「大物」後日談 ― 2009年12月15日 01時17分21秒
最近お会いする方の妙に多くが、「1年単位の誤り」について言及されます。私が会議に1年違いで出て行ったという情報が、平素ブログを読んでくださらない方にまで、広まっているようなのです。
それが必ずしも喜べないのは、趣旨が取り違えられているように思えるからです。再確認しますが、あの談話の結論は、私が大物だ、というところにあります。会議を1年間間違えたというのは、そのことを証明する、ひとつの例にすぎないわけです。ところが、実例のみが一人歩きしているようで、言及される方々に、私を大物として見直す視線がまったく感じられないのです。遺憾な現実です。
傍証が、さらに必要なのでしょうか。もちろんあります。
食事のさい食堂に出て行く旅館と、部屋で食べられる旅館では、どちらが高級でしょうか。後者ですね。では、部屋に食事が運ばれる場合、部屋に1人がやってくる旅館と、複数がやってくる旅館は、どちらが高級でしょうか。後者ですね。まさにそれが、私の家庭で実現しているのです。
当家の台所は、本来家族が集まって食事をする空間をもっていたのですが、たくさんのものがあふれた結果、その機能を喪失しました。以来食事は、パソコンに向かっている私の部屋に運ばれてくるようになっています。食事が来ると、ノックの音ですぐわかる。そのノックの音は、しけた音ではなく、威勢がいい。ノックしているのが犬だからです。扉が開く→犬が走り込み、膝の上に飛び乗る→食事が机に置かれる→妻が去る→犬が追いかける、という流れに、毎回、必ずなっています。
これって、私が大物という証明になるでしょうか。書いていて、だんだん自信がなくなってきました。
コメント
_ Clara ― 2009年12月17日 11時54分36秒
_ I教授@小物 ― 2009年12月17日 15時48分16秒
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でも、今回の例は・・・。
お見受けするところ、お食事を先生のお部屋に運んでこられる奥様のほうが、実は大物なんじゃないかと思います。
なんと言っても、大物の胃の腑を掴んでいらっしゃるわけですから・・・。