1つの劇的結末2011年03月15日 23時49分08秒

静岡に地震があり、だいぶ揺れました。心が休まりませんね。被災地の方々、決死的作業にあたっておられる方々、本当にお疲れさまです。小林君、現地に入るのですか!がんばってくださいね、お願いします。

東北の状況が気がかりだったのは、私の論文弟子に、2人、東北出身の方がいらしたからです。そのひとり、すばらしいソプラノ歌手の髙橋織子さんは、岩手の出身。岩手は被害甚大のようだったので、私は早速メールを入れてみました。すると、盛岡の両親は無事だが、宮古の病院で働いている弟さんと連絡が取れない、とおっしゃるではありませんか。これには私も、肝を潰しました。

病院は高台にあるそうですが、宮古は、町がなくなるほどの直撃を受けているとか。ご承知のとおり携帯電話が通じないので、連絡の手段がないわけです。お姉さん、さぞ心配なさったと思います。

2日後、連絡が来ました。新聞の号外を見たら、その写真に、救護に働く弟さんが写っていた、というのです。その後、電話連絡もとれた、と伺いました。ドラマティックな結末。こういうお話が、少しでも増えるといいなと思います。

中止のお知らせ2011年03月14日 11時57分51秒

ご案内していた今週のコンサート、すべて中止になりましたのでお知らせします。博士研究コンサートの方は追って行われるようですが、新人演奏会の方は、文字通りの中止です。出演者はお気の毒ですが、これほどの状態ですから、正しい判断だと思います。一日も早い復旧・平常化を、皆様とご一緒に祈りたいと思います。

Mein Herz ist mit Euch.2011年03月13日 12時31分30秒

日に日に被害の様相が明らかになるにつれ、想像を絶する現実に驚愕しています。私のお弟子さんにも家族と連絡の取れない方がおられ、本当に心配です。ごいっしょに、無事を祈りたいと思います。少しでも多くの方が救出されますように。

日曜日のコンサートは、一種壮絶な前史を伴って、開催されました。それについては、少し状況が落ち着いてからご報告します。表記のドイツ語は、”Erdbeben"(地震)というタイトルでジョシュア・リフキン氏からいただいた開封確認付きメールの本文です。知己の方々にお送りします。皆さん、こういうときこそ、心をこめて音楽をいたしましょう。

お見舞い申し上げます2011年03月11日 23時39分30秒

大惨事になりましたね。被災された方、たいへんお気の毒でした。お見舞い申し上げます。

〔付記〕申し訳ありません、このときには被害の深刻さがわかっておらず、少しのんきな書き方をしてしまいました。お叱りをいただきましたので、謹んで削除させていただきます。お詫び申し上げます。

迷ったら2011年03月09日 23時46分18秒

迷うことは、人生で、よくあります。どの店に入るか。何を食べるか。時間がなければ、それでも食べるべきか、食べざるべきか。どちらの仕事を先にやるか。この仕事を引き受けるべきか、断るべきか。等々、きりがありません。

大切な案件に対してぎりぎりの選択を下すとき、その人の人間性が明らかになる。そんなとき、指針をもちたいと思われませんか?私は最近、「迷ったらこうする」という指針を得たいと思うようになりました。

バッハの関係の仕事で、迷うことがあるとします。A案、B案のどちらにすべきか。人間関係が大事なのか、筋を通すことが大事なのか、人を呼べる方がいいのか、などなど。こうした場合、「迷ったらバッハの利益に」という原則を立てると、すっと選択できることに気づきました。

いろいろ、応用例があると思います。文章のAとBで迷ったら、かならず短い方を選ぶ。ワインをもう1本頼もうかどうか迷ったら、頼まない方を選ぶ(←むずかしい)。指針を心にもつと、効率よく人生を送れそうです。次話で、その実例を。

限界2011年03月05日 16時43分35秒

今、西武新宿線の車中です。

今年になってからもう3回ぐらい、「今週は乗り切れるだろうか」と思う時がありました。いずれも、仕事のラッシュ時です。その都度乗り越えることができ、体調がいいからだ、ありがたいなあ、と思ってきました。しかし今度は、乗り越えられないような気がするのです。いくつか急ぎの仕事が持ち越しになっていますが、ここ数日はスケジュールが詰まっていて、取り組める目算が立ちません。

こうなると、心理的に、「焦りモード」になる。弱った、急がなくちゃ、こんなことやってられない、といった焦燥感が、つねにつきまとう。これは、心身ともに不健全な状態です。昨日は記者会見で大阪を往復したのですが、もちろん自慢のレッツノートで、往復の車中、仕事をしました。しかし疲れてしまい、夜中に神経が冴えて、寝付かれなくなってしまったのです。仕方ないので起きだし、気になることだけ片付けたのですが、こういうときにやってはだめですね。メールを書いても、つい、調子がきつくなってしまう。深夜のメールで仲違い、というのは、世の中によくあることのようです。

ひとりの人間、そうそういろんなことはできない、と言えば、それにちがいないと思います。年齢相応に無理のないペースで、仕事は当然するべき。その当たり前のことが、私はできないのです。

ケガレ脱出2011年03月02日 23時27分09秒

運気が悪く、ドクター入試の学務をこなしていても、もうひとつ気が晴れない。どうやら、「ケガレ」の状況になっているようです。脱出には、祭事を営まねばなりません。

折よく、1日に飲み会が設定されていました。そのお話をさせてください。

論文の個人指導を含む授業では、どこかで飲み会をやっておくと、その後がたいへんスムーズになります。声楽の学生たちはとくにお祭り好きですから、その必然性が高い。オペラ専攻の修士を論文指導していますので、節目節目の飲み会を、自分のスケジュールに入れていました。

ところが今年の1年生は、むずかしいのです。なかなか作業がはかどらず、まとまりがないように思えて、声をかけるのをためらって来ました。しかし提出が近づくにつれて、エンジンがかかってきた。それならと打ち上げを提案したところ、待ちかねていたのか、ワーイと喜びが爆発。立川のイタリアンで、会食が実現しました。

参加者は7名で、女6名、男1名。唯一の男性はにこにこ笑っているのみで、完全に女性主導で進むのが、いかにも今風です。ワインを飲みながら話しているうちに、じつは仲良し同士の、とてもまとまりのいい学年であることがわかってきました。理解が至らず、ごめんなさい。よく飲み、よく食べる人たちなので盛り上がりも大きく、二次会は、カラオケに行くことになりました。

みんな、うまい。オペラ専攻なのだから当然でしょうが、情感あふれる人、明るく元気のいい人、セクシーなムードの人、個性がみんな違う。カラオケが一番、個性を理解する早道だと思いました。

歌の時間差は、いたしかたないところ。デュエットをやろう、《隅田川》(←東海林太郎)行くぞっ、と叫んでも、誰も知りません。普通なら座が白けるところですが、白けないのです。お相手は伴奏を聞きながらついてきて、3番では、もう歌えるようになっている。さすが、プロですね。学生たちの歌には、英語がすごく多かったです。グローバリゼーションがここにも、ということでしょうか。

度が過ぎたのか、今日は二日酔いでした。能率が落ちてしまい、今日は深夜まで仕事せざるを得ません。明日録音なので、がんばります。

私のせい?2011年02月27日 16時43分21秒

運気が下降しています。

木曜日の朝、家中のテレビが映らなくなっていることが判明。これって、困りますね。いかにテレビに頼って生活しているかがわかりました。第一、家族の機嫌が悪くなってかないません(笑)。

手に負えないので翌朝NTT東日本に電話すると、何もそこまで、というほど親切な応対。午後には修理の青年が訪れ、再び映るようになりました。因果関係はわかりませんが、AVアンプが故障してしまっており、これは使用年数からみても、買いなおさなくてはなりません。

オーディオ。修理のプロセスについては本欄にも何度か書きましたが、要するに、左チャンネルの音が出たり出なかったりする、というのが発端でした。まずスピーカーを修理しましたが、左チャンネルの音が出ないことは、変わらず。次に、プリアンプとパワーアンプを両方オーバーホールしました。新品同様になりましたが、左チャンネルの断続性は変化なし。これはケーブルだというので、お薦めの新しいケーブルを購入しました。しかし左チャンネルの断続性は、相変わらずです。

アンプの再修理を薦められましたが、あんな重いものを再度運ぶ気にはなれず、あきらめ半分に、スピーカー・ケーブルをBの端子につないでみました。Aの端子の陰でつなぎにくいところにあったため、試していなかったのです。そうしたら、左からも出るではないですか、音が。結果的にはオーバーホールだのケーブル交換だのが生きて、歪のないやわらかな音になりましたが、長いこと振り回された左チャンネルではありました。

土曜日。谷保から南武線に乗って横浜に向かいます。武蔵小杉から長い通路を経て湘南新宿ラインに乗り換えるのですが、今日は事故で遅れている、とのアナウンス。そこで安全策を採り、武蔵小杉から東横線に乗り換えました。そうしたら、病人が出て動かせないので、しばらく止まります、というアナウンス。安全策が裏目に出てしまいましたが、なんとかわずかの遅れで、朝日カルチャーセンターに着くことができました。

私は、最近の運気の悪さを述べ、これをみなさんにさし上げて運気向上を図るつもりだ、と宣言して、講義に入りました。準備は万端なので、順調に進みます。

ところが小休憩に入ると、受講生の方が近寄ってきて、左チャンネルの音が出ていない、とおっしゃるのです。あわてて確かめてみると、たしかに、音が出たり出なかったり断続的で、聞き苦しい。これって、私の自宅とまったく同じ現象ではないですか。

自宅が治ったことと、こちらが故障したことの間に、因果関係はないと思います。ないと思いますが、絶対にないかと言われると、大きなところでつながっているような気が、しないわけでもない。私が自宅から悪いツキを持ち込んできた、と指摘されても、仕方ないような気も、ちょっとですがするわけです。そんなところにまで責任を感じていたら、きりがありませんが・・・。

多難な1日2011年02月22日 15時10分24秒

21日(月)は、今月一番忙しい日のひとつでした。なぜなら、いま進行中の入学試験の、学科科目の日にあたっていたからです。8時50分に集合し、国語、外国語、楽典3科目の監督をします。私はいつも、会場の責任者です。

試験の緊張と監督の退屈が重なりますので、これまでこの日は、1年のうちもっともいやな日に数えていました。でも、ずいぶん楽になりましたね。慣れたことも大きいが、受験者の減少も一因です。大教室で見渡す限り受験生というのと、小さな部屋で人数がまとまっているのとででは、ストレスが大違い。ずいぶんやりましたが、あと1回でお役御免です。

終了後、井の頭線の駒場東大前へ。昔ここには東大前と駒場という2つの駅があり、私が学生の頃統合されました。もうそれをご存知の方も、少ないことでしょう。なぜ来たかというと、カフェアンサンブルという駒場の素敵な空間で、「名曲探偵アマデウス」へのコメントを収録したのです。《マタイ受難曲》篇が目下作成されており、スタッフの方々が、粘り強く勉強しておられます。もちろん私の出番はわずかですが、じっくり時間をかけて収録してくれました。

そのあと、某合唱団の方々と、打ち合わせを兼ねて「響」で会食。すばらしい夕食でしたがちょっとオーバーワークで、帰りついたときはふらふらでした(笑)。今週は、ペースを立て直します。

鋼鉄の肉体2011年02月16日 18時07分18秒

土曜日(2/12)は、雪のち晴れの松本で、自由行動。温泉どまりの私に欠かせないのは、マッサージに行くことです。

松本をぶらぶら歩きながら、お店を探しました。ところがどういうものか、お店の多くが、ピンク色の看板を掲げているのです。そうなると、なぜか入りにくい。ここでもない、あそこでもないと歩いているうち、よさそうな店を見つけました。

漢方薬のお店の、2階です。これなら、医療一筋に違いない(注:ピンク色の看板のお店も医療一筋なのかもしれませんが、調べるすべがありません)。台湾系のお店。脇の階段を登ると、やや雑然とした店内に何人も女性が密集している。よく見ると、麻雀に興じているのです。2階は意外に広く、いくつものベッドが暗がりの中に並んでいます。もらった着替えは湿っていて、ひんやり。不吉な予感がしてきました。

まあそれは、思い過ごし。日本語片言の中年女性が、思い切りもんでくれました。カタイ、カタイ、と感心(?)しながら全力投球(ありがとう)。凝っているところがあると、挑むように、そこに集中します。肘を多く使い、時には背中に乗って、体重をかける。人生有数の痛さでした(笑)。中国系のマッサージって、こういう傾向ですよね。

プロのマッサージ師の人がどなたも「本当に固い」と驚いてくれるので、だんだん、自信が出てきました。そこで思い出したのは、少年時代のことです。文弱の徒でコンプレックスをもっていた私は、「男である以上、鋼鉄の肉体を手に入れたい」と思っていたのです。現在ではそれが、実現されている。願うことは実現するものですね、ちょっと意味は違いますが。