杉山先生を送る会2011年10月30日 22時57分13秒

10月29日の午後、恵泉女学園大学で行われた「杉山好先生を送る会」に参加してきました。先生を熱愛する人々がこんなにたくさんいらっしゃるのかとあらためて目を見張るようなすばらしい会で、先生も上からご覧になり、涙を流していらっしゃったのではないかと思います。

多摩センターにある恵泉女学園には初めて伺いましたが、緑が多く心が澄みわたるような、いい環境のところですね。そこのチャペルでまず、礼拝がありました。オルガン演奏(木田みなこさん)はバッハのコラール・パルティータ《おお神よ、汝慈しみに富みたもう神よ》BWV767から4つの節を選んで行われましたが、そのそれぞれの節に対応する杉山先生の訳が、配布されています。第1節と、老いの辛苦を述べる第6節、安らかな死を祈る第7節が先立って演奏され、礼拝の最後に、復活を述べる最終節が演奏されました。

先生の精魂こもった名訳を読みながらオルガン演奏を聴くうちに私の心には「信徒の幸福」と呼ぶべきものが、しみじみと実感されるように思われました(もちろん私は信徒ではないので、想像するわけですが・・・)。これは、初めての体験です。快活な笑顔をとらえた先生のすばらしい写真が、花の中に飾られています。

いくつもの著作を勉強させていただき、尊敬申し上げている荒井献先生が「奨励」(短い説教)をなさいました。その中で、先生の最近の研究成果である『ユダ福音書』の話をされ、ユダがイエスによってすでに赦されている、という見方の価値を語られたのですが、それは杉山先生との長年の友情を語る文脈の中ででした。

そのことにかかわる講演を聴かれた杉山先生は、終了後壇上に駆け上がって荒井先生の手を取り、「ユダはバッハの《マタイ受難曲》においても、放蕩息子になぞらえて赦されているんですよ!」と感激の面持ちでおっしゃったそうです。私は驚き、全身耳になってこのお話を聞いていました。なぜなら、この解釈は私が著作の中で提示し、状況証拠を引きつつ主張しているものであるからです。

ああ、杉山先生は共感してくださっていたのだな、と思い瞑目していると、荒井先生は「そのことを私は、杉山さんの弟子のひとりである礒山さんの著作ですでに知っていました」とおっしゃり、私の著作の、「東京書籍、1994年」というデータまで、付け加えてくださったのです。私はますます驚き、ああ、こういう方がこういう風に読んでくださっているんだなあ、と恐縮しつつ、深く励まされました。『ユダ福音書』のこと、これから勉強します。

その後の茶話会では、先生の思い出と恩義を綴った精一杯の文章を用意し、朗読しました。亡くなられた今、先生への感謝の思いは募るばかりです。

[付記]「私の解釈」というのはいかにも語弊がありますので修正し、正確なところを記しておきます。

杉山先生は、ユダの死を受けるバス・アリアの歌詞に以前から「放蕩息子」の訳語を使っておられましたので、この部分を、すでに赦しの文脈で捉えておられたことは間違いないと思います。私が行ったのは、その発想がどこから出てきたかの、ルーツの探索です。バッハの神学蔵書を調査した結果、そのままの用例は見つからなかったが、ユダ観の転換を窺わせる記述は随所にあり、とりわけランバッハのユダ論に、それが顕著でした。したがってユダ=放蕩息子という思い切ったたとえはバッハ/ピカンダーのオリジナルである可能性がなお残っています。しかし、ライプツィヒの牧師たちに由来する可能性もあることでしょう。いずれにせよ、そこには大きな一歩があるように思います。