が多いのに、円熟した味わい深い響きが、小林道夫先生のタクトから引き出されてくるのです。リハーサルがとても勉強になりました。先生はメンバーをくつろがせながら、少しの無駄もなく的確な指令を発し、歌って模範も示しつつ、演奏をどんどん向上させていくのです。そんな偉大な先生に、みんなが心酔してベストを尽くしていることがよくわかります。声楽にコンチェルティスト方式が採られていたのもうれしいことでした。
松本というと「転落」という言葉が皆さんの脳裡に浮かぶようです(注:昨年の講演中、演壇から転落)。でもハシゴは無事に降りることができました。おあいにくさまです。
雪の長岡京 ― 2014年02月12日 05時57分40秒
8日、9日の週末は、京都、岡山に出張。雪の中を新横浜で、遅れている新幹線を待ちました。
ひとつわかったのは、遅れている新幹線の指定券を買うことはできない、ということ。すぐ乗れると思って買った車両に乗り込むまで、45分待ちました。その間に、数両が発着。急ぐ場合には、自由席に乗り込むほかなさそうです。
新幹線の遅れ1時間半。15:00からのコンサートにぎりぎり滑り込めたのは幸いでした(昼食は食べはぐれました)。目指すコンサートは、長岡京記念文化会館で行われる、長岡京室内アンサンブルの「ニューイヤー・コンサート」。ニューイヤーとはいえ、曲目はオール・モーツァルトで、協奏交響曲をメインに、セレナータ・ノットゥルナ、ト長調のカッサシオンK.63という本格的なもの。CDも作られるようです。
その道では有名なアンサンブルで私もCDは聴いていたのですが、実演は初めて。いや、たいへん感心しました。私の最近求めている音楽のひとつの姿が、ここにありました。
スッキリ、爽やか系のスタイルで、メンバーの自発性が豊か。お互いにしっかり聴き合いながら、誰もが前向きに、音楽に参与しています。初期のモーツァルトが曲ごとに行っている工夫や冒険がくっきりとクローズアップされる面白さは、格別。指揮者なしでここまでできるものかと驚くと同時に、これこそ室内アンサンブルのあるべき姿だなあ、とも思いました。本拠で聴くことができて、本当に良かったです。
遅れている新幹線をふたたび待ち、岡山へ。
ひとつわかったのは、遅れている新幹線の指定券を買うことはできない、ということ。すぐ乗れると思って買った車両に乗り込むまで、45分待ちました。その間に、数両が発着。急ぐ場合には、自由席に乗り込むほかなさそうです。
新幹線の遅れ1時間半。15:00からのコンサートにぎりぎり滑り込めたのは幸いでした(昼食は食べはぐれました)。目指すコンサートは、長岡京記念文化会館で行われる、長岡京室内アンサンブルの「ニューイヤー・コンサート」。ニューイヤーとはいえ、曲目はオール・モーツァルトで、協奏交響曲をメインに、セレナータ・ノットゥルナ、ト長調のカッサシオンK.63という本格的なもの。CDも作られるようです。
その道では有名なアンサンブルで私もCDは聴いていたのですが、実演は初めて。いや、たいへん感心しました。私の最近求めている音楽のひとつの姿が、ここにありました。
スッキリ、爽やか系のスタイルで、メンバーの自発性が豊か。お互いにしっかり聴き合いながら、誰もが前向きに、音楽に参与しています。初期のモーツァルトが曲ごとに行っている工夫や冒険がくっきりとクローズアップされる面白さは、格別。指揮者なしでここまでできるものかと驚くと同時に、これこそ室内アンサンブルのあるべき姿だなあ、とも思いました。本拠で聴くことができて、本当に良かったです。
遅れている新幹線をふたたび待ち、岡山へ。
バッハの《第九》コンサート ― 2013年12月23日 22時07分07秒
予想通り、今日は疲れて、何もできませんでした。とりあえず、昨日のご報告です。
雪のちらつく須坂で、恒例の12月コンサートを開催しました。前半がバッハのカンタータ第9番《救いが私たちにやってきた》、後半が《マタイ受難曲》と《ヨハネ受難曲》の比較というプログラムです。連続講座の一部というささやかな場ではありますが、新しい始まりが、過去にいくつも生まれた大切な場。私にとっては、1年間の締めくくりのような意味合いももつコンサートでした。
ナビゲーターを務めながらも聴き手に回り、作品に惜しみなく感動して・・という経過を思い描いていましたが、現実には司会進行への配慮と演奏へのハラハラで手一杯となり、意識は、当事者百パーセントに(笑)。ピリオド楽器が会場を選ぶことも、よくわかりました。しかしそうしたことも含めて、演奏者ともども、たくさんの勉強をすることができました。会の方々、聴衆の方々の応援のおかげです。ありがとうございました。
演奏ぶりは写真が揃ったところでご紹介します。一言だけ述べておきますと、今回なによりだったのは、意欲あふれるチェロ奏者、山本徹さんを中心として、カンタータ演奏に情熱を燃やす優秀な若い人たちが、器楽に揃ったことです。声楽のユニットにはこれから古楽でやっていこうとしているiBACHの若い人たちを抜擢していたのですが、4人ともじつによく勉強してくれて、誰にとっても大きな一歩になったと思います。課題は多くとも、若い人たちが全力投球して着実に前進することほど、立ち会って気持ちのいいことはありません。自分の研究をもとにアドバイスし、演奏がどんどん変わっていくのを見るのも、ありがたく、幸せなことです。
雪のちらつく須坂で、恒例の12月コンサートを開催しました。前半がバッハのカンタータ第9番《救いが私たちにやってきた》、後半が《マタイ受難曲》と《ヨハネ受難曲》の比較というプログラムです。連続講座の一部というささやかな場ではありますが、新しい始まりが、過去にいくつも生まれた大切な場。私にとっては、1年間の締めくくりのような意味合いももつコンサートでした。
ナビゲーターを務めながらも聴き手に回り、作品に惜しみなく感動して・・という経過を思い描いていましたが、現実には司会進行への配慮と演奏へのハラハラで手一杯となり、意識は、当事者百パーセントに(笑)。ピリオド楽器が会場を選ぶことも、よくわかりました。しかしそうしたことも含めて、演奏者ともども、たくさんの勉強をすることができました。会の方々、聴衆の方々の応援のおかげです。ありがとうございました。
演奏ぶりは写真が揃ったところでご紹介します。一言だけ述べておきますと、今回なによりだったのは、意欲あふれるチェロ奏者、山本徹さんを中心として、カンタータ演奏に情熱を燃やす優秀な若い人たちが、器楽に揃ったことです。声楽のユニットにはこれから古楽でやっていこうとしているiBACHの若い人たちを抜擢していたのですが、4人ともじつによく勉強してくれて、誰にとっても大きな一歩になったと思います。課題は多くとも、若い人たちが全力投球して着実に前進することほど、立ち会って気持ちのいいことはありません。自分の研究をもとにアドバイスし、演奏がどんどん変わっていくのを見るのも、ありがたく、幸せなことです。
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