ロ短調学会(10) ― 2008年01月12日 20時35分17秒
この学会がなかったら、ベルファストには来ないまま死んでいったことでしょう。ありがたい思い出をいただきました。その町を愛着を抱きつつ後にしたのが、11月5日。飛行機の乗り継ぎが悪く、ロンドンで一泊しなくてはなりません。宿に着き、さっそく町に出ました。
私は東京生まれなので、大都会の雑踏は好きです。ロンドンは、じつににぎやか。いいところで夕食をし、自分を褒めてあげたいと思ったのですが、結局は三越のレストランで、ワインと冷や奴、という程度になりました。飲みながらつくづく思ったのは、来てよかった、ということです。それも、単なる聴講ではなく、発表をしてよかった。準備もたいへんでしたし、プレッシャーもありましたが、発表をしたからこそ、これだけ勉強になった、と感じています。やはり困難なことにチャレンジすることで、先が開けます。私の年齢でもそうなのですから、若い人たちには、ぜひ、挑戦することの価値を知っていただきたいと思います。今回の成果は、私の力以上に、いろいろな方の協力によって得られたものです。しかしそうした応援をいただけたのも、挑戦したからではないでしょうか。
食後、ロンドンを歩きました。テムズ川の橋の上に立ったのは10時過ぎ、人通りもまれな時刻でしたが、ライトアップされた国会議事堂は圧巻で、こわいぐらい。これが旅行中、一番印象に残る眺めでした。
6日は、朝1時間だけ、ハイドパークを散歩。写真は、そこにいたリスちゃんです。成田着は7日の朝、へとへとでしたが、その夜いずみホールでオルガン・コンサートがありましたので、直接大阪へ。終了後、すばらしい演奏をした好漢、ミヒャエル・シェーンハイト氏と、京橋で祝杯。速射砲のようなドイツ語を深夜まで浴び、翌日は立ち上がれませんでした。
私は東京生まれなので、大都会の雑踏は好きです。ロンドンは、じつににぎやか。いいところで夕食をし、自分を褒めてあげたいと思ったのですが、結局は三越のレストランで、ワインと冷や奴、という程度になりました。飲みながらつくづく思ったのは、来てよかった、ということです。それも、単なる聴講ではなく、発表をしてよかった。準備もたいへんでしたし、プレッシャーもありましたが、発表をしたからこそ、これだけ勉強になった、と感じています。やはり困難なことにチャレンジすることで、先が開けます。私の年齢でもそうなのですから、若い人たちには、ぜひ、挑戦することの価値を知っていただきたいと思います。今回の成果は、私の力以上に、いろいろな方の協力によって得られたものです。しかしそうした応援をいただけたのも、挑戦したからではないでしょうか。
食後、ロンドンを歩きました。テムズ川の橋の上に立ったのは10時過ぎ、人通りもまれな時刻でしたが、ライトアップされた国会議事堂は圧巻で、こわいぐらい。これが旅行中、一番印象に残る眺めでした。
6日は、朝1時間だけ、ハイドパークを散歩。写真は、そこにいたリスちゃんです。成田着は7日の朝、へとへとでしたが、その夜いずみホールでオルガン・コンサートがありましたので、直接大阪へ。終了後、すばらしい演奏をした好漢、ミヒャエル・シェーンハイト氏と、京橋で祝杯。速射砲のようなドイツ語を深夜まで浴び、翌日は立ち上がれませんでした。
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