夜が明ける ― 2013年07月17日 11時36分38秒
16日(火)は、大阪音楽大学大学院での、論文公開指導。バロック音楽の研究を志す方が、何人もおられるのですね。少しでもいいものを書いていただきたいので、儀礼的にならぬよう、事柄本位に(=厳しく)やりました。自分の考え方は、しっかり伝えられたように思います。
終了後、旧知の中村孝義理事長、これまた旧知の西村理先生、および発表者と学生たちで、ワインのある居酒屋へ。とても雰囲気のいいクラスで、笑いが絶えません。終電まで楽しく過ごし、帰宅。
ツケはちゃんとめぐってきました。今日(水)の2つの講座(午後が《マタイ受難曲》、夜が《ロ短調ミサ曲》)の準備が間に合わず、ついに朝の6時半まで熱中。《ロ短調ミサ曲》は〈サンクトゥス〉から〈ベネディクトゥス〉までを取り上げるのですが、何回もやっているのに見直せば見直すほど気づくことが多く、内容がふくらんでしまいます。以前の講演がとても情けないように思えてきました。
というわけで、遅れている仕事、返信していないメール等、もう少しお待ちください。外遊しわ寄せの頂点になっている今週です。
終了後、旧知の中村孝義理事長、これまた旧知の西村理先生、および発表者と学生たちで、ワインのある居酒屋へ。とても雰囲気のいいクラスで、笑いが絶えません。終電まで楽しく過ごし、帰宅。
ツケはちゃんとめぐってきました。今日(水)の2つの講座(午後が《マタイ受難曲》、夜が《ロ短調ミサ曲》)の準備が間に合わず、ついに朝の6時半まで熱中。《ロ短調ミサ曲》は〈サンクトゥス〉から〈ベネディクトゥス〉までを取り上げるのですが、何回もやっているのに見直せば見直すほど気づくことが多く、内容がふくらんでしまいます。以前の講演がとても情けないように思えてきました。
というわけで、遅れている仕事、返信していないメール等、もう少しお待ちください。外遊しわ寄せの頂点になっている今週です。
人間国宝! ― 2013年07月20日 22時23分06秒
なんとか過密スケジュールを乗り切ろうと、生活の乱れを招いていた今週の、金曜日(19日)。NHKの収録があり、スタジオに入りました。最近は寄る年波で、声がかすれていることが多く、この日もそれが心配。お世話いただいている女性アシスタントに、「声、大丈夫ですかね」と尋ねてみました。
すると彼女はきっぱりした口調で、「声は大丈夫です。顔が疲れています!」と言うではありませんか。一瞬ガックリしましたが、放送はラジオなので、とりあえず無関係。適当にご想像いただければ、と思います。
終了後三越前に移動し、「イガラシ」で散髪。「顔が疲れている、と言われてねえ」と言ったところ、そこは床屋さんお上手で、「髪が伸びているからですよ」とのこと。折しも、かかっていたテレビから、三味線の今藤政太郎先生が人間国宝になられた、というニュースが流れてきました。
今藤政太郎先生とは大学で知り合い、その後も親友という言葉を使いたくなるほど、親しくさせていただいています。気合いあふれる名人芸と爽やかなお人柄を心から尊敬申し上げていたので、ご受賞に感動。人間国宝とは、究極の評価ですね。おめでとうございます。
20日(土)、「たのくら」の例会。そこでもつい出た言葉は、「顔が疲れている、と言われました・・・」。すると、ある薬通の会員の方が私のもとに近寄り、「この薬をいま1錠、あとでもう1錠飲んでください。そうすれば治ります」と、心配そうにおっしゃいます。私は冗談のつもりで申し上げたのですが、その方は、「この顔の疲れは危急事態」と判断されたようなのです。
ともあれ、顔の犠牲のもとに、なんとか今週を乗り切ることができました。ほっと一息ついている、土曜日の夜です。
すると彼女はきっぱりした口調で、「声は大丈夫です。顔が疲れています!」と言うではありませんか。一瞬ガックリしましたが、放送はラジオなので、とりあえず無関係。適当にご想像いただければ、と思います。
終了後三越前に移動し、「イガラシ」で散髪。「顔が疲れている、と言われてねえ」と言ったところ、そこは床屋さんお上手で、「髪が伸びているからですよ」とのこと。折しも、かかっていたテレビから、三味線の今藤政太郎先生が人間国宝になられた、というニュースが流れてきました。
今藤政太郎先生とは大学で知り合い、その後も親友という言葉を使いたくなるほど、親しくさせていただいています。気合いあふれる名人芸と爽やかなお人柄を心から尊敬申し上げていたので、ご受賞に感動。人間国宝とは、究極の評価ですね。おめでとうございます。
20日(土)、「たのくら」の例会。そこでもつい出た言葉は、「顔が疲れている、と言われました・・・」。すると、ある薬通の会員の方が私のもとに近寄り、「この薬をいま1錠、あとでもう1錠飲んでください。そうすれば治ります」と、心配そうにおっしゃいます。私は冗談のつもりで申し上げたのですが、その方は、「この顔の疲れは危急事態」と判断されたようなのです。
ともあれ、顔の犠牲のもとに、なんとか今週を乗り切ることができました。ほっと一息ついている、土曜日の夜です。
今月の特選盤 ― 2013年07月22日 11時13分00秒
今月は、アンドレアス・シュタイアーのチェンバロによる「憂鬱をやり過ごすために--ドイツ、フランス・バロック鍵盤作品集」(ハルモニアムンディ、金部インターナショナル発売)を選びました。演奏者にやりたいことの明確なイメージがあり、それがしっかり実現されている、というのが推薦理由です。
「憂鬱をやり過ごすために」というのはフローベルガーの組曲に出てくる注釈で、CDはこれを冒頭に置き、最後に同じフローベルガーのフェルディナント4世へのラメントを置く。その間に、ダングルベール、ルイ・クープラン、フィッシャー、クレランボーらのメランコリーに満ちた作品が並べられてゆきます。減衰するチェンバロの響きに当時の人が重ね合わせた憂鬱を、さらには「メメント・モリ」の思想を掘り下げようという、筋の通ったプログラムです。
演奏も鋭い突っ込みを感じさせるもので、すべてのフレーズに、意味があり主張があるという印象を受けます。文字通り、聴き応えのあるアンソロジーです。
「憂鬱をやり過ごすために」というのはフローベルガーの組曲に出てくる注釈で、CDはこれを冒頭に置き、最後に同じフローベルガーのフェルディナント4世へのラメントを置く。その間に、ダングルベール、ルイ・クープラン、フィッシャー、クレランボーらのメランコリーに満ちた作品が並べられてゆきます。減衰するチェンバロの響きに当時の人が重ね合わせた憂鬱を、さらには「メメント・モリ」の思想を掘り下げようという、筋の通ったプログラムです。
演奏も鋭い突っ込みを感じさせるもので、すべてのフレーズに、意味があり主張があるという印象を受けます。文字通り、聴き応えのあるアンソロジーです。
楽しいお酒 ― 2013年07月25日 12時01分47秒
24日(水)は、難渋していたモンテヴェルディの翻訳をやっと終え(コンサートに出すには翻訳の苦労を体験する必要があると改めて痛感)、芸大《ヨハネ受難曲》ゼミの飲み会へ出かけました。
既報の通り、このゼミにおける学生の真剣な勉強ぶりと発表のレベルはすばらしく、ありがたい相互信頼が出来上がっています。それだけに楽しく有益な飲み会となり、後期に向けて、いい準備ができました。
飲み会の成功に不可欠なのは、お店の良さです。この日訪れたのは、上野駅入谷口の近くにあるサンルート・ホテル1階のイタリアン、「ラ・ココリコ」。いつも学会の委員会のあとに寄っていたところです。リーズナブルな価格の良心的なお店で、若いグループには最適。この値段でよくこれだけのワインが出てくるなあと、感心しました。
私が酒好きだから余計そう思うのでしょうが、食事会、飲み会の効用は絶大。とくに、手作りのコンサートをする場合に壮行会をやっておくと、士気向上に役立ちます。それを予算化するわけにはいかないので、最近は交際費と割り切っています。帰りの時間を気にしながらの打ち上げより、有意義だと感じます。
蛇足ですが、ご一緒した方々の評判がいちばんいいのは、やはり渋谷の「ラ・ゴローザ」です。諸般の事情から今月は行かれなかったのですが、群を抜いているのがお店の静けさ=話のしやすさ。にぎやかなお店がお好きな方もおられるでしょうが、大きな声で話さないとなかなか、という環境と、何人いても1つの話ができる環境の差は大きいです。
既報の通り、このゼミにおける学生の真剣な勉強ぶりと発表のレベルはすばらしく、ありがたい相互信頼が出来上がっています。それだけに楽しく有益な飲み会となり、後期に向けて、いい準備ができました。
飲み会の成功に不可欠なのは、お店の良さです。この日訪れたのは、上野駅入谷口の近くにあるサンルート・ホテル1階のイタリアン、「ラ・ココリコ」。いつも学会の委員会のあとに寄っていたところです。リーズナブルな価格の良心的なお店で、若いグループには最適。この値段でよくこれだけのワインが出てくるなあと、感心しました。
私が酒好きだから余計そう思うのでしょうが、食事会、飲み会の効用は絶大。とくに、手作りのコンサートをする場合に壮行会をやっておくと、士気向上に役立ちます。それを予算化するわけにはいかないので、最近は交際費と割り切っています。帰りの時間を気にしながらの打ち上げより、有意義だと感じます。
蛇足ですが、ご一緒した方々の評判がいちばんいいのは、やはり渋谷の「ラ・ゴローザ」です。諸般の事情から今月は行かれなかったのですが、群を抜いているのがお店の静けさ=話のしやすさ。にぎやかなお店がお好きな方もおられるでしょうが、大きな声で話さないとなかなか、という環境と、何人いても1つの話ができる環境の差は大きいです。
やるべきか、やらざるべきか ― 2013年07月26日 23時23分26秒
地方ではあまり見かけませんが、東京の駅で必ず出会うのは、署名活動、募金活動です。皆さんは声をかけられても、別にどうとも思われませんか?私は相当ストレスです。「やるべきかやらざるべきか」を自問するのが常であること、声をかける側に、対応しない人に対する非難の心を、つい感じてしまうためです。考えすぎかもしれませんが・・・。
芸大に行くおりの、上野駅。若い二人連れが、いつも声をからして叫んでいます。動物愛護関係。私は犬好きですから、やるべきかやらざるべきかいつも考えてから、こそこそと通り過ぎます。
驚いたのは、痴漢冤罪の署名活動を、ご本人がなさっていたこと(国立駅)。これはとても勇気の要ることですし、私だって間違えられない保証はないわけなので、やるべきか、とかなり思いました。結局しませんでしたが、皆さんならどうされるでしょうか。
どの活動も、大義名分は立派です。でも人生経験からして、全部が善意のものではないだろう、という推測が働くわけです。いかにももっともらしいものが必ずしも善意のものではない、ということも、しばしば経験します。また、いかに気の毒に思えても、裁判にかかわるような事柄に、事情もわからずに署名していいのか、と思うわけです。そう考えると結局署名も募金もできず、こそこそと通り過ぎてしまうのがいつものことです。
芸大に行くおりの、上野駅。若い二人連れが、いつも声をからして叫んでいます。動物愛護関係。私は犬好きですから、やるべきかやらざるべきかいつも考えてから、こそこそと通り過ぎます。
驚いたのは、痴漢冤罪の署名活動を、ご本人がなさっていたこと(国立駅)。これはとても勇気の要ることですし、私だって間違えられない保証はないわけなので、やるべきか、とかなり思いました。結局しませんでしたが、皆さんならどうされるでしょうか。
どの活動も、大義名分は立派です。でも人生経験からして、全部が善意のものではないだろう、という推測が働くわけです。いかにももっともらしいものが必ずしも善意のものではない、ということも、しばしば経験します。また、いかに気の毒に思えても、裁判にかかわるような事柄に、事情もわからずに署名していいのか、と思うわけです。そう考えると結局署名も募金もできず、こそこそと通り過ぎてしまうのがいつものことです。
刺激的な世界 ― 2013年07月28日 09時41分49秒
若い人に申し上げているのは、困難な課題に挑戦しろ、ということです。論文を書くような場合、自分の現状や力量に見合ったテーマを設定することも重要ではありますが、研究を通じて自分の能力を高めることも若いうちはとくに目標となることなので、つねに、上を見ている必要があります。外国語が苦手だから使わずに済むテーマを選びたい、という方にときどき出会うのは残念。本当にやりたいことがあれば、その外国語を習得するぐらいの気概はもつべきです。それができるのが、若さの特権なのですから。
というようなお説教は、自分もそれなりに挑戦していなければ、説得力がありませんよね。30日のモンテヴェルディ・コンサートの研究まわりを引き受け、対訳・解説・字幕を担当するというのは、私にとって困難な課題そのものでした。しばしば力不足を感じましたし、時間もかけました。
しかしなんとか到達点に来ると、一定のパースペクティブが自分うちに形成されていることに気がつきます。何より思うのは、初期バロックの宗教曲やマドリガーレが、テキストにしろ音楽にしろ、並びないインテリジェンスの所産であるということです。知るにつれ、近づくにつれて面白くなるわくわくするほど刺激的な世界が、大きく広がっています。その喜びを客席と共有するのが、今回のコンサートの目標。ステージでは解説と字幕を通じて、少しでもわかりやすくなるように務めます。
27日(土)は、横浜の渡邊城でリハーサル。研究情報を演奏者の方々にお伝えし、解釈の方向を議論しました。歌い手にはバッハ・コレギウム・ジャパンの中心メンバーが加わっていますし、渡邊順生、平尾雅子の通奏低音を初め、器楽もレベルが高いと思います。火曜日のサントリーホール・ブルーローズに、少しでも多くの方が足をお運びくださるようお願いします。
というようなお説教は、自分もそれなりに挑戦していなければ、説得力がありませんよね。30日のモンテヴェルディ・コンサートの研究まわりを引き受け、対訳・解説・字幕を担当するというのは、私にとって困難な課題そのものでした。しばしば力不足を感じましたし、時間もかけました。
しかしなんとか到達点に来ると、一定のパースペクティブが自分うちに形成されていることに気がつきます。何より思うのは、初期バロックの宗教曲やマドリガーレが、テキストにしろ音楽にしろ、並びないインテリジェンスの所産であるということです。知るにつれ、近づくにつれて面白くなるわくわくするほど刺激的な世界が、大きく広がっています。その喜びを客席と共有するのが、今回のコンサートの目標。ステージでは解説と字幕を通じて、少しでもわかりやすくなるように務めます。
27日(土)は、横浜の渡邊城でリハーサル。研究情報を演奏者の方々にお伝えし、解釈の方向を議論しました。歌い手にはバッハ・コレギウム・ジャパンの中心メンバーが加わっていますし、渡邊順生、平尾雅子の通奏低音を初め、器楽もレベルが高いと思います。火曜日のサントリーホール・ブルーローズに、少しでも多くの方が足をお運びくださるようお願いします。
ドイツにお供した3冊 ― 2013年07月30日 09時28分27秒
成田空港の本屋さんで文庫本を3冊買って、飛行機に乗りました。マキアベリの『君主論』、ドストエフスキーの『貧しき人々』、猪瀬直樹さんの『唱歌誕生』です。『君主論』を読むのは初めてでたいへん興味深かったですが、猪瀬さんの本にもとても感心したので、ひとこと。
都知事の猪瀬さんに明治の音楽史に触れあう本があるとは、知りませんでした。過去にNHK出版と文春から出て、今回、中公文庫で新装発売になったもののようです。読んでみると多くの文献を用い、現地取材も行われている力作で、びっくりしました。
詩人高野辰之、音楽家岡野貞一の2人に焦点を当て、島崎藤村などもさかんに登場させながら、時代の中で唱歌がいかに生み出されたかを描いてゆく。豊富な語彙といい潤いのある文章といい、また卓越した構想力といい、作家の筆力を随所に感じさせます。個々の論点に関してはおそらく専門的な異論もあることでしょうが、その議論は学会の若い方々におまかせするとして、私はテレビの画面ではわからない猪瀬さんの奥の深さ、とりわけ感受性の豊かさに感心しました。
都知事の猪瀬さんに明治の音楽史に触れあう本があるとは、知りませんでした。過去にNHK出版と文春から出て、今回、中公文庫で新装発売になったもののようです。読んでみると多くの文献を用い、現地取材も行われている力作で、びっくりしました。
詩人高野辰之、音楽家岡野貞一の2人に焦点を当て、島崎藤村などもさかんに登場させながら、時代の中で唱歌がいかに生み出されたかを描いてゆく。豊富な語彙といい潤いのある文章といい、また卓越した構想力といい、作家の筆力を随所に感じさせます。個々の論点に関してはおそらく専門的な異論もあることでしょうが、その議論は学会の若い方々におまかせするとして、私はテレビの画面ではわからない猪瀬さんの奥の深さ、とりわけ感受性の豊かさに感心しました。
やっぱりいい!モンテヴェルディ ― 2013年07月31日 23時59分16秒
「モンテヴェルディ~愛の二態」にご来場の皆様、ご出演の皆様、また種々ご協力いただいた方々、ありがとうございました。私のプロデュースするコンサートはごくささやかなものから広がりをもつものまでさまざまですが、今回のコンサートは、クォリティの高さという点では自分史のなかで指折りのものではなかったかと思っています。皆様のおかげです。
今回の会場は、昨年の《聖母マリアの夕べの祈り》の継続という意味でも、絶対にサントリーホール(ブルーローズ)でなければ、と思っていました。結果は本当にそれでよかったのですが、背伸びをした分、しわ寄せがいった部分があります。それは、私の責任範囲である、字幕。高価なレンタルをあきらめ、「たのくら」所蔵のホームユース(!)のプロジェクターを、立川から運びました。
私は、適切な字幕とともに鑑賞すれば、音楽の感銘は3割増しになる、と確信しています。ですから、モンテヴェルディのマドリガーレのような高度に文学的な作品には字幕が必須と考え、自分で準備しました。ただその設備に手抜きをしたので、字幕を客席から見えるように投射できるかどうかが、最大の不安であったわけです。
当初想定した幕に映してみると、ほとんど読めないことが判明(泣)。その後さまざまな努力を費やして改善しましたが(担当の方々、まさお君、お世話になりました)、結果は、ある程度の範囲でまあまあ読めた、というところだったでしょうか。芸大生が献身的にオペレーターを務めてくれたのは、《ヨハネ受難曲》ゼミの副産物です。
櫻田亮さんが発揮された世界的レベルのカリスマ性は、これまで私がプロデュースしたコンサートにはなかったもの。彼が上杉清仁さん、谷口洋介さん、小笠原美敬さんと組む男声アンサンブルの音程の良さとスピリットはプロの妙技と言うほかなく、脱帽です。阿部雅子、渡邊有希子の女声お二人も大健闘で、《マニフィカト》のエコーでは鳥肌が立ちました。器楽は、天野寿彦、渡邊慶子(ヴァイオリン)、平尾雅子(ガンバ)、渡邊順生(オルガン、チェンバロ)という実力型の布陣。初めてご一緒する天野さんの様式感はたいしたものでした。
休憩時間に打ち上げの予約に走るようなプロデューサーでしたが、次を早くやりましょうという言葉を一流の方々からいただいて、モンテヴェルディに対する演奏者たちの強い思いを実感。個人的には、重唱マドリガーレのすばらしさを何倍にも感じるようになったことが収穫でした。はまると抜けられないのが、モンテヴェルディです。
最後になりましたが、とくにご案内しなかった旧知の方々にたくさんお出ましいただいたのが嬉しい驚きでした。ありがとうございました。
今回の会場は、昨年の《聖母マリアの夕べの祈り》の継続という意味でも、絶対にサントリーホール(ブルーローズ)でなければ、と思っていました。結果は本当にそれでよかったのですが、背伸びをした分、しわ寄せがいった部分があります。それは、私の責任範囲である、字幕。高価なレンタルをあきらめ、「たのくら」所蔵のホームユース(!)のプロジェクターを、立川から運びました。
私は、適切な字幕とともに鑑賞すれば、音楽の感銘は3割増しになる、と確信しています。ですから、モンテヴェルディのマドリガーレのような高度に文学的な作品には字幕が必須と考え、自分で準備しました。ただその設備に手抜きをしたので、字幕を客席から見えるように投射できるかどうかが、最大の不安であったわけです。
当初想定した幕に映してみると、ほとんど読めないことが判明(泣)。その後さまざまな努力を費やして改善しましたが(担当の方々、まさお君、お世話になりました)、結果は、ある程度の範囲でまあまあ読めた、というところだったでしょうか。芸大生が献身的にオペレーターを務めてくれたのは、《ヨハネ受難曲》ゼミの副産物です。
櫻田亮さんが発揮された世界的レベルのカリスマ性は、これまで私がプロデュースしたコンサートにはなかったもの。彼が上杉清仁さん、谷口洋介さん、小笠原美敬さんと組む男声アンサンブルの音程の良さとスピリットはプロの妙技と言うほかなく、脱帽です。阿部雅子、渡邊有希子の女声お二人も大健闘で、《マニフィカト》のエコーでは鳥肌が立ちました。器楽は、天野寿彦、渡邊慶子(ヴァイオリン)、平尾雅子(ガンバ)、渡邊順生(オルガン、チェンバロ)という実力型の布陣。初めてご一緒する天野さんの様式感はたいしたものでした。
休憩時間に打ち上げの予約に走るようなプロデューサーでしたが、次を早くやりましょうという言葉を一流の方々からいただいて、モンテヴェルディに対する演奏者たちの強い思いを実感。個人的には、重唱マドリガーレのすばらしさを何倍にも感じるようになったことが収穫でした。はまると抜けられないのが、モンテヴェルディです。
最後になりましたが、とくにご案内しなかった旧知の方々にたくさんお出ましいただいたのが嬉しい驚きでした。ありがとうございました。
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