おめでとう2010年12月11日 10時29分22秒

昨日本選が行われた第21回友愛ドイツ歌曲コンクールで、私の論文弟子である小島芙美子さんが優勝、川辺茜さんが2位・聴衆賞・シュトラウス賞というニュースが入りました。おめでとうございます。

26日の《ポッペアの戴冠》にも、小島さんはドゥルジッラ、川辺さんは幸運の神+小姓で出演します。おかげさまで、公演にも箔が付きました。長野の方々、ご期待ください。

話は変わりますが、昨日研究室で「ニヒル」という概念が話題になり、「ニヒルな人」って誰だろう、とみんなで考えました。多々候補が挙がり、名簿なども繰ってみましたが、今は亡き佐藤慶のような人って、案外いないんですよね。寡黙、孤高、陰影・・・といった諸条件も検討し、かなり価値観が高いという結論になりました。皆さんの周囲にはおられますか。容易に見あたらないのは、「武士は食わねど高楊枝」「父親の威厳」といった価値観がなくなって、みんなパンダやコアラのようなお父さんになってしまったからでしょうか。

【付記】澄音愛好者さん、候補としてどうでしょう。

コメント

_ 澄音愛好者 ― 2010年12月12日 01時07分19秒

それはそれは、おめでとうございます。

まず、こんなに簡単に誘き出されるようでは、とてもニヒルとは言えないと思いますので、候補には残らないのではないでしょうか。

最初、記事には「静音愛好者」と書かれてあったようでしたので、「静音」や「弱音」ではなく「澄音」を愛好するのはなぜか、ということを釈明させていただこうと思いましたが、先に訂正されたので、出端を挫かれました(笑)。簡単に言わせていただければ、静音では抑揚に欠けるような語感がありますし、弱音もそれだけでは負の印象があります。比較的静かな領域で、音色も優れ、それなりにダイナミズムもあるというのが澄音のイメージです。

ふと思うのは、フォルテピアノがピアノになるときに、「フォルテ」ではなく「ピアノ」になったのには、やはりそれなりに意味があるのではないかということですが、考え過ぎでしょうか。

先日のGoldbergの余韻が、まだ耳の奥に残っています。あれだけの演奏を無料で聴かせていただいたわけですから、このブログのコメントにも10や20の感想が連なってしかるべきだと思ったわけですが、実際には1つだけ。感想を書かずにいられる方こそ、ニヒルと呼ぶに相応しいのではないかと思いますが、それは誤用でしょうか?

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