聖書の意思?2010年12月17日 11時47分15秒

笛吹き小僧さん、澄音愛好者さん、貴重な感想コメントありがとうございました。こちらで対応します。

お褒めにあずかった若いテノールは小堀勇介君といいまして、優秀な頭脳と温かい心をもったすばらしい歌い手です。3月30日にいずみホールの「日本の歌」に出演しますから、関西の方、ぜひ聴いてあげてください。

合唱における男声の充実はおっしゃる通りで、多くのメンバーがバッハを愛し、バッハを理解しているのが強みなのだと思います。本当はソロを歌わせたい人が、たくさんいるのです。

澄音さんの「バッハにここまでしてもらった選帝侯妃はなんと幸せな人だろうか」というご感想について。私も最初すごくそう思ったのですが、今は迷っています。だって死んでから作曲され、演奏されているわけですよね。即物的に言えば、本人は無関係。それとも、思いは天に届くのでしょうか。

スマートフォンで大失態を犯した私ですが、案外喜んでくださっている方の多いことがわかってきました。それも私に近い人ほど、人によっては手を打たんばかりに、喜んでくださっているようなのです。人様に喜んでいただくために活動しているわけですから、ありがたいことだと思います(ちょっと割り切れない)。

聖書、出てきました!私の研究室の机の上に置いてありました。付箋をつけて、そのまま置いていってしまったようです。私は聖書を取りに研究室に戻ったわけなので、それを置いて出るという可能性はきわめて考えにくいのですが、何か考え事をしていたのでしょうか。それとも、聖書に、「お前に読まれたくない」という意思があったのでしょうか。

コメント

_ 澄音愛好者 ― 2010年12月17日 14時47分36秒

選帝侯妃その人、あるいはその魂にバッハの音楽が届き、幸せを感じれおられるかどうかは知る由もありませんが(笑)、その音楽によって選帝侯妃という存在は祝福され、「幸せな人」と後世の人間から思われる存在になったことは確かでしょう。

もしバッハの曲がなければ、歴史の教科書に載ったとしても、せいぜい2、3行の記述で済まされてしまうかもしれない人が、広大なバッハの世界にあって、その最高傑作のひとつと言われるような曲の主題として残っているわけですから...

これもバッハの「存在に対する愛」の成果なのでしょうか。

_ 通りすがり ― 2010年12月19日 09時03分14秒

>私は聖書を取りに研究室に戻ったわけなので、それを>置いて出るという可能性はきわめて考えにくいのですが

こんなことは、60代の半ばになれば日常茶飯事です。
それには、インテリもそうでないも関係ありません。

論文や著書の著者校正にミス(修正点の見過ごし)が多くなるなんていうことはありませんんか。

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