「向き合う」ということ2013年03月25日 23時53分50秒

時間の話が出ましたので、人生の雑感を。

時間というのは、人の心を癒すものですよね。心に傷ができても、時間が忘却の力を借りて痛みを薄れさせ、癒してくれます。うれしいこともいっしょに薄れていきますが、それによって人間は、新しいことに取り組む力を得ることができるのです。

しかし逆に、思い出したくないことに限って思い出す、というメカニズムを、人間はもっている(ですよね?)。先日同年配の友人から、どうも最近は過去のことばかりを思い出して、罪の思いにかられる、という趣旨のメールをもらいました。私もまったく同じなのでそう返信しましたが、これと上記のことは、どういう関係にあるのでしょうか。

私が思うに、「思い出したくないことを思い出す」のは、思い出すまいとするからだと思うのです。しっかり向き合ったことは、時間をかけることで事柄が成仏しますから、かなたに去ってくれる。ところが向き合うことを手抜き、記憶の向こうに押しやろうとした事柄は、時間をかけてもらえないため成仏していませんから、たえず成仏を求めて、存在を主張するのではないか。

だからどんなことにでもしっかり向き合いましょう、などと言っても、それは空念仏で、簡単にできることではありません。しかし、時と共に成仏しない案件が増加していくのは、困ったことです。それをどうするかという実践論が、次は必要ですよね。