費用対効果2010年12月14日 09時15分35秒

藤原正彦さんの週刊誌連載を、毎回が全力投球の力作であることに驚きながら、読んでいます。

前回は、科学の将来を憂える内容のものでした。どのような研究がどのように人類に役立つかは誰にもわからないことで、研究は無駄を覚悟で幅広く行われていなければならない、しかしどの大学でも予算はどんどん削られ、これでは将来が危ぶまれる、という趣旨だったと思います。どの世界でも同じなのですね。文系の人間から見ると、理系は大きなお金が動く世界ですごいなあ、と思っていたのですが。

はっとしたのは、「費用対効果」という考え方は短期的な発想なので有害だ、と述べておられることでした。「費用対効果」の観点を自分がいろいろな局面に導入するようになっていることに気づいたからです。たしかに、何事も「費用対効果」で考えるのは、縮小、衰退に向かう発想かもしれませんね。

国にも自治体にも団体にもお金がなく、毎年予算が削られていく時代。研究や芸術にお金を、という声もあげにくい環境になりました。しかし現在われわれが享受している便宜や感動が、多数の先達の研究や努力の成果だということを、忘れるべきではないと思います。

コメント

_ chu-intermezzo ― 2010年12月18日 19時20分10秒

私のようなものが申すのも恐縮ですが、藤原先生のエッセイを読む度に既視感をおぼえます。この方はI教授ではないか、と。
特に大学の在り方についてのお話は大いに頷き、励まされます。
ちなみに今週の「慎み深い人」についてのエッセイは大笑いしました(笑)
藤原先生のエッセイもI教授の談話も、通勤時間の愉しみです。

_ chu-intermezzo ― 2010年12月18日 19時26分00秒

私のようなものが申すのも恐縮ですが、藤原先生のエッセイを読む度に既視感をおぼえます。この方はI教授ではないか、と。
特に大学の在り方についてのお話は大いに頷き、励まされます。
ちなみに今週の「慎み深い人」についてのエッセイは大笑いしました(笑)
藤原先生のエッセイもI教授の談話も、通勤時間の愉しみです。

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