ロ短調学会(11) ― 2008年01月25日 17時04分31秒
「ロ短調学会」への補遺です。
《ロ短調ミサ曲》をめぐる問題のひとつは、この作品をどこまでルター派プロテスタント的なものとみるか、あるいはカトリック的なものとみるかということでした(この問題については、小林義武先生の『バッハ--伝承の謎を追う』(春秋社)に、詳しく論じられています)。もちろんそれが問題になるのは、ルター派の教会音楽家であったバッハが、カトリック的な相貌をもつミサ曲をカトリックの領主に捧げたという、特殊な事情があるからです。曲が畢生の大作であるだけに、ここをどう考えるかは、バッハ像の根本にかかわるわけです。
近年、バッハとドレスデン宮廷の密接な関係が認識されるにつれ、《ロ短調ミサ曲》をカトリック的なものと認める、という考え方が強くなってきていました。この曲の楽譜は、息子C.P.E.バッハの遺産目録に「大カトリック・ミサ曲die grosse catholische Messe」として出てくるのですが、この名称をそのまま使う人もかなり増えている状況でした。
「ロ短調学会」では、ロビン・リーバー氏が《ロ短調ミサ曲》のルター派的性格を改めて述べ、「大カトリック・ミサ曲」という呼称にある「カトリック」とは文字通り「普遍性をもつ」という意味で、ローマ・カトリックを指していない、と強調しました。ヴォルフ氏も同じ見解を述べていましたが、その「カトリック」を「ローマ・カトリック」と峻別することにはやや無理があるのではないか(つまり相当まで重なっているのではないか)と、私は思いました。
バッハの「宮廷作曲家」称号請願の意図や請願書の文章を、バッハが同じ年(1733年)に購入した『カーロフ聖書』から解釈する発表もありました(M.D.グリーア)。総じて、バッハ研究の世界ではプロテスタント系の発想がなお強いようです。この問題に関する私自身の考えについては、稿をあらためて。
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